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海人  作者: 犬墓久司
2/2

祭若人

これで終わります。拙い作ですがご賞味ください

1 

 生憎の雨模様で海の家の客は僕一人だった。そりゃそうだ。こんな天気の時に泳ぎに出る物好きな奴などまずお目にかかれまい。

 ではなぜ僕がここにいるかというと、察しの通り彼女に付き合っているのだ。朝から雨が降り続いているのに彼女は潜りたいと言い張った。取りあえずバディを組む相手と相談したらどうだいと提案すると、彼女はすかさずスマホを掛けた。

 どうせ断るに決まっていると高をくくっていた僕は、彼女の嬉しそうな声に思わず「ほんとうか」と叫び声をあげそうになった。それから話はとんとん拍子に進み、ここでこうしてビール片手に寛いでいるわけだ。

 まあとことんまで付き合うしかない。そんなことを思いながら僕は自嘲気味に笑った。

「あんたも苦労性だねぇ」

 いきなり声を掛けられ、僕は振り向いた。すると店のお婆さんが手に焼きそばの入った皿を持ちながらにやにやしていた。

「ほら、食べな。おごりだよ」

 突然の好意に戸惑いながらも僕は言われるまま受け取った。

「いただきます」

 受け取った僕はビールを置き、焼きそばを口に運んだ。

「あんたは女の尻に敷かれれるタイプだね」

 いきなり断言され、僕は思わずむせた。

「おや、自覚が無かったのかい。ちょっとやり取りを見てれば誰でも感づくだろうに」

「そうですか」

 僕は苦笑いを浮かべて答え、お茶を濁した。そんなにバレバレなのだろうか。軽くショックを覚えながら海を見やると、丁度彼女がバディと一緒に水辺から姿を現した。僕が手を振ると彼女も大きく手を振り返した。

 するとその時、野太い声が複数、海の家の裏手から聞こえてきた。

「お頭、こんな天気で練習するんですか」

「ポスターを見てみろ。雨天決行と書いてあるだろう。だからやるんだよ」

「ふぇーっ」

 情けない声が幾人かの口から洩れた。何事だろうと思って立ち上がると「よし、行くぞ」という掛け声とともに海の家の横を十数人の男たちが細長い舟を担いで通り過ぎていった。

 何事かと思って見送っていると「もうそんな季節だねえ」というお婆さんの呟きが聞こえてきた。

「何なんです」 

「汐祭さ」

「しおまつり?」

「ここらの夏の風物詩さ。そこで舟競争があるんだ。面白いよ。一見の価値はあるさね」

「何なのあれ」

 バディと別れを終えた彼女がやってきて問いかける。それに対しお婆さんは労を厭わず再度説明してくれた。

「面白そうじゃない。ねぇ見物しましょうよ」

 彼女が飛びついた。彼女はこういったイヴェントに目がないのだ。僕も好奇心旺盛な方なので異存は無い。喜んで承諾した。

「そうかい。そうなら取りあえずはあの連中の漕ぎぶりでも見ておくことだね」

 お婆さんは満足そうにうなずくと今まさに漕ぎ出そうとしている舟を指さした。

「最下位候補でさえない連中だがね」

 お婆さんの言う通り舟は思うように進んでいるようには見えなかった。それでも僕らはいつまでも彼らを見つめ続けていた。

 祭は連休の三日間かけて行われる。当日空は雲一つなくはれ上がり、行楽には最適の日和だった。普段は人通りの少ない鄙びた町並みが、今日は大勢の観光客であふれかえっていた。

 車道も通行止めになり、道の真ん中を人々が闊歩している。全体に狂騒的な雰囲気が満ちていた。たまにはこんな気分に浸るのも悪くはない。

 彼女も興奮しているようで訳もなくはしゃいでいた。立ち並んだ露店をひやかしながらそぞろ歩いていく。そうやって進んでいくと彼女が突然通りの一角の看板を指さした。

「あれ、面白そうじゃない」

 見ると『浴衣レンタルします。着付けもしますので初心者でも安心。飛び込みOK』と書かれている。なるほど浴衣か。風情がありそうだ。

「いいよ」

 僕は承諾した。すると彼女はぴょんと飛び上がり、笑みを浮かべて駆けだした。

 店に入ると結構な数の客がいた。店員に話しかけると「男女別々に分かれてください」と告げられた。なるほど男女別に列が出来ている。僕らは店員の指示に従った。

 やがて僕の番が回ってきた。

「どれになさいます」

 着物を着た白髪交じりの女性店員がにこやかに訊ねてくる。だが問いかけられても着物のことなど何も分からない僕には答えようがない。だから「これなんかどうでしょう」と勧められても「ええ、そうですね、でも……」と煮え切らない態度を取ることしかできなかった。

 彼女はもう着付けが終わったのだろうか。もしかしたら外で待っているかもしれない。焦った僕は次で決めようと決意した。

「じゃぁ、これなんかどうかしら。少し派手だけどお客様ならお似合かもしれませんよ」

 半分ぞんざいな口調で店員が取り出した浴衣を見た途端、僕は突然訳の分からない衝動に襲われ、思わず「それにします」と強い声で言い切ってしまった。

 店員は僕の声の大きさにびっくりしたようだが、すぐに「そ、そうですか。ありがとうございます。じゃ着付けはこちらで」と言って僕を更衣室に案内した。 

 そこには男性店員が待機していた。

「こちらをお願いね」

 女性店員から浴衣を渡されると男性店員は「ほう」と感嘆の声をあげ、僕を興味深げに見やった。

「お客さん、お目が高いねぇ」

 なぜ褒められたのか僕は分からず、男性店員の手にある浴衣をまじまじと見た。それには白地に青い線が裾から襟元にかけてうねるように走っており、その激しさが僕の心を捉えたのだった。

「そうですか。浴衣のことは分からないんですが、なんかこう図柄に勢いがあって、そこに惹かれたんです」

「そうですかい。この図柄は龍を模したものと言われてて、若いもんじゃないと様にならないって言われてるんでさ」

 そこで店員は僕の身体を検分するように見つめた。

「うん、それだけ身長があれば大丈夫でしょ。じゃ服を脱いで」

「それじゃお願いしますね。お客様、お気に召しましたら受付で代金を払ってください」

 そう言い残して女性店員は姿を消した。 

 僕は服を脱ぎ始めた。羞恥心はなぜか湧かず、それよりも一刻も早く浴衣に袖を通してみたいという想いの方が勝っていた。トランクス一枚になると店員が「いい体してるねぇ」とお愛想を言った。

 それから浴衣を広げると袖を通すよう促された。僕が浴衣に両腕を差し入れると、ゆったりと肩に着せかけた。次いで衿を合わせると「これがいいでしょう」と言って朱色の帯を取り出してきた。

 されるがままの着付けだったが、だんだんと心中に炎のように燃え立つ思いが沸き上がってきた。やがてそれは帯を締めることで頂点に達した。

「さ、出来ましたよ」

 店員の声も心なしか満足げだった。それから彼は僕を鏡の前に連れていった。そうして「ほんとお似合いだねぇ。ばっちり決まってるよ」とほめそやした。

店員のお世辞を聞きながら僕は満更でもないという顔付をしていた。しかし内心では大いに満足していた。いや満足どころではない。感動していたと言って差し支えない。

 自分にこんなに浴衣が似合うとは想像だにしなかった。普段の三割増し美男子になったように思える。

「お客さん、どうです」

「うん、すごく気に入った。これにするよ」

「ありがとうございます。じゃお代は受付で。着ていた服はこちらで責任を持ってお預かりします」

 僕は更衣室を出、受付にいた女性店員に代金を支払った。さて一刻も早く彼女にこの晴れ姿を見せなければ。そう思って店内を見渡したが彼女の姿は見えない。

 まだ着付けが終わっていないのか。確かめるため店員に訊ねてみると、すでに代金を支払って外に出たという。じゃあ店の外で待っているのだろうか。

 僕は店を後にして人が増えてきた通りを見渡したが、それらしい人影はない。僕はスマホを掛けようとした。するとタイミングを計ったかのように着信音が鳴った。

 彼女に指示された行く先をたどると浜辺に出た。そこでは大勢の人が立ったり座ったりと思い思いの恰好で陣取り、一様に海を見つめている。

 さて彼女はどこにいるのだろうと見渡すと「こっち、こっち」と叫ぶ声が聞こえてきた。彼女の声だ。声のする方を見やると、群衆の最前列で彼女が手を振っていた。僕は人波をかき分けながら彼女のもとへ向かった。

「どうしたんだ。いきなり消えたんでびっくりしたよ」

 時々彼女は突拍子もない行動をとるが、今回はちょっと異常だ。

「ごめんごめん。でも早く場所を取らないといけないって言われたもんだからつい……」

 どういう意味だと問いかけようとした時、唐突にとなりの若者が「お兄さん、その浴衣決まってますね」と声を掛けてきた。誰だろう。しばし考えたあげくはたと気が付いた。

「君は昨日のバディかい」

「何びっくりした声出してるのよ。そうよ、決まってるじゃない」

「いや、スーツ着てると印象変わるもんですよ。初めまして。鳥居幸助と言います」

 鳥居と名乗った若者は屈託なさげな様子ですっと手を差し出した。そして「隣どうぞ」と言って僕が座るための場所を開けてくれた。

「その浴衣お似合いよ」

「ありがとう。僕も気に入っているんだ。ところで何が始まるんだい」

 彼女に訊くと「舟比べが始まるんですよ」と若者が代わって答えた。

 船比べとはなんだろうと考えてふと、昨日の海の家のお婆さんの話が思い出された。

「楽しみだわ」

「そうだな」

「いよいよ始まりますよ」

 幸助の声に促され、僕らは海辺に目を向けた。するとわーっつと歓声があがり、それぞれ舟を担いだ集団が五組、勇壮な太鼓の音とともに浜辺に姿を現した。彼らは組ごとに色分けされた揃いの衣装をまとい、意気揚々と行進してくる。

「どれが勝つと思います。当てっこしましょう」

 幸助が誘いかける。

「じゃああたしは赤」

 彼女は着ている浴衣と同じ色を選んだ。赤は彼女のお気に入りの色なのだ。

「じゃあ僕は白に」

 彼女に倣って浴衣の色を推す。

「二人がそうなら俺は青にします」

 三人で言葉を交わしあっているうちに舟比べの準備は整った。観客の興奮の度合いが高まってくる。太鼓の轟きも激しくなってきた。それが最高潮に達した途端、開始の合図が切って落とされた。

五隻の舟は一斉に飛び出した。漕ぎ手ぴったり息の合ったリズムでぐいぐいと櫂を漕いでいく。舟はみるみる浜辺を離れていった。

「あの島でターンするんですよ」

 なるほど、幸助の指さす先にお椀を伏せたような恰好の小島が見える。舟はその島向かって進んでいった。だんだん視界から離れていって分からなくなったが、まだ差はついていないようだ。

 やがて舟の集団は島影に隠れて見えなくなった。

「ここで差がつきますよ」

 幸助が解説する。そう言われれば注視せざるをえない。僕は固唾を呑んだ。ややあって舟の舳先が顔を覗かせた。何色か。

「白だ」

 幸助が叫んだ。彼の言う通り白が先頭を切って島を巡ってきた。しかしすぐに他の舟が顔を覗かせる。差は僅差だ。

 僕は思わず「行けーっ」と叫び声をあげていた。僕の声援に応えるように白の舟はぐんぐんと進んでいく。僕はゴールを見やった。船着き場の入口に差し渡された白いテープだ。そこへ向かって舟が突進していく。観客のボルテージは最高潮になった。

 僕も彼女も幸助も叫んだが、お互いなにを言っているのか聞き取れなかった。そしてついに決着がついた。勝者は白。僕はこの時、競馬に熱をあげる人の思いが理解できたように思った。 

 僕らは広場に設えられた休憩スペースで祝杯をあげていた。勝者の特権ということで、僕は二人から酒やつまみなどの奢りを受けていた。

「あなたはすごい運の持ち主ですね。実を言うとあの白組の舟、下馬評は高くなかったんですよ。それをものの見事に当てるなんて、競馬で言えば万馬券ですよ」

「啓ちゃんもしかして博打の才能があるのかも」

 二人の称賛が面映ゆい。

「で、これからどうする」

 日は西に傾きかけていた。

「花火大会とかありますけど。興味あります?」

「正直また人混みに揉まれるのは面倒ね」

 僕も同感だった。精神的に疲れた。

「なら私の家に寄っていくのはどうです」

「近いの?」

「ええ、歩いて十分くらいです」

「楽しそうね」

「色々おもてなしできますよ」

「でもその前に浴衣を返さなきゃ」

「そうだな」

「いっそ二人とも買って自分の物にしてしまったらどうです。正直私の目の保養になってますから」

 面白いことを言う男だ。しかし自分でもこの浴衣が気に入っているのだから悪くない考えだ。彼女に訊ねると異存は無いという。ならばということで僕らは呉服店に向かった。事情を話すと店員はこちらが嬉しくなるほど喜んでくれた。おまけに着ていた服を入れる紙袋まで用意してくれて、こちらが恐縮するほどだった。

「では行きましょうか」

 そう呼びかけた幸助の声は心なしか弾んでいた。

 幸助の後をついていくにつれ、祭の喧噪は遠のいていき、静けさが身に迫ってきた。周りを見ると閑静な住宅街で、結構立派な屋敷が立ち並んでいる。

「さ、つきましたよ」

 そう彼が告げたのはその中でもひと際大きな邸宅だった。

「すごいお家ね」

 僕も同じ感想を抱いていた。今時珍しい和風建築で、老舗の旅館に通されたような錯覚を覚えた。幸助は引き戸を開けると「ばあや、帰ってきたよ」と奥に通るような声をあげた。ややあって廊下の角を曲がって一人の老婆が顔を覗かせた。

「お帰りなさい坊ちゃま」

 しわがれ声で頭を下げる。幸助は鷹揚に頷いた。そして「急で悪いんだけど来客だ。食事の用意をしてくれ」と告げた。

「そんな、迷惑はかけられないよ」

「大丈夫、気に病むことはないさ。さ、あがって。婆や、お二人を客間へ」

「かしこまりました」

 こうもてなしを受けては従わざるをえまい。僕らは老婆のあとについて屋敷にあがった。

 通されたのは床の間があるような純和風の部屋だった。老婆が下がったあと、二人して畳に座ると、どちらともなく溜息をついた。

「なんか妙に緊張するわね。でもこの部屋にいると浴衣でいるのがまさにおあつらえ向きっていう感じね」

 それは同感だった。こういった和風の情緒に浸っていると、自分が日本人であることをしみじみと感じさせる。

 ほどなくして料理が運ばれてきた。これもまた和食で、絢爛さはないが、味わい深い、箸が進む料理だった。

 食事が終わり一息ついたところで幸助が顔を見せた。彼も浴衣に着替えており、寛いだ雰囲気を醸し出していた。

「どうです、お口に合いましたか」

「ええ、おいしかったわ」

「僕もだよ」

「よかった」

 幸助は微笑むと畳に腰を下ろした。浴衣姿の彼ははかなげで、手弱女のように見えた。

「こうして見ると幸助さんて美しいのね。女の子みたい」

 彼女も同感のようだ。

「なんかいじめたくなってくる」

 彼女の声音は熱を帯びてきた。それに対し彼は全てを受け入れたようなひ弱げな笑みを浮かべるだけだった。僕の心中に嗜虐的な心情がむくむくと沸き起こってきた。彼女に目を向けると腕まくりをして今にも飛びかからんとする風情を見せていた。

 彼女が立ち上がった。そしていきなり幸助に口づけするとそのまま首根っこに腕を絡ませて抑え込んだ。

スポーツが得意な彼女は女性にしては結構腕力がある。だからだろう、彼女は柔道の寝技をかけたように幸助を身動きとれなくしてしまった。そして自由な方の手で幸助の浴衣を脱がせにかかった。その結果幸助は上半身の肌を露わにすることになった。その肌の色が赤みを帯びているのは興奮かそれとも羞恥か。

 それから彼女は幸助をうつ伏せにさせると彼の浴衣の帯を解き始めた。解き終えると幸助の両腕を後ろに回し、帯で縛りだした。幸助は魅入られたようにじっと動かず、されるがままだった。

 一仕事終えた彼女は余った帯で今度は幸助の足首を縛り始めた。そしてそれが終わると元通り幸助を仰向けにさせた。帯を失った浴衣は脱げかかり、幸助はパンツ一枚のあられもない姿になっていた。彼女はそこで一丁あがりというように手をパンパンと払った。

それからおもむろにスマホを取り出すとシャッターを押した。

「じゃ、行きましょうか」

 彼女の好奇心はそれで満たされたようだ。


 僕は夜更けの道を彼女を乗せて車を走らせていた。

「何笑っているの嫌らしい」

 突然彼女が詰るような口調で言い捨てた。僕は心の内が顔に出ていることに気づき、慌てて表情を繕った。僕は幸助のことを思い返していたのである。あれは全くの見物だった。今でも興奮が甦ってくる。あの時の光景は僕の心の宝箱に大事にしまってある。

「これからどうする」

 僕は話題を変えた。しかし本心から訊いたわけではない。彼女の答えは最初から決まっていたからだ。

「別にどうもしないわ。今で通り行き当たりばったり」

「そうか」

 そこで僕はアクセルを踏み込んだ。身体がシートにめり込む。ヘッドライトは路上を照らすばかりで、行く先を明るみにだしてはくれない。車はあてどなく進んでいた。




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