八,幽霊
この世は幽霊になれない怨念が満ち、この世が既に地獄と化している。
そう解説した姫倉の次の説法は?
「そろそろ君を片づけようか?」
塩田圭祐を向いて言った。姫倉は彼に対し度々責めるような視線を送ってきた。それはいったい何だったのだろう?
「君と三人のお友だちはわたしがあれほど『危険だから絶対に入ってはいけません』と忠告したにもかかわらず、面白がってあのマンションの中に入ってしまった。元住人が飛び降りたっていう十三階まで上がってみたんでしょう? どうだった?手すりから中庭を覗き込んだ感想は? まるで深い穴の底へ吸い込まれるような感じがしたんじゃない?」
無表情の塩田が、ブルッと体だけ震わせた。顔は相変わらず無表情だが、その皮膚の下に、かすかに怯えの色が見えるように思える。
「ところでいっしょに行った三人のお友だち。ぶっちゃけ、友だちなんかじゃなくって、君をいじめていたいじめっ子だったのよね? ま、暴力を振るわれたりするようなひどいものではなかったようだけれど、主に言葉の暴力? こっそりクラスの好きな女の子の体操服を着させられたりして、それを携帯の写真に撮られたりして、笑いものにされたり? ……君は、
三人が大っ嫌いだった」
脇に揃えた塩田の手がピクリと跳ね上がった。頬がヒクヒク痙攣し、押さえつけている何物かを押しのけて、塩田個人の人格が表に出ようとした。うつむき気味だった顔を上げると、四角い仁王のような目で姫倉を睨み付け、大きな声を出した。
「でたらめ言うなよ! 三人は僕の友だちだ! たまに悪ふざけすることがあるけど、それは友だちだからだ! 僕は平気だ! 僕は三人の友だちだ!」
横から見ていた梨帆は、その言葉を嘘だと思った。あの時三人に穴に押し込められようとしていた塩田は、惨めな目で自分に助けを求めていたじゃないか? ……やっぱり大人の人を呼んで助けてあげればよかったのかなと思った。
姫倉も塩田の言葉を否定した。
「嘘吐き。君は三人がおかしくなってしまって、ざまあみろって思ってるじゃない?」
「思ってないよ、そんなこと」
「そうかなあ? じゃあ君も悪ふざけでマユちゃんのブルマーはいたの? もしかして嬉しかったあ?この、エッチ」
「やめろよお……」
「へへえーん、怒れ怒れ。じゃあリコーダーのこともばらしちゃおうかなあ〜? 次が音楽の授業の昼休み、君は三人に言われてマユちゃんのリコーダーを……」
「やめろよお…」
「マユちゃんがそのリコーダーをくわえたとき、君、どんな気持ちだったあ?」
「やめろって言ってんだろおっ!この馬鹿女っ!!」
塩田は本気で怒った。真っ赤に怒りを爆発させた顔が、瞬間、真っ黒になった。まるで南国の神か……悪魔を表した恐ろしげなお面のような顔が浮き上がり、出演者たちはギョッとした。それは一瞬だったが、塩田は真っ赤な顔で怒りと悔しさのない交ぜになった表情をあらわに姫倉を睨み付け、その瞳が潤んで涙がこぼれそうだった。
姫倉は冷たく笑った。
「それでいい。人間、怒るときは怒らないと駄目よ? だいたい日本人は伝統的に怒りを我慢しすぎなのよね。それを美徳だと上の方から教え込まれて、上手な怒り方を知らないのよ。だから変な切れ方をしたり、陰湿なクレーマーになったりするのよ。
ほら、この人たちのびびった顔を見てごらんなさいよ? 本気で怒った人間っていうのはね、大した力を持たない者でも、恐いのよ」
塩田は姫倉に言われて大人たちを見て、彼らに浮かぶ恐怖の感情にハッとした。姫倉が叱った。
「引っ込むな!
それがあなたの本当の感情でしょう?
正しいことをしたはずなのに、余計な波風立てやがってと同じ立場のはずの周りから白い目で見られて、現実に自分たちもひどい状態に追い込まれて、こんなはずじゃなかったと、悪くなかったはずなのに、全部自分が悪いように思い込まされて、悔しさと情けなさと怒りと憎しみと、それがあなたの本当の感情でしょう?」
姫倉は塩田少年に話し掛けているのだろうか?
「あなたは飛び降りる前、通路にチョークで大きく書いた、
『ここが我が家だ』
と。その時あなたの心にはそれだけ激しい感情が煮えたぎっていたはず。
思い出して、
取り戻せ!
自分を!」
塩田は唇をめくり上がらせ歯茎を剥き出しに歯を食いしばり、目を剥いて深いしわを刻んだものすごい顔をして、こぶしを握りしめた腕をブルブル震わせ、
「言え! 吐き出せ! 自分の気持ちを、自分の言葉で!!!!」
ここぞと畳みかける姫倉の言葉に吠えるように言った。
「大っ嫌いだ!あんな奴ら! 死ねばいい! 僕があそこから突き落としてやりたかった!!!」
喉が割れるような大声で叫んだ塩田は、まだ感情の収まらない真っ赤な顔で、ハアハア肩で息をついた。
姫倉はニヤッと陰険に笑った。
「今のその顔、彼らが見たらすっかり怖じ気づくことでしょうね。
人には感情がある。
それは理屈や学問でどうこう分析できる物ではない」
チクリと嫌味な視線を朝日奈博士に向けた。
「とかく文明人は理性的であることを求められ、感情的になることを戒められる。
しかしどういう理屈をこねようと、感情を禁じられるのはその物の奴隷に成り下がるのと同じよ。
むやみやたらと感情的なのもみっともないけれど、理不尽な要求に対して怒りを表せないのだったら、それは敗北を認めたのといっしょよ。そして、
現代日本人はありとあらゆる場面で敗北している。
それを自ら自分の気持ちの奥へ押し込めてしまっている。
そんな物はないと自分を誤魔化して、ストレスばっかり溜めて。
あんなクソガキどもを…あら失礼、あんないじめっ子たちを友だちなんてね? 自分が惨めでしょう?」
ようやく激情の収まってきた塩田は、姫倉の指摘に悔しそうに眉間にしわを寄せてうつむいた。
「さて。
塩田君に取り憑いているのが何者か? まあとっくに分かっていると思うけれど、これ以上引っ張るのも落ち着かないでしょうから明らかにしましょうか」
憑いているというのがすっかり既成事実になっているが、もはや誰も異議を挟まなかった。
「哀れな現代人は幽霊になることも出来なくて、自分なんていないと自分を偽って、挙げ句の果てがすっかり自分が壊れてしまって毒の霧みたいになって漂っている、
というのがあそこに居た彼にも起こっていたのですが、もう一ヶ月も前になっちゃいましたね、一人の美少女霊能力者が訪れて活を入れてやりました。
彼女が訪れたとき、あの場に幽霊はいなかった。いることはいたのですが、もやもやと輪郭がなく、幽霊の形を成せる状態ではありませんでした。
彼の場合幸いだったのは、彼は死ぬときにその場所に強い執着と、この世に対する強い怒りと憎しみを持っていたことでした。それがかろうじて自分が他に溶け込んでバラバラになってしまうのを防いでいました。
しかし自分なんていない病の症状は重く、わたしが思い出させてやらなければいずれは他と同じ運命を辿ったことでしょう。感謝するように。
わたしはあそこでいもしない幽霊を指して、『視聴者の皆さん、ここは危険ですから絶対中に入らないように。必ず、怨霊に取り憑かれて、ひどい目に遭いますよ』と執拗に警告しました。あれは何かと言えば、彼に呪いを掛けていたんです、あなたはそういう恐ろしい幽霊なのですよ?、次にここに来る人間に取り憑いてやりなさい、ってね」
得意そうに解説する姫倉におずおずと手を挙げて宮澤大和が言った。
「じゃあ、あなたがその呪いを掛けなければ、塩田君や、他の三人がおかしくなることはなかったんですか?」
「・・・・・」
姫倉は口を半分開けて視線を上に向けてしばらく固まり、言った。
「ま、人助けって言うか、幽霊助け? いいじゃない、そんな細かいこと」
「よくないですよ」
大和は怒って責めた。
「今僕らの学校たいへんなんですよ? 欠席者だらけで、みんなびくびくして、全然授業になりませんよ? どうしてくれるんです?」
「うるさい男子だなあ。ディレクター、この部分カット」
「インチキしないでください!」
「ちぇー、うるさい奴う〜。だからあ、わたしは絶対入るなって警告したのに、入っちゃう馬鹿が悪いんじゃない? 入っちゃ駄目って他の大人や学校からも言われていたでしょう?」
「それは……そうですが……」
「ほーら。じゃやっぱわたしのせいじゃないもーん」
「・・・・・・・」
大和は納得行かない顔をしたが、口でこの人とやり合っても勝てそうもないと諦めた。
しかし姫倉の説明によると、塩田に取り憑いたのは……自殺をした元住人で、塩田がそれに取り憑かれたのなら、他の三人はどうなったというのだろう?
「ま、学校に関しちゃわたしも悪かったなあと一応思っているわよ? でもさー、怨霊の仕業です!って乗り込んでも、どうせ怪しい霊感商法と思われて追い返されるのが落ちじゃない? わたしだってそんな不愉快な思いしたくないもん。
ま、それもともかく、どうしてそうなっちゃったか後で詳しく説明するとして、
もういいわよね? と言うことで、この人があなたのお父さんよ?」
そう言われた岡田健太がどんな顔をしているかと言うと。
「証拠は?」
気まずい顔の塩田をまっすぐ見つめたまま健太は姫倉に訊いた。
「本当にこの人にお父さんの霊が取り憑いているっていう証拠は?」
「そんな物はない!」
姫倉は大威張りで断言した。
「わたしにはそうだと分かっている。でもそう思っているわたしはパラノイアで、単なる思い込みの妄想ではないという証拠をあなた方に見せることは出来ない。信じるか、信じないか、あなたが自分で決めなさい」
健太は太い眉をゆがめ、中途半端に口を開いたり閉じたりを繰り返し、ようやく思い切って
「お父さん」
と呼びかけた。しかしそう呼びかけられた塩田は健太から体を斜めに反らしていかにもこの場から逃げ出したいようなそぶりで、
「お、俺は君のお父さんなんかじゃあ……」
と口ごもった。小学六年生が中学二年生にお父さんと呼びかける、なんとも滑稽な風景だが。
「マイ・スイートホーム、マイ・スイートファミリー」
姫倉が歌うように建築会社のCMみたいなセリフを言った途端、気弱にいたたまれない顔をしていた塩田がハッとして、ハッと、健太を見た。
驚きに見開かれた目が、般若のように寄った眉に歪み、じわっと潤ったかと思うと、どおっと涙が溢れて頬を流れ落ちた。
「けっ…………健太……………」
半信半疑に見つめていた健太も、ハッとしたように瞳をきらめかせ、
「お父さん!」
と呼びかけた。
二人の間に立たされていた宮澤兄妹は後ろに下がり、まっすぐ向かい合った二人は互いに涙を流して見つめ合った。
「健太……。すまん……」
塩田は本当は息子を抱きしめたいのを、ブレーキが掛かったみたいに握った両手をブルブル震わせた。
「お父さん。なんで死んじゃったの? お母さんもお祖母ちゃんもものすごく悲しんで、僕だって、すごく悲しかったんだよ?」
「すまん。すまん、健太」
塩田は今度は切なすぎて顔を上げていられずうつむいた。
「お母さん、お金なんかいいから、お父さんに生きて頑張ってもらいたかったって言ってたよ?」
「すまん…」
「僕だって学校の運動会とか父親参観日とか、すごく寂しくて悔しい思いをしていたんだよ?」
「すまん…」
「お父さん死んじゃったから、やっぱりお父さんが悪かったんだって、ざまあみろって思われてるってお祖母ちゃんすごく悔しそうに言ってたよ?」
「すまん…」
「お母さんは……」
健太は泣きながら、六年間積もり積もった思いを父親の霊にぶつけた。朝日奈博士は「茶番」という言葉を言いたくてしょうがなかったが、さすがにこの空気の中で言う勇気はなかった。一方的に責め立てる健太とひたすら恐縮して苦しそうにする塩田を眺めて、姫倉はつまらなそうに銀色の巻き毛を指でもてあそび、
「はーい、そこまで!」
と、二人の間に手を伸ばし、会話を打ち切らせた。
「ま、気持ちは分かるけど、このまま続けると体の持ち主のトラウマになっちゃうから、ここまで。はい、両者仲直りの握手」
姫倉は二人の腕を取り、なし崩し的に握手させた。二人の手が握り合わされた瞬間、
「あっ」
「あっ」
二人同じように声を出し、きょとんとしたように目を見張った。
「移動完了」
姫倉が二人の腕を放すと、握手していた二人は、急にくすぐったいような顔になって、慌てて手を離した。
二人とも不思議そうにして、ぼうっとあらぬ方を向いて放心した。
「どんな気分?」
「えっ!?」
姫倉に訊かれて塩田はドギマギした。
「どんな気分?」
「え?」
訊かれて健太はぼうっとしたまま姫倉を見た。姫倉はニッコリ笑い、二人を交互に眺めた。
「変な感じでしょう? 君はいきなりなんだかひどい物忘れをしたような感じ。君は子どもの頃のようななんだか妙に懐かしい感じ。岡田健人さんの霊を塩田君から健太君に移しました。塩田君はこれで二重人格みたいな状態から立ち直って、健太君はお父さんの霊に見守られて心強く安心した気分になれているんじゃない? ま、じきに慣れちゃうから、今のうちに変な感じを楽しんでいらっしゃい」
姫倉は楽しそうに言い、カメラの方を向くと人差し指を立ててアイドルポーズを取った。
「死別した親子の感動の再会。盛り上がったところで、番組は後半へ続きます。次はいよいよ問題の核心、お化けビルの謎を解明します。チャンネルはそのまま。舞台は、お化けビルの中へ移ります」
あり得ん!、と朝日奈博士は一人心の中で憤慨していた。誰も彼も姫倉の言葉に操られて催眠状態に陥っている。死者の霊が取り憑くなど、そんな非科学的なことが起きるわけないのだ。あの少年は言葉巧みに死者の情報を与えられ、自分の精神状態と重ね合わされ、自分にその死者の霊が取り憑いていると刷り込まれただけだ。その死者の霊が握手で中学生から小学生の息子に移動したなど、……姫倉は二人の腕を取って握手させた。きっと弱い静電気が流れる仕掛けがあって、その微妙なショックに二人の少年は心霊的な物に触れた気になってしまったのだ。……………
しかしそれにしてもその手際は見事な物だと姫倉には正直感心した。恐ろしいパフォーマーだと思う。しかし、それでも霊などと言う物がこの世に存在するわけはないのだ。
これからあのマンションへ行くと言う。ならばそこで、今度こそ、その化けの皮を剥いでやる。
スタジオでの収録は終わり、もう用はないと言うので子どもたちは帰すことにした。塩田以外の三人は「後半」にも引き続き出たがったが、健太はいっしょに行くと影響があって面倒なことになるというので禁止され、宮澤兄妹はどうせすぐ近所のお化けビルだから特別に見学に来るのを許された。ただしいったん家に帰ってお父さんお母さんの許可を得てくるようにと。三時から始まった収録は五時を回っていた。中身がぎっしり濃くどっと疲れてしまったが、ほとんど姫倉が一人でしゃべり倒しているので時間的にはそんなものだ。ただこれを編集するとなるとたいへんだ。
ロケのスタッフは既に現地で準備を進めており、今度は三津木が現場で指揮を執る。ロケの開始予定は午後九時だ。出演者たちも休憩して弁当の夕食を取ってもらい、すぐに現地へバスで向かう。六時二〇分の出発で、現地まで一時間半から二時間半かかる見込みだ。
子どもたちをスタジオから控え室へ送り出すとき三津木も廊下に出て見送ったが、健太がちょっと恥ずかしそうに、すごく嬉しそうに微笑んで、
「ありがとうございました」
と言った。
「僕は何もしてないよ」
と言いながら、本当にそうだものなと三津木は可笑しかった。
ADに案内されていく子どもたちの後ろ姿を見送り、こっちこそありがとう、と三津木は思った。
そして、姫倉美紅に。




