マスクド仮面
昔のことを思い出したので書く。
中学三年の春、俺の現代文のノートに突如ヒーローが登場した。
受験と言われてもまだ遠い対岸の話で、まるで気にする気になんかなれやしないのに、否応なく迫ってくる実感だけは学年を見るたびに襲ってきて、誰に向けていいやら分からない八つ当たりみたいな苛立ちに頭が沸いていたころの話だ。
十冊いくらの再生紙を使用していますというB罫線を、縦罫線として使うために横向きに使っていた。そのノートの隅っこに、約束されたヒーロー・マスクド仮面が現われたんだ。
マスクド仮面。
いかにも頭が悪そうな名前だが、頭が悪いのは名前だけじゃない。白タイツに身を包み、顔には上向きの三日月を目に彫っただけの純白無地な丸いマスクを被っている。ヒーローというより変態と呼ぶほうが正確に思えるが、マスクド仮面はヒーローだった。
マスクド仮面はなにもしない。悪の組織と戦うわけでもなければ、災害から人々を救ってくれるわけでもない。悪の組織なんてこの世に存在しないし、災害には一人のヒーローより人々の互助のほうが役に立つ。マスクド仮面は、星のよく見える夜にただ一人、電柱のうえでしゃがみこんでいるだけだ。
それでもときどき、マスクド仮面は困った人の前に現われる。悩みを抱えた少女の前に現われて、特に救うでもアドバイスを授けるでもなく、二三話を――それもほとんど格好に対する問答を――話をして、いつの間にか消えている。マスクド仮面はカウンセラーでも友人でもない。マスクド仮面は、ヒーローを約束された絶対無敵の存在だ。ただ戦うことに意味がないだけ。
もしかしたら彼も、存在してしまったから、仕方なく存在し続けているのかもしれない。俺たちと同じで、存在することに理由なんてないのかもしれない。存在するということは、それだけで影響を絶対にゼロにはできない。消えるだけで、右辺にマイナス1を残してしまう。ゼロと1の間には、無限大の差がある。
しかし、そんなとき、彼ならばこう言うだろう。
「つまり僕たちは、無限大を持ってここにいる、ということだね」
彼はしゃべるのか? もちろんしゃべる。年を食ったわりに幼さを残すような、若い男の声で分かったようなことを言う。
そんな彼も、現代文の授業が進み、俺のノートの隅に女の子が描かれるようになると、めっきり現われなくなった。
しかしそれは、彼が消えたことを意味していない。彼は姿を現さなくとも存在することを証明するかのように、ノートの古い底に沈んだのだ。
マスクド仮面は、約束されたヒーローだ。人のいない夜に、星空を見上げて存在している。
なぜなら彼は、無限大をその身に抱いているのだから。
三分の二フィクションです。なんぼか事実。