滲んだ街
「おいっす。れいちゃん。藤原のやつが珍しく話があるって言うから来てみたけど、中々本題に入らないんだよ。うちだって、忙しいのに相変わらずウザいよね」
僕と深津先輩がドーナツの乗ったトレイをテーブルに置くと、苗代がスマホを片手で弄びながら、二個目のドーナツに手を伸ばす。僕は藤原の隣に座り、深津先輩は苗代の隣に座る。
「ウザいとは何事であるか苗代沙希。皆が揃う前に本題に入っては二度手間であろうに」
「フルネームで呼ぶなし。根暗インケン眼鏡」
眼鏡を上げドリンクを啜る藤原、「んで? 本題ってそもそも何? そもそもそんなのあるの?」と苗代。少し不機嫌そうである。苗代の見た目は如何にも今時な感じなので、少し苦手である。尤も、派手なのは見た目だけなのかもしれない。なぜなら僕らとこうしてテーブルを挟んで、ドーナツを食べているのだからである。この光景を彼女の他の友人が見たら、どう思うのであろうか。
藤原は集まった僕たちを見渡し、咳払いを一つ、ゆっくりと切り出す。
「諸君! 今日集まって貰ったのは、他でもない。深津先輩の仮想現実生活部、通称ゲーマー部の存在はご存知かと思われるが、実質今年度実績の全くない部活動だ。来年度で廃部の危機が懸念されている。そこでだ」
もったいぶるのが藤原の癖であるが、この話はシンプル過ぎて、次の台詞は読めてしまう。一気に喋ったので、そこで彼はドリンクを啜る。中身はアイスコーヒーといったところであろうか。ストローから口を離し、用意していたタブレットを置く藤原。それは半年前にリリースされた徳川エンタープライズの最新作、VRMMORPG『エターナル・ザイオン・オンライン2』の年明けにあるメンテナンスのお知らせであった。
「とある筋からの情報によれば、このメンテナンス後、発表は無いが、大規模なイベントが開催されるらしい。俺のレベルはまだ四十ちょいだが、深津先輩のレベルは現行パッチではカンストの百、苗代も百。そして小田切。お前は前作のデータを一部引き継げる。かなりやり込んでいたって話ではないか」
僕はオンラインゲームを辞めたんだ。それは事実だが、まずは黙って話を訊く。苗白は興味無さげにスマホを弄っている。というか苗白、半年でカンストって、見掛けによらず、とんだコアゲーマーじゃないか。
確か前作も、レベル自体オンラインゲームにしては、上がりやすい印象であった。問題はレベルが上がるごとに、獲得するポイントを、どこに振り分けるか、どのスキルを取得するか、如何にレアな装備を手に入れられるかに、プレイヤーとしての真価が試される。
現行ではMAXのレベル百でも、新しいパッチが当てられる度に、レベルの上限が増えていくのも、このエターナル・ザイオン・オンラインの特徴である。前作なので、比較にはならないが、僕らが筋肉兎の巣に挑んだ時のレベルが、大体平均四〇〇前後といったところだ。
「十分、イベント攻略し上位を狙えるのではないか」
藤原は鼻息を荒くするが、僕から言わせたら甘い、甘すぎる。レベルカンストなんて最上難易度のイベントには、最低条件にも満たない。トップランカーたちは、生活する全ての時間を犠牲にして、青春を全て捧げ、己のキャラクターを独自の理論で鍛え上げ、数多の苦難を乗り越え、手に入れた伝説クラスの装備を引っ提げ、それでやっとぶっ壊れたステータスのボスに挑めるのだ。
「藤原よ。気持ちはとてもありがたいが、小田切はゲームを辞めたのだ。私はこいつに無理してゲームをやって欲しくはない」
古風な先輩によく似合うオールドファッションをかじりながら、深津先輩は僕を庇う。しかし藤原の見通しが甘すぎて、ゲーマー部の廃部が現実的なものに思えてくる。僕には解らないが、きっと先輩にとっては、とても大事なものなのであろう。まともな部員もいない部活を、頑なに続けているのだから。
藤原は立ち上がると同時に、ドリンクの蓋を外し、ごくごくと中身のコーヒーらしき液体を喉に流し込む。そして氷をがりがりと嚙み砕き、反対の手でバンっと、机を叩く。
「いいですか! 深津先輩。つまりはですね、この不肖藤原伸一、他二名、ゲーマー部に入部すると言っているのです。そしてゲームの世界をプラットホームに、行く行くはリアルマネーでのトレーディング、様々なコンテンツの配布、更には土地を転がし利権を集め、仮想現実の中から経済を発展させ、この日本の未来を担おうとしているのですよ。その尊い志が、この軟弱者には解らんのであります」
僕を指差す藤原。熱く語る彼の唾が掛からないよう、ドーナツを避難させる。長台詞がよく似合う眼鏡である。
「日頃から世話になっている、先輩の大事な部活が廃部になるんだぞ。自分だけ手を貸さないだなんて、薄情だと思わんのか小田切」
薄々自分でも思っているのだけれども、人に言われるとなんだか無性に腹が立つ。僕は目を反らす。
「悪い。少し考えさせてくれないか。僕も僕で生半可な気持ちで、辞めたわけじゃないんだ」
深淵にどっぷり浸かったあの頃の僕は、必死で足掻いて足掻いて、やっと今を手に入れたのだ。もう、あの頃に戻りたくない。解ってる。きちんと向き合えば、そんなに悪いものでは、ないことくらい。
✳︎
「まあ、れいちゃん。藤原の言うことなんて、あんまり気にすることないって」
随分と遅くなってしまった。家では妹が怒っているに違いない。ミセドを出ると、辺りはすっかり暗くて、僕は学校の近所に住むという深津先輩を、送ることになった。バスを使う苗代とは、途中まで一緒である。夜は更に冷え込む。スカートの短い苗代は寒そうであった。
「それよりさ、ゲームとかやるんだな。苗代」
「ゲームぐらい皆やるっしょ、流行ってるし。EZO2やってないの、うちのクラスで、れいちゃんぐらいだよ、きっと」
「無理にやれとは思わないが、ゲームとはそんなに構えず、気楽にやって欲しいと、私は思うのだが」
なぜ僕がこんなにもオンラインゲームを嫌悪するのか、自己分析してみるに、多分煙草なんかと、よく似ているのだと思う。元々吸わない人より、禁煙した人の方が煙草の煙を嫌う傾向にあるって、禁煙三年目の父親が言っていた。
「そんじゃ、うちはここでバスに乗るから。ナイト君、姫君を無事に送り届けるんだよ」
そう言って、バス停で僕と先輩を見送ってくれる苗代。藤原には色んな人を引き寄せる才能があって、苗代もどこからとも無く、藤原が連れてきたのだ。
「二人になってしまったな」
「ええ。すいません。会話続かなくて」
「いや、すまん。照れているのは、私の方だ。中学の頃、ゲームばかりやっていたから、人と話すのが苦手でな」
「あはは、僕もです。先輩、普段凄いテンション高いじゃないですか」
「あれでも、人と接する為に作っているのだよ。ただ私はポンコツだからな。どうも上手くいかない。藤原が羨ましい」
僕と先輩の足音は続く。雨は止んだのに、傘は差したままである。雨に濡れ滲んだ街に街灯が灯り、水溜りがきらきら反射している。ゲームばかりやっていたころは、外が雨降りでも濡れなかった。濡れるのも悪くないな、なんて今日は思った。
「ん、このアパートだ。ありがとう」
想像していたよりは、こじんまりとした三階建ての古そうなアパートだった。エントランスもなく、数段の低い階段を登ると、直ぐに無機質な郵便受けが幾つか在り、部屋の戸が所狭しと、規則的に並んでいる。
「オートロックのマンションじゃ、無いんですね」
「私の家は、裕福な家庭ではないからな。今日は楽しかったよ。あ、寄ってくか? お茶ぐらい出すぞ」
僕に向け、皮肉たっぷりに、意地悪な笑みを見せる深津先輩。ちょっと、したり顔なのが、腹立たしい。
「今日は辞めておきますよ。花も恥らう乙女なんでしょ。それに妹が腹空かせてるんで」
「そうか。勇気を出して殿方を誘ったつもりなのだがな。これはとんだ恥をかかされてしまったものだ。埋め合わせは、いつかしてもらうぞ」
軽口とも、本音とも取れるように言うものだから、先輩はずるい。まるで千載一遇の不純異性交遊のチャンスを逃した気分で、とても惜しい気持ちになる。
「部活。廃部にならないといいですね。えっと僕も……」
「その話はいいと言っている。男なら、自分で一度決めたことは守るべきだ。その代わり……ゲーマーでオタクな私をどうか嫌わないで欲しい。じゃあな。また明日」