表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

捜索開始




 まず真っ先に疑ったのは、皆が皆口裏を合わせて、僕をからかっている可能性。酷く悪質で無理のある話ではあるが、唯一この一連の出来事に過不足なく説明がつく。なので不愉快ではあるが、否定はできないし、したくもない。そうであって欲しいとさえ思っているが、もういい加減そうではないということに僕は不覚にも気づきつつある。だから次に考えた可能性の話。この僕自身の頭がおかしくなってしまったという説。僕だけが他人とは違って深津壱花という人物の記憶を有している。それは実在しない人物の記憶を僕の前頭葉が(つく)り出してしまったのではないかという可能性。彼女の住んでいたアパートまで綺麗さっぱり無くなっていたのだ。あそこには元より何もなかったというのが確率論でいうなれば、可能性が最も大きいのかもしれない。我ながら情けない話だが、実際母を亡くして暫くの間、大学病院の精神科を受診していた。引きこもりも、ゲーム依存も、全て精神疾患の所為ならば、僕は随分と脳みそを患っている。精神疾患の中には、幻覚や幻聴をもたらすものもあるらしい。僕だって「それだけはやだな」なんて思う。人は自分を肯定し、他人を否定するものなのだから、こんな僕だって選に漏れず自分がおかしいだなんて思いたくなかった。だから最後にたどり着いたもうひとつの仮説。僕ではなく、世界の方がおかしくなったという可能性。

 二十世紀初頭、バートランド・ラッセルという哲学者が世界五分前仮説という思考実験を提唱した。この世界が五分前に構築されたものだとして、その世界に棲まう住人の記憶さえも五分前に生まれたのだとしたのならば、世界が五分前に生まれた事象に論理的不可能性がないというもの。もちろん世界が五分前に生まれただなんて思ったわけではないけれども、つまりは昨夜から、世界になんらかの改変があり、少なくとも僕の知る人々の記憶から、深津先輩に関する記憶が消された。なんの根拠もないし、自分でもめちゃくちゃなことだと思うし、それを他人に口にしない程度の分別はわきまえている。


『先ほど所属しているギルドから連絡があってな、私はそのギルドのメンバーとイベントに参加する。小田切たちとは出られない』


 深津先輩は失踪する前日、そんなことを告げている。この話が本当ならば、少なくとも彼女はEZO2の中では実在することになる。藤原や苗代の記憶の矛盾を証明できることになる。深津壱花は必ず実在する。だから……僕は、僕自身がおかしくなっていないことを証明するために、再びゲームの世界へ行くしかないのである。




 父親とトワコ、僕の三人での夕食を終え、洗い物を済ませひとり二階に上がると、引きこもり時代ぶりに自室の鍵を掛けた。まるで自分が今から悪事でも行うかのような緊張感及び背徳感が全身を粟立たせる。深呼吸をひとつ、帰宅して早々に立ち上げていたくだんの箱を見やる。クローゼットから引っ張りだされ部屋の真ん中に鎮座するは、忌まわしき棺桶状のゲーム機アルファ。EZO2のインストールは、完了したであろうか。自宅に戻り直ぐにストアからダウンロードしたEZO2。ダウンロード、インストール、セットアップを連続して行うウィザードが弾き出した予測時間は最終的に三時間まで短縮された。そろそろであろう。外面のディスプレイの表示を見やれば、残り十数分。ゲーム機アルファに付着する埃を指で拭う。畳にして二畳ちょっとのウォークインクローゼット、引っ張りだした徳川エンタープライズ製のゲーム機アルファ。随分長いことここに閉じ込めていたものだから、ゲーム機からは防虫剤の匂いがするし、未だに部屋は埃っぽくくしゃみが止まらない。自分がアレルギー体質だったことを思い出す。


「あーあ、ダメだって言ったのに。おにいちゃんはしょうがないなー」


 罪の意識で小さく丸まる僕の背中から、突然トワコの声。何度も言っているのに、どうやらまた勝手に入ってきてしまったようだ。蛍光灯の光がツインテールのトワコに遮られ、フローリングにゴキブリみたいな歪な影が映し出される。僕は振り向きもせず、「ごめん。どうしてもしなきゃならないことがあるんだ」とまるで言い訳のように小さく零す。トワコは座り込んだ僕の肩から顔をにょっきり出し、覗き込むように「また現実忘れちゃだめだからね」と酷く酷く優しげな声で言った。僕は情けない兄だな。


「大丈夫。今は大切な友達だってできたし」

「んっ、わかった。でもねでもね、お兄ちゃん不器用すぎて自分で自分を制御できないところあるから、トワコがきちんと監視してあげるね」


 おっと、すっかり自分もゲームの中までついてくる気だ。やれやれトワコのやつ、お兄ちゃんと一緒に遊びたいだけじゃないか。可愛いやつめ。……ゲーム好きの兄と、ゲーム好きの妹。仲睦まじく共にゲームを興じるのは必然である。だが、そこで生まれてしまう必然に、ふと違和感を感じた。今までトワコと一緒にゲームをしたことなんてあっただろうか。まるで覚えがない。それはまるでみんなから深津先輩の記憶が消失したかのような不思議な感覚だった。僕も難しい年頃であったし、もしかしたら一緒にゲームをするのは、これが初めてなのかもしれない。


「なあ、僕たちってさ、今まで一緒にゲームしたことあったっけ」


 解決したところで毒にも薬にもならないどうでもよい疑問に黙るトワコ。何を思ったのか、覗き込んだ僕の顔に自らの顔を寄せる。鼻と鼻がぶつかってしまいそうな超至近距離。誤ってキスしてしまいかねない距離にあるトワコの薄い唇は、小さく動く。「たったの一度だけね……とぉぉーっても楽しかったんだよ」と、唇の動きだけで僕に告げた。そうか。一度だけ僕はトワコとゲームをしたことがあるのか。楽しかったところ申し訳ないが、僕は覚えちゃいない。


「一緒にやるっつっても、アルファはうちに一台しかなくない?」

「お兄ちゃんのおさがりなんて嫌ってパパに言ったら買ってくれたよー」


 もちろん安いものではない。大量生産されるようになってから随分と価格は落ち着いたが、それでも大卒の初任給など余裕で吹き飛ぶ程度には、値の張る代物だ。アルファの他に、ヴァーチャル空間でのプレゼンテーションを実現し、携帯性に優れたビジネス向けのブラボー。ヴァーチャルデザイナーなどクリエイター向けのチャーリー。そして最上位のフラグシップモデルであるデルタの、四ライナップが存在するが、導入コストが非常に高いので、完全に普及しているとは言い難い。価格もそこそこで、ゲームや娯楽に特化したアルファだけが、よく売れ市民権を得ている。


「……あのおっさん、娘に甘すぎ。トワコはEZO2やってるの?」

「うーん、メインじゃないけど一応やってるよー。序盤のセオリーや狩場、トワコが教えてあげるよー」


 それは助かる。なんせ遊びに行くわけじゃないし、レベル上げや攻略を楽しむ余裕なんてどこにもない。否、そもそも『ゲームとは遊びじゃない』のだ!

 目を閉じ瞑想。浮かれる精神を統一。そしてゲーム機に敬礼。タイミングよくセットアップまで全ての工程の終了を告げるアラートが鳴る。戦慄く覚束ない手でOKをタップ。震える指先でゲーム機の開閉スイッチを押し、冒険の扉は今開かれん。だめだ、いけない。血が騒ぐ。謎の高揚感が全身を駆け巡る。本当のところこの僕は、深津先輩の行方を探したいだとか、自分の記憶の正しさを証明したいだとか、ご大層な綺麗事を並べ言い訳にして、ただゲームがやりたくてやりたくてたまんないだけなのかもしれない。


「じゃあお兄ちゃん。街の広場の直ぐ側にある『大聖堂の鐘』の下で待ち合わせね」


 トワコの声が遠くから聞こえる。そういえば、僕部屋に鍵掛けなかったっけ。なんて疑問が脳裏をかすめるが、ゲーム機に体が覆われ電脳空間に引きずり込まれるにつれ、そんなことどうでもよくなる。仮想と現実を繋ぐこの瞬間が好きだ。指の先から肘にかけてまるで粒子となっていく感覚。数秒後には全身が粒子となり電子の海に溶け込んで再構築されていくイメージ。やっと……ザイオン(約束の場所)へ帰ることができる。


「初めまして〜」


 電子の海の中、再構築されていく僕の体の周りを羽虫のように飛ぶ小さな光。ふいに、光から声が掛かる。


「えっと、どちらさま?」

「お姉さんは妖精のアケミ。この世界のコンシェルジュとでも思って頂ければ幸いだよ」


 妖精という情報とともに光は具現化する。見た目はピーターパンでいうところのティンカーベルといったところか。しかしアケミとは、なんとも安易な名前である。


「安易とか思っちゃ、め! だよ。プレイヤーの数だけ自動生成されるんだから、むしろ見た目が麗しいお姉さんに当たったことを幸運に思って! マイク●ソフトストアで購入してたら、きったないおっさんの妖精だったんだからね!」


 なにそれ、おもしろい。


「ささっ、面倒だから、ちゃちゃっとキャラ作成して始めちゃってよ。きみ……まず名前は?」

「えーと、レイ」


 少しでも深津先輩が僕を僕と気付いてくれるように僕はキャラの名前を本名にした。そもそもかつて使っていたOO(ダブルオー)のハンドルネームですら(おだぎり)(れい)というただのイニシャルなのである。そこに拘りはない。


「なにそれ。別に本名じゃなくてもいいんだよ」

「出来るだけ僕ってわかりやすい方が都合いいんだ。それよりなんでアケミさんが僕の本名を知ってんの?」

「端末情報だよー。個人情報悪用されたくなかったら、口動かさずにちっちゃと手を動かそうか。はい、キャラシート。これはこの鉛筆で埋めてね」


 気怠そうな表情で妖精のアケミさんは、虚空より鉛筆と一枚の用紙を取り出し、それを僕に渡す。紙はキャラメイクシートのようだが、折り目とかついててやる気を感じられない。


「え、最新のゲームの世界で、キャラクターメイクは鉛筆手書き? まじかよ」

「はいはい。選べる種族は六種類。職業は下級職の八種類。説明面倒だから自分でネット見てヘルプで確認してね。んっ、レイくんは前作クリアしてるみたいだね。なら古代魔術師か戦士を選べば、前作のデータの一部を引き継げるよー」

「前作から引き継げるデータは何?」

「やれやれ質問するなんて、お姉さん感心しないなぁ。次からは楽をしようとせず、きちんと自分で調べること。引き継げるデータは、獲得経験値の千分の一と、ランク3までのスキル。それに装備品を除く一部のアイテム」


 すぱーっと、知らない間に煙草を吸っているアケミさん。まじでこいつやる気あるんか! とか思っていたら、「ふぅー」と煙を吹きかけられた。煙草くさっ! このゲームこういうところ無駄にリアルで嫌だ。前作は嗅覚なんてなかったが、EZO2は嗅覚と味覚が実装されたとのこと。

 さて、キャラクターメイキング。新しい職業で心機一転といきたいところだが、時は金なり。深津先輩を探すにはグズグズなんてしていられない。暫し迷い古代魔術師を選択。パラメータは知性を多めに振る。前作では序盤魔法職はめちゃくちゃ足を引っ張るが、詠唱破棄のスキルを取ってから真価を発揮する。ランク3までのスキルが使えるなら、魔術師スタートの方が効率良さそうだ。あと経験値は千分の一とはいえ、僕は前作レベル四〇〇のトップランカーだったので、かなり良いスタートダッシュが切れそうだ。


「はい。完成ね。なにか聞きたいことがあったら、メニュー画面からいつでもアケミお姉さんを呼び出せるけど、できればあんまし呼ばないでね。めんどくさいし」


 くるりと僕の周りを数周し、吸っていた煙草の煙でできた輪っかと残念な気持ちだけを残して、瞬く間に消えるアケミさん。なんとやる気のないコンシェルジュなのであろうか。

 時間が余ったのか、そのまま暫し僕は電子の海の流れに身を任せる。人にもよるが僕にとって、この感覚は心地よくて、退屈ではなかった。暫しの時間が経ち、電子の海の果てまで流れ着いた僕は、ゲームの世界で目覚めた。

 細く開いた瞳に一番に飛び込んだのは、まばゆい陽の光。眩しさに目を慣らすようにゆっくりと瞼を持ち上げれば、見慣れぬ広場にいた。足元には、大理石のような素材が敷き詰められている。正面には噴水。きらきらと透明の雫が舞っていた。右手には大通り。左手には急勾配の階段があり、その階段の脇の看板に『この先、大聖堂』と記されている。階段の上からでぃんごんでぃんごんと鐘が鳴り、数羽の白い鳩が飛び立つ。


 ここは始まりの街アムスホルム。











評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ