七,幻惑 その3
「自殺した人の魂はあの世には行けません」
と健太に言った姫倉は
「さて、子どもをいじめるわけにもいかないのでオッサンをいじめましょうか」
と、博士を標的にした。
「わたしにはどうも理解できないのですが、あなた方は何故そうまでヒステリックに心霊現象を否定したがるんです?」
手品でさんざんからかわれた博士は憮然として言った。
「無い物を無いと言ってどこがおかしい?」
「無い物は無い、ね。暗黒物質も見つけられない学者風情が偉そうに。あなたはこの世の道理をすべて分かっているつもりですか?」
「分かってるいるつもりはないよ。でもね、この世には本当のでたらめは起きないんだよ。きちんと物理と化学に則った現象しか起きないんだよ。暗黒物質と言ったか?偉そうに。それはね、宇宙物理学の理屈で、あるはずだから、あるんだよ。なきゃおかしいから、あるんだよ。でも、幽霊だの魂だの言う物はね、物理化学の理屈でね、この世に存在し得ないんだよ」
姫倉の冷たく見つめる表情に、博士は何かしら得体の知れない不安を感じた。自分の言っていることに間違いなどあろうはずがないが、何故かしら、全て、この女の台本通りに言わされているような気がしてしまうのだ。
「ご立派な学者のご説ですね。あなたは立派な博士でいらして、たいへん学がおありになって、頭が良く、おっしゃることは全て筋が通って、無知な一般人の幼稚な反論を許すものではなりません。あなたの言う『科学的証拠』を見せられて幽霊や霊魂など、心霊なる物が無いと考えるようになった一般大衆は多いことでしょう。
立派な学者であるあなたにあえて訊きますが、
この世に幽霊が存在する余地はありませんか?」
「ないね」
「断言なさいます?」
「するよ」
「そうですか。残念なことです」
姫倉はとても残念そうに落ち込んだ顔をして、抱いていた子猫を沙希に渡した。大きくため息をつき。
「そうですね。この世に幽霊がいる余地はなくなってしまった。何もかも科学的、合理的に解明されてしまって、幽霊なんていう幼稚な迷信、誰も騙されなくなってしまった。
そこで皆さんにお訊きしたいのですが」
姫倉は全員の顔を見渡し、言った。
「それで、世の中はどうなりました? 良くなりましたか?」
皆どう答えていいか分からない。お化けの話をしていて、どういう基準で世の中を計ればいいのか分からない。答えがないので姫倉がしゃべる。
「いわゆる心霊を嫌う人の考えも分かります。そうした迷信が霊感商法に利用され、善良な人がひどい被害にあっていると言うのでしょう? 確かに許せない犯罪であり、そういう悪い行いをする者には、
罰が当たります」
姫倉はテレビカメラをまっすぐ見つめて言ったが、強い視線でじいっと覗き込んだ後、瞼を閉じ、首を振った。
「ま、そんなこと言っても、どうせ、そんな迷信、誰も信じやしないでしょうね。
振り込め詐欺も、いじめも、DVも、暴力も、殺人も、ストーカーも。
どれだけ人を苦しめようと、そんなもの、警察に捕まらなければ、裁判で有罪にならなければ、弁護士が下手くそで有罪になっても、せいぜい反省しているふりをして情状酌量をもらい、まじめなふりして刑期を終えれば、それでいいんだろう?と思っている。
誰も神罰によって裁かれるなんて言う迷信信じていないから、
平気で人を騙して、人の心を踏みにじることが出来る。
自分の心が汚れて堕落しても恥じることもない。
そもそも心なんて言う物も脳の物理的化学的作用の見せるこの世の科学的現象に過ぎなくて、喉元過ぎれば熱さも涼し、実体のない刹那的なものだ。
物事は全て物理化学で説明が付く、ただの、現象に過ぎない。
どうせ何もかもこの世の物理現象に過ぎないのだから、
死んでしまえばおしまいだ。
生きてる間せいぜい面白可笑しく生きて、
この世が面白くなくて、どこかの集会に乗り込んで銃をぶっ放して殺すだけ殺して、ざまあみろと満足したら、バアン。」
姫倉は自分の指の銃口で自分の頭を撃った。
「鉛玉一発で脳を破壊してハイおしまい。簡単なものよ。ああ、日本じゃそう簡単に銃は手に入らないか? 残念でした。
死んでしまえば何もかも消えて無くなる。この世は全て物質で出来ているのだから、仕組みが壊れてしまえばそれで終わり。心だの命だの言う形のない物は、いいえ、物によって形作られていた物は、壊れてしまえば何も残らない。そうでしょう?あなた方科学者の言っていることは?オカルトなんて馬鹿げた物を頭っから否定する人たちの言っていることは? この世のことは死んでしまえばおしまい。それで何もなかったことに精算して消えるだけ。さあ!、
どうでしたか?
その通りでしたか!?」
姫倉は怒りに燃える目を、塩田圭祐に向けた。
塩田は相変わらず沈んだ無表情だったが、いくぶん顔が強張り、青ざめているように見えた。
姫倉はさっと視線を翻す。
「科学によって心から魂は失われました。霊魂の存在は否定されあの世は無くなりました。それで? この世はどうなりました?
今のこの世が全てで、『次』なんて物はありませんから、とにかくこの世で成功した者が勝ちです。他人を踏みにじろうが何しようが、自分が得をすることが第一で、利己的であることを恐れることなどありません。
勝ち組、負け組という分け方が当たり前で、全て『自分の得』が基準になっています。
合理的な『お金』が全ての基準になり、人々の生活も人生も全てそれに振り回されています。
合理化が進んだ社会は『勝ち組』のパイは限られ、そのパイを掴もうと人々は必死になって競争し、
限られたパイからあぶれた若者が巷に溢れている、
お金によって組み立てられた社会の仕組みはすっかり固定化し、それを維持するためにどんどんお金の積み立てが必要になっている、
高い経済的負担を負わされ、その上将来の負け組が決定している多くの若い世代は結婚も、恋愛さえ出来ずに、生きていく希望を持てないでいる。
まあっ!、なんてストレスだらけの社会でしょう!? そう思いません?」
博士がうんざりした顔で言った。
「たいそうな演説だがね、合理主義と経済の話は別だろう? あんた自分の都合のいいように話題をかき集めているだけじゃないか」
「そうでしょうかねえ?」
姫倉はまつげの長い大きな目をパチパチさせて一応考えるポーズを取ったが、自分の論理を変える気はさらさらなさそうだ。
それにしても、と皆思っている。これが一介のキラキラしたお人形みたいに綺麗な女子高生の口から出る言葉だろうか? 語気強くよどみなく、彼女自身の言葉というのが信じられる。鋭く突き抜けるような視線で放たれる言葉を浴びせられるのは大人たちにも痛快に感じられた。
いったいこの姫倉美紅というのは、どういう人物なのだろう? 興味は募る。
「この十年以上、年間の自殺者は三万人を越えて固定化しています。交通事故の死者が年間六千人ほどですよ? 異常な数だと思いません? いかに今の社会がストレスだらけか、如実に表していると思いますが?」
「それは認めるとしてもだ、それは科学の責任ではないだろう?」
「そうですね。別に科学を悪者にするつもりはありませんよ? むしろその交通事故や病気やけがの死者は科学の力によって確実に減少してきたと讃えてよいでしょう。
しかしあえて訊きたいのです、
科学合理主義は、人を、社会を、幸せにしましたか?」
博士は苦い顔で答えた。
「いずれにしろ、それは科学者の責任ではない」
姫倉はジロリと視線を向け、含みのある笑いを浮かべたが、
「ま、いいでしょう」
と話を続けた。
「三万人の自殺者に話を戻しましょうか。
すごい数ですよね? 普通に生活しているわたしたちの周りで、それだけの人間が自ら命を絶っているのです。
自殺とは、自分から命を捨てる、もっとも命を粗末にする行為と言っていいでしょう。
いったいどんな気持ちで死んだのか、是非自殺した人にインタビューしてみたいものですねえ?」
姫倉はまたきつい視線を中二の塩田圭祐に投げかけた。いったい彼がなんだと言うのだろう?
「年間三万人の自殺者。わたしたちの社会にはそれだけのストレスが鬱屈していると見てよいでしょう。ところでねえ」
姫倉は困ったように首を傾げた。
「わたしのような優れた霊的視力を持つ者の目には、それに見合うだけの幽霊が巷にうようよしていて然るべきだと思うんだけど……、いないのよねえー、その幽霊が。おかしいわよねえ? 昔から自殺者の魂は成仏できないって、心霊オカルトの常識なんだけれどなあー? どうしてかしら?」
う〜〜ん、と一生懸命首を傾げる姫倉を博士があざ笑った。
「つまらないお芝居はやめたまえ。いないんだよ、そんな物、この世には」
姫倉は、我が意を得たりと、博士にピッと人差し指を向けた。
「その通り。この世に幽霊はいないんです。それはあなた方偉い学者先生たちがこぞって証明してしまいました」
いったい何が言いたいのか、この小娘はさっぱり訳が分からんと博士は呆れた。
「これまた当たり前の話ですが、幽霊というのは元々生きていた人間です。どうせ馬鹿にされるでしょうけれど幽霊に関して霊能力者の見解を披露しますとね、
そもそも魂とはその人の生きてきた記録のデータなんです。
知ってますか? 魂の重さは二十一グラムです。これは科学的に計測されています」
さも得意そうに言う姫倉に、博士はほーら見ろと鹿尻氏に視線をやり、ちゃんちゃら可笑しいとあざ笑った。
「何が科学的だよ。そんなの素人のでたらめな測定だよ」
姫倉はつーんと博士の言葉を無視して続けた。
「重さがある以上、魂とはこの世の物質です。この質量のある魂の本体を霊媒物質とわたしたちは呼んでいます。エクトプラズムと言うのがそうです」
鹿尻氏は興奮気味にうんうんと頷き、姫倉は嫌な顔をした。エクトプラズムとは鹿尻編集長のオカルト雑誌に掲載される写真で人の口や鼻から煙の固まりのような物が吐き出されている物がある。色は白や灰色、茶色がかっていたりする。これがすなわちエクトプラズムであり、霊媒師が霊の可視化に自らの霊体を体外に出しさまよう霊魂を憑依させるとも言われる、かのサー・アーサー・コナン・ドイル氏も熱中した降霊会のハイライトだ。
「ポルターガイストやラップ音などの物理的心霊現象はこの霊媒物質のパワーによって引き起こされるものですが、高が二十一グラム、水にすれば二十一ccの物質の持つパワーなんて知れています。
魂の本質とは、そのようなちんけな心霊パワーしか持たない物質にあるのではなく、そこに載った情報にこそあるのです。
魂にはその人の一生の全てが記録されています。
なんて言うと高が二十一グラムの物質に?と疑問に思います? でも、考えてご覧なさい、今コンピューターの記録装置はどれだけ小型化され大容量化されています? 科学技術の進歩の目指す先はなんですか? この世のありとあらゆる現象の、人の手による再現でしょう? すなわち、ありのままの自然こそが人の科学技術の目指すべき完璧な完成されたお手本なのです。魂のシステムは神によって完成された技術です。将来、人が、百年、二百年、五百年、千年、万年後に完成させるはずの無形の記録媒体が、すなわち霊魂なのです、高が人間一人の一生くらい、楽に記録できます。
しかし、生きている人間の感覚で、そんなわずかの物質に一生の全てが記録されるなど、なんとなく納得したくもないですよね?
魂に記載されているデータは、高度に暗号化され圧縮された記号です。現行のコンピューターシステムと同じですよ。その記号を、顕微鏡で読んでみても、まったく訳の分からない数字や何やの羅列に思えることでしょう。
きちんとした機械で正しいプログラムソフトを通してやらなければ正確に再現されない、というのもコンピューターと同じです。
元々幽霊なんていう物は、『居る』物ではないのです。
見る人がそのデータにアクセスして、自分で再生してやらなければ、現れない物なのです」
鹿尻氏は目を輝かせて聞き入っている。朝日奈博士が意地悪のつもりで確認した。
「そういう理屈なら、心霊写真なんていうのは写らないじゃないか?」
「いえ。それは撮影者がカメラを通してアクセスして、形にしてやることで写るのです」
ああ言えばこう言う、鹿尻氏以上のトンデモ話に博士はうんざりした顔をした。姫倉は後から後から言葉が溢れてきて止まらないように早口でしゃべり続ける。
「そこに魂があっても、史上最強を自任するわたしでさえそのデータをそっくりそのまま再現することは不可能です。当たり前です、人の一生分なんて、いちいち読み込んでいられますか。そういうわけで、生者がアクセスできる魂のデータはほんの表面的な一部に過ぎません。
ではどういうデータに比較的アクセスしやすいか?
それは死者が死ぬ間際にもっとも心に強く思っていたことに関するデータです。それは表に強く出たがるものですから、弱い霊感しか持たない人でも比較的容易にアクセスできます。死ぬ間際になにがしか強い思いを抱いていた魂ほど、訴えが強いですから、不幸な死に方をした魂ほど、幽霊になりやすいんです」
ようやく話が戻ってきて、姫倉はニヤリと笑った。
「魂の本質は記録データですが、霊媒物質二十一グラム分の行動力はあります。逆に言えば、アナログ再生される行動はその程度に制限されてしまうということです。ポルターガイストやラップ音なんて、ずいぶん頑張った方です。
行動の制限は思考にも言え、よく幽霊が祟る相手を間違えたり、いつまでも同じ事を繰り返したり、理屈に合わない意味不明の行動をしたりするのはその為です。はっきり言っちゃうと、幽霊は頭が悪いんです。生きているときのように立派な脳で物を考えることが出来ないんです。
幽霊は死ぬときに強く思っていたことを、断片的にしか行動に表せないんです。
幽霊は生きている人間のような自由な行動は出来ないんです。
映画や小説のように人間の生活を見守って論理的な感情を持ったり、目的をかなえるための複雑な行動を取ったり、自分という客観的な自己認識を持ったりは出来ないんです。
そんな幽霊、何も分からない素人の作り物です」
姫倉は一般人の伝統的な幽霊観をこてんぱんにやっつけてしまった。
「しかし。幽霊がそうした行動を取ることがまったく不可能ではありません。
それには二つのやり方があります。
一つは、霊媒物質を多く集め、自分自身の肉体を強化すること。霊媒物質というのは自然に広く分布している物で、霊場と言われる場所には極端に大量に存在していることもあります。
もう一つは、生きている人間に取り憑いて、その人の脳を利用させてもらうことです。ひどい奴は完全に人格を乗っ取ったりしますが、そこまで行かないでも、インスピレーションを与えて自分の望みにかなった行動をしてもらうこともできます。そもそも幽霊を見るというのも人がその魂にアクセスしてしまった状態ですから、取り憑かれる第一段階と言っていいでしょう。心霊写真が不吉だというのもそういうことです。
えー……、というわけでえー、幽霊ってどういう物か分かってもらえたかなあ?」
姫倉は十分な説明が出来たか考えつつ、聴講者たちの理解度を探るように顔を眺めた。




