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ジャコとカレン



「いつまで寝てるの? 退屈だからはーやーくー起ーきーてーよ!」


 ずしり腹に重みを感じ、ぼんやりした頭のまま目を覚ませば、最初に映るのは僕に跨るトワコの顔。ツインテールの長い髪がこちょこちょと首筋に当たって、なんだかこそばゆい。何時間くらい眠ってしまっていたのであろうか。引力に引かれるようソファに沈みこむ身体が重たい。窓の外は真っ暗な闇が広がっていた。僕はトワコの軽い身体をだっこして、上半身を起こし壁掛け時計を見る。六時半を回ったところであった。


「父さんは?」

「もうすぐ家に着くって電話で言ってた。晩御飯には間に合いそうだね」

「そっか。じゃあそろそろ晩御飯作ろうかな。餃子包むの手伝ってよ」

「えー、今日餃子ぁ〜?」

「え、好きでしょ」

「嫌いじゃないけど、チューができなくなるじゃん」

「誰とすんだよ」

「どうしてもと言うのなら、今のうちにしてもいいよ。ほれ。ほれ」


 まるでいつもそうしている風に目を閉じ唇に人差し指をちょんちょんと当てるトワコ。めんどうなのでそれは放っておいて、ホットプレートを下ろし温める。あらかじめ下ごしらえしておいた餃子のタネを軽くかき混ぜ、餃子を包んでいく。


「ただいまぁ」


 玄関から父親の声。立ち上がったトワコはタッタッタっと、駆け足でそれを出迎えに行く。こう言っちゃなんだが、外に友達のいないトワコは家族が大好きなのだ。


「おっ、今日は餃子か」

「お帰り、父さん。あっ、トワコー。味噌汁の火を点けておいてー」


 ネクタイを解いた父さんは、日課をこなすよう母親の仏壇の前に座り手を合わせ、そして冷蔵庫からビールを取り出す。


「あ、トワコも飲む」

「ハタチになったらな」

「パパのけち」


 ようやく夕食の支度を終え、一家三人で食卓を囲み手を合わす。父さんは仕事で遅くなることが多いので、三人で夕食を食べるのは三日に一度ほどである。人と食べるご飯は美味しいものだ。


「零。いつもすまないな。友達ができたんだろう? 別に家のことはいいから、少しくらい遅くなっても構わないぞ」

「トワコが腹減ったって、煩いし」


 それに寂しがる……だってトワコには僕しかいないからさ。







 夕食を終えた僕とトワコは、部屋の外で一旦別れ、ゲームの中で再び落ち合う。一日が十時間と現実世界の倍以上の速度で過ぎていくEZO2の世界では、丁度大聖堂の鐘が正午を告げたところであった。噴水のある広場は、初心者のプレイヤーたちを中心に賑わっている。アコーディオンを奏でるパフォーマーがいたり、屋台なども出ていて、なんだかウキウキしてくる場所である。EZO2から味覚と嗅覚が実装されたので、現実の世界で夕食の直後でなかったら、たこ焼きでもひとつ買ってみたいところであった。


「さて、今日は最初のストーリーイベントをクリアするよー」

「最初のストーリーっても、チュートリアルみたいな、ものでしょ。前作でもやったよ」

「まあ、初期レベルでクリアできるし、操作を覚えながら攻略するから、チュートリアルっていうのもあながち間違いじゃないのだけれど、このイベントは、別の意味でめちゃめちゃ重要だからナメない方がいいよ」


 チッチッチ、と舌を鳴らし、人差し指を僕に向け左右に振るトワコは、なんだかとても得意げだ。


「へぇ、どんなんだよ」

「ないしょですぅ。ぷぷぷー、ウィキで事前に調べないのが悪いよ」

「そこをなんとか。愚かな僕には、トワコだけが頼りなんだよ」

「もう。お兄ちゃんは調子いいなぁ。あのね、前作もマルチシナリオが売りだったよね。2ではなんとそれがパワーアップ。初っ端のチュートリアルから、なななんと二百五十六通りの分岐があるの。お得だね。おめでとう」


 おっと聞き捨てならない。ゲーム開始早々二百五十六通りの分岐とか狂気の沙汰だ。なおもトワコの解説は続く。曰く、どのルートで攻略するかで、その後の展開そのものが変わってしまうらしい。これによって自分がどの国のどの組織に与するかなどが決まってしまうとのことである。


「お兄ちゃんはヒュームだから、姫君誘拐イベントだねぇ。お忍びで街に来ていたお姫様が盗賊に誘拐されるベタベタなシチュエーションだから、せいぜい大喜利だと思って頑張ってね」


 イベントは、聖都アルスホルムを出て街道沿いに歩き、次の街に辿り着くと時間を問わず発生するとのこと。幸い装備は先日整えたばかりなので、さっそく向かうことにする。長閑な街道、そよ風に草木が揺れる。人通りは少ないが、稀に行商人とすれ違い、意気揚々と挨拶を交わす。街道沿いは魔物とのエンカウントが比較的少ないのが楽である。それでも日が落ちてくると、剣呑な遠吠えが聴こえてきて、なんとも不気味だ。肌寒いような気がして早速先日買ったマントを羽織る。仮想の夜は、現実の夜より闇が深い。その時、正面からひとりの男がこちらに駆けてくることに気づく。


「あんたたち冒険者かい? この先で行商人のキャンプが、盗賊に襲われているんだ。助けてくれよ」


 と、お前こそ盗賊だろ! と言いたくなるような、いかつい顔の男。でた。モブキャラ。これはきっとモブキャラによるモブキャラのためのモブイベントというやつである。めんどくさ。しかし、これを断っても目覚めが悪い。僕は頷き男が言うキャンプを目指す。道中話を聞くに、彼も行商人だと言う。


「おかしいな。最初のイベントが始まるまで、何もないはずなのだけれど」

「イベントってほどじゃないでしょ。これ」


 少し先に進むと拓けた場所に出る。真昼の太陽のように辺りを照らすのは燃え盛るテント。キャンプファイヤーってわけではなさそうだ。逃げ惑う行商人らしき男たちを追い回すのは、巨大な戦斧(バトルアックス)を軽々と振り回す細身のヒューム……あれは女であろうか? 無防備で露出の高い下着のようなライトアーマーの隙間から見える褐色の肌と、妖艶な体つき。狂気に満ちたその表情は、さながら狂戦士(バーサーカー)


「おっと新手かい? 少しは楽しめそうな顔つきじゃないか」


 おいおいおい。お前の目は節穴か。この真っ白い不健康そうな顔を見て、バトル漫画みたいなことを口走るんじゃない。兎にも角にも僕は買ったばかりのダガーを構える。僕のレベルなら、なんとかなるでしょ。と、たかをくくって油断していたのがいけなかった。瞬きをした刹那、褐色女が視界から消える。「お兄ちゃん!」と、トワコが僕を突き飛ばす。ごろごろ大地を二転三転、景気良くすっころんで起き上がると、自分が立っていた地面には大きな亀裂が出来あがっていてゾッとする。褐色の女がたった今その戦斧で地面を斬り裂いたのだ。


「ちょっと聞いていいかい? トワコくん。初っ端から敵のステータスがぶっ壊れているのだけれども」

「知らない知らない。こんなやつ見たことない。トワコ獣人だから、ヒュームのイベント初見だし」


 なんだかイレギュラーが起きているようである。しかしだ、こう見えて獣人でネトゲ廃人のトワコは、レベルカンストの上級職アサシンである。二対一なら、いくらなんでも楽勝であろう。と言うか、現時点だと完全に僕が足を引っ張る。だからまだこの時は安心していた。トワコの目が赤く輝き、飛ぶ。僕には目で追うことも困難な褐色の女の戦斧を、ひらりひらりと躱し、その距離を縮める。


「ちい。小賢しい」


 一方、トワコの攻撃をかろうじて受けている褐色女は、先ほどとは打って変わって防戦に回っている。トワコ素敵! つよーい。完全に主導権を握っていた。……が、いよいよ仕留めようと褐色女の首に小太刀を掛けようとした瞬間、別の方角からの斬撃がトワコを襲う。危険を察知したかのように後退するも、不意を突かれたトワコの肩から腹にかけてばっさりと切り裂かれる。真紅の鮮血が花咲き宙を舞う。


「何を遊んでいるジャコ。さっさと殲滅するよ」


 まるで妖精。砂利をかき分けるようゆっくりと近づく足音は、燃え盛る炎に照らされ、その姿を現す。やや短めに切り揃えられた見惚れるほど美しいシルバーブロンド。透明とも思えるきめ細やかな透き通った白い肌。いや、見惚れている場合ではない、敵はひとりではなかったのだ。僕は自らの遺産とも言うべきハイポーションをトワコに投げ、彼女の傷を塞ぐ。


「活きのいいのが混じっててな。そっちは?」

「もう終わったよ」


 妖精のように美しい女が手にする剣には見覚えがあった。かつて前作のエターナル・ザイオン・オンラインに於いて、長い間僕が愛用していた伝説クラスのアーティファクト、聖剣アルティメシアである。


「トワコ。しっかりしろ。立てるか?」


 放心状態の我が妹に駆け寄る。幸い斬られた傷は、既に塞がっている。最高級のポーションを全部売らなくてよかった。トワコの性格を鑑みるに、やられたらやり返すのであろうと思っていたが、生憎その当ては外れた。奥歯をがくがくと震わせ怯えている。


「ごめん、お兄ちゃん。トワコね、あの剣だけはダメなんだ、苦手。死んだらアルスホルムの広場で復活するから、そこで待ってるね!」


 と、瞬時に立ち上がり、僕を置いて消える。まるで瞬間移動。神速の二つ名で呼ばれていたかつての僕は、最早過去の栄光だ。え、逃げた? おいおいそりゃないぜ。待てよ、薄情もん。取り残された僕は呆然と立ち尽くす。


「ちっ、逃すかよ。こいつのことは任せたぜ、カレン」


 と、褐色女はトワコを追う。ジャコとか言ったか? 魚みたいな名前しやがって。そして取り残される僕と妖精みたいなブロンドショートの女。たしかこっちがカレン。ゴミを見るようなアクアブルーの瞳は、僕の方に向いていた。気まずい沈黙。彼女たちはいったい何者だ。ゲームバランスが悪いと悪名の高いEZOの続編ではあるが、さすがにこれはやり過ぎである。ということは、こいつらはイベントとは無関係のプレイヤー。プレイヤーキラーという言葉が脳裏に浮かぶ。


「ハローハロー。カレンさんとか言ったか。話せばわかる」

「仲間に見捨てられたか、哀れなやつめ。所詮盗賊同士だな」


 褐色女にカレンと呼ばれていた剣士は、僕の元愛剣アルティメシアをこちらに向ける。勝手に使うな! それは僕の代名詞だ。


「まてまて、僕らはキャンプが盗賊に襲われていると

聞いて助けに来たんだ。盗賊呼ばわりはないだろ」

「掃いて捨てるほど聞いてきた命乞いだな。この聖剣が貴様ら悪しき者だと言っている。他に言い残すことはあるか?」


 悪しき者を見抜くセンス・オーラの力。やはり僕が使っていたアルティメシアと同じものだ。おおよそ悪しき者とは、殺しを生業にする暗殺者(アサシン)のトワコに反応しているのであろう。暗殺者(アサシン)は攻撃力、器用さ、速さの三拍子揃った現行最強の物理アタッカーである反面、魔法職並みに守備がもろいことと、あまりにもの業の深さにNPCなどから忌み嫌われるのが珠に傷だ。


「それはあいつのクラス(職業)暗殺者(アサシン)だから!」

「何を言っている。我が聖剣は貴様からもビンビンと邪悪な気配を感じているぞ」


 彼女は手に持つ聖剣アルティメシアの剣先を首元に突きつけてくる。初期イベントも待たずして、僕は今まさにこの世界で、最初の死を体験しようとしている。ちくしょう、トワコのやつ。もう口聞かないからな! 


「ああ、もう観念するよ。煮るなり焼くなり好きにしてくれよ!」

「無抵抗か、つまらんな。ジャコにこちらを任せて、わたしがあちらを追えばよかった」

「さっさとやれよ」

「わたしに指図するな。ふむ、気が変わった。貴様には我が国の裁判を受けてもらおう。どうせ最後は死刑だがな」

「いや、お願いなんで、とっとっと殺してくださいって。僕は早く噴水の広場に戻りたいの」

「わたしに指図するなと言っておるだろう」

「この解らず屋! 殺せっつってんだろ」

「だまれ! おとなしくしていろ」


 がつり、聖剣の柄で殴られ敢え無く気絶。不甲斐ないことに強制ログアウト。なんだか面倒になってきた。どいつもこいつも腹立つわー。ほんと嫌んなってくる。いったいいつになったら、僕はチュートリアルを終わらせられるのか。結局この日は、そのままベットに潜りこんで、ふて寝をきめ込むことにした。

 翌日のこと、風呂に入っていないことを思いだし、寝起き早々シャワーを浴びたが、おとこの入浴についてあれこれ語っても、誰ひとりとして幸せにならないと思うので、割愛させてもらう。トワコとは顔を合わせたくないが、武士の情けで朝食を用意してやる。父親の弁当を詰め、余ったウインナーを真っ白な皿に盛る。今日はタコさんにはしてやらない。トースターからは良い匂いに焼けた食パン、冷蔵庫から出すバターとママレード。僕はひとりトーストだけを一気に口に詰め込んで学校に行くことにする。我ながら不機嫌である。





「って、わけなんだよ。トワコのやつムカつくよな」

「ふむ、つまり小田切には可愛い妹がいるということだな。丁度いい、今度紹介しろ」


 と昼食時、机を寄せていた藤原はあんぱんをかじりながら言った。しまった。藤原にはトワコの存在をひた隠しにしていたのであった。


「それにしても、あれほど渋ってたゲームを再開したのか。まあ、それはどうでもいい、取り敢えずまずは妹を紹介しろ」

「なぁ、藤原はさ、前作もやってたっけ?」

「話題を勝手に変えるな。妹紹介しろ」

「こっちは、真剣な話なんだって」

「こっちだって真剣だ。妹紹介しろ」

「御三家の神龍がドロップする聖剣ってあったじゃん。あれってEZO2だと、どうなってるん?」

「アルティメシアのことか。なんでまたそんなもん? たしかまだ2では、装備として実装されてないぞ。今のところフレーバーテキストだけだ」

「フレーバーテキスト?」

「おっと、ここから先は、妹を紹介してくれるなら教えてやろうではないか」

「わかったわかった。今度な」

「事と次第によっちゃ、今から兄と呼んでくれてもいいぞ」

「うっさいわ。早く教えろよ」

「ああ、EZO2にはな、最強のNPCってのが、何人かいてな。その一角、セントアルファリア王国、聖騎士団副団長が所有しているのだとか」



 









 

 


 


 

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