親友くんと私
ああ、そうか。私は――
桜の花びらが舞い落ちる。いつもなら綺麗と思ってみるのだが、その日だけはその桜の光景を気にすることなんてできなかった。
「ママー、早くはやく!」
母親をせかしながら急ぐ先は、自宅のマンションから徒歩十五分ほどの地元の小学校。
今日から私はその小学校に通うのだった。
新しい生活に胸をふくらませ、小走りで入学式まで向かう私。その時の私はただただ、小学校という新しいものに期待のみを抱いていた。
その期待が恐怖へと変わったのは、一体いつのことだったか。
元々人見知りで、さらにあまり関わったことのない人物を前にすると何も言えなくなってしまう私に対して、ちょっとした悪戯心でも芽生えたのか。
あるいは、両親共働きであまり家の掃除がされておらず、飼い犬がいたためあまり良い匂いと言えない匂いを私が漂わせていたからその事に対する嫌悪か。
気がつけば、学校では一人で椅子に座って過ごしていた。
誰にも話しかけられず、話しかけることもない。話したとしても、必要最低限のことばかり。
誰も私を気にかけなかった。
まるで私という人なんていないようだった。
もしも私が誰かの気に障るような行動でもすれば、本人が目の前にいるかどうかも気にせず悪口を言った。
そんな環境だったが、完全なる孤独とは言い難かった。
初めてクラスに入ったとき。
幼稚園とは違う人の多さに人見知りが発動されてしまい、ろくにクラスメイトに話しかけられずに帰りの時間になった。
焦った私は急いで教室をキョロキョロして、パッと目にはいった子に思いきって声をかける。
「あの!」
「…?」
それは、一人の少年だった。
カッコいいなんて言葉ではなく可愛いという言葉がピッタリ合う少年は、私を見てキョトンとした顔をする。
「私と、友達になってくれない?」
緊張でドキドキと高鳴る胸。断られたらどうしようという不安。
そんな思いを胸に抱き数分。いや実際は数秒だったのかもしれない。
「いいよ」
喜びの色を声にのせてそう答えた彼の笑顔を見た途端、ホッとした気持ちと嬉しい気持ちで胸がいっぱいになる。
「よろしくね!」
「うん、よろしくね」
これが私の親友と私の出会いである。
以来私たちは放課後になるたびに彼の家の近くの公園で遊ぶようになる。彼を通じて、彼の隣の家の一つ年上のお姉さんとも知り合い、彼の妹とも知り合えた。
けれど、彼女らと初めて出会った日のことは、もう覚えていない。覚えているのは、彼と出会った日だけだった。
「ね、ー親友ちゃんー 僕この間ようやくあのゲーム買ってもらったんだ!だから ー妹ー と ーお姉さんー たちを誘って一緒に遊ぼう!」
私がいじめにあいはじめてからも、彼は私と遊んでくれた。
彼しか呼ばない、呼ぶ人のいない私の名字からとったあだ名を呼んでくれた。
こんなキモいって、臭いって、皆から言われて避けられて、誰もが私の私物を机を汚物のように扱う中、彼は私に普通に触れていた。近寄ってくれた。
私と一緒に遊んでて迷惑じゃないか、嫌々私と遊んでくれているんじゃないか。
そう訊いてみたかったけれど、もし頷かれたらと考えて訊けなかった。
ただ、私は彼と放課後の、いつもの場所で、遊んでいた。
少し時が経つと、私は学校で彼と距離をおきはじめた。キッカケはなんだったんだろうか。ああたしか私と一緒にいたら彼の迷惑になるのではないかと思ったからだ。
それでも、放課後に遊ぶ習慣は変わらなかった。よくある男同士女同士でいるようになって異性とは距離をおきがちになる、なんてことはなかった。そもそも、私には同姓異性関係なく友達は彼一人だけだったから。
「ー親友ちゃんー と僕って、親友だよね」
「…親友?」
放課後遊んだ時、ふと彼が言った。
親友、と馴染みのない言葉をもう一度繰り返すと、彼はニコッと嬉しそうに笑った。
「この間本でみたんだけど、特別仲の良い友達同士のことをそういうんだって!」
「そうなの… ー親友くんー って、本当に頭いいね、羨ましいな」
「そんなことないよ!あ、そういえば ー親友ちゃんー この間のテストの点数どうだった?「テスト…ああ、どうでもよかったから寝てた」
「…分からないところあったら言ってね?」
「全部分からない」
「……」
呆れたように笑う彼。どうやら世にいう呆れてものも言えない状態らしい。
そんな変化に私は気にとられることなく、私の頭の中は親友、という言葉でいっぱいだった。
「ね、ー親友くんー 」
「うん?」
「ずっと親友でいてね」
唐突な私の言葉に彼はキョトンとした顔をするけど、すぐにいつもの楽しそうな色を浮かべて、
「うん!当然だよ!」
そんな私と彼に、変化がおきた。
来年からは中学生になる年頃で、中学生になったら彼と一緒にたくさん話ながら登校したいな、と思っていた時だった。
「… ー親友くんー 」
「どうしたの?」
その日の放課後のいつもの場所に来た私を見て ー親友くんー は驚いた表情をした。
そんな ー親友くんー に向かって私は口をあけて声をだす。きちんと彼に聞こえるように、頑張って。
「あのね…うちの親が離婚することになってね」
「…!」
「それで、私お母さんに引き取られて引っ越すことになったの…」
「え…!」
「それと引っ越したら ー親友くんー とは別の中学校に入学することになって…」
彼はしばらく驚いた様子だったけど、やがてスッと両腕を伸ばす。
驚いた次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。
「…ごめん、こういう時、なにか気の利いたことでも言えたらよかったんだけど…」
困ったような声音に、私は彼を困らせたのだと気づき、これが彼なりの私への慰めなんだということも気づく。
彼の腕の中は温かくて、優しくて、思わず涙がでそうになったけれども、この年で泣くなんてなんか悔しくて、それをギュッとこらえて代わりに声を出した。
「ううん、こうしてくれただけでも十分だよ…」
何故かその時、彼の鼓動が少し早いような気がした。
中学に入っても、私と彼は時折暇を見つけては会っていた。
小学校時代の私を知る人なんていなかった中学校生活は心地よく、無理せずに行けた。
やがて初めて彼以外の友人もできて、不満なんてひとつもなくなっていった。
「うう… -親友くんー ここが分からないよぉ…」
ただ一つ、勉学においては小学校ではほぼやっていなかったため苦戦を強いられることになっていた。
そのため小学校時代から優秀だった彼に教えてもらうことが時々あった。
「ああ、そこはさっきの公式を使って…」
「ええと、こう…?」
「うんそう、正解」
フウと息を吐くと、彼が笑ったような気配がした。
見ると彼が優しい目をしながら微笑んでいた。
何故か、心臓が大きく高鳴った気がした。
「そ、そういえば -親友くんー って身長のびたよね!」
なんだか急に恥ずかしくなり、彼に背を向けて話題を提供。
そんな私の突然の行動に、彼は驚いたような間を置き戸惑いがちな声で肯定する。
「う、うん。この間身体測定で計ったらそこそこ伸びてて、ようやく背の順の真ん中の方にいけるよ」
「…そっか」
そう言って笑った彼の言葉を聞いて、私は少し悲しくなった。
昔から、私は彼に勝てない。勉強だって運動だって、なにひとつ彼と並んだことなんてなかった。彼より勝ってることなんて、身長かゲームの知識くらいだった。
幼い頃から背の順で後ろの方だった私は、学年でもそれなりに高いほうだった。反対に、彼はものすごく小さいという訳ではなかったが、高くもなく、私と彼が並ぶと彼の方が小さかった。
最近では私の身長は止まりはじめて、まあ高すぎず低すぎずという満足のいく高さだ。反対に、彼はやはり男の子だからか背も幾分か高くなっており、今じゃ私と大体同じくらい。
体つきだってしっかりしてきて、可愛いよりカッコイイっていう言葉が似合っていた。唯一あまり変わっていないといったら声くらいで、若干低くなった程度だ。
「いつか -親友ちゃんー をこすかもね」
「いやあ?案外身長そこで止まるかもよ?」
「ちょ、怖いこと言わないでよ!」
いつか、どんなにヒールが高い靴を履いたって彼に届かない日がくるかもしれない。
寂しさを覚えながらテーブルの上にあるジュースに口をつけると、そういえばさ、と彼が何故かやや緊張しながら余裕ぶっているような表情で世間話を始める。
「僕、告白されたんだけどさ」
「!!?」
前言撤回。世間話じゃなかった。重大話だ。
私はジュースをふきそうになるのをなんとかこらえ、コップを口から離しテーブルに置く。
「ちょ、いつどこで何時何分地球が何回回ったとき!?」
「とりあえず落ち着け」
どうどうと言われるけど、そんなところじゃなかった。
「同じクラスの女子なんだけど、結構可愛い子でさ…どうしようかと思ってるんだけど…」
「名前は!?くそう -親友くんー に告白するなんて… -親友くんー に告白したければ私を倒してからにしてほしかったのに…」
「え、なにそれ。僕のお父さんか君は」
「まあそれはさすがに冗談だけど、それで、ー親友くんー はどうするつもりなの!?」
「え、あー…うん。まあ断るのもなんだし、とりあえず付き合ってみようと思う…」
そこまで言って彼は私をチラリと見る。
私の反応をうかがうような態度に一瞬キョトンとしながら、私はよく彼に言っている言葉を気がついたら口にしていた。
「うん、ー親友くんー の好きにしたらいいと思うよ」
彼の表情が固まる。
だけどそれは一瞬のことで、次の瞬間にはニコォっというかんじの、いつもより弱々しい笑みを浮かべる。
「…そっか」
それにしてもなんなんだろうか。落ち着かない。胸のあたりがザワザワする。
その数日後、彼はその告白した子と付き合いはじめたらしい。
それからというもの、彼女がいるのに他の女の子と仲良くするのもどうかと思ったし、彼と会うのは控えた。電話も、メールも彼からきたら返すということしかしなくなった。
丁度受験の時期に入っていっていったため、メールは月に一度くらいしかこなくなった。
そんなこんなで高校に入学した。
私はそこら辺の、不良が少しいるような高校。彼は頭の良い人が通う進学校に。
受験が終わってからは彼から彼女ができる前と同じくらいの量がくるようになった。
やがて、電話で彼が彼女と別れたということを聞いた。まるで天気の話をするかのように軽く。
「そんでね、それ聞いた時なーか嬉しくなったんだよね。ちょっとひどい人だと思わない?別れたって聞いて嬉しくなるとか」
話し相手は高校に入ってできた友達。
彼女は私の話を聞くと、大げさなほどに溜め息をついた。む、なんだ。
「ー親友ちゃんー ってさ、結構鈍感だよね」
「うん?たしかに勘はよくないけど」
「そういうことじゃなくって…まあいいや。それじゃさ、 -親友ちゃんー の中でその人ってどんな存在?」
「…すっごく大切な存在」
「具体的には?」
「ううん…悲しい思いしてほしくない、いつも笑っていてほしくて、なにかあった時に身代わりになれるならなんだってしてもいいような、存在?」
「…おも」
「え」
重いのか、これ。
友達はこの公園にある自動販売機で買ったジュースを一口飲むと、それじゃさ、って言う。
「恋愛感情ってさ、あんたの中ではどんなかんじのもの?」
「む…私の考える恋愛感情ってこと?」
「そ」
「ううん…話したりするだけで嬉しくって、いつも一緒にいたいって思えて、見てるだけでドキドキするようなもの…?」
小説やら漫画やらを見て想像した恋愛感情というものを述べると、友達はまあ合ってるっちゃ合ってるわねと言った。なんだ。なにがしたいんだこの人。
「それじゃあ、その人と話して嬉しい?」
「無論」
じゃなかったら話さない。
「その人といつも一緒にいたい?」
「イエス」
だったら電話切りたくないなとか思わない。
「その人見てるだけで、考えてるだけでドキドキする?」
「…うん?」
考えるだけでドキドキ?…言われてみれば、そうかもしれない。
見てるだけでドキドキ?…ドキドキっていうか、幸せな気分になる?
少し考えて、私は頷く。
そして、気づく。
あれ、これって…。
「…あんたの考える恋愛感情どおりだね。それ。あ、あと私から言わせてみれば彼女できるっていうの聞いた時の胸のザワザワは嫉妬みたいなもん。んで、喜んだのは彼がフリーになった…つまり、自分と付き合えるような状態っての?まあ大体そんなかんじじゃね?」
若干適当な調子での言葉に、私の顔はどんどん熱くなっていく。
うっわ…えー。ちょ、待ってよ。なにこれ。なんかすごい熱い。なんか胸がドキドキする。
丁度その時、携帯が振動して着信を告げる。見ると、今まさに話していた人物の名前。
「!!?」
「出ないのー?」
ニヤニヤ。
からかうような笑みを浮かべた友達。
くそう、楽しんでやがるこいつ。
一瞬無視という言葉が頭の中に出てきたが、彼の電話を無視するなんてほぼ不可能だった。私はやけくそ気味に携帯をとって耳に当てる。
「はい!もしもし!」
「あ、もしもし?今大丈夫?」
男性にしては高いに分類されるだろう声。
紛れもない、彼の声。
途端に心臓が暴れだす。頭が真っ白になる。
まるで、物語に出てくるヒロインが意中の人物に会った時のような気持ちだ。
ああ、私は本当に…。
「…?おーい?もしかして都合が悪い?悪かったらまた今度…」
「悪くない!」
叫ぶように言った私の返答に、彼は少し驚いたようだった。戸惑い気味にそっか、よかった。と言う。
その声を聞くだけで、心臓がこれでもかというほどにドキドキいう。顔に熱が集まってくる。
隣で友達が、自覚した途端にこれか…。とジュースを飲む。
自覚。
その言葉を聞いた瞬間、私は頭のどこかで納得した。
なるほど、私は彼への好意を自覚したのか…。
ああ、そうか。私は――
彼が、好きなのか。一人の男性として。
「…ねえ -私の好きな人ー 」
名前を呼ぶと、彼はいつものように何?と言ってくれる。
なにかご感想があったらどうぞ。
一応親友くんサイドの短編も掲載予定ですが、もしも評判が良ければ連載になるかもしれません。