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ミセスドーナツ

 



 深津先輩と別れて下駄箱で上履きを履き、教室の引き戸を開く。室内は人の熱とストーブにより、外よりは多少暖かくなっていて、僕はマフラーを解く。窓際な自分の席に着席すると、暑苦しいメガネのニキビ面が声を掛けてくる。藤原である。この暑苦しさが、冬なので丁度良いのかもしれない。


「お前は相変わらず、実にけしからんやつだな。メール返せよ」

「どうせ、教室で会うじゃん」

「そういうのじゃないだろうに。お前は人の心を解っていない。人が心を込めて書いたメールは、きちんと返すべきである」

「心を込めたとか、気持ち悪いなぁ。勘弁してよ」

「気持ち悪いとは、何事であるか貴様。よかろう。俺が説明してくれよう。そもそもこの話は室町時代に遡る」

「いやいや、遡んなし。自分の席に戻れよ」

「……連れないやつめ。そんな事より、俺の薦めた神アニメ観たか?」

「あ、観た観た。へへへっ。いいじゃん。ちょっとエッチなのがいい!」

「馬鹿者。静かにしろ! クラスの婦女子どもに訊かれると、印象が良くない」


 藤原は人差し指を自らの鼻の前に立て、「しぃー」とゼスチャーをし、四方に目を配らせる。言うまでもないが、僕らのことなど、誰一人として気にしちゃいない。誰からも注目されていない。なのに藤原は、いつも人目を気にする。


「レンタルしてきた」

「無料で観れるサイト教えただろうに」

「ネットとかあんま好きじゃなくてさ。それにうちのVR機器は、妹が占領してるからさ」


 今の時代、あらゆるものにヴァーチャルリアリティが、採用されている。ゲーム、買い物、SNS、学校、果ては性風俗まで。映像作品とて例外ではない。仮想現実で作られた架空の世界でありとあらゆるものが賄われる。SNSなんかは、その典型で、架空の街で人々はセカンドライフを楽しむのだ。欲しいGパンの試着なんかもできるので、便利と言えば便利なのかもしれない。綺麗なビジュアルのアバターを用意し、死ぬまで棺桶と呼ばれるカプセル型のゲーム機に籠るのも、それは人の自由で、それが社会問題にもなっている。危うく僕だって、そうなりかけていたと、今でこそ思う。皮肉を込めた人々は、それを仮想と掛けて花葬と呼んだ。美しいままに死ぬのだ。もしかしたら、肉体が失われ、魂だけが、その仮想世界に在中するのかもしれない。

 エターナル・ザイオン・オンライン。通称EZO。エターナルは英語で永遠。ザイオンはパトワ語で約束の地の意。製作者が無知であったのか、今にして思えば、センスの欠片も感じられないネーミングである。僕はあのままあそこに居たら、その約束の地というやつに、辿り着けたのであろうか。


「おっと、ホームルームが始まる。同志よ。話は後だ」


 どうせ藤原の話なんて、キャラ別の胸の大きさランキングか、現在の推しキャラの話か、そんな取り留めのないものであろう。

 退屈なホームルームが終わり、授業が始まる。一限目は数学で、僕は熱心に授業に耳を傾ける。授業は真面目に受ける主義である。後の時間をできるだけ自由に過ごす為、可能な限り頭に叩き込むのだ。これが今の僕のスタンスである。それに数学はどちらかと言えば得意だ。暗記科目と違って、一つの公式を覚えれば、テストで十問は解ける。逆に原子記号や、歴史はすこぶる苦手である。

 高校生の内から窓際族な僕は、たまに窓の外を見やる。丁度二年生の体育の授業だった。深津先輩が背面跳びで、飛燕の如く華麗に宙を舞いバーを飛び越える。最高潮の深津先輩の汗がキラキラ舞うように見えるのは、僕の脳が創り出した幻なのかもしれない。身の回りに、妹を含めて数人しか異性がいないのである。健全な男子なら、これは仕方の無いことなのかもしれない。



✳︎



 放課後、藤原とは同じクラスなのに、ミセスドーナツへは、どちらが用があるわけでもなく現地集合である。集団行動が苦手な者同士、とても理に適った措置である。


「なんですか、深津先輩。今日は堂々と後を着けてきますよね」


 いつもは控えめに十メートルくらいは距離を空ける深津先輩。今日は校門を出た僕の真後ろにべったりくっ付いて尾行してくる。


「人をストーカーみたいに言うな。私もこちらに用があるのだ。知らない仲ではあるまい。途中まで一緒に行こうではないか」


 おいおい。部活はどうした。まともな部員が自分一人だと自由でいいよな。と、思ってみたものの、断る理由もないので、僕は無言で歩き出す。それに続く深津先輩が僕の左側に並ぶ。彼女のことは嫌いではない。

 ぽつり、ぽつりと空から水滴が降り注ぎ、僕の鼻先に当たり、弾けて飛散する。やがてあずきみたいな大粒の雨がポロポロと僕らを濡らす。お前は何が悲しくて泣いているのか。


「傘……持ってきました?」

「いや、ない」

「僕持ってきたんですよね」

「後生だから入れてくれ」


 ばっと咲かせた水玉の折り畳み傘が、僕ら二人を雨から守る。お天気お姉さんは、やはり今日も優秀であった。


「肩が濡れるから、もっとくっ付いていいか?」

「ええ。風邪引いちゃいますし」

「なあ。あのさ、あのさ、別にゲームなんてやらなくていいからさ、たまにこうやって一緒に帰らないか? 無理に部活に誘って悪かったよ」


 もしかしたら僕は、生まれて初めて異性から好意を寄せられているのかもしれない。勿論これが男女のそれとは、違うのかもしれないし、そもそもずっと仮想の世界にいた僕に、それを測る術はない。しかし悪い気はしない。


「本当はゲームも一緒にやりたいんですけどね。辞めるって誓ったんです」

「何かあったのか?」

「ええ、ちょっと色々思うことがありまして」

「そこで、はぐらかすんだな」

「いつか……話したくなったら、話しますよ」

「ああ、それでいい」


 師走の雨空、午後四時半。歩くと早くも薄暗くなって、駅前のミセスドーナツに着く。傘は貸しておきます。と、提案するも、深津先輩は首を横に振り、ミセスドーナツの自動ドアの前に立つ。両開きのドアは、左右に開き「奇遇だな。私も藤原にミセドに呼ばれているんだ」と、悪戯っ子みたいに笑う。ゆるい暖房の掛かった明るい店内であった。生温い風が僕らを出迎える。藤原ともう一人の友人が、僕らに手を振る。やれやれ。嵌められたようだ。


「遅いぞ小田切。まさか、深津先輩に何かけしからんことをしたりしていないだろうな」

「あ、れいちゃんに深津先輩こんちゃーっす。先食べてるよー」


 一番奥のテーブル席を陣取る藤原と、その正面で、フレンチクルーラーを頬張るのは、クラスメイトの苗代(なえしろ) 沙希(さき)である。ぴっちりしたスラックスをハイウエストで履く藤原とは対照的に、制服をラフに着崩し、スカートは短く、茶髪にピアスといった、大凡(おおよそ)僕とも藤原とも掛け離れた雰囲気の装いで、しかし何故だか、たまに僕や藤原と行動を共にしたりする。悪い奴じゃない。

 僕は軽く手を振り、深津先輩とレジカウンターに並ぶ。駅前なので、学校帰りの学生で混み合っている。


「奢ってくれても良いのですよ。深津先輩年上ですし」

「仕方ないな。お姉さんは一人暮らしで凄く貧乏だから、今日だけだぞ」


 高価なゲーム機を買うために、バイトだって沢山しているって話だ。藤原から訊いた。


「簡単に、雑な提案を了承しないでくださいよ先輩。別にお金無いわけじゃないですし」


 レジに立つお姉さんに、コーラとドーナツを三つ、内訳二つをテイクアウトにしてもらう。それを深津先輩は、ジト目で何か言いたげに視るものだから、「妹へ、お土産ですよ」と自ら説明する。


「妹さんいるのだな。初めて訊いた。小田切は全然自分の話をしないからな。今度遊びに行ってもいいか?」

「だだだ、ダメです。散らかってるし」


 女子を自分の家に連れ込むだとか、色んな諸々を差っ引いて、フラットに考えても、知り合いをあの妹と会わせるのは、なんとも気恥ずかしい。あいつは、いつ何時(なんどき)も僕の家にいるしな。


「そうか。じゃあ私の部屋に遊びにこい。ゲーム機しかないが、お茶ぐらいは出す」


 深津先輩と知り合ってから、随分になる。始めは藤原のバカがちょっかいかけて、次は僕らが先輩にちょっかいかけられて。人と人は、こうやって知り合いになるのだなと、感心したものである。藤原は僕と同じく陰キャラでオタクなのに、いつも自信満々で、敵を直ぐに作りやすい反面、味方を作るのが上手くて、人望も一部からは厚い。今日のミセドの集まりも、藤原が中心にいる。だけれど先輩の部屋に誘われたのは、僕である。ゆるい優越感が浮かんでは消える。ただお喋りするだけなら、学校でもミセドでもできる。ゲーム類などを、僕はしないときっぱり伝えてある。では、僕は先輩の部屋で何をするのであろうか。


「童貞のくせに変なこと考えるな。すけべ。冗談だ。私だって花も恥じらう乙女なのだぞ」

「ど、童貞ちゃうし! 人のモノローグ勝手に読まないでくださいよ」


 いや、童貞だけれども……。




 

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