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付けまつげ



 唐衣

 着つつなれにし

 つましあれば

 はるばる来ぬる

 旅をしぞ思ふ



 頭頂部の若干薄らった国語教師が、ひとたび伊勢物語東下りの冒頭を韻じ始めたところで、船を漕ぎだした僕は、いよいよ詩歌を詠むというところで、自分の垂らした涎の大海原に着水する。その眠気は最高潮。授業は真面目に受けるのがポリシーだったはずなのに、正直不甲斐ないことこの上ないものである。それもこれも昨夜の徹ゲーが原因である。トワコのやつは今頃眠っているのであろう。あいつは基本朝まで起きていて、昼前から寝て夕方に起きるなんとも不健全な生活を繰り返している。なんだか羨ましいものだ。頭にコツリ消しゴムの小さな衝撃。僕くらいの強者になると、後頭部でそれが消しゴムか否かを判別できるのである。振り返ればクラスメイトの苗代沙希が神妙な顔で、紙くずを丸めての第二投を僕に投げよこす。ノートの切れ端であろうそれを丁寧に開くと、丸っこい文字で『放課後、ミセドに集合ね』と、なんとも一方的な手紙となっていた。正直、深津先輩の捜索もあるし、何よりその前に少し休みたいので気乗りはしないのだが、数少ない友人を無下にもできない板挟み。結局迷った挙句に、掃除当番を終え、五限目と六限目はなんとか寝ずに耐えた僕は、駅前のミセスドーナツに顔を出す。風の強い日であった。


「おいっす。れいちゃん。遅かったね」


 外の強風とは打って変わって生温い暖房の風、正面の席にはブレザーの上から羽織るスケーターブランドのパーカー、ミルクティーをストローで啜るのは苗代。ばさりばさりとその長い付けまつげが瞬く。藤原とでもいるかと思えば、生憎彼女はひとりであった。あんまし僕と苗代のペアで行動したことがないので、若干面食らう。


「どうしたのさ。改まって」

「まあ、ここはうちの奢りだからさ。ほら、食べなよ」


 と、僕に黒糖のポンデリングを献上しようとする苗代。これを食べてしまうと後には引けない気がして、それを丁重に断りレジでコーヒーだけを買ってくる。眠気にはカフェインに限りますなぁと、寝てないアピールを決め込む。


「相変わらずマイペースだよね、れいちゃんは。まあ今日呼んだのは軽いデートの誘いとでも思ってよ」

「やなこった。初めてのデートは、黒髪ロングで年上のお姉さんと、海の見える公園で手を繋ぐと決めてるんだ」

「きっしょ!」

「だろうね。キモオタだもの」

「これだから童貞は」

「藤原よりマシっしょ」

「それは一理ある。不幸中の幸い」

「お前失礼だな」

「れいちゃんもね」


 煮え切らない苗代。軽口を叩いているようで、いつものキレがない。苗代の翼のように長い付けまつげが、ばさりばさりといつもよりも速く瞬くように感じられる。


「実はさ……うん、いや、やっぱいいや」

「あのさ、そういうの辞めろよ。言えよ」

「気になる? ねぇねぇ気になる?」

「ならない……帰る」

「待って! 置いていかないで! 言うから! ごめんなさい」


 立ち上がる僕の腕にすがりつく苗代。まるで三文コント。ばさりばさり、尚も加速し続ける付けまつげ。


「昨日さ、れいちゃん様子がおかしかったよね。うちはいよいよ童女向けアニメの観すぎでおかしくなったのだと思っていたけど」

「おい!」

「待って! 話はここから。うちは乗り気じゃなかったんだけど、藤原がれいちゃんの跡を着けようって言い出してさ、うちは止めたんだよ? でも藤原はすっかりその気でさ。うちら実は昨日れいちゃんをずっと尾行してたの」


 んっ? 本当に? なんと暇な人たちなのであろうか。花の高校生が放課後に同級生を尾行して探偵ごっことは、なんとも嘆かわしい。しかし話の本質がどうにも見えない。苗代は僕に何を伝えたいのであろう。苗代の付けまつげは、ばさばさとありえないほど高速で、いよいよこの日、瞬間最大風速を迎える。しばしうつむき沈黙し、やがて顔を上げ意を決したよう口を開く。


「それでさ、ふと藤原のやつが気づいたんだ。……うちらとは別に、れいちゃんを尾行している第三者の存在に……」


 ばさばさばさばさ。突如自動ドアが開き風除室のない店内に立ち込める強風。飛び交う紙ナプキンはまるで白い羽根。僕は飲んでいたコーヒーを落としてしまう。


「ねえ、れいちゃん。昨日から様子が変だよ。いったい何に首を突っ込んでるの? 今日も授業中寝てるしさ」




 




 苗代と別れて家路を辿る。あれがデートだなんて言うものだから、まるで人生初デートを乱暴に喪失してしまったような被害者意識でいっぱいである。とは言えだ、とは言えである。苗代と藤原が、ふたり結託して、僕の尾行をしたことこそが、真のデートなのではないだろうか。あのふたり、一見犬猿の仲ではあるが、喧嘩するほど仲が良いと先人も示す通り、相性自体は悪くない。尾行によってふたりの距離が縮まり、交わすあんぱんと牛乳。生まれる恋心。もう一層の事、あのふたりが付き合えばいいのに。と、結論に至ったところで、もうひとりの自分が反旗をひるがえす。……いや、まて! 早まるな小田切零。あのふたりが付き合ったら付き合ったで、この僕が典型的な『三人組でひとり余る可哀想なやつ』になってしまうではないか。これだから奇数のグループは嫌いだ。とてもふたりを祝福できそうにない。

 なんてモヤモヤ考えていたら、自宅近くのスーパーに着いた。僕はここで今夜の夕食を買わねばならない。学校に行き、買い物をし、夕飯の支度もして、夜はEZO2の中で深津先輩の捜索。トワコと一日の仕事量が違いすぎて泣きたくなる。一〇〇グラム八十五円の合挽きミンチにニラとネギ。あれこれ悩む果物と味噌汁の具材。忘れちゃいけない餃子の皮。そしてトワコ用のスナック菓子を物色する。柔軟剤が切れていたことを思い出し、そいつもカゴに入れる。重たい買い物袋を両手に抱え自宅へ帰る。玄関で靴を脱ぎ手洗いうがい。トワコの姿は見えない。もしかしたら、まだ寝ているのかもしれない。くそぅ、米が炊けていないじゃないか。イヤホンで音楽を聴きながら、キッチンで夕食の仕込みを手早く済ませる。音楽は良い。働き者の両手を動かしながらも、耳だけは自由だから。まあ聴いているのは、藤原一押しのアニソンだけれども。仕込みも終え、米が炊けるまでは一休み。待てど暮らせどトワコは一階に降りて来ず、僕は知らず知らずうたた寝をしてしまう。

 夢を見ていた。ソファで横になり、うたた寝をしたところまでの記憶があるので、そう、きっとこれは夢だ。だから例えそこに深津先輩が出てきたところで、胸を触ろうが、チューを迫ろうが、僕の勝手である。


「チキンのくせにイタイ妄想をするな」

「久しぶりなのに、辛辣ですね」

「いや、まだ二日ぶりだろうが。寂しがり屋さんめ」

「藤原と苗代が怪しいので、少し焦りを感じてまして」


 夢に出てきたのは、深津壱花先輩であった。否、これは本当に夢なのであろうか。僕の願望が作り出してしまった産物なのであろうか。


「……ったく、どこへ行っちゃったんだよ、あんたは。みんなあんたのこと、忘れちゃったよ。本当に実在するのかよ!」

「きみだけは覚えていてくれるのだな。凄く嬉しいような、申し訳ないような」

「先輩。これは夢? 僕の見たい夢?」

「アルファの正式名称を覚えているか? (徳川)(エンタープライズ)(ナイト)(ギア)α(アルファ)だ。他社で造られたナイトギアという製品の後継機でな、元はゲーム機ですらなく、カルフォルニアの小さな工場で開発された、なんでも好きな夢が視られるという謳い文句のちゃちな玩具だったそうだ」


 仮装現実(ヴァーチャル)イコール(ドリーム)というのは、なんだかしっくりこない。それはまったく別の次元の話のように思える。しかしまるで(ロマン)のようなと言われれば、その言葉のごとくロマンチックではある。何を言っているかわからないし、何を言いたいのかもさっぱりだ。ただ言いたいことが、たくさんあったのに、情けない話、上手く言葉がでてこない。元気なのか? 本当にEZO2の中にいるのか? また会えるのか。


「まったく人の夢に出てくるとか、なんでもありだな」

「フラッシュゲノムという概念がある。遺伝子を一から電子で構築するというものだが、我々は意識を含む存在自体を常に電子化させて過ごしてきたからな、存在自体が虚ろなのかもしれない。不意にこんな次元の狭間で微弱な電気信号が交わっても不思議はない」

「いやいや大ありでしょ。ミラクルですって。今の説明からさっするに、これは僕の見たい夢?」

「いや、どうだろう。わたしの見たい夢かもな。きみはわたしの脳が造った幻だ」


 果たしてこれは僕が見ている夢なのであろうか? 件の五分前仮説の話ではないが、今ここで深津先輩と会話をする僕が、先程苗代とミセスドーナツにいた僕だという確証はどこにもない。ただ記憶が連続しているだけで、もしかしたらたった今、深津先輩の見る夢として、ここに産まれたのかもしれない。多分彼女が言いたいことは、そういうことであろう。


「まだ二日ですよ。とんだ寂しがりやさんですね。こんな処女の淋しい妄想じゃなくて、あなたと……深津壱花と……もう会えないのですか?」

「どうか探さないで欲しい。人の記憶から消えてしまうほど、遠くへ来てしまった。話せて楽しかった。元気でな」





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