二,本物か、偽物か? その1
「今夜復活!恐怖心霊事件ファイル・リターンズ」が放送された翌日木曜朝。
小学六年生の宮澤梨帆は学校へ向かう途中、なんとはなしに前を歩く男の子たちの会話が耳に入ってきた。
「昨日の心霊番組見たか?」
「見た見た。大笑い。なんかさー、あの手の番組って、今どきギャグだよなー」
ケラケラと笑っている。あれは確か五年生の子たちだ、高学年ともなるとみんなませてなんでもふざけて笑いものにしたがる。でも六年生ともなればふざける態度も子どもっぽくて、梨帆は素知らぬ顔ですましてあくまでなんとはなしに彼らの話を聞いていた。
「後半やってたのって、あのマンションだよな?」
男の子たちは道路の向こうを振り返り、梨帆はさりげなく視線を下に向けた。実は梨帆もこれは気になる。昨日は番組を見てびっくりしてしまった。
あの黒いビル、元のマンションは、梨帆たちのすぐご近所に建っているのだ。今振り返ればすぐ望める、と言うより、梨帆はすぐその前を通ってここまで歩いてきたのだ。梨帆は近所も近所、道路を挟んだすぐ隣のブロックに家があるのだ。
「あれいつ撮影したんだ? テレビが来てるんなら見に行きたかったよなあ?」
「夜だぞ? 小学生なんて駄目に決まってんじゃん。きっと秘密にこっそりやったんだぜ?」
梨帆もそう思う。梨帆も、いっしょに見ていたお兄ちゃんもお母さんもびっくりして知らなかったと言っていた。でもテレビの取材自体は梨帆はうんざりするほど見ていた。まだ幼稚園に通っていた頃だった、ビルの周りに何十人もマスコミの取材の人たちが来ていて、梨帆の近所の町内会長さんもテレビカメラを向けられてインタビューを受けていた。
特に小学校に上がろうという時、子どもながらに当時のことを覚えている梨帆は、例えば昨日のような放送も、不謹慎だと思う。
でも……
「あの銀髪のねえちゃん、イケてたよなあ?」
「沙希リンよりかわいかったんじゃね?」
確かに。あのビジュアルにはびっくりだった。
「でもあからさまにインチキ臭かったよな? 絶対子どもの頃から児童劇団なんかで芝居やってた子役俳優だよな? 思いっきりくだらなく外しといて決めるとこビシッと決めるなんてさ、演出通りだよな?」
まったく、最近の子どもたちはうがった見方ばかりしたがる。梨帆も内心苦笑しながら、やっぱりそうなのかな?…と思った。
あの姫倉美紅というハーフ?のお姉さんは、やっぱりただのタレントなのだろうか?
だったらちょっと、がっかりだ。タレントならタレントで、もっと普通の売り出し方をすれば、あれだけ綺麗なんだからファンになったかも知れないのに。
「案外沙希リンが卒業した後にダブルトライアングルに新加入!なんてことになるんじゃねえか?」
「あー、ありえそー。元々ダブルトライアングルって露出で売ってるキワモノユニットだもんなー」
まったく最近のガキどもは……。梨帆は別にダブルトライアングルなんて好きでもなく、AKV−FEが好きだ。ダブルトライアングルのファンはお兄ちゃんだ。特に樺山沙希の大ファンで、昨日も熱心に沙希ちゃんチェックしていた。
「今どきふつうに歌が上手くてもメジャーになんかなれねえもんなー。やっぱ話題性がないとなー」
「AKVもDTもけっきょくそれだもんなー」
AKVファンの梨帆はムッとした。
「話題になればなんでもありか。今どきのアイドルもたいへんだよなー」
ケラケラと笑う。思わず背中をキックしてやりたくなった。
「ところでさ、あのビルってお化けの噂なんてあんの?」
男の子たちがまたビルを振り返って、梨帆は顔を逸らした。
「いんやー、知らね」
「だよな? 何が『お化けビル』だよなー? ひでえでっち上げ」
ケラケラケラ。
「でもさー、人が自殺したのは本当なんだよな?」
「うん。母ちゃんが大騒ぎだったって言ってた」
「お化けは?」
「さあね? 化けて出てもおかしくない、って噂されたみたいだぜ? それより今って廃墟ブームだろ? それでこっそり入り込む人がいるみたいだってさ」
この子たちは途中で別の道から合流してきたのだろう、梨帆の近所ではそれはみんな知っていて、困ったものだと問題になっている。まあ、みんなもう諦めて放っておくみたいだけれど。
「なあ?」
男の子たちが顔を寄せてコソコソ言いだした。梨帆は思わず前のめりで聞き耳を立ててしまった。
「俺たちも放課後こっそり忍び込んでみないか? でさあ、父ちゃんのデジカメで動画撮って、ネットに公開してやらねえ?」
「お化けはいませんでしたー、ってか? いいぜ、やるか?」
「オッケー。じゃあさ……」
というところで聞き耳立てている梨帆に気づいて相談をやめてしまった。学校はもうすぐそこで、道路を渡らなければならないが、大通りの十字路になっていて、この方向の横断歩道はなく歩道橋を渡らなくてはならない。角を曲がって少し行けばちょっと遠回りになるけれど信号機のある横断歩道があって、歩道橋は狭くて混んでいるので梨帆は角を曲がって横断歩道に向かった。男の子たちはそのまま歩道橋に上っていき、梨帆はちぇっと思いながら見送った。梨帆は歩きながら思う、
あの黒ビルに、本当にお化けはいないのかなあ?……、と。
お化けの噂はない。けれど大人たちは、梨帆のお父さんもお母さんも、絶対にあの中には入るなと、これだけは本当に厳しく言われている。耐震強度の不足した危険なビルだから、というのが理由だけれど……、梨帆には大人たちの言い方が、何だかそれだけではないように思えるのだ。なんだか…、あのビルを怖がっているように……。梨帆自身、近所に住んでいて、こうして毎日学校の行き帰りに前を通っていて、やっぱり、なんだか、ひどく嫌な感じがするのだ。どうしてそう思うのか、上手い説明は出来ないのだけれど………。
放課後テレビで噂の心霊スポットに侵入する五年生男子たちのもくろみは、どうやら先生方に先回りされてしまったようだ。
生徒玄関に入り下駄箱で会ったクラスメートに挨拶していると、校内放送があった。朝のホームルームの時間、臨時の生徒集会を行うので生徒は全員体育館に集合すること、と。
全校集会が始まると、それは昨日のオカルト番組に関する注意で、番組で取り上げられたビルが近所の学校からも見えるビルのことだというのはテレビを見た人は気づいたと思うが、あそこは危険なので、テレビを見て面白そうだと思っても決して入ってはいけません、と校長先生が壇上で話をした。あの男の子たちは顔を見合わせて『ちぇー』と鼻の上にしわを寄せていることだろう。
校長先生の話が終わろうとした時だ、突然一人の六年生の男子がぴんと手を挙げた。校長先生は面食らいながら、
「何か質問ですか?」
と手を挙げた男子に訊いた。その男子は立ち上がり、はっきりした声で言った。
「あのビルに入ると何故危険なんですか?」
言うと元通り床に体育座りし、校長先生は答えた。
「それはあの建物が法律で決められた丈夫さを持っていないためで、壊れて倒れる危険があるためです」
それでいいかな?と校長先生は話の続きをしようと口を開きかけたが、また同じ生徒が手をまっすぐ上に挙げた。校長先生は戸惑った顔をちらっと横に向け、男子の担任の女の先生が慌てた困った様子を見せた。校長先生は仕方ないとため息をつくように
「なんですか?」
と男子生徒の発言を許した。彼は立ち上がり質問した。
「倒れるかも知れないから危険だと言われながら何年も放ったらかしで、建物は倒れることなく立ち続けているじゃないですか?」
彼は今度は立ったまま校長先生の回答を待った。全校集会の、校長先生のお話中の前代未聞の事態に生徒たちはざわめいた。「静かに!」と横に立つ先生が注意した。校長先生は辛抱強く生徒の疑問に答えた。
「倒れる危険があるのは確かですが、いつ倒れるかまでは分かりません。それにそんなにすぐに倒れるようなら大変危険で、あの辺り一帯は立入禁止にして、そこに住んでいる人も家を出ていかなければなりません。そうなったらたいへんですね? 危険ですが、さしあたって緊急性はありませんから、その点は安心していいですよ?」
男子生徒が危険性を心配していると考えた校長先生はそう答えたが、彼の聞きたい答えはそういうことではなかったようで、
「すぐ倒れる危険がないなら、ちょっとくらい入ったって別に危険じゃないんじゃないですか? その証拠に、昨日のテレビだって、テレビの人たちが中に入って撮影していたじゃないですか?」
と重ねて問いただした。校長先生は生徒のしつこさと頑固さに苛立ちを顔に上らせた。校長の苛立ちを感じて苦い顔で男子生徒を睨むようにした教頭は、あっと、思い出したことがあって、慌てて壇上に早足で上がり、校長に何事か耳打ちした。それを聞いて校長も同じ、あっ、という顔をして、すっかり困った顔で立ち続ける男子生徒を見た。その男子生徒の所へは担任の先生が行って、校長先生を困らせないように説得している。彼は悔しそうな顔でじっと校長先生が質問に答えてくれるのを待っている。
校長先生はため息をつき、同情的に男子生徒にうなずいてみせると、
「お話ししますから、君は座ってください」
と呼びかけた。担任の先生にも肩を押さえられて、彼は床に座った。
「あまり生徒の皆さんにはお話ししたくないことですが、確かに、あの建物があそこにある以上皆さんにも知っておいてもらった方がよいのでしょう。
あの建物が今もあそこに立ち続けているのは、いわゆる大人の事情です。
あの建物はあの建物を建てた不動産会社が責任を持って管理しなければならないはずでしたが、その会社が倒産してしまい、管理を続けることが出来なくなったのです。普通ならば倒産した会社の財産は、他に売ったりして、お金に換え、会社が迷惑をかけた人たちに補償金として支払わなければならないのですが、その会社は借金だらけで、補償金に回すお金の余裕が出来なかったのです。それであの危険なビルを解体……取り壊すお金もなく、そこでああしてそのまま建っているのです。危険な建物が建ったままでは、あの土地も買おうという人がいません。危険な物ですから、本当ならいつまでもそのままにはしておけないのですが、例えば県や市が取り壊しを行おうとすれば、それは皆さんのお父さんお母さんの納めた税金を使って行わなければなりません。あれだけ大きなビルを解体するのはとても多額のお金が掛かるのです。そうしたところで元々会社の物であるあの土地は、売って、迷惑をかけた人たちへの補償金にあてなければなりません。取り壊しを行った県や市の物にはなりませんから、多額の税金を無駄に使うことになります。そういう理由で取り壊しに反対する人たちがいるので、その決心をすることが出来ず、何年経ってもあのままになっているというわけです」
ホームルームが終了するチャイムが鳴った。校長は教頭に合図して壁の操作盤でチャイムを止めさせ、生徒たちを見渡すと、言った。
「一時間目の授業に間に合わなくなってしまいましたが、お話を続けましょう。
今言ったようにあの危険な建物が今も建ち続けているのは大人の事情によるものです。わたしもその大人の一人として子どもである生徒の皆さんには申し訳なく思います。
もう一つ、わたしが大切だと思うお話をさせてください。
人の、命の話です。
あの建物を巡って、たいへん悲しいことですが、二人の人が亡くなっています。お二人とも、あの建物の問題で人生を狂わされて、自分で命を絶ったのです。
それはとても悲しいことで、残された家族の方にとってもたいへん辛いことです。人が自分で命を絶とうと思い詰めるまでに、どれだけ辛い思いをしてきたか、考えるとたいへん心が痛みます。
皆さんには命はかけがえのない大切なものであることを理解していただきたい。
命というのは取り返しのつかないものです。
失われてしまったら、二度と戻ってくることはありません。
皆さんも、どうか命の大切さを心に深くとどめてください」
校長先生の真面目な話を、生徒たちも皆まじめな顔で真剣に聞いていた。梨帆もいい校長先生だなあと感心した。
校長先生が少し渋い顔になって続けた。
「そこでなのですが、わたしも昨夜のテレビ番組を見ました」
校長先生が自分から好んでああいう番組を見るとは思えないので、きっと校区の建物が取り上げられるという情報を聞かされて驚いてチャンネルを合わせたのだろう。
「皆さんの中には面白く見た人もあるかも知れませんが、あれは、とても悪い番組です。人の不幸を面白可笑しい娯楽の種に使って、迷信的な気持ちをあおってむやみやたらと人を不安にさせる、たいへん心がけの悪い番組です。ああいう番組は、子どもの皆さんには見せたくないとわたしは思います」
大人に見るなと言われると見たくなるのが子どもで、この点梨帆は校長先生にちょっと反発を感じた。梨帆も番組にはあんまり感心しなかったのだけれど。
「命というのは失われてしまったら、命そのものは取り返しがつかないのです。
幽霊というのは迷信です。幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉があります。幽霊だと思って怖がったら、よくよく見てみれば枯れたすすきの穂だったということで、臆病な心だとなんでもない事を疑ってしまうということを言った言葉です。つまり幽霊とは、電気の灯りなどなかった昔の人が今よりずっと暗い夜を恐れるあまりの気の迷いであったり、そういう気持ちを元にしたお芝居の作り事であったりしたのです。それを現代の心がけの悪い人たちが人を騙して面白がるために本当のことだと言って話をでっち上げたり、最近のコンピューターの技術を悪用してあたかも本物らしい映像を作り上げたりしているのです。ああいった物は全部作り物の嘘です。
皆さんはそういう嘘に騙されない賢い目を育てなければなりません。世の中にはそういう嘘を利用して人の不安につけ込んで、人を騙して、お金儲けしようという悪い人たちがたくさんいるのです。そういう人たちに利用される嘘を許してはいけません。
テレビというのは正しいことばかり放送しているとは限りません。テレビもお金を出してくれるスポンサーがいて番組を作って放送することが出来るので、番組を作る人は出来るだけ多くの人に見てもらってスポンサーに喜んでもらわなくてはなりません。そのために時として大人の良識を欠いた、昨日の番組のように、人の好奇心をあおってたくさんの人が見ればそれでいいといった悪い番組を作って放送してしまうこともあるのです。そういう悪い番組は積極的に見ないようにすることです。そうすればスポンサーはテレビ局にちゃんとした正しい番組を作るよう注文するようになります。
ですから皆さん。
昨日の番組のことを話題にするのはこれきりにしましょう。ああいう心がけの悪い物は無視して、相手にしないことです。それがああいう悪い物を作る人たちは一番困るのです。
ああした心ない面白可笑しいおふざけによって、とても心を傷つけられ、苦しんだり、悲しんだりしなければならない人たちがいるのです。
そうしたことを許す社会であってはなりません。
わたしたちも社会の一員として、そうした悪い物を許してはなりません。悪い物を作る人たちといっしょになって面白がったりしてはいけません。
皆さんの善い心に期待します」
ようやく校長先生の話が終わったが、一時間目の授業はこれですっかり潰れてしまった。
梨帆がそっと振り向くと生徒たちの列の中に挙手して発言した男子生徒の顔が見えた。彼は恐い顔でじいっと校長先生の話に聞き入っている。その内容に納得しているのかどうか、梨帆には分からなかった。隣のクラスで、これまで一度も同じクラスになったことはなかったが、幼稚園がいっしょだったので知っている。
彼の名は岡本健太。
マンションから飛び降り自殺した人の息子さんだ。




