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十,霊界 その3

 彼らが慌てて階段を駆け下っている間に「ガラ!ガラ!ガラ!・」と更にすさまじい天井が割れて崩落するような大音響が降ってきて、その中で自分の悲鳴も聞こえないように必死に急いだ。

 先頭をぶっちぎって駆け下ってきた樺山沙希は十四階から十三階に下りる踊り場を曲がって、手すりにすがりつくように急ブレーキを掛けてバタバタ二段ほど足が下りてしまったのを腰を浮かせながら慌てて引き上げた。後続の天衣、鹿尻、モッチーも、踊り場を曲がったところで下を眺めて立ち止まった。渡井とカメラクルーと、遅れてヒイヒイ言いながら博士が前の詰まった踊り場に下りられずに

「どうした? 何してる?」

 と文句を言ったが、前が動くことはなかった。

「どけ」

 スタッフたちをかき分け前に出た博士は思わず、

「むっ」

 とうなった。白い煙が膝の高さまで充満していた。その中に姫倉と御堂が立ち、撮影していたスタッフたちは危なっかしく手すりの上に跨ったり、うつぶせにしがみついて必死の形相になっていた。

 向こうを向く姫倉の足下で、白い煙の中から、白い腕が三十本も伸びて、姫倉にすがりつこうと、ゆらゆら揺れて、指が空を掻いていた。

 思わずゴクリとつばを飲み込んだ博士は、

「悪ふざけもたいがいに…」

 と意を決して階段を下りていき白いスモークの中に足を踏み入れようとしたが、バチッと電流が走り、

「いてっ!」

 とびっくりして慌てて飛び上がった。

「こらっ! 姫倉美紅! もういい加減にしなさい! こんな馬鹿なことが本当にあるわけないんだ!」

 吹き抜けをすぐ手すりの向こうまで迫っている雲海の中心をまた

「バリイッ」

 と白熱する太い電流が走り、博士は思わず後ろへ飛ばされるようにひっくり返り、腰を打った。目が眩み、瞼を瞬かせてもしばらくまともに物が見えなかった。

 手すりにまたがったカメラマンはまだ頑張ってカメラを構え、照明も震える手でライトを差し上げ姫倉を照らし出していた。背景はもはや不穏な闇が降り、雲海の内部で雷の予兆のように青い光が不気味に明滅していた。

 姫倉がこちらを向いた。

「どうしました? 上へ行けと言ったでしょう?」

 沙希が泣きながらなじった。

「駄目ですう! 上も火の玉が転がって、ものすごい音がして、怖くて行けませんっ!!」

「そうですか」

 姫倉は静かに答え、悲愴に悩み諦めたような目で一同を一人一人見渡すと、言った。

「この中で、わたしを殺す者があります」

 皆ギョッとしたが、その言葉の真実性を理解しなかった。

「どけ」

 御堂が足下の白い腕を蹴散らし、

「先生」

 と、背後を守るように両肩に手を置くと姫倉を階段の方へ向かわせた。

「美久さん」

「なんです?」

「なんでですか?」

「そうですね」

 姫倉はまだスモークの中で立ち止まり、それに従って御堂も立ち止まった。

「あなたが紅倉美姫ではないからです」

 御堂がスーツの内ポケットから黒い大型の握りを取り出し、カチッと、鋭い肉厚のナイフを飛び出させた。後ろから姫倉の胸に腕を回して抱き寄せ、その白い喉に刃を当てた。姫倉は騒がず、諦めたような顔で訊いた。

「最初からそういうことになっていたんですか?」

「少し前まで迷っていました。今、決心しました」

「なんで、わたしを殺すの?」

「わたしの愛した紅倉美姫はあなたのような軽率でミーハーで安っぽいコギャルなんかじゃなかった。失望したわ」

「あらまあ。それはごめんなさい」

「紅倉美姫は、この程度のピンチに負ける弱い霊能力者ではなかった。あなたは、紅倉美姫の生まれ変わりには失格だ」

「失格かあ……。それなりに頑張ったんだけどなあ。あなたに言われたんじゃしょうがないか。それで? 連中と組むことにしたの?」

「上からの命令です。わたしは元々彼らのために働いていますから、紅倉美姫の頃からね」

 姫倉はため息をついた。視線を上げ。

「ごめんなさいね、皆さん。こんなつもりじゃなかったんですけれど、どうやらわたしは調子に乗って失敗してしまったようです。皆さんの幸運をお祈りします」

 御堂が姫倉の銀髪をあごでかき分けて口を耳に当て、

「さようなら。また生まれ変わることがあったら、また喜んで秘書をお引き受けしますよ? ただし、採点は厳しいですがね」

 御堂の右手が横に引かれ、ぱっくり開いた姫倉の喉から真っ赤な鮮血がほとばしった。姫倉は口からもゲボッと吐き出し、苦しそうにブクブク泡を吹き、白目を剥いて瞼を痙攣させ、肩と全身をガクガク痙攣させ、御堂は姫倉の最後の生を味わうようにぎゅうっと抱きしめた。

「さようなら、姫倉美紅。それなりに、愛してましたよ」

 痙攣の収まっていく血に汚れた頬に口づけし、完全に震えが止まると、後ろを向き、物欲しげにさわさわ揺れている白い腕の群に、ゴロンと、姫倉の体を転がしてやった。腕たちは一斉に群がり、姫倉の体と共にスモークの中に消えた。瞬間、


「んーだあだあ、んーだあ、んーだあだあ、んーだあ」


 男たちの合唱する激しい読経の声が大音量で響き渡り、ゴゴゴゴゴゴゴ、と重低音に建物が震えた。青い光の明滅は激しさを増し、あちこちからビシイイッ、ビシイイッ、というコンクリートの亀裂する音が聞こえた。

「ひ、ひ、ひ、人殺しーーっ!!!」

 沙希の叫ぶ声に皆はハッと御堂に注目し直した。御堂は彼らを見ると、サングラスを取った。

「ひい……」

 皆息をのんだ。

 御堂の瞳は真っ赤だった。

「どういうことか、聞きたい? 姫倉美紅の依頼主はここの元住人たち。彼らは無い住居のローンを抱えて困っていた。そこで姫倉がここで幽霊騒動を起こし、行政にビルの解体工事をさせ、土地を売った金で元住人たちに補償金を支払わせ、その一割を姫倉がギャラとして受け取る約束になっていた。

 ところがシナリオが変わった。ま、ここが墓地からマンションに変わったように?、シナリオライターが姫倉から、公安に、変わった。公安は以前使っていた心霊的暗殺集団『高野山土鬼衆』の復活を欲していた。高野山土鬼衆はかつて日本政府にクーデターをもくろみ、紅倉美姫に壊滅させられた。その戦いで紅倉も重傷を負い、死んだ。土鬼衆の本体は壊滅したが、その予備軍となる陰陽師たちは高野山で修行を続けていた。公安は土鬼衆を再編したが、彼らは姫倉美紅の存在を知り、それが死んだはずの紅倉美姫の生き返りと知り、彼女に滅ぼされた身内の恨みと、自分たちが再び彼女に潰されるのではないかという疑いを持った。そこで自分たちを欲する公安に対し、自分たちか、姫倉美紅か、どちらか一方の二者択一を迫った。公安は、使い勝手のよい土鬼衆を選び、姫倉を排除することを決定した。しかし姫倉は強い。正面から当たって勝てる相手ではない。そこでこのタイミングを待って罠を張り、スパイであるわたしに隙をついて姫倉を殺すよう命令が下った。わたしにはそれが可能か自信がなかったが、出来てしまった。わたし程度にやられるようでは、これは本当に紅倉美姫の甦りとしては失格だ。…本当に、クローンなんかにオリジナルの能力を期待するのは間違いだったわね。残念だわ。

 このビルだけど、姫倉の言っていた爆破解体は中止。ここはこのまま残し、関東一帯を網羅する霊的レーダー基地として使用することになっているわ。今、外で土鬼衆がその儀式を行っている。怨霊を活性化し、一つのキャラクターにまとめ上げ、神とし、この社に定着させる。神とは霊的な力のこと。古来より日本ではこうして八百万の神を作り上げ、祭ってきたのよ。それによってこのビルは守られ、倒壊の危険もなくなるから、どうぞご安心を。…………何か質問は?」

 よどみなく姫倉並の弁舌に、一同は気を飲まれ、思考を奪われていたが、沙希がパニックに陥りながら叫んだ。

「わたしたちは!? …わたしたちはどうする気よお? そんなことべらべら教えてくれて、わたしたちは!、どうなるのよ!?」

 御堂は赤い瞳で冷酷に笑った。

「さあ? どうなるかしら? あんまり有名人にまとまって死んでもらうのも困るでしょうから、生き残った人は……助けてもらえるんじゃないかしら? 保証は出来ないけれど。もちろんここで見聞きしたことは決して口外しないという確かな約束をしてもらった上で、彼らのシナリオに協力するということで、ギャラも出るかもね? どうぞ、上でも、下でも、生き残りのチャンスの大きいと思う方に逃げてください?」

 この女の言っていることは本当なのか? あまりに非現実的な内容だが、この状況下ではそれを断固否定する勇気のある者はいなかった。いや…

 手すりの上を這ってにじり寄ってきた若いADが、そうっと半腰になると、背後から御堂に飛びかかった。

「ハッ」

 御堂はその場でジャンプすると、体をひねり、見事、大柄の男性の腹を回転する足裏に捉え、大きく蹴り返した。

「うわっ、ぎゃあっ」

 男性ADの体は回転しながら手すりの向こうへ落下した。ヒイッと一同は戦慄した。

「くそおっ!」

 照明スタッフがスモークの床に降り、ライトを振りかざして御堂に襲いかかった。付いたままの光線が乱舞し、振り下ろされるライトを難なく横に避けた御堂は、ドンと胸を突き、よろめいた男性の横を通り抜けざま、腰と胸に手を当て、くるんと体を旋回させ、器用に手すりの上に立たせた。

「うわ、うわ、わああ、」

 ライトを放り出し、両手を振って必死に直角の足場でバランスを取る男性の胸へ御堂は

「ほら、仕事道具」

 スモークの中からライトを拾い上げ、ドンと胸に押しつけた。男性は反射的にライトを抱き、

「うわ、ぎゃあああああ………」

 後ろへバランスを崩した男性は、自ら手すりの縁を蹴るようにして、大きく悲鳴を伸ばして、ライトの明かりと共に雲海の中へ落下していった。

 ここは呪われた十三階。地面まで四十二メートルの高さがある。落ちた二人は無惨に潰れるしかないだろう。

「他に今すぐ楽になりたい人はいる?」

 恐慌が起こった。殺人狂だ! 残りのカメラマンと音声スタッフは手すりから降り、バチッ、バチッ、と脚を伝い上がる青い火花に悲鳴を上げながら階段に逃げ上がり、ゲストとスタッフたちも、

「うわああああっ」

 と悲鳴を上げて上へ逃げた。

「上、ね。まあ正解」

 どけ、とまつわりつこうとする白い腕を蹴散らし、御堂も階段へ向かってきた。

「あら?」

 そこに一人、腰が抜けたように座り込み、ガタガタ震えている者がいた。

 樺山沙希だった。

 かわいい顔が、涙でマスカラも流れて、すっかり汚れてしまっている。

「沙希ちゃん、沙希ちゃん! 逃げるのよ!」

 やってきた御堂に怯えながら天衣が沙希の腕を掴んで立たせようと頑張った。沙希はすっかり力が抜けきり、くたっと、その場から動こうとしなかった。

「沙希ちゃん!」

 御堂が階段を上がってきた。それを見て、天衣は沙希を諦め、上へ逃げた。天衣が駆け上がっていく階段では、カメラマンが手すりの陰からこっそり下を撮影していた。

 御堂が沙希を見下ろし、訊いた。

「逃げないの?沙希ちゃん?」

 ニッコリ微笑む顔を見上げ、沙希は恐怖と憎悪に顔を歪めた。

「人殺し……」

「だから?」

「うう………」

 沙希は子どもが悔し泣きするような顔になり、

「わあああああああっ」

 階段から飛び出すように下へ向かって駆け下りた。

 やはり放っておけず意を決して舞い戻ってきた天衣が

「沙希ちゃん!」

 驚いて呼びかけたが、

「わああああああああ………」

 既に遅く、沙希のわめき声と靴音はそのまま下へ駆け下りていった。

「あーあ、もったいない。外れ」

 御堂が非情に唇を笑わせ、

 きゃあああああっ、ぎゃああああっ、

 と、沙希の悲鳴が悲痛に響き渡った。

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