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ハコブネ

 


 別れ際、深津先輩は、少し名残惜しそうな顔をしたように見えた。まるで僕ともっと一緒にいたいと言いたげに見えた。だけれど、それはきっと僕の脳が勝手に作り出したヴァーチャルリアリティで。先輩はゲーマーだが美人である。多分凄くモテるはずだ。僕のことなんて、そういう対象に見るはず無いのだ。自惚れるな。小田切 零。お前はキモくて、不潔な、元ネトゲ廃人だぞ。期待なんかすると、後で恥をかくに決まってる。

 濡れた街が、冷たい風に凍り始める午後七時。ふと首筋に冷気を感じて、僕の身体は、思わずぶるっと震える。マフラーを巻き直し、両手をコートのポケットに入れ暫し歩き、表通りの自販機で缶コーヒーを買う。今夜は冷える。


 妹はかんかんに怒っているであろう。駅まで早歩き、帰宅ラッシュの満員電車に乗り込む。がたんごとんと、車輪が動き出す。



✳︎



「んで? 言いたいことは、それだけなの? お兄ちゃん。トワコのプリンは? そんなドーナツで誤魔化せるとでも思ってるの?」


 住宅街に並ぶ一戸建ての一つである自宅の扉を開けると、にょきっと伸びた触覚みたいな黒のツインテール。玄関には仁王立ちしているトワコがいた。やばい。やっぱ怒っている。トワコは靴を脱ぎドーナツを手渡す僕に近づき、クンクンと僕の服の匂いを犬みたいに嗅ぐ。


「女の匂いがする」


 そんな馬鹿な。深津先輩とは確かにかなり至近距離にいたが、香水とかそういうのは、付けていなかったはず。


「ふふふふふ。ふはははははは。このトワコの目が黒いうちはねぇ、お兄ちゃんにラブコメなんてさせないんだからね」


 トワコは救いようのない残酷な呪いの言葉を吐く。黒というか、白目の方は相変わらず充血して真っ赤であるが。


「ごめんなトワコ。晩御飯急いで作るから、もう少しだけ待ってくれ」

「今日のご飯は?」

「えーと、時間遅いから、ゴーヤとスパムでも炒めようかと」

「えーっ、苦いー。ゴーヤ嫌い。と言うか、夏野菜じゃん」

「これはハウス栽培の力と言うものだよ。トワコくん。年中ゴーヤ食べられるよ。良かったな! おめでとう!」


 ぷるぷる震える我が妹を置いて、僕は、洗面で手を洗い、キッチンに立つ。いつものようにトワコが米だけ炊いておいてくれている。まずはサラダを手早く作り、ゴーヤを出し、まな板で下処理にわたを抜く。やや厚めにスライスし、塩で揉む。水を張った手鍋を火に掛ける。沸騰したところで白菜や油揚げ等の具材を入れ、そこでスパムの缶を開ける。それをサイコロ状に切り、もう一つのコンロに置かれたフライパンにごま油を回し、スパム、ゴーヤ、昨夜の余りものの豆腐の順で炒める。料理酒、塩、顆粒の出汁で味付けし、卵で綴じ、最後に少量の醤油で、味を調え皿に盛る。手鍋に残った顆粒のスティック出汁を入れ味噌を溶かし味見する。旨い! また主婦力を上げてしまった。きっと良いお嫁さんになれるに違いない。

 トワコに指示を出し、ダイニングの茶色いテーブルに配膳してもらう。家族と食べる夕食は良いものだ。手際よくある程度調理器具を洗い、席に着き二人で手をあわせる。頂きますと、ご馳走様ですは、きちんと言う主義である。トワコは児童向けアニメキャラの箸を使っているが、相も変わらず、持ち方が下手くそである。

 ……いったい彼女は何歳なのであろうか。妹の年齢を忘れてしまった自分が怖い。そもそも学校へは行っていないが、なんとなく中学二年ってイメージだ。中二病というのはこういう人のことを言うのだと思う。背は平均より随分低く、華奢で一四〇センチを僅かに超える程度の身長と、ひょろひょろの細い腕。


「何? お兄ちゃん。じろじろ嫌らしい目で視て。あっ! 解った! トワコに欲情しているんでしょう」

「ちげーし。おい、ゴーヤがメインなのに、ゴーヤ避けるなよ」

「だって苦いもん」


 ベェーとゴーヤの乗っかった舌を出すトワコ。僕が買ってきたドーナツを食べた所為で、トワコは大分残すので、仕方なくトワコの分まで僕が食べる。食は太い方ではないので、かなり苦しい。ここまで計算に入れるべきであった。


 夕食を終え、トワコは部屋に戻っていく。きっとゲームの続きをするのだ。僕はキッチンに残り、明日の弁当の仕込みと洗い物を済ませる。一仕事終え、なんとなく付けっぱなしのテレビに目をやる。ニュースキャスターは、今日も淡々と世界の悲惨な出来事や、パンダの赤ちゃんの誕生を視聴者に伝える。眠くなってきたので、風呂に入りパジャマ代わりのジャージに着替え自室に戻る。フローリングが敷き詰められた自室の隅にはトワコが持ち込むゲーム機が散乱していて、僕はやれやれとそれを片付ける。幾つかをクローゼットに仕舞おうかとすると、中から埃のかぶった大きな棺桶状のフルドライブ型ゲームマシンが出てくる。

 通称アルファ。エターナル・ザイオン・オンラインをリリースしている、徳川エンタープライズが数年前に制作した、れっきとしたハードである。正式名称はTで徳川、Eでエンタープライズ、Nでナイト、Gでギア、そしてaでアルファ。公式発表ではないが皆アルファと呼んだ。


「お兄ちゃん? ゲームをやるのは良いけど、それは駄目だよ。また繰り返すの?」


 音もなく僕の真後ろから、トワコの声。振り返れば、相変わらず目を真っ赤にしたトワコが立っている。


「お前。いつの間に」

「それは辞めておきなよ。お兄ちゃん。お兄ちゃんの大切な日常が壊れちゃってもいいの?」


 トワコが一瞬消えたように見え、影が伸び、今度は僕の鼻先に立っていた。顔が随分と近い。目は大きく見開かれ、白目が血走っている。


「なんだよ。どうした急に」

「やっぱ、それ使うんだ。駄目なのに。トワコはきちんと忠告したからね」


 トワコはあっさりと僕に背を向け、僕の部屋を出て行く。こんなにあっさりと引くトワコは初めて見た。僕は深呼吸を一つ、緊張を解く。いったいトワコの目的は、何だったのであろうか。

 なんとなく興が冷め、ゲーム機の電源は入れないでおく。するとそこで、僕の携帯電話が、フローリングで音を立てながら震えだす。ディスプレイには、深津 一華と表示される。深津先輩からの着信である。


「はい。小田切です」

『寝ていたか?』

「ああ、まだ少し起きてますよ。あ、ゲームの話なのですが、やっぱり僕辞めておきます」


 トワコに言われたからではないが、折角ここまで続けたのだ。ここで折れてなるものか。僕はこういうことに折り合いを付けるのが、酷く苦手なのである。


『ああ、その件なのだがな、済まない。会って話せないかな? 今お前の家の下にいる。非常識なのは解っている。済まない……本当に済まない』


 その言葉にびっくりして、窓を開けると、緩い月の光に照らされた深津先輩が、電信柱の横に立っていた。僕は上着を羽織り、階段で音を立てないように降り、玄関から外に出る。


「こんな時間に……どうしたんですか?」

「先ほど所属しているギルドから連絡があってな、私はそのギルドのメンバーとイベントに参加する。小田切たちとは出られない」


 そんなこと、明日言えば済む話である。僕は話がそれだけではないことを直感する。


「他にも何かあるから来たのでしょう?」

「……別れを言いに来た」


 深津先輩は急ぐでもなく、ゆっくりと口を開く。


「そんな。さっきまであんなに楽しく過ごしていたじゃないですか」

「……引っ越すんだ。とても遠くに。なあ……覚えてるか? 私が君の後を何度も着けていたことを」

「ストーカーですよ」

「あっはっは。そうなのかもしれない。寝ても覚めても君のことを考えていた。私は君のことが、とても気に入っていたからな」


 先輩はそう言って、大胆にも僕をギュッと抱き寄せた。先輩の身体から伝わる体温が僕のそれと折り重なる。そして耳元でこう囁く。「いいか? 私は今監視されている。今、君の上着のポケットに入れたものは、どうか大事に保管し、隠しておいてくれないか?」と、小さく早口な言葉で、なんとなくそう訊こえた。正直、僕は混乱した。監視? 彼女は何を言っているんだ。僕の思考はやがて止まり、深津先輩は僕の身体を離し、僕を自由にする。


「最後に君に会いたかった。それが一番の理由だ。それだけは信じてくれ」

「先輩? はっ? どういうことですか」

「さっきも言ったが、遠くに引っ越す。つまり……さようならだ」


 くるりと踵を返し、深津先輩は僕を置いて行こうと歩き出す。何か言わなくては。先輩が行ってしまう。何を? 何を言えばいい?


「深津先輩。ギルド……なんていうギルドなのですか?」


 深津先輩は振り返らないまま、「ハコブネ」とだけ、僕の問いに応じる。これがこの夜、僕と深津先輩が最後に喋った言葉で、この夜を最後に深津先輩は、姿をくらますのであった。

 ちなみにハコブネとは、かつて大陸一の大魔導士ヘミングウェイが、ギルドを立ち上げる際、名前を決めかねていて、ヘミングウェイの相棒であったこの僕が、適当に付けたギルドの名前である。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] いかにもラノベっぽい記号的なキャラクター陣で彩られているも、作者さんはキャラノリよりもちょっぴりセンチメンタルな行間が好きな方なんじゃないかなって随所で感じました。
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