九,怨霊の箱 その4
二十三階へ上がる階段は回廊から奥の壁際へ入り、裏に隠れるようにしてあるのを途中踊り場から方向を変えずにまっすぐ上がって、「関係者以外立入禁止」のドアがあった。階下に比べて天井が高く、四メートルもありそうだった。
「禁断のドアが、今、開かれます」
カメラに鍵を見せ、鍵穴に差し込み、ガチャンと開錠した。
「開きます」
ノブをひねってドアを開けると、真っ暗な廊下がまっすぐ奥へ伸びていた。
「こっちがコントロール」
左手の壁にある灰色のドアを指さし、
「さあて、この奥には何があるのかなあ?」
廊下を歩いていく。廊下は幅一メートルほど、右手が外壁になって、ガラス窓があり、二十二階の屋根と、その向こうに町の夜景が見下ろせた。生協ビルの向こうに萬願寺と、中大畑小学校も見える。
「ドア発見」
ちょうど中央で姫倉が立ち止まり、左手内側の壁に黒い観音開きの二枚戸を指さした。
「何が出るか、ドキドキするわね?」
今度は金色の、彫刻の施された豪華な鍵を取り出し、金の鍵穴に差し、開錠すると、両手に二つのノブを持ち、ひねり、向こうへ押し開けた。中から思いがけず金色の光があふれ出し、ゲストたちを驚かせた。
「ふふーん。残念でした。実は午前中の内に来て撮影準備をしていました。さ、どうぞ」
金色の光というのは中にセットされた撮影用の照明であったようだ。ゲストたちはもったいぶった姫倉の演出になんだと不満顔をしながら、入り口で腕を差し伸べ中へ誘う姫倉に従いぞろぞろ部屋へ入った。中で待機していたカメラが彼らの入場の表情を撮影している。
「あっ、これは!……」
開かれたドアをくぐったゲストたちは、目に飛び込んできた景色に一様に驚きを表した。
金色の光は、まさしく黄金だった。
そこには豪華な須弥壇があり、頂点に如来が蓮の花に座し、左右に一段下がって明王が守衛のように立ち、更に下に二段に渡って仏が三、五と座り、全体としてピラミッドの一面のように末広がりの雛壇になっている。
如来は光輪の光背を持ち、蓮の花は三段重ね、以下の仏もそれぞれ蓮の花に乗り、雲海に浮かんでいる。部屋の左右にセットされた照明を受け、皆きらびやかな金色に輝いている。
金無垢ではないだろうが、安い金泥などではなく、金箔の量にしても莫大な制作費がかかっているだろう。
中尊寺金色堂にも負けない豪華さだが、この仏堂は、見るからにおかしかった。
仏像は全て等身大に作られている。顔や体つきなど非常に写実的に作り込まれていて、あまりにリアルすぎた。しかも。
ゲストたちはその前に行ってしげしげと見入った。
「なんだこりゃ……」
およそ信心なんてまるで持ち合わせない朝日奈博士が思わず吐き出すように言った。他も皆引きつるように眉をひそめている。後ろに立つ姫倉が言った。
「ま、そういうことです。これっだけ金を掛けて作った物が、他にどうしようもなく、ここに隠されているというのが、よおく分かったでしょう?」
仏像は皆とても写実的でリアルだ。あまりにリアルすぎて、逆に俗っぽく、神仏のありがたみがまるで感じられなかった。仏であるから、肌にぴったり張り付くような薄い衣をまとっているが、頂点の如来以外、皆、若い女だった。それが肌に張り付く薄衣で、ほとんど胸を丸出しで、ご丁寧に乳首の膨らみまで浮き立たせている。左右に侍る明王はアニメのコスプレにしか見えないし、下に座す女仏たちは胸と太ももが眩しいほどむっちり膨らんでいる。
「一番上にいるのは、大日如来です。仏の中の仏、キング・オブ・ブッダですね」
東大寺の巨大仏像=盧舎那仏像でおなじみ、グリグリのこぶが集まったパンチパーマをして、前に持ち上げ開いた右手の中指を心持ち前に折り、左手を股間に置いて軽く上向きに握り、薄衣の胸を大きく腹まではだけている。
これも顔面肉体をリアルに造形されている。縦に長い四角い顔に、下唇が分厚く、下瞼の膨らんだ細く垂れた目をして、露出した太鼓腹に深くしわが寄っている。お世辞にもありがたくも美しくもない、六十代ほどの脂ぎった男だ。
「向かって左が剣を持って蛇…龍の代わりなんでしょうね、体に巻き付けているから不動明王、向かって右が虎皮のビキニでラムちゃんのコスプレしてるから愛染明王? なんだかねーって感じよね?」
不動明王はアメコミの女ヒーローみたいに剣を掲げ、愛染明王は腕を組んでビキニの胸を持ち上げて谷間を強調し片脚に体重を掛けたモデル立ちをしている。
「下は菩薩たち。ネックレスとか腕輪とかじゃらじゃらさせて、思いっきりキャバクラのおねーちゃんたちね?」
緊張感も何もなく、にこやかな微笑みを浮かべている。
合計十人の女性仏たちは、皆二十代の美人たちだ。
等身大で滑らかな肌をした彼女たちは、ちょうど昔の007映画の全身金粉美女みたいだ。
ほほほお、とエッチな渡井克也は口をすぼめて喜び、若い女性たちのひんしゅくを買った。
「これはいったいなんの悪趣味だね?」
至って真面目な鹿尻編集長がいささか頬を染めつつ向きになったように困惑し、
「等身大のフィギュアやねえー」
とモッチー兆也が他にどうしようもなく呆れて笑った。
姫倉も悪のりして
「へえー、さすがみんな美人ねえ? あ、この人かわいいー。ほらほら、美久さん、あなたの好きそうなお姉ちゃんがいるわよー?」
と、ずかずか土足で須弥壇に上がり、二段目のセンターに座る若いかわいい顔をした菩薩のプリプリのおっぱいを撫で回して、後ろに立つ女秘書に呼びかけた。ゲストたちがなんなんだ?と振り返ったが、女秘書御堂美久はサングラスに目を隠してツーンとした無表情を保った。姫倉が下りてきて説明する。
「一人だけ男性の大日如来はこれを作らせた不動産開発会社タマイシ社長の玉石大昭氏。他の女性たちは愛人とお気に入りの高級ホステスたちよ。例えばヨーロッパキリスト教圏では金持ちが自分を聖人になぞらえた肖像画を描かせたりしたけれど、仏像で制作依頼者が……まあ無くはなかったかも知れないけれど、ここまであからさまに自分をモデルにさせた例はなかなか無いでしょうね。この仏像群の存在は、さすがに共同経営者の住職さんには秘密で、一般に公開する意志もありませんでした。
こういう物を作らせた玉石氏はよほど信心深い人だったのでしょうか?
そうそう、この仏壇、一つ面白い仕掛けがあってね。わたしたちは今どっちから見てます?」
ゲストが考える間もなく答えを言った。
「北側から見ています。普通仏様は南向きにするものですよねえ? これは北向きになっていますが、ところがこれ、動くんです」
姫倉はイヒヒと面白そうに歯を見せて笑った。上を指さし。
「この屋上の太陽電池パネル。あれ、元々はこの仏壇を常時回転させるための電力として設置されたんです。社長が死んで、あまりに馬鹿馬鹿しいので、さっさと配線を変えちゃって実現しませんでしたけれどね。
どういう風に動いたかと言うと、常に太陽を背にするように動いたのです。普通逆を考えますよね?常にお天道様を望むようにって。社長はそうしなかった。常に自分が太陽を背負うようにした。それも太陽電池で太陽の力を利用して。このべったべたに俗っぽい仏像群と併せて、どういう思想をしていたか、分かりますか?
よっぽど死後の世界の安楽を望んでいたのでしょうか? いいえ。
これは成功者の像なのです。
自分を万物、宇宙そのものである大日如来になぞらえ、愛人とお気に入りの女たちを侍らせ、太陽を光背に、この世は全て自分の物であると、死者たちを足下に、大威張りしているのがこの像なんです。
それこそ神罰仏罰が下って当然の不心得者ですが、彼は、そんな迷信、まったく信じていなかった。
世の中金が全て。金さえあれば広い快適な住居も、美味い食べ物も、年代物の酒も、美しい女も、何でも手に入る。彼はそういう生き方を全生涯をもって実践した人なのです。
よくある話です。戦中戦後に貧しい子ども時代を過ごした彼は、裸一貫事業を興し、死にものぐるいで働いた。何より豊かさを渇望した青年時代でしたが、最初から嫌なごうつく爺の人物だったわけではありません。若い頃には普通に恋をして、幸福な家庭を持つことを望みました。しかし恋した女性は由緒正しき元華族のお嬢様で、家の名誉を鼻に掛ける家族によって自分よりうんと年上の金持ちの商売人に嫁に出されてしまった。彼には貧乏であることが屈辱になり、金持ちにばかりなびく女性たちにも幻滅していった。
彼は更に必死になって働き、ついに人のうらやむ成功者になれたが、その頃にはかなり人間というものに冷めた目を持つようになっていた。彼は結婚して子どももいたが、その子どもたちも金と裕福な持ち物に当たり前のように浸り、父親に対する感謝などなく、むしろ仕事ばかりでつまらない父親を軽蔑さえしていた。
彼は子どもたちも冷めた目で見ていた。何も自分の子どもたちばかりではない、今の世の中の子どもたちはみんなそうではないか? 世の中は豊かになった。自分たち世代が必死に働いたおかげなのに、それをオヤジ臭いなどと馬鹿にして、物欲にまみれ、それを当たり前のように享受している。なんで俺がこんな屑どものために働いてやらねばならない?
子どもたちは成人して難なく系列会社でいいポストについていっぱしの企業人を気取っていましたが、親の七光りで完全に勘違いした大馬鹿たちでした。愛情を掛けずにそういう育て方をした玉石社長のせいでもありますけれどね。そんなとき、八〇年代バブルが弾け、タマイシ株式会社も大損害を被りました。このとき玉石社長は再び嫌と言うほど金に踊らされる人間たちの浅ましさを見せつけられたのです。社長は容赦なく弱者を切り捨てました。無能な子どもたちも他への見せしめのように非情に切り捨てました。死にそうな顔で泣きつかれようが温情のかけらも見せませんでした。子どもたちはそんな父親を憎みました。しかし既に彼は心を決めていたのです、俺はこの世の中で、ただ一人、自分のためにだけ生きてやる、と。彼は金の鬼になり、社員たちは戦慄し死にものぐるいとなり、結果、ライバル会社が軒並み倒産していく中、タマイシは生き残ることが出来ました。
バブル崩壊を経て、むしろ玉石社長はバブル的な生活を楽しむようになりました。愛人たちを囲うようになったのも六十も後半になったこの頃からでした。彼は贅沢な生活を楽しみながら、そろそろ自分の人生の幕引きを考えるようになっていました。この享楽的で、愚かな世界に、どういう面白い別れを言ってやるか?
その答えが、これです」
姫倉は軽蔑と哀れみをたっぷり含んだ皮肉な目で仏像群を見やった。
「この世の理不尽、人の理不尽をたっぷり見てきた彼は、神も仏も、まったく信じていませんでした。金銭合理主義。それが彼の人生哲学です。
彼は自分が一代で築いた富を、自分一人で使い切ることを目指した。会社が不景気で赤字経営に陥ろうが、むしろおあつらえ向きだった。彼は人生の置きみやげに、死後も自分が死者たちの天井で君臨するこの巨大な墓を作った。この仏壇は彼が自分で作った自分の墓です。もちろんお骨は別のちゃんと地面についたお墓に納められていますが、どうせ誰も供養なんかしません。彼もそんなことまったく期待していません。
彼の計算では、このビル型共同墓を自分の計画通りに経営すれば、会社は持ち直すはずでした。ここをお手本に、全国の都市部に同型のいわばお墓マンションを建てれば、小口ながらも安定した経営を続けていくことが出来るはずでした。しかし、残された元部下たちはそうしなかった。おろかです。そうなることも、彼は予想済みでした。
彼は後の世で自分がどのように言われようと、まったく関心を持たなかった。そんなものが一銭にもならないというのをよおく見てきましたから。自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。軽蔑するならするがいい、おまえらはその軽蔑する俺にへつらい、みじめに生きさせてもらってきたのではないか?と。
徹底してますね。見事です。彼に対して人の愛も真心も知らない惨めな一生と揶揄するのは、負け犬の遠吠えに等しい。何故なら、
今の世の中がそんな物、まったく信じていないではありませんか?
心は脳科学の物質運動に還元され、物質と共に消えて無くなる物になりました。
今の社会で人の心はますますないがしろにされ、自分だけが生き延び、贅沢な暮らしをすることに狂奔し、心なんて物、もはや誰も本気で信じていません。
勝者は彼です。
我々は敗者です。
これで、満足ですか?」
姫倉は皮肉な目を、朝日奈博士に向けた。
「わたしはそんなこと…」
考えているわけじゃない、と言うのを制して姫倉がぴしゃりと言った。
「現実を見て物を言いなさい。あなた方がさんざんこういう思想を広めてきたのでしょう? だったら言い訳しないで受け止めて、自分たちでなんとかしなさい。わたしは、」
ニヤリと笑った。
「わたしのやりたいようにさせてもらう」
姫倉は魔女の顔をしていた。




