九,怨霊の箱 その3
階段は四つ角の北東、南西二つにあり、もう二つにエレベーターが設置されているが今は電気が通っていない。一行は北東の階段を上っていった。
「電気を通してエレベーターを動かせばいいだろう?」
博士が文句を言うと、姫倉は
「エレベーターはもう何年も点検してないから使用禁止です。それに電気は霊が扱いやすいエネルギーですから思わぬ事故の元です。我慢してください」
と却下した。
ゲストには共に五十七歳の朝日奈博士、鹿尻編集長、五十九歳の渡井克也がいる。早くも五階辺りからひーひー言いながら上がっていったが、上がりながら姫倉が解説した。
「ここはふたになっている最上階を除いて二十二階あります。この意味が分かりますか? 計画では各階の四隅にお堂を造り仏像を安置する予定だったんです。四掛ける二十二イコール八十八。八十八カ所といえば四国のお遍路さんの巡礼よね? あれって弘法大師にゆかりのお寺のことを言うんですってね? 江戸時代に巡礼ブームがあって、全国あっちこっちに八十八カ所巡りコースが出来たみたいね? ここもそのミニチュア版って感じ? いかにもありがたそうで笑っちゃうわよね? ま、けっきょくそれも無しでつまんないけど」
姫倉はぺらぺらおしゃべりしながら息も切らさず元気に歩き、年寄りたちを辟易させた。
階段は途中踊り場で反対方向に切り替わり、回廊から少し奥まっている。
十三階で休憩がてら回廊に出た。
「ここが岡田健人さんの飛び降りた所です」
東側通路の真ん中まで来て姫倉が言った。ここは照明がついて別のカメラが待ちかまえていた。一辺の通路に三つ並ぶ部屋の真ん中、ライトグレーのドアの前で、
「ここにチョークで遺言が書かれていました」
姫倉がコンクリートの床を指して言い、
「自殺者気分で下を覗いてみてください。どうぞ?」
と悪趣味に勧めた。樺山沙希は壁際でブルブル首を振り、博士以外の四人が手すりに触るのも嫌な様子で顔だけ前に出して覗いた。
「あ、俺駄目だわ」
渡井克也はちらっと覗いただけですぐに引っ込み、
「うわあ、高いですねえ。めまいがしそうです」
と天衣喜久子ももう十分とばかりに肩を震わせて引っ込み、
「怖いなあ。こないな所から飛び降りる勇気があったら人生なんでも出来そうな気いがするけどなあ」
とモッチー兆也が顔をしかめ、
鹿尻編集長は神妙な顔で手を合わせた。
高さはここで四十二メートルある。リアルな高さを体感できる絶妙な高さだ。等間隔の手すりの並びが高さをより分かりやすくしている。飛び降り、地面に激突する衝撃を想像して体の芯から震えが走った。
ゲストたちのそんな感慨を眺めながら、しかし姫倉はカメラを見て、
「しまった、岡田さんの幽霊は息子に憑けて置いて来ちゃったからあんまり面白くないや。失敗失敗」
と反省し、
「じゃ行くわよー」
と、さっさと階段に戻った。まだ半分上らなければならないのかと特に年寄りゲストたちはげんなりした。
何故か階段を上り出すとまた姫倉はおしゃべりを始めた。体を動かすと気分もハイになるらしい。しゃべる彼女を撮ろうと先回りしてカメラを構え後ろ向きに上っていくカメラマンはたいへんだ。前から眩しい照明を当てられるので後続のゲストたちは足下の陰が濃く歩きづらいことこの上なかった。
「塩田君といっしょにここに入った三人がおかしくなった理由を話しましょうか。ちなみに、三人が上ったのはさっきの十三階までです。ここから先は前人未踏の禁断の聖域ですからお楽しみに。おっと脱線。
ここには死者ばかりでなくここを出ていかなければならなかった元住人たちの恨みの念もたっぷり詰まっています。それに引き寄せられて…としておきましょう、この周りの成仏できない霊たちが集まってきてしまいました。何しろここは元々お墓として建てられたビルですからね、外観は大きな墓石に見えて、さまよう霊たちにはいいランドマークになっているんです。
この巨大な墓石の中には今や数百の霊たちがうようよしている。それぞれ幽霊の姿にはなっていないけれどね。どう?先行のスタッフたちが引っかき回して霊たちが落ち着かなく活性化しているから、霊感のない皆さんも多少は気分が悪くなってるんじゃない?」
博士がゼエゼエ喘息気味に恨み節を吐いた。
「こ、高齢者をいじめやがって、このサディストめ。き、気分が悪いのは無理な運動をさせられているからだ」
樺山沙希も泣き言を言った。
「気持ち悪いです。リタイア宣言しまーす」
「後でちゃんとお祓いしてあげるから頑張って。おじいちゃんたちも、日頃運動不足だからこの程度でゼエハア言うんです。渡井さんを見てみなさい、さすが舞台で鍛えているから大したものです」
「姫倉ちゃん、僕だってきついよお」
丸顔でどっしりした体の渡井が笑いながら言った。シャレの分かるこの人は若い女の子好きでも有名だ。尊敬されて慕われているようだからセクハラというのとは違うのだろうが。
「失敬な。俺だって若い職員相手にテニスを日課にしてるんだ」
博士が負けん気で張り合って言い、思い出したように、
「こ、ここに幽霊が詰まっているだって? そ、そんなこと、信じられるか」
と悪態をついた。強がっても額に汗を浮かべて赤い顔をして、相当恨めしそうだ。姫倉はニヤリと見下ろして続けた。
「ここの幽霊の特徴として、個々の輪郭が定まらず、形が崩れて中身が外に溶け出しているというのが挙げられます。ここの幽霊たちは、人に取り憑くよりも、人の魂も自分たち同様に輪郭に浸食し、中身を外に溶け出させるということをするのです。魂が外に溶けだして直接外界にさらされた彼ら三人は、外界のストレスをまともに感じて、すっかり精神がおかしくなってしまったのです。剥き出しの神経を雑巾でこすられ続けたようなものね。ほらあ、雑巾って洗って乾かしておいてもどうしても雑菌が繁殖して臭うじゃない? 学校っていうところも似たようにストレスと言う名の様々な雑菌がうようよしているのよ。
おかしくなった彼らは病院へ運び出されていったけれど、その前に彼らが上げた奇声に乗って悪い波長のテレパシーが広くピュアな心の中学生たちに届いちゃって、同調してしまった彼らの霊体をひどく不安にさせ、過敏な棘を立たせて、学校全体の霊的雰囲気をすっかりおかしくしてしまったってわけ」
「そ、そんな馬鹿な都合のいい話を、し、信じられるか」
「別に信じなくてもいいわよ? でもこうして原因をはっきりさせてやれば彼ら学校の病気はじきに治まるわよ? 不安が不安を呼んで悪い状態がエスカレートしている、という精神科の診断は正しいわよ? だから明確な原因を納得してもらえば、そんな心の病、すぐに治っちゃうわよ」
「……………」
いい加減疲れ切ってしまったのか博士は反論しなかった。科学的な原因を特定できずに生徒らの不安をあおってしまっている現状で、嘘も方便、と自分を抑えているのかも知れない。
そうこうしている内、一行は最上階の手前、二十二階に到着した。
「はい、登頂おめでとう。あと一階あるけど、ここでちょっとおさらいしておきましょう。
この上、二十三階は建物外周から一回り小さく、吹き抜けにふたをするかっこうで四角の筒に載っています。それがどうしてそうなったのかはさっき説明したとおりです。しかしそうすると、この上の部屋は、元々なんだったのでしょう? 現状は水道のタンクと各種コントロールが入っているということですが、タンクなんて高くて下からよく見えませんが屋上に出ていますし、コントロールなんて、小部屋で十分です。一回り小さいとはいえこの広さで、他の空き空間はどうなっているのでしょう? そうそう、屋上に夜間の通路の電灯を灯すための電気を作り出すための太陽電池パネルが立っているんでしたね? 実はこれも元々別の用途で付けられた物でね、かなりユニークなんですけれど。
前社長の死で途中で設計変更されたこのビルですけれど、この最上階だけは当初の設計通り作られています。自分の死期を知った前社長がここだけは急いで作らせ、出来上がってしまった物を、他にどうしようもなくて、ここにそのまま封印したのです。
さて、ここにその封印の扉を開く鍵を破産管財人を請け負っている弁護士事務所から借りてきています」
姫倉はなんの変哲もない一本の鍵を得意そうに取り出して見せた。
「では、この妙ちきりんな建物のハイライトへ、潜入してみましょう」




