桜の季節、二人はすれ違った。
俺以外の人は、変なやつばかりだ。
みんなおかしいことを言う。
その日、俺は桜を見るために、普段行かないような公園に行った。
そこで出会った女性は、特におかしかった。
すれ違って突然、「私のこと、覚えてますか」って言ってきたんだ。
俺と同じくらい年で、見た目は20歳ほどの女性。
彼女に出会ったのはその時が初めて。
なのに、彼女は俺のことを知っていたようだ。
どうして俺のことを知っているのか尋ねると、
「あなたから話しかけてきたんですよ」
という返事。
本当に、おかしな人だ。
俺は彼女を知らないし、話しかけたこともない。
困惑しながらも、俺は舞い散る桜を見て言った。
「桜が綺麗ですね」
「はい、今日も見られて良かったです」
彼女は悲しげな表情で答えた。
一人で物思いにふけっているところを見て、何を考えているのか少し気になった。
「またお会いできますよね? 明日も私はここにいます、覚えてたら来て下さい」
別れ際に彼女は言った。
俺はハイハイと聞き流し、帰った。
周りは変なやつばかりで、他人に興味なんてなかった。
でも、こんなにも変な人は逆に興味をそそられた。
昨日と同じ公園に行った。
そこには昨日の女性の姿が。
「また会いましたね」
と俺は言った。
「はい、昨日約束しましたからね」
彼女は返事をした。
俺は彼女に尋ねた。
「今日も、桜を見に来たんですよね?」
彼女は少し驚いたような顔をした。
「え? まぁ、そんな感じですね」
彼女はそう言いながら微笑む。
しかし、その表情の奥から感じられる寂しさ。
そんな彼女のことが気になった。
昨日もそうだ。
彼女はなぜか寂しそうな顔を見せる。
一体何を思っているんだろうか。
「それでは私は、おいとまさせていただきます。今日もあなたと桜を見られてよかったです。明日もまた、お会いできますよね?」
彼女は俺に言った。
「はい、俺は明日も桜を見に来ますよ、好きですから」
「わかりました、では、また明日…」
彼女はそう言って帰っていった。
後ろ姿からも、その寂しさはにじみ出ていた。
結局その日も、彼女が俺を知っている訳を聞くことができなかった。
この日は雨。
外出できないほどではないが、傘を射さないと困るような雨模様だ。
公園につくと、雨の中で傘も射さずに立っている女性が。
昨日と一昨日の女性だった。
俺は彼女に駆け寄った。
「傘はどうしたんですか、風邪引きますよ?」
俺の射している傘に彼女を入れてあげた。
「ああ、ありがとうございます、お買い物してる間に盗られちゃったみたいで…」
「そんなに雨に濡れてまで、ここに来なければならなかったんですか?」
「約束の時間でしたから」
笑顔で俺を見つめた。
その笑顔で、俺は少し照れそうになった。
「とにかく、傘を買いに行きませんか? お店まで俺の傘に入れますから」
「それはとても助かります。よろしくお願いいたします」
彼女を傘に入れたまま、俺たちは歩き始める。
自分から誘った相合い傘にも関わらず、俺はものすごく緊張していた。
そんな中、彼女は俺に言った。
「あなたって、やっぱり変わってますよね」
まさか彼女に言われるとは…。
「そうですか? あなたほどおかしな人、俺は初めて出会いましたよ」
「そんなことないですよ、私はいたって普通ですって」
笑い混じりの声で彼女は言った。
そういうところが変わってるんだって。
でも俺は言わなかった。
この距離感が、今の俺には心地よかったから。
近くのお店に着いた。
「本当に、ありがとうございました」
「いえいえ、それではお気をつけてお帰りくださいね」
俺はお店を後にしようとした。
「良ければ、明日も桜を見ませんか? 今日はあいにくの雨でしたが、晴れたらまた一緒に見たいです」
彼女は俺に言った。
「わかりました、それではまた明日」
俺はそう返し、帰った。
次の日は晴れた。
いつもの時間に公園に行った。
少し遅れて彼女は来た。
俺は彼女にあいさつをした。
「こんにちは、今日も桜が綺麗ですね」
「どうも、こんにちは。この季節はいいですよね」
彼女もこの季節が好きで安心した。
「他に、この街で桜の綺麗な公園って、あるんですか?」
彼女は俺に聞いた。
「そうですね、もうひとつ綺麗な桜が見られる場所があるんですが、ご案内いたしましょうか?」
俺はそう伝えた。
「はい、是非よろしくお願いします!」
彼女は笑顔で答えた。
俺は川沿いの桜へ案内を始めた。
その間、他愛のない会話をしていた。
「へー、本を読むのが好きなんですね」
彼女は俺の趣味に興味を示してくれた。
「はい、本は裏切らないんです。話の展開上、裏切られることはありますが、何度読み返しても、同じ話を楽しむことができて、好きなんです」
現実の人は、変な人ばかり。
おかしなことを言ってきたり、話が通じないことが多い。
でも本はそんなことがない。
一定のストーリーが約束されている。
そのことに俺は安心ができる。
「あなたって、変わった人ですね」
彼女はそう言った。
またそれか。
「でも、その考え方はおもしろいです!あなたの本に対する考え方で読んでみるのも楽しそうですね」
俺の考え方をおもしろいと言ってくれる人がいるなんて。
変な人たちの中にも、こんなにいい人がいるなんて。
この人は、本当におかしな人だ。
でも嬉しかった。
そのあと、俺は川沿いの桜を彼女に紹介した。
彼女はとても喜んでくれた。
「今日は本当にありがとうございました。あなたのおかげで、この街が好きになれそうです」
「それは良かったです」
喜んでくれている彼女を見て、俺もまた嬉しくなった。
「それでは、俺は失礼させていただきます」
俺は帰ろうとした。
彼女は俺を呼び止めた。
「あの、明日またお会いできますか?」
「いいですよ、またあの公園で、今日と同じ時間に会いましょうか」
「約束ですからね!」
俺は左手を上げて、彼女に返事をした。
俺は嬉しかった。
今まで他人と関わろうとはしなかったし、関わってくれた人なんていなかった。
そんな俺でも、また会いたいと言ってくれる人がいるなんて。
明日また会えることが、楽しみでしかたなかった。
翌日。
俺は待っていた。
いつもと同じ時間、同じ場所で。
彼女は来ない。
俺は待っていた。
満開の桜を見ながら。
約束した本人が遅れるなんて。
所詮、彼女も他人と同じ、変な人。
高望みするのは良くない。
ただ俺が彼女より早く、公園に着いたという事実だけ。
そう思った。
何より、彼女のことなら許せた。
そんなことを考えていると、彼女は来た。
「あ、どうも、こんにちは」
彼女は俺にあいさつした。
「こんにちは」
俺もあいさつを返した。
彼女の笑顔は、爽やかで見ていて心地がいい。
爽やかな笑顔の彼女は、俺に言った。
「今日もお会いしましたね、桜が好きなんですか?」
「えっ…?」
彼女の言っている意味がわからない。
昨日約束して、待っていたのに。
桜が好きって、前にも言ったはずなのに。
彼女は続けた。
「私も桜が好きなんですよ、最近引っ越してきたばかりで、近くにこんなに綺麗な公園があるのは、とても嬉しいことです」
「そうなんですか、良かったですね…」
わけがわからなくて、簡単な返事しかできない。
昨日までのことを、彼女は忘れているのだろうか。
俺は不安に襲われた。
こんな不安、初めてだ。
忘れてほしくない。
俺は言った。
「明日も桜を一緒に見ませんか?」
「いいですよ、この街に来てまだ日も浅いので、誰か知っている人がいるだけでも安心します」
彼女はそう返した。
それでは、と言って俺は立ち去った。
立ち去りたくなんてなかった。
もっともっと彼女と話したかった。
でも昨日までのことを彼女は忘れているかもしれない。
それが怖かった。
俺は逃げるように帰った。
また翌日。
俺はいつもの公園に行った。
そこで、女性とすれ違った。
昨日までの彼女だった。
俺はすぐに振り向いた。
彼女は振り向かずに歩いていた。
俺に気づかなかったのか。
走って彼女に追い付き、前に出た。
俺は不安に思っていたことを聞いた。
「俺のこと、覚えてますか?」
彼女は驚いたような顔で俺を見たあと、言った。
「…どちら様でしょうか?」
俺の不安は現実になった。
なぜか、彼女は俺のことを覚えていない。
でも、そんな気はしていた。
所詮、彼女も話の通じないおかしな人だったってことだ。
「ごめんなさい、人違いでした。」
自分で作り上げたこの状況を、その場しのぎのような言葉で、俺は終わらせた。
人違いなんかじゃない。
目の前にいるのは正真正銘、毎日会っていてた女性だ。
「そうですか、それでは」
そう言って彼女は去っていく。
その後ろ姿を、俺は見ていた。
嫌だ。
行かないでくれ。
初めて俺の考え方を理解してくれた、あなた。
もっとたくさん話したいことがあるのに。
あなたなら、俺のことをわかってくれるかと思っていたのに。
振り向いて、また笑顔を見せてくれよ。
お願いだから…。
心の中で何度も叫んだ。
でも、声には出せなかった。
彼女は俺のことを覚えていない。
これ以上何を言おうとも、彼女には何も響くはずがない。
彼女の背中だけが小さくなっていき、そして見えなくなった。
そして、翌日。
俺は待っていた。
また彼女に会えるかもしれない。
もしかしたら、俺のことを思い出すかもしれない。
ふと、桜の木を見た。
初めて彼女に出会った日より、つぼみが多くなっていた。
これからまた寒くなるのか。
待てども待てども彼女は来ない。
いつか彼女が俺を「変わった人」と言った。
彼女にとってはそうなのかもしれない。
俺にとっては彼女もおかしな人だった。
他の人以上に。
いや、違う。
もしかしたら本当におかしいのは、俺の方だったんじゃないか。
彼女を含めて俺以外の人は、話が通じないことが多い。
でもそれは、俺一人がおかしいからじゃないのか。
そんなこと考えたことなかった。
考えたくなかった。
俺はおかしい人なのか。
そんなはずはない。
昨日まで、彼女に会っていたじゃないか。
あなたに会いたい。
もしかしたら、二人で相合傘をして行ったお店にいるかもしれない。
俺は走った。
彼女の姿はない。
もしかしたら、前に案内した川沿いの桜の道にいるかもしれない。
俺は走った。
彼女の姿はない。
もしかしたら、いつもの公園で待っているかもしれない。
俺はまた走った。
彼女の姿はない。
もしかしたら、もしかしたらと、何度も思い、何度もお店、川沿いの道、いつもの公園を往復した。
どこにも彼女はいなかった。
やっぱり、おかしいのは俺だったのか。
昨日までの出来事は、なんだったのか。
俺は、今までのことが、これからのことが、自分自身が信じられなくなった。
自分は、何者なんだ。
また寒い季節に、移り変わり始める。
俺の心は、これから降り始める雪のように冷えきっていた。
その日から、すれ違った彼女に会うことはもうなかった。
。
この街に引っ越して、2日目。
部屋の片付けも一段落した。
付けっぱなしだったテレビをふと見た。
この街の公園が映っていた。
桜の開花予想。
明日から満開だと、テレビが私に伝えた。
美しい色が画面越しに私の心を揺すった。
今日も見に行くしかない。
私はそう思い、部屋を飛び出した。
テレビに映っていた公園は、すぐ近くにあった。
平日で人も少なかった。
つぼみ混じりの桜は、まだ幼さがあり、けなげさを感じさせた。
桜を眺めながら歩いていると、ある男性とすれ違った。
その男性は私に話しかけてきた。
「俺のこと、覚えてますか?」
記憶にない顔と声。
私はこの男性を知らない。
「…どちら様でしょうか?」
私はそう答えた。
男性は一瞬悲しい顔をしたが、すぐに笑顔で言った。
「ごめんなさい、人違いでした」
そうですか、と私は返答し、男性と別れた。
誰だったんだろうか。
年齢は私と同世代だと思う。
20歳くらいかな?
彼は私の顔をはっきり見て、私に話しかけた。
それなのに人違いでしたなんて…。
本当にそうなのかな。
私は彼のことを知っているんだろうか。
気になりながらも、配達の時間が近づいていることを思い出し、私は帰宅した。
桜の開花予想通り、今日は満開。
期待を胸に、私は昨日の公園に行った。
テレビに映っていた通り、桜は満開だった。
昨日のけなげさからは一変、美しさを見せる桜。
私は桜が好きだ。
桜の木を見ていると、一人の男性が立っていた。
昨日会った男性だ。
私は彼を知っているかもしれない。
話しかけたら思い出すかもと考え、私は男性に話しかけた。
「あ、どうも、こんにちは」
男性は笑顔で返した。
「こんにちは」
その笑顔を見ると、私も自然と笑顔になった。
不思議な人だ。
「今日もお会いしましたね、桜が好きなんですか?」
私は話を続けた。
「私も桜が好きなんですよ、最近引っ越してきたばかりで、近くにこんなに綺麗な公園があるのは、とても嬉しいことです」
「そうなんですか、良かったですね」
そう言った彼は寂しそうな表情だった。
「明日も桜を一緒に見ませんか?」
彼は私に聞いた。
一人でこの街に来た私は、友達ができると期待し、私は答えた。
「いいですよ、この街に来てまだ日も浅いので、誰か知っている人がいるだけでも安心します」
彼がどうして私のことを知っているのか、わかるかもしれない。
「ありがとうございます、それではまた明日」
彼は立ち去って行った。
友達になれたらいいな。
私はそう思った。
満開の桜を眺めて、明るくなりそうな私のこれからを、心の中で祝福した。
この日も桜は美しく咲き乱れていた。
昨日と同じ時間に公園に赴いた。
昨日と一昨日に会った男性はそこにいた。
「こんにちは、今日も桜が綺麗ですね」
「どうも、こんにちは。この季節はいいですよね」
そよ風が桜の木を揺らす。
その美しさに見とれそうになった。
そういえばと思い、私は彼に聞いた。
「他に、この街で桜の綺麗な公園って、あるんですか?」
「そうですね、もうひとつ綺麗な桜が見られる場所があるんですが、ご案内いたしましょうか?」
「はい、是非よろしくお願いします!」
期待で胸がいっぱいになりそう。
彼の案内に、私はついていった。
その間は、他愛もないような話で盛り上がった。
彼は本を読むことが好きだそう。
それも、本は裏切ることがないからだそうだ。
それぞれの物語には、それぞれの決まったストーリーが約束されている。
その事に彼は安心するんだってさ。
何それ、おもしろい。
「あなたって、変わってますね」
ついつい言葉に出てしまった。
でも彼は笑顔でごまかした。
「でも、その考え方はおもしろいです!あなたの本に対する考え方で読んでみるのも楽しそうですね」
「ありがとうございます」
彼は顔を少し赤くした。
そしてすぐに桜の場所についた。
そこは、川沿いの細い道で、並木のように満開の桜があった。
「うわあ、すごいですねえ…、綺麗」
ため息の出るような景色。
日が射して輝く川。
それに沿うように咲く桜。
街全体を引き立てていた。
「今日はありがとうございました。あなたのおかげで、この街が好きになれそうです」
私は彼にお礼を言った。
「それは良かったです」
彼の笑顔は、私を幸せにしてくれる。
「それでは、俺は失礼させていただきます」
彼は帰ろうとした。
私はついつい呼び止めてしまった。
でも、彼にも予定などがあり、私ばかりに構ってられないことくらい、わかってる。
だから私は言った。
「あの、明日もまたお会いできますか?」
「いいですよ、またあの公園で、今日と同じ時間に会いましょうか」
そう言って彼は私に背を向けて歩き始めた。
嬉しさで、私の心は高揚した。
「約束ですからね!」
彼は左手を上げた。
そんな彼に、私は惹かれていた。
明日もまた会える。
桜を見ることよりも、嬉しいことを見つけた気がした。
自分から約束した待ち合わせの日。
あいにくの雨が朝から降り続く。
彼に会うのが楽しみだった私は、約束の時間より一時間も早く家を出た。
さすがに早すぎたと思い、近くの本屋さんで立ち読みをしてた。
そろそろ時間かなと、私は店を出ようとした。
しかし、私の傘が見当たらない。
誰かが持って行ったみたい。
お気に入りの傘だったのにな。
そんなことより、約束の時間に遅れるのはまずい。
私は雨の中、傘も射さずに約束の公園へ走った。
ずぶ濡れの中待っていると、彼が傘に入れてくれた。
「傘はどうしたんですか、風邪引きますよ?」
これって、相合傘…?
「ああ、ありがとうございます、お買い物してる間に盗られちゃったみたいで…」
「そんなに雨に濡れてまで、ここに来なければならなかったんですか?」
確かに、彼の言うとおり。
傘くらい買えば良かった。
でも、あなたに会えるって思うと、どうしてか、そのことが最優先になってた。
「約束の時間でしたから」
心配している彼の顔に向かって、私は笑顔で答えた。
「とにかく、傘を買いに行きませんか? お店まで俺の傘に入れますから」
それって、相合傘で一緒に歩くってこと?
私のドキドキが一気に強くなる。
嬉しい。
「それはとても助かります。よろしくお願いいたします」
冷静と平然を、私は装う。
うまくできてるかな。
私のドキドキ、彼に聞こえてないかな。
でも、出会ってあまり間もない私を、こんなにも優しくしてくれるなんて。
「あなたって、やっぱり変わってますよね」
昨日の本に対する考え方もそうだし、この人は不思議で、そんなところが惹かれてしまう。
「そうですか? あなたほどおかしな人、俺は初めて出会いましたよ」
そうかなー。
自分が変わってるなんて、思ったことないや。
彼から言われた予想外のことに、私は少し笑ってしまった。
「そんなことないですよ、私はいたって普通ですって」
たぶん。
あなたにおかしな人って言われて、自分が本当に普通なのかわからなくなってきた。
でも、普通の人より、おかしな人って思ってもらえる方が、印象に残りやすくていいかなって。
そんな気になった。
そして、相合傘の散歩も終わりが近づいた。
傘の売っているお店に到着した。
「本当に、ありがとうございました」
「いえいえ、それではお気をつけてお帰りくださいね」
彼は帰ろうとしていた。
明日もまた会いたい。
私は一番にそのことを思った。
「良ければ、明日も桜を見ませんか? 今日はあいにくの雨でしたが、晴れたらまた一緒に見たいです」
私は彼に言った。
「わかりました、それではまた明日」
彼は笑顔でそう返し、雨の街に消えていった。
最初は友達になれるかなって思ってたけど、今は違う。
それ以上になれるなら…。
ちょっと欲張りかな。
心配していた天気は、すっかり晴れた。
雨で散るかと思った桜も、まだまだ美しさを失っていなかった。
安心。
あとは、彼がいつ来るかってこと。
私はもう30分も待っている。
いつもの時間なら来ているんだけどな。
どうしたんだろう。
桜を眺めながら待っていると、彼は歩いてきた。
遅かった。
「また会いましたね」
彼は私に言った。
遅れて来ておいて、謝りの一言もないの?
少し怒りを込めて、私は言った。
「はい、昨日約束しましたからね」
これで謝ってくれるかなと思っていた。
でも彼が言ったのは、私を一気に不安にさせた。
「今日も、桜を見に来たんですよね?」
「え?」
どういうこと?
昨日言ったじゃん。
桜を一緒に見たいって。
それじゃまるで、偶然会っただけみたいじゃん。
「まぁ、そんな感じですね」
この人はやっぱり変わってる。
約束を忘れちゃうなんて。
なんか、寂しくなってきた。
このまま私は忘れられちゃうのかな。
おかしな人って言われた時は、彼の記憶に残りやすくていいかなって嬉しくなったけど。
私なんて、彼が生きていく中これから何千人と出会う一般人の一人に過ぎないのかな。
そんなのやだよ。
でも、今は彼と楽しく話せる自信がない。
「それでは私は、おいとまさせていただきます。今日もあなたと桜を見られて良かったです。明日もまた、お会いできますよね?」
「はい、俺は明日も桜を見に来ますよ、好きですから」
「わかりました、では、また明日…」
私はその場から去った。
明日は覚えてるよね。
もっと忘れていたらどうしよう。
私のことなんて覚えてなかったらどうしよう。
怖くてしかたがないよ…。
翌日、私は公園にいた。
桜が散り始める。
いつもならその美しさに見とれている。
でも、不安で不安で、私はそれどころじゃない。
今日は来てくれるのかな。
もし、覚えてくれてるなら、私はあなたに好きだって言いたい。
会って1週間も経ってないのに。
やっぱ、私って変わってるのかな。
ただ立ってるだけじゃ、気持ちが落ち着きそうにない。
私は公園の中を歩き始めた。
桜は舞い散る。
少し心が落ち着いた感じがした。
その時、彼とすれ違った。
私はすぐに振り向いた。
後ろ姿は確かに彼。
私の不安と緊張は最高まで高まっていた。
苦しいのは一瞬だけ。
昨日まで毎日会ったのに。
忘れているはずがない。
「あの…!すいません!」
私の喉を動かすのに、いつもの100倍くらい力を使った感じがした。
彼は振り向き、私を見る。
心臓が爆発しそう。
私を安心させてください。
「私のこと、覚えてますか?」
彼は驚いた顔をした。
「俺はあなたを存じ上げません。あなたは、俺のことを知ってるんですか?」
やっぱり。
そうだと思った。
どうしてそう思ったかわからないけど、そんな気はしてた。
「あなたから話しかけてきたんですよ」
私は彼に言った。
そう、あなたから話しかけてきた。
でも、その事もあなたは覚えていないんだね。
「桜が綺麗ですね」
彼は言った。
知ってる。
あなたも桜が好きだったもんね。
「はい、今日も見られて良かったです」
これじゃあ、あなたに好きって言えないね。
あなたは私のこと知らないから。
傘に入れてくれたことも、この街を好きにさせてくれたことも、あなたは覚えていないから。
でも、こんなのやだ。
「またお会いできますよね? 明日も私はここにいます、覚えてたら来て下さい」
「ハイハイ、覚えてたら来ますね」
彼は去っていった。
その後ろ姿を、私はただ見ているだけ。
何も言えない。
聞きたいことがまだたくさんあったのに。
私はあなたのことを、本が好きってこと以外まだ何も知らない。
今ならまだ聞けるかもしれない。
でも、去ってく彼に話しかけるのは、いつもの1000倍以上の勇気が必要な感じがする。
私にはそんな勇気はもうない。
彼が見えなくなるまで、後ろ姿を見続けた。
桜の花は半分以上散っていた。
今年もお疲れ様。
綺麗な花を見せてくれてありがとう。
私は心の中で言った。
彼もどこかで、同じ事を思ってるのかな。
どこかって、どこなのかな。
待ってたらここに来るのかな。
いつまで待てば来るのかな。
もう来ないのかな。
もう、会えないのかな…。
あのね、私もあなたみたいな考え方で、本を読んでみたよ。
全然わからなかった。
一定のストーリーが約束されてても、悲しい話は悲しいし、つらい話はつらかった。
そんなストーリーでも、あなたは安心できるの?
私にはまだわからないな。
だからね、教えてほしいんだ。
だからね、会いたい。
会いたい人に忘れられて、会えなくなっちゃう。
こんな私のストーリーでも、あなたは安心するの?
わからない…。
わからないなぁ…。
私の心も、桜のように散ってしまいそう。
それでも待ち続けた。
その日も、それからも、私はすれ違った彼に会うことはもうなかった。
。