七,幻惑 その2
「中央の二人が、中学二年生の宮澤大和君、小学六年生の宮澤梨帆ちゃん。お兄ちゃんと妹ちゃんね」
大和君は詰め襟の学生服を着て、梨帆ちゃんはデニムのパンツにピンクと白のトレーナーを着ている。梨帆ちゃんはAKVのファンだが、大和君はダブルトライアングルの、特に沙希リンの大ファンで、緊張しながらぼうっと見とれている。
「で、中学二年生の塩田圭祐君と、小学六年生の岡本健太君」
両脇の二人は暗い。共に沈んだ乏しい表情をして、塩田君は学生服、岡本健太君は黒の毛のジャンパーを着ている。
彼らは何故ここに呼ばれたのだろう?
「中大畑小学校は例の黒い廃マンションのご近所にある小学校で、礎中学校は少し離れていますが、同じ校区にあります。礎中学校は名前を伏せられていますがここ最近荒れる中学校としてテレビのローカルニュースに取り上げられています」
出演者たちは興味深い目で子どもたちを眺めた。
「礎中学校の塩田君は三人の友だちといっしょに廃マンションに忍び込んで、それ以来、その三人は著しい情緒不安定に陥り、授業中に叫び声を上げて暴れ、病院に運ばれ、かなり強い精神安定剤を注射されて現在も眠っています。彼らの学年である二年生を中心に体調不良や精神の不安を訴える生徒が続出し、生徒同士どころか先生が生徒に暴力を振るってしまう事件まで起きてしまいました。その不安と混乱は現在も続いていて、学級崩壊どころか、危うく学校崩壊の瀬戸際に立たされています。これはもう明らかにお化けビルの祟りと疑われますが。ところが不思議なことに、
三人といっしょにお化けビルに忍び込んだ塩田君だけは、全然平気なんですよね?」
塩田君は姫倉の呼びかけにも無表情で黙っている。
「どうかなあ? 塩田君は、学校の悪い状態を、お化けビルの祟りのせいだと思わないかなあ?」
高校生のお姉さんの子ども扱いした問い掛けに、塩田君はジロッと淡泊な目を向け、
「そんな物、あるわけないじゃないか」
と、誰かさんみたいなセリフを言った。姫倉は誰かさんにおどけた顔で肩をすくめて見せた。
「大人の意見ねえ? つまんないガキ。…おっと失礼。
しかし塩田君の意見もごもっともで、普通こうした事件に付き物の、『怪しい影を見た!』『怪しい光が漂っているのを見た!』『幽霊を見た!』といったような噂話が、このビルに関しては、まるでないのよね? ね?」
姫倉に首を傾げられて、沙希リンに見とれていた大和君が隣の梨帆ちゃんに肘でつつかれて慌てて
「はい!」
と返事した。
姫倉は首を傾げたままうーーん…と悩んだ。
「困りましたねえ、幽霊に出てきてもらわなくてはこっちは商売上がったりです。さてさて困りましたが、この事件で困るのがまさしく、」
姫倉は首を立てて、ギロリと鋭い目つきを見せた。
「幽霊がいない、ということなんです」
この場の誰一人、秘書の御堂を除いてか、姫倉の論理の組立が見えていない。
「ああ、そうそう」
わざとらしく取って付けたように言った。
「そちらの岡田健太君はあのマンションの中庭に飛び降りて自殺した男性の息子さんです」
皆ギョッとして健太君に注目した。
岡本健太君はそういう目で見られるのに慣れているのか、テレビの人たちに見つめられても恥ずかしがったりせず、ふてくされたような表情をかえって白けさせた。
姫倉が彼に訊いた。
「あなたも、こっちのお兄ちゃんみたいに、この世に幽霊なんていない、って思ってる?」
健太君は男らしい太い眉を険しくして、視線をうつむかせると、
「分かりません。……見たことないから…………」
と答えた。
「じゃあ、あの世にならいるかな?」
「さあ。分かりません」
「そうよねー。でも、残念でした。自殺した人の魂はあの世にはいけません」
意地悪な言葉に健太君はキッと強い視線を姫倉に向けた。姫倉は意地悪に薄い笑いを口元に浮かべて彼を眺めていた。健太君は悔しくて、唇を噛んで視線を逸らした。
三津木プロデューサーは副調整室でモニターに映るスタジオの様子を見ていた。この場の仕切は藤森プロデューサーと彼の手のディレクターに任せている。
この子は自分に似ている。
そう思いながら三津木プロデューサーは岡本健太を見ていた。
収録前、三津木は控え室に子どもたちを訪問した。人気の高級洋菓子店のケーキを手みやげに。緑茶を入れてやり、テーブルに四人を呼んで食べるよう勧めた。胃袋が落ち着くと気持ちも落ち着くよ、と。リラックスしすぎて眠くなられても困るけど、緑茶のカフェインは高いから眠気覚ましもバッチリだ、と。三津木は独身でもちろん子どももいないが、子どもタレントで子どもの相手はけっこう慣れていた。もっとも今どきの子どもタレントなんてみんなこまっちゃくれているが、それは現代っ子はみんないっしょだろう。
兄妹の二人は素直で、喜んで美味しいケーキに目を丸くしていたが、あとの二人の男の子はせっかくの高級ケーキもあまり美味しそうには食べてくれなかった。
この四人を呼んだのは姫倉だ。親御さんにテレビへの出演の許諾を得たのも彼女と、秘書の御堂だ。三津木は実のところ彼らが何故呼ばれたのか知らない。今回の収録のシナリオを書いたのは姫倉だ。まあシナリオなんて具体的な物はなく、
「わたしに任せなさーい!」
と言う大ざっぱなふざけきった命令だけだが。
岡本健太だけは分かる。
マンションで自殺した岡本健人の息子だ。
三津木が控え室を訪ねたのは彼と話してみたかったからだ。
不味そうな顔をしながらケーキを食べる彼が、本当は美味しいと感動しているのが三津木には分かったが、微笑み掛けたりしなかった。代わりに質問した。
「岡本君は霊魂の存在を信じるかい?」
健太は三津木が自分のことを知っているのを知り、三津木の視線を跳ね返すようなきつい視線を向けた。しかし三津木はそれを受け止め、負けなかった。この人はちょっと違うようだ、と感じてくれたのかどうか、健太は質問に答えた。
「分かりません。見たことないから」
姫倉に幽霊はいると思うか訊かれたのと同じ答えをした。
三津木は彼が本当は信じたがっているのを感じた。
自分と同じだと感じた。
三津木は頷き、自分のことを話した。
「僕はね、魂の存在を信じている。いや、正直に言うと、信じたいと思っている。
僕は小さい頃、母親を亡くした。
保育園の年長組の時だ。
母が死ぬ前にひどい別れ方をしてしまってね、すっかりおじさんになってしまった今でもずっと後悔している。
朝、保育園に送ってもらっていったんだが、道を曲がって保育園の玄関が見えると僕は走り出してね、お母さんなんて大っきらい。お母さんなんて死んじゃえ!、ってね、ひどいことを言ってお母さんを置いて一人で玄関に駆け込んでしまった。戸の陰からそっと覗いたら、母はしばらくその場に立ってこっちを見ていて、やがて何か思い出したみたいに帰っていった。死んじゃえ!、なんてね、人の死なんて、テレビの時代劇やヒーローアニメでしか知らないで、どういうことかなんて、まるで分かっていなかった。なんてひどいことを言ってしまったんだろうと、今でも後悔しているよ。
その日、帰りのお迎えの時間になっても母はいつまでも僕を迎えに来てくれなかった。友だちはみんな帰ってしまって、先生といっしょに、遅いわねえ、何か急な用事でもできたのかしら、って待っていて、僕は朝送ってもらってきたときにあんな事を言ったからお母さんは怒って迎えに来てくれないんじゃないかって不安になって、泣きたくなった。
僕が母にそんなひどいことを言ったのは、その頃母がしょっちゅう同じ事で僕を叱ってばかりいたからだ。うるさいなあ、さっき言ったばかりじゃないか、と腹の立つことが多かったんだ。
その日、けっきょく母は迎えに来ず、代わりに夕方になって恐い顔をした父が迎えに来た。僕はお父さんに怒られると思って恐かった。でも怒られることはなかった。父の車で僕は病院に連れて行かれた。病院にはお祖母ちゃんが来ていて、父と同じ恐い顔をしていた。子どもの僕はすっかり怯えて、助けを求めるつもりで、お母さんはどこ?と訊いた。
お母さんは今ここにいるんだ、と手術室のドアを教えられた。お母さんは重い病気で、手術を受けているんだ。お医者さんが一生懸命治療してくれているけれど、すごく悪い状態で、駄目かも知れない、と。僕は母が死ぬなんて思っていなかった。お祖母ちゃんが泣いても、お母さんが死ぬ、ということが、全然分かっていなかったんだ。
母は結局、明け方、手術室の中で死んだ。
脳内出血だったんだ。家の中で倒れて、誰も気づく者がなく、処置が遅れたんだ。いや、それ以前からだいぶ大きな腫瘍が脳内にできていたらしい。その頃母が同じ事を繰り返し怒っていたのはその影響だったんだ。父はそんな母の症状に気づいてやれなかったのをすごく悔やんでいた。そんな父を見て、僕はすごく悪いことをしたように思ったよ。
お葬式があって、みんな泣いていて、家から母がいなくなって、それで僕はようやく母が死んで、いなくなってしまったんだと理解した。
小学校の高学年になって、中学生になって、僕は母の死を考えるようになった。僕は恐かった。恐かったのは、母が死ぬときに、僕のことを怒って、嫌っていたんじゃないかということだ。言うことを聞かないで、死んじゃえ、なんて言って別れた僕のことを、怒って、嫌っていたんじゃないか。僕を嫌った気持ちのまま、母は死んだんじゃないか。そう思うのが、すごく恐かった。僕が見た母の最後の姿は、とぼとぼ歩いていく後ろ姿が、曲がり角の向こうに消えていく姿だ。あの時母がどんな気持ちだったろうと考えると、今でも、ものすごい後悔を感じるんだ。ごめんなさい。死んじゃえなんて言ってごめんなさい。本当はお母さんが大好きです。そう言って謝りたいと、ずうっと、今でも、思っているんだ」
語りながら三津木の眉間にはしわが寄り、四角く恐くなった目は潤んでいた。疲れた風を装いながら瞼をこすり、またたかせると、和らげた表情で健太に言った。
「人間は死んだらそれっきり、おしまいなんて、悲しいじゃないか? 肉体が滅んでも魂があって、生者の声を聞いてくれるって、思いたいじゃないか?
僕は母の幽霊に会いたいって、ずうっと思っている。
母の幽霊にごめんなさいと謝って、あなたを嫌ってなんかいないわよ、って、安心させてほしいと、ずうっと思っている。
……大人だって、こんな風に意気地なしのもんなんだよ」
三津木は微笑み、
「美味しいだろう? 高かったんだぜ?」
と、すっかり手の止まってしまった健太に言った。
「うん」
健太はフォークにすくったケーキを口に含み、
「美味しいよ」
と言った。
とっくに食べ終わっている兄妹は三津木の重い話に居心地悪そうにしている。
「もう一つどう? 育ち盛りだ、一つじゃ足りないだろう?」
ケーキは二つずつ買ってきてある。収録開始は午後三時。今二時を過ぎたところで、ちょっと早いがおやつの時間だ。
「いただきます」
兄妹は嬉しそうに二個目のケーキを選んで取り、三津木は緑茶のおかわりを入れてやり、もう一人、塩田圭祐にも
「君もどうぞ」
とケーキのおかわりを勧めた。塩田は無言で手を伸ばし、相変わらず美味しくなさそうに食べ出した。宮澤兄妹はどうやら事情を知る一般人代表のようだが、この子はいったいなんなんだろうな?、と、三津木は塩田を不思議に思った。




