十,霊界 その1
三津木プロデューサーは中継車の調整室でカメラの映像と音声で姫倉の演説を聞いていた。
まったく大した女だと思う。中身がどうあれ十七歳の女子高生だ……実は学校には通っていないのだが。彼女が戸籍上どうなっているのか、そもそも戸籍が存在するのか、疑問だ。
さあ、どこまでやってくれる? 期待しつつ眺めていると、バアンとドアが開き、驚いたことに藤森プロデューサーが顔を見せた。
「なんだ藤森。君は来ないんじゃなかったか?」
スタジオ収録が藤森の担当、ロケ収録が三津木の担当で、藤森はこちらには来ないはずだったが?
藤森は眉をひそめた妙に申し訳ないような顔をして言った。
「三津木さん。ここからは僕が指揮しますんで、三津木さんは下がって見学しててください」
乗り込んでくる藤森に、
「おいおい、どういうことだ? なんのつもりだよ?」
その勝手な言いぐさに怒りを表すと、藤森の後から黒服サングラスの厳つい男が乗り込んできてギョッとした。
「だ、誰だ?」
明らかに普通人とは違う威圧的な雰囲気に気圧されながら訊くと、藤森は申し訳なさそうに言った。
「抵抗しないでください? けがしますよ? 番組のスポンサーが変わったんですよ。番組の趣旨が変わりましてね、やっぱり三津木さんじゃ拙いから僕に指揮しろと。ま、悪く思わないでください? 三津木さんだって、命は惜しいでしょ?」
「命だと? いったい何をしでかすつもりだ?」
訓練された武術的強さを醸し出す黒服の男にただならぬものを感じながら尋ねた。
「まあ見ていてくださいよ。あなたも、大いに興味を刺激されるはずだ」
藤森は三津木にバックするよう求め、自分が三津木のポジションについた。
「俺も興奮してきたぜ。さあ、いい画を撮らせてくれよ?」
収録が中止されるわけでもないようで、三津木はいったい何が起こるのか見守るしかないようだった。
大和と梨帆の宮澤家にも黒服サングラスの男が訪ねていた。テレビ局から帰宅し、両親の許可がもらえたらロケの見学に来ていいと言われていた兄妹だったが、この日も父親は遅く、母親に「駄目!」と言われてふてくされていた。黒服はDKBマンションに関連して危険が及ぶ事態が発生する恐れがあるのでこの地域からの退去に協力していただきたいと、書類を示し、同意とサインを求めた。父親はまだ帰ってきておらず、対応した母親は男の威圧的な雰囲気に圧されて、言われるままサインし、ただちに数百メートル離れたホテルへの移動を促された。兄と妹は突然の事態に顔を見合わせ、いったい何が始まるのだろう?と、ちょっぴりワクワクした。
三人が取る物取りあえず表に出ると、他の黒服たちに促されたご近所さんたちも出てきて、いったい何事が起こるのだろうと不安そうに黒ビルを見上げた。最上階の窓から動く明かりが漏れて見えた。住民たちは更に不安になり、急いでくださいと促され、ぞろぞろ黒ビルを背に歩き出した。
表通りに出ると、彼らは得体の知れない集団を見てギョッとした。
黒い、柔道着のような筒服を着た坊主頭の男たちが、十人ほど、念珠を巻いた手を、指を複雑に絡め合った形に合わせ、低い声で外国語のような言葉を唱えながらこちらへ向かって歩いてきた。すれ違うとき、住民たちは彼らの冷たい張りつめた雰囲気と、嗅いだことのない香の臭いに思わず端に寄って道を空けた。
こちらの住民は知らなかったが、黒い坊主の集団は、四方八方から通りを集まってきて、やがて道路を挟んだ歩道に整列してビルを取り囲むと、その数およそ八十人、印を結び、声を低く揃え、密教の真言を唱えるのだった。その詠唱は黒ビルの外壁を這い登り、黒の中へ、染み込んでいくようだった。詠唱は聴く者の感覚を捉え、頭をグラグラと揺するように、延々と続いていく。
「飛び降り自殺した岡田健人の霊が幽霊になれなかった原因がこれです。あれだけはっきりした怨念を抱えていながら、幽霊なんかいない、と圧倒的な説得力で示したのが、他ならぬ自分の自殺の原因を作った当人だったのです。この世のことなど全て物質の作り出した幻。それが壊れた今、何を怒り憎み心惑わす必要がある? おまえは自分からそれを壊したのではないか? ならばその現実を受け入れて、心を無に帰し、安らかになるが良い。まあ…、たかがマンションの一室を失った安いサラリーマンとその高層ビルディングを造った大社長とでは、人間のスケールが違いすぎるわね。天に楯突く岡田さんの霊は、一瞬にして社長の無の思想に感化され、何も思うことのないまま、ここにただ留まる羽目に陥った。
玉石社長は、まあ、大した人物ではあったわけです。
社長本人はまったく無自覚でしたし、今もそうなのですが、形だけは一種の悟りの境地を開いたわけです。この世の有こそ全てであり、それ無くしては何物も存在し得ない。実に科学的な合理主義です。実際は人には魂があり、煩悩からの解脱などそうそう出来るものではないというのが霊能力者たるわたしの見解ですが、玉石社長はここ、この場に、現世の煩悩より解脱した、『無』と言う名の、天国を作ってしまった。しかもその姿は、宇宙を体現した大日如来で、存在感は圧倒的です。
この辺りのさまよえる霊たちが頼って引き寄せられるのも当然でしょう。
わたしはさっき元住人たちの恨みの念によってこの周囲の成仏できない霊たちが集まってきたと暫定的に説明しましたが、本当は違います。彼らはもやもやとしたノイローゼ状態に苦しみ、その不安な悩みから救われたくて、解放してもらいたくて、ここを頼ってきたのです。ここにはカリスマ的な『無になれ、解脱せよ!』と力強く訴える最高仏がおわしますからね。
このブラックボックスの中には、数百の霊魂がひしめいている。彼らは自分を無と思い込んで一応の平穏を手に入れていますが、その無の思想とは、実はゴリゴリの物質主義なのです。しかもそれを説く大日如来が金まみれの美女を侍らせ、さんざんこの世の春を謳歌した因業スケベ爺いで、死した後も物質的満足に浸りきって安定している魂だと知ったら、さすがに己を誤魔化して強い者に従いへつらうのが好きな日本人でも、ふざけんなクソ爺い!、と、切れちゃうんじゃないかしらねえ?」
姫倉はふふふんと、大日如来の玉石社長に語りかけるように見上げた。
「あなたもここにいます。成仏なんかしていません。死んだときの意識のまま無を気取っていますが、ここに居るというのが、あなたの晴れないこの世への未練を如実に物語っています。その未練を断ち、成仏させるのが、ここで起きている異常事態を解消する一番の方法ですが……」
姫倉はふうん…と首を傾げて考えた。
「そうするとあなたに付き従っている霊たちが暴動を起こす危険があるのよね。無心だ、無心だ、とさんざん我慢させられてきて、実はものすごいフラストレーションが溜まりまくってますからね、ちょっとやっかいです。そうですね、」
姫倉はニンマリ笑って言った。
「爆破しちゃいましょう。解体工事なんてまだるっこしいことしてるとちまちました事故を起こされそうですからね。アメリカばりにドッカーン!と、ダイナマイトで一気に崩しちゃいましょう。まあ楽しみ。『形』が『無』になってしまっては、霊たちも成仏するより仕方ないでしょう。
そうね、爆破解体の理由は、実はこのビルが節々にきしみが起きていて、そこから発する微妙な振動が周辺住民と、特に敏感な子どもたちに影響を与えている、という科学的データをでっち上げて行政に金を出させましょう。それをテレビで生中継するということで中央テレビに費用を半分くらい寄付させて。ま、人助けですからね、いいわよね? 嘘も方便」
悪戯っぽく笑い掛けられて朝日奈博士は不愉快そうにフンと鼻を鳴らした。
「じゃあまあ、こんなところで。皆さん、お疲れさまでした。収録は無事終了です。後はディレクターさんにわたしの発言の不適切なところをカットして上手に編集してもらいましょう。さ、帰りましょう」
姫倉が出口を手で示し、ADがどうぞと先導した。姫倉も最後に続こうとして、
「ん? どったの、美久さん?」
と、突っ立っている御堂に訊いた。御堂は出口から外れてじっと仏像群を見つめている。
「やっぱり欲しいんだ? いいわよ、どうせ買い手なんかつきっこない悪趣味な彫刻だから。気に入った物を屋敷に運んでもらいましょう。あー…、それともキャバクラなんかに買い手が現れちゃうかなあ? ま、いいや、弁護士さんに相談と言うことで。行きましょう?」
「はい。ちなみにわたし、金の仏像よりモデル本人が欲しいです」
「あ、なるほど、そういうこと。あなたも好きねえ? じゃあどこのお店か調べてもらって遊びに行きましょう。もっとも、あの彫刻の年齢か分からないわよお?」
「仏像の造られたのはもう十年前ですね。それじゃあ望み薄ですか」
「だいじょうぶ。きっと新しい好みの子が見つかるわよ」
二人でお馬鹿な話をしているのを廊下に出たところで待っている樺山沙希が呆れた顔で聞いていた。




