七,幻惑 その4
「幽霊という物を分かってもらった上で、
わたしが困っているのは例のあの黒ビルには幽霊がいないってことなのよ。
ううん。あの黒ビルばかりでなく、あの周辺一帯、まったく、幽霊がいないのよ。
これはね、異常なことなのよ?
でもねえ、確かに、今は全国的にすっかり幽霊の数が減ってしまっているのよね。
これは、ゆゆしき問題よ?」
分かる?と姫倉は深刻な顔で一同を見渡したが、分かるわけない。黒猫を抱かされた樺山沙希が恐る恐る訊いた。
「どうして幽霊がいないと困るんですか? …いいこと、なんじゃないんですか?」
「死者たちも生きている人たちもいい状態だったらね。そうよ、死者の魂がみんな平和にあの世に行っているんだったら、何も問題はないわ。でも、さっきの話。今の社会はストレスだらけで、年間三万人もの死者を量産し続けているひどい状態よ? 自殺者の魂は自力で成仏することはできない。だから幽霊なんて、そこいら中、うじゃうじゃいて当たり前の状態なのよ?」
沙希はブルッと震えた。
「では幽霊がいないというのがどういう状態か分かる? 幽霊になるべき悲嘆や怒りや憎悪や妬みや後悔の念が、形を成さないエネルギーのまま、この世界に堆積しているってことよ」
博士が笑おうとするのを姫倉は恐い視線を突き刺して制し、言った。
「笑い事ですか? 今の社会の状態が? そうやって人をあざ笑って白けた態度を取って、自分は問題の外にいるつもりになって傍観している。そういう人が今の社会には溢れ返っていますね? 何が面白いのか、わたしにはまったく分かりませんし、分かることを拒否します。あなたも、いい加減この社会の当事者である事を自覚したらどうなんです?」
博士はカッとなり、
「あんたこそ、問題をすり替えている」
と言ったが、その声はいつもの元気がなかった。
博士には焦りがあった。この場の雰囲気はすっかり幽霊が『居る』ということに納得して、受け入れてしまっている。これは、まるで、
「霊感商法のやり口といっしょじゃないか? 悪いことが起きているのは死者の祟りのせいだ、あなたには見えなくても、幽霊というのはいるんですよ、と、そう屁理屈で丸め込んでいるだけじゃないか?」
ベテランお笑いタレントのモッチー兆也がハッとした顔をした。彼は立場としてオカルト肯定派を取っているが、客観的公正さは心がけていた。いささか姫倉の弁舌に取り込まれ過ぎていたようだ。重鎮俳優渡井克也も面白いと思いつつ腕を組み、あごを突き出してブルドッグみたいな顔をして態度を決めることを自制していた。天衣喜久子はマイペースに興味深く頷きながら聞いていた。彼女が一番人の言葉を信じない人間かも知れない。
姫倉は平然と続ける。その落ち着きと、不気味なほど奥深い思考はとても十七歳の女子高生には思えなかった。
「仏壇やお墓にお経を上げるお坊さんを、霊感商法と言いますか?」
「あれは宗教だ。オカルトとは別問題だ」
「そおお? あれだって死者の魂を慰めるって言うんだから立派な心霊的サービスだと思うけどお?
霊感商法だってサービスだと思えばいいのよ。サービス内容と料金を照らし合わせて、割に合わないなと思ったら、『他の霊能師に頼みます』って断ればいいのよ」
姫倉はニヤニヤと笑った。
「本当に霊魂という物を信じているなら、死んだ人が現世のお金なんか欲しがるわけないんだから、人を不幸にするような法外な料金、『おまえみたいな詐欺の悪党こそ祟られろ!』って思えるでしょう? 心霊を訳の分からない恐ろしい物だって、理解が足りないからそんなインチキに引っかかるのよ。信じる者は救われる、ってね。どうせならわたしのような正義の霊能力者の言うことを信じなさあい」
姫倉はどこまで本気かニヤニヤしたまま言ったが。
「でも残念ながらこっちの形勢不利。負けを認めます。世間はわたしよりそちらの偉い学者先生の『幽霊なんかいない』という考えにすっかり感化されてしまっているようですね。
自殺者の死ぬときの気持ちを考えてみましょうか?
昔はもっと、死ななければならない羽目に陥った我が身を嘆き、ああ死にたくない、もっと生きていたいと、後悔しながら死んでいったものです。
ところが今は。
これでおしまい。はい、さようなら、と、実に淡泊なものです。
すっかりこの世を見限って、ひたすら解脱したいと思っているものですから、この世に対する未練なんてちっともありません。
これじゃあ」
姫倉は魔女みたいに笑った。
「幽霊にもなれません」
スタジオは重苦しい空気に沈んでいる。その重苦しさの正体を、まだみんな理解していない。
「しかし実のところ、人間そんな風に割り切れるものでしょうか? 本当に解脱できたら大したものですが、
お釈迦様でもあるまいに、
魂なんてないと思っている、ただこの世の運に恵まれなかっただけの、物質欲にまみれた煩悩の固まりが、解脱だなんて、ささら可笑しい。
自殺者の霊は、自分が何者なのか理解を忘れて、ただ、そこに留まっているだけです。
仕方ない、自分が生きてきた合理的な社会の中で、幽霊なんていないと、思い込んでしまっているのですから。
これで終わり。それが意志と言うより、身に染みついた常識として、死の瞬間に働いてしまうのです。
死者の魂は霊魂としてまとまることなく、形を成さないまま茫洋として漂うばかりです。魂の本質である記録データもばらけ、やがて散逸してしまう。しかしそのまま消えるのか? 消えはしない、魂は永遠なのです。崩れたまま、実は鬱屈した思いを抱きながら、鬱々と、あるだけなのです。
ああ、ついでにあの世という物の正体を教えてあげましょうか?
あの世とは多くの魂が集合して結びつき、お互いに補間し合いながら作り出したバーチャル空間です。アバターの住む仮想の町とかネットのRPG世界みたいなもんよ。ほら、クラウドコンピューティングっていうのがあるでしょう? 自分でプログラムソフトを持たないでもそのサービスを利用して自分のコンピュータで作業が出来るってやつ。ま、あんな感じ? 魂は自分単体ではなーんにも出来ない赤ん坊みたいな物なのよ。そうしたネットサービスに加入させてもらって、初めて自分の持っているデータを再生できて、自分というキャラクターを再生することが出来るのよ。
ああ、今説明したあの世は、普通の人間が行くもっとも一般的な天国のことね。もちろんそれより上のレベルの生まれ変わりなんかに関係する天国もあるんだけど、どうせあんたら凡人レベルには関係ないからパス」
姫倉の早口は更に加速している。いったいこの娘の頭の中はどうなっているのか?、一同は取りあえず言葉を追うだけで手一杯だった。
「天国はそんな物だとして、じゃあ地獄はって言うと、基本的には天国といっしょの構造なわけよ。見る者の主観の違いだけでね。
魂って言うのは単体じゃあすんごく貧弱なわけね。自分じゃ自分の所属するべき天国を選べないのよ、あっちからおいでおいでーって招いてくれないとね。
それは純粋に化学的反応で行われるのよ。
天国に接続していない魂は自分という自我がほとんどありませんからね。実際のところは勝手に自分の質にあったところに引き寄せられて、吸収されるのよ。良い魂は良い天国に、そうでない魂は自分にふさわしい天国に。
悪い魂の集まった天国が、いわゆる地獄よ。
でもね、魂にとっちゃ悪いことでもないのよ? 暴力や人殺しの好きな魂はそういうお仲間の集まった地獄に行けるんですからね? 好きなだけ暴力や人殺しを楽しめばいいのよ。ただし、自分も暴力を振るわれ、殺されちゃうけどね? でもご心配なく。魂は永遠で、死んでも生き返るから。何度でも、殺してもらえるわよ? いわゆる地獄ってね、すっごくエゴが強いのよ。一度捕まっちゃったら足抜けするのは至難の業ね。天国から堕落するのは簡単だけど。あはは。
魂たちの作ったバーチャル空間って、当然現実の世界をモデルにした物が多いんだけど、中にはかなり強い思い込みで作られた物もあってね、そういう世界って、魂の所属の度合いが強すぎて、個人の形が壊れて、その世界の一部として同化しちゃうことがあるのね。それはいわゆる天国でも地獄でも起きることで、
今説明している天国とか地獄って、けっこう普通にそこいら辺にあるものなのよ。
多くの魂が集まれば、場所を選ばずにあの世が形成される。バーチャル空間で、この世の目には見えないけれどね。
小さな集合体は内部にバーチャル空間を生み出すまでには成長せず、けれどひとまとまりの意志は持つようになり、それは往々に、
悪霊という物になる」
姫倉の目がギラリと光った。皆はもう圧倒されて聞き入るしかない。
「魂自体に自分で天国を探す力はない。けれど近くに似たような質の魂があれば、化学反応で、引き寄せられて、結びつく。単体同士で引き合うような強い性質を示すのは、たいていろくでもない悪い魂たちよ。だからそういう形で出来上がるのはたいてい悪霊なわけ。
魂は単体では物理的な力を持たない。けれどそれが十、二十、五十、百と集まれば、生きている人間に匹敵する、強力な力を持つようになる。しかも彼らは変幻自在、自由な肉体を持っているから生者には出来ないことが出来る。
悪霊というのは恐ろしい物なのよ。
わたしがどういう話に持っていきたいか、だいたい見当はついたかな?」
完全に姫倉の独壇場である。問い掛けに答える者はなく、姫倉も気にせず続けた。
「年間三万人のあの世にも行けない、幽霊にもなれない自殺者たちの霊。それは累積する一方で、この世には死者の霊が溢れているはずだ、というところまではいいわね?
それらは皆この世に絶望して自ら命を絶ったという同じ質の魂たちであるはず。彼らは当然寄り集まって自分たちのあの世、天国を作っているはずだけれど、何しろ『幽霊なんていない』と頑固に信じ切っている魂たちだから、その天国の具体的な姿を描く者が一人もいない。同じ質の者たちが大量に結びつきながら、一向に形を成さず、茫洋としたガスのままそこいらに漂っている。あまり健康的な状態ではないというのは想像がつくわよね? ところでさっきの思い込みの激しい天国の話。自殺者の霊たちは一見茫洋として結びつきが弱く、個性も何もないように見えるけれど、実は『幽霊なんていない』という強烈な自己否定の思想で硬く結びついているのよ。そうした強すぎる思い込みの天国で所属する魂の形が壊れてその天国に同化するという現象が、彼らにも起きているのよ。彼らの場合は最初から自己の存在意識が極端に低いから、形も壊れやすく、世界に埋没しやすい。
形のない彼らは、他との境界のないまま茫洋とこの世に漂い、それは広くありとあらゆる所に広がっている。現在社会を覆う閉塞感のフラストレーションと不気味に重なるんじゃない?
形のまとまらない彼らが、個々の魂も壊れたままあやふやに広がっている。
最も基本的な点。死者の魂は元々生きた人間で、生きた人間の中にも当然魂はある。
形を持たず、壊れたまま広がる彼らは、お互い意識しないまま、容易に結び付き合う。
両者には『幽霊なんていない』という強固な共通意識がある。
分かりますか?
彼ら、この世に広がる幽霊未満の壊れた魂たちは、既に、生きたあなた方に浸食し、取り憑いているのです。
分かっていますか? オカルトなんて馬鹿馬鹿しいと否定しているあなた方。
あなた方が恐れなくてはならないのは、
自分が幽霊になれないということなのです。
あなた方は生きながらにして、既にどっぷり、
地獄に浸かっているのです。
否定し、払えるものなら払ってごらんなさい、この世の中を覆う悪しきオーラを。
断言します。
霊魂を否定するあなた方に、
この世を地獄から救うことは出来ない。
生者も死者も、等しくこの地獄でのたうち回るがいい!」
言い放ち、姫倉はスー……ッと大きく息を吸い、ハアー…………、と吐き出した。
「いやああっ……」
樺山沙希が胸に抱いた黒猫を放り出し、両手で頭を抱えて、パンツが見えるのもかまわずしゃがみ込んだ。彼女の頭の中にも、地獄の亡霊が取り憑いているのだろう。
早口に大量の情報を詰め込んだおしゃべりに圧倒され、青い顔をした朝日奈博士が、額の血管をヒクヒクさせながら、かすれた声で言った。
「霊感商法だ……。あんたは、霊感詐欺師だ…………」
姫倉はニヤッと酷薄な笑みを浮かべた。
「あなたからボッたくる気はないからご安心を」




