十一,魔界 その1
十八階まで上がったところでゲスト、スタッフたちは階段に腰掛けたり、回廊に出て下の様子を窺ったりして留まっていた。
後ろ向きのカメラマンと、御堂と、その後ろに離れてしょんぼりした天衣が上がってきた。鹿尻が訊いた。
「樺山さんは?……」
天衣はハッとしたように痛ましい顔を上げ、
「さあ?」
御堂は肩をそびやかしつつ回廊まで出て、恐れるスタッフが散っていくのを無視して下を覗き見た。
「ふん…、霊媒の量はこんなものね。皆さんどうぞご安心を。あれはこれ以上は上がってきません」
御堂の言葉を安全宣言と受け取っていいものだろうか、一同は疲れた顔を見合わせた。
「どうしました? こんな暗いところで固まっていないで、上の快適な…黄金の間で休んだら?」
「あれ……」
スタッフが恐る恐る上を指さした。見ると、天井を五つばかり燃える火の玉がお互い追いかけっこするように飛び交い、ガランガランと神社の鈴みたいな音を立てていた。
「ああ、金にたかるハエども」
御堂が腕を一振りすると、火の玉たちはボッと燃え上がって、火の粉を散らして消えた。皆は驚き恐れて御堂をまじまじ見た。モッチーが。
「あんたはんも霊能力があるんでっか?」
「まあね。紅倉美姫ほどではないけれどね」
「さっきから言うてはるその紅倉言うんは、どなたでっか?」
御堂はギロリと赤い目を光らせ。
「真に史上最強の霊能力者よ。…死んじゃったけれどね。さ、行くわよ」
御堂は階段を上がっていった。皆もブルッと夜の寒さに腕を振るわせてぞろぞろ後に従って上り始めた。
その中で渡井は座り込んだまま動こうとしなかった。モッチーが訊いた。
「渡井はん。どないしなはりました? さ、行きまひょ?」
誘ったが、渡井は太い首を振った。
「僕は残るよ。ひょっとすると沙希ちゃんが戻ってくるかも知れないからね。置いていくのは、かわいそうだ」
「好きにさせておきなさい。本当に呼んじゃっても知らないけどね」
御堂の突き放す嫌味な声が降ってきて、渡井は忌々しい視線を上げた。
「モッちゃん。君は行きなさい。あの女の正体を最後まで見極めたまえ」
「そうでっか……。それじゃあ、また」
モッチーはお辞儀して上へ向かった。
「うん……。またね……」
静かにうなずいた渡井は視線を落としたが、まだそこに留まっているカメラマンに気づいて顔を向けた。十三階にいて、御堂を撮しながら上がってきたカメラマンだ。照明がいなくなってしまったので備え付けのライトを灯して撮影している。そのプロ根性に思わず笑みをこぼし、渡井は彼に言った。
「こんなオヤジ撮っても面白くねえだろう? 上に行ったらどうだ?」
「上には別のカメラもいるはずですからね、俺はここで撮ります」
「こんな放送できないビデオを撮り続けても意味無いだろう? 逃げたらどうだい?」
「仕事にならないなら俺の趣味です。こんな面白い物を撮れるなら、本望ってやつですよ」
「君も根っからの好き者だなあ?」
渡井は嬉しそうに笑った。手をキャッチボールするみたいに打ち合わせ、辺りを見渡した。おんおん言う読経の声を聞き、あちこちのきしみ音を聞き、退屈そうに口をへの字にしていると。ぎょろ目を動かし、カメラに向かってしーっと太い指を立てた。聞き耳を立て。
「わたらい…………さあ………あ…………んん……………」
か細い女の子の声が聞こえ、渡井は腰を浮かせた。
「沙希ちゃん……」
本当に沙希が戻ってきたのか? 渡井は腰掛けていた階段から下り、カメラマンといっしょに下の階段を覗いた。
ひたり、ひたり、と、水っぽい足音が上ってきた。すぐ下まで上がってきた気配に、
「沙希ちゃん?」
呼びかけて待つと、ひたり、ひたり、上ってきて、手すり同士の重なる三角の切れ間に姿を現し、踊り場をこちらに曲がった。渡井は目を見開き、口をあんぐり開け、カメラマンはギョッとしながら思わずカメラを押さえる手に力が入って揺らしてしまった。
樺山沙希だった。顔と手とミニスカートの下の生脚の、白い肌が膿んだように濡れ、青黒い血管が網目に走り回っていた。目は、虹彩が無いほど色が落ち、細い瞳孔だけが獣じみて開いていた。
「渡井さん……、寒いよお……、こっちに来て、温めて……」
手を中途半端に持ち上げて、ひたり、ひたり、底の濡れたスニーカーで上ってくる。
「沙希ちゃん………」
渡井は若い女の子の哀れな姿に眉を寄せ、抱きしめてやろうと足を踏み出した。
「わ、渡井さん!」
カメラマンが叫んだ。
沙希の後から、ぞろぞろと真っ白な者たちが上がってきた。その者らは一応服を着ているらしかったが、薄いゴムが肌に張り付くようにして、裾はぼろぼろで、ぬるぬるした肌にどす黒い血管が這い回っていた。こちらを向いた顔も、沙希をもっとすごくして、ガイコツに青黒い血管がへばりついているような感じだった。
「渡井さん……」
沙希が腕を差しのばすと、階段を占拠する後ろの白い一団も腕を伸ばして同じポーズを取った。
「渡井さん……」
目の白い青い血管だらけの沙希が嬉しそうに笑い、
…………………
ぎゃあああああーーっ、うわああああーーっ、と、
男二人の悲鳴が響き渡った。
二十三階の廊下にいた御堂は
「あら、再会できたみたいね?」
と残酷に笑った。
「さあ、明るい部屋へどうぞ」
ドアを開けると、中に設置した照明が漏れ、入っていくと、八人ほどのスタッフが隅に固まっていた。恐怖に張りつめた顔をした彼らは、御堂の赤い目に見られ、ひいっと震え上がった。
御堂は部屋を見渡し、
「気の利かない。座れる柔らかい物は何もないのね?」
と文句を言った。後に続いてぞろぞろ入ってきた者たちはそれでもまともな明かりにほっとし、テレビスタッフの仲間たちは無事を喜び合い、ここで固まっていた者たちはついさっきまで部屋を火の玉が飛び交っていたことを報告し、下はどうなんだ?と質問した。火の玉と聞いた朝日奈博士が、撮影したのか?見せろ、と命令し、モニターで確かに火の玉が飛び交っている様子を確認し、ううむと汗を流しながらうなった。
はああーー……、と、一応皆人心地つけた。下からは相変わらず読経の合唱と神経を怯えさせるきしみ音が聞こえていて、すっかり怠惰なあきらめの気持ちになってしまっているが。
御堂は仏像群の前に立って腕を組み、頂上の大日如来を見て言った。
「最後の仕上げにこいつを神の頭に載せるか。がらくたの大日如来とは、俗悪まみれの殺生の神にふさわしいか」
鹿尻が訊いた。
「あんたは、魂の存在を知っていて、それで尚人を殺すのか? 死んでから、地獄に落ちるのが怖くはないのか?」
御堂は鹿尻を横目に睨んで答えた。
「わたしの行く天国は決まっている。紅倉美姫と言う名の天国だ。わたしは彼女の魂に吸収され、一体となる。それを、必ず実現してみせる」
鹿尻は困惑して訊いた。
「それで……姫倉美紅を殺したのか? あんたは……生きている命を軽んじている。それは死ねば救われると思っている自殺者の思い違いと同じだ」
「偉そうな説教を」
御堂は不敵に笑った。
「わたしレベルの霊能力者は生前より魂のあり方に沿った生き方をしている。この世に生きることも死後の魂のあるべき姿を定めるための修行。おまえたち凡人とは生きることの意味が違うのよ」
読経の声が高くなってきた。どうやら三種のパートに分かれて掛け合いをしているようだ。それがユニゾンし、また分かれ、再びより強く重なり合い、太い綱を結うように朗々と歌われている。それは勝利の凱歌にも聞こえた。
「そろそろ仕上がるか」
御堂はほくそ笑み、右手を大日如来に向けて開いた。
「自分を偽るのをやめ、目覚めよ、俗物の権化」
んんんんんんん……、と大日如来がうなり、黄金の顔が眉をゆがめ、額にしわを寄せ、口の端を引き下げ、頬とあごを力ませた。
黄金の顔の生々しい変化に一同はああっと驚き、カメラは慌てて撮影した。
「んんんんんん……、むむむむむむむ……」
黄金の顔は苦悶し、何かを吐き出したくて堪らないような様子を見せた。
「そうだ! 貯め込んだ物を、吐き出してしまえ!」
「んげろっ」
黄金の顔が口を開き、真っ黒な墨を吐き出した。噴水のように吐き出し、下の黄金の愛人たちを黒く汚していく。
「ははははは」
御堂は滝となって床にまで流れ落ちる墨を避け、満足そうに高笑いした。
「吐き出せ吐き出せ。そうして再び俗世を支配する恐怖の大王となるがいい。ははははは」
黄金の大日如来、いや、玉石大昭社長は、泣き顔で墨を吐き出し続けた。それはいったいなんなのか? 社長が抱き続けた世間への、人間への、不満なのか、蔑みなのか。いずれにせよ、彼の中にはどす黒い毒の感情がたっぷり詰まっていたようだ。
「ははははははは」
御堂の高笑いが響く中、仏像群に変化が起きた。
社長の吐き出す墨が底をついたのか、止まった。
吐き出す墨を浴び、また激しく弾かれたそれを受けて、黄金の女仏たちもことごとく黒く汚れていたが、中でも社長の真下にいた、一番のお気に入りだったかも知れない若くてかわいらしい彼女は頭からもろに浴びせられ真っ黒になっていた。その彼女の全身から白い蒸気が上がり、黒い墨が、やがて真っ赤に灼熱し、内部から光を発し、表面がどろどろと溶けだし、「ボンッ」と爆発して飛び散った。
「うわっ」
「ぎゃあっ」
部屋に熱い蒸気が満ち、むっとする墨の臭いが充満した。真っ白になった部屋は温度が一気に十度上がり、サウナの熱さになった。温度は更に上昇し、白い霧は透明になり、体の冷めていた人間たちは再び汗を噴きだした。
今度はいったい何が起こったというのか? 爆発の跡を見ようと思った一同は、強烈な色彩にギョッと度肝を抜かれた。
須弥壇の中央に、真っ赤な、半裸形の女が立っていた。
諸肌脱ぎの左の肩と右の太ももをあらわにした、装飾的な薄衣をまとい、衣も肌も高く逆立つ髪の毛も瞳さえも真っ赤な、若い女。
それは、赤い姫倉美紅であった。
姫倉そっくりだったが、色のせいか目鼻立ちがきつく感じられ、特に目つきがひどく恐ろしげだった。
御堂美久は大きく目を見開き彼女を見つめていた。
「姫倉……先生………」
呟くと、
「あはははははははは」
嬉しそうに大笑いした。
「そうだ、わたしはこれを待っていた! この閉じた空間で肉体を滅ぼせば、先生の魂が姿を現すと、わたしは期待していた! 見よ! これが、姫倉美紅の魂、紅倉美姫の真の姿よ! ああ、美しい! 先生の魂は明王を招来し、体現されている! これが、史上最強の霊能力者、紅倉美姫の、真のお姿よ!」
興奮してしゃべり立てる御堂を、赤い明王は御堂と同じ赤い瞳でジロリと睨んだ。一流ファッションモデルの完璧な立ち姿で、これも黄金の女仏と同じリアルなマネキンかと疑われていたのが、口を開いた。
「紅倉美姫だと? その女は死んだと教えてやったはず。せっかく新しい肉体に生まれ変わりこの世を楽しもうと思ったのに、余計なことをして」
「何をおっしゃいます、先生? 先生ともあろう方が、この世の俗な生き方をやり直す必要などないではありませんか? ああ、お会いできて嬉しいです! 今度こそ、どうぞ、わたしを身もとにお招きください!」
体を捧げるように両手を差し出す御堂を、明王は冷めた目で見下ろした。
「かわいそうに。紅倉を失ったショックからまだ立ち直れずにいたのね。かわいそうだけど……、却下」
「は?」
御堂は首を傾げた。明王は姫倉美紅そっくりの女子高生口調で言った。
「あんたは却下。死んで出直しなさい? というわけで、死ね」
赤い目が光り、
「うわっ」
御堂の目も光り、その光は増していき、ぶすぶすと白い煙を上げた。
「ぎゃああああっ」
ついに悲鳴を上げ、堪らず目を覆う両手の中からますます激しく煙を噴きだした。痛みにあっちこっちによろけまくり、
「うわあああ…………」
両手を外すと、目のあった場所は両方溶けたゴムを塗りたくったみたいに赤黒く潰れていた。
「先生………、愛して…………」
御堂は服からも口からも白い煙を噴いて、どっと倒れ、動かなかった。
「ひ、ひ、ひいいいい………」
一同は暴れる御堂を避けて壁際に張り付いていたが、明王に睨まれてまた震え上がった。
明王は、口を開いた苦悶の顔のまま固まった偽大日如来を向いた。
「哀れな男。おまえが生前それほど財と富を求めたのは何故か? 豊かさが欲しかったからだろう? それほど欲した豊かさが、富によって得られたか? おまえは自分の人生の解釈を誤った。おまえの求める豊かさは、見方を変えればいくらでも与えられたのだ。生前おまえの財力を、どれほどの人間が頼った? おまえはそれを全て金に群がる蟻のように見下していたが、彼らの心もおまえと同じだ。幸せになりたいと願うのが人間で、しかし人間とは己の心を素直には表さないものだ。それはおまえも十分知っているだろう? 見よ、おまえの足下を。死した今さえも、数百の救われぬ魂どもが、おまえを頼って集まっているのだ。おまえにはそれだけの力がある。己の見方を変えよ。心持ちを変えよ。あの者どもを救ってやれ。おまえの真に欲した物がそれで手に入る。自分の天国を作るがいい。おまえにはその力がある。さあ、思うがよい、おまえが真に欲した物は、なんだ?」
黄金の仏が、泣いた。
「……あ……………い……………さ………………れ………………た……………か……………った…………」
「では、愛せよ」
仏が目を閉じ、安心したように笑った。
「行け」
トンと片足でジャンプすると、明王は天井に至り、バババババンッ!と床に四角く亀裂が走り、バンッ!と派手にコンクリート片を弾き飛ばしたかと思うと、ゴリッと床が動いて、仏像たちの乗った須弥壇が丸ごと、床下へ落下した。
「ああっ!」
目の前で吸い込まれるように消えていく巨大な黄金の造形物に一同は思わず感嘆の声を上げ、意識を吸い取られるような間の後、遙か下の方からドッカーンと物の破壊される音が響いてきた。
宙に浮いていた明王が、ストンと御堂の隣に降り立った。膝を折り、腕を伸ばして髪を撫でてやると、
「罰だ。しばらく地獄で苦しめ。時が来たら、望み通り、わたしが迎えに行ってやる」
と優しく語りかけた。スッと立ち上がり、一同を睨むように見渡し、言った。




