後編「結末」
「高校時代の同級生に、あなたの小学校から来た、って子がいてね。小学校の同窓会名簿を入手して……」
鶴子の言葉で、俺は、回想から現実に引き戻される。
「……そこから辿って、何人も連絡して回って。今頃になって、ようやく、あなたのところに辿り着いたのよ」
うふっ、という感じで、口元に笑みを浮かべる鶴子。
「そうか。それは大変だったな……」
そこで止めるのが普通なのに。
思わず俺は、女性に対して口にしたこともないような言葉を続けていた。
「それにしても鶴子さん、綺麗になったね」
「あら、ありがとう。お世辞だとしても、嬉しいわ」
まるで「言われ慣れている」と言わんばかりの対応だ。こうやってサラリと流してくれた方が、俺としてもありがたい。
それよりも。
俺の頭の中では、解答の出ない質問が、バターになるかのような勢いでぐるぐると回っていた。
俺は鶴子と、このまま部屋の前で立ち話を続けるべきなのだろうか?
それとも。
一応、知り合いなのだから、部屋にあげるべき?
でも、こんな美女が、俺のような男と、部屋で二人きりというのは……。それはそれで、問題あるよなあ? 長い間会っていないから互いの人間性もわからないし、もしかしたら『若い男女が部屋で二人きり』イコール『肉体関係』と考えるタイプかもしれないし……。というより、世間一般では、それが普通な気もするし……。
昔話の『鶴の恩返し』では、どうだったっけ? 鶴が化けた美女を、主人公は、簡単に家に招いたんだっけ? ああ、あれは時代が違うから……。
なまじ彼女の名前が『鶴子』なだけに、そんなことまで考えてしまう。
そうやって逡巡する俺に対して。
「あの頃の私は、小さな子供だから無理だったけど……。大人になった今なら、あなたを竜宮城へ連れて行けるわ!」
鶴子は、そう言い放った。
「え? 竜宮城?」
先ほどまでの考えがあった俺は、
「『鶴子』だから『鶴の恩返し』……ではなくて?」
そんな頓珍漢な言葉を口にしてしまった。
だが、これに対しても鶴子は真面目に対応してくれる。
「あら! 私、あの時も言ったわよね? あなたは私の……」
「『浦島太郎サマ』だろ?」
最後まで言わせずに、言葉を被せる俺。俺も少しくらいアピールしたかったのだ。何をアピールしたいのか、自分でもよくわかっていなかったが。
「まあ! 嬉しい! ちゃんと覚えていてくれたのね!」
鶴子は、パッと顔を明るくして……。
続いて。
同世代とは思えぬほどの、妖艶な笑みを浮かべながら。
「ならば、話が早いわ。今から、私と一緒に来てくれないかしら?」
そして。
連れて行かれた先で。
御馳走を並べられて、たらふく酒を飲まされて……。
意識を取り戻した時。
俺は、新宿の路地裏でゴミ袋を枕にして、一人で寝っ転がっていた。
まるで喧嘩でもしたかのように、体のあちこちがズキズキと痛む。頭がガンガンするのは、二日酔いなのだろう。
とりあえず、空の明るさから判断すると、もう朝のようだ。
時間を確認しようと、腕時計に目をやると……。
「ない!」
思わず叫んでしまった。
大学に入学した記念として親からもらった、高価な腕時計。大学生には似つかわしくない、むしろヤクザやプロ野球選手の方がイメージに合いそうな腕時計。
それが、なくなっている!
「まさか……」
ふと気になってポケットを確認すると、財布もない。
代わりに入っていたのは、一枚の紙切れ。
「これは……」
手に取って眺めるうちに、だんだん記憶が蘇ってきた。
亀田鶴子が、今はホステスとして働いていること。
俺は昨日、彼女の同伴出勤に付き合わされたこと。
指名料やら何やらで、法外な金額を要求されたこと。財布も時計も取り上げられたが、それでも足りずに、叩き出されたこと……。
全てを思い出した俺は。
「……」
キャバクラ『竜宮城』の請求書に書かれた数字を――信じられないような金額を――目にして。
髪の毛が真っ白になるほどの恐怖を感じてしまい、しばらく、体が動かなかった。
(「鶴と亀が滑った」完)