その後
「シルさん! 聞きましたか?!」
バン、と大きな音を立てながら豪快に登場したのは、シルさんより背は低く、毛並みが白色の熊さんだった。ここは熊さんワールドなのかと頭を傾げた。
「ヴァイス、煩い。それに、ノックはどうした」
ソファーに座った私の頭をシルさんは自慢の肉球でぽふぽふと撫でながら入ってきた熊さんに言い放った。視線は相変わらず、私に向けながら。
「昨日の昼間に森に落ちてきたみたいですよ! いやー、いつぶりですかねー。俺も見てみたいっすよ」
ヴァイスさんは、シルさんの発言を華麗にスルーし、恍惚とした様子で言い放った。
「…ヴァイス。なぜそれを…」
「なぜって。シルさんが昨日、森の様子がおかしいって言ってたじゃないですか。それに、空から舞い降りた瞬間を見たって言う種族が多々いたみたいで。急いで確認しに行ったんですが、もうそこには舞い降りてきた者は居なかったんですよー。忽然と」
「…それで、今までなにしてたんだ? お前、仕事はしたのか?」
「事情聴取してたら夜が明けてましたよ。まったく…。それより。シルさん、跪いて何してるんですか?」
ヴァイスさんはそこで漸くシルさんに隠れている私の姿を確認するようにひょいっと覗き込んだ。
「わぁっ! えっ!? 女、の子?!」
大きな身体からめいっぱい咆哮すると地面が少し揺れ、鼓膜がびりびりと揺れた。その声量に大袈裟に反応したのではなく本気で身体がびりびりと震え、こてんと横に倒れた。が、すぐに柔らかい肉球が私の体を支えてくれた。
「ヴァイス。何度、言わせる? 煩い」
「そ、そんなことより。この女の子どうしたんですか?! ま、さか…。いや、言わなくていいっす。聞いたら恐ろしいことが、」
「空から拾った」
「だぁーっ! シルさん! なんてことしてんすか! 空から舞い降りてきた者をおいそれと拾っていいものじゃないってことはシルさんだって知ってるでしょう?! しかもこんな可愛い女の子! 可愛い女の子!」
人間の姿であったらびしっと指でさされていただろうが、熊さん姿の彼は柔らかそうな肉球をこちらに可愛くのぞかせただけで、その姿はなんだか滑稽で私の口元がだらしなく緩んだ。
「うわぁ。可愛い。小さくて小動物みたいっすねー。人間なのに。ぐふ。人間なのに」
「見るな。減る」
そう言うとシルさんは私を抱え込むように抱きついた。ズボンは履いていたが、上半身はむき出しでいたので顔にふかふかもふもふの毛並みがくすぐったく触れてくる。心地良さのあまり、頬を擦り寄せてしまうほどシルさんの毛並みは気持ちが良いのです。
「ぐはっ! なんすか、シルさんだけ。ずるいっすよー」
「ヴァイスは、ミサの手続きを済ませておけ」
シルさんは何事もなかったように、私の頭を撫でた。
「手続きって何ですか?」
シルさんから撫でられることはとても気持ちよくて、気を抜くとすぐに眠ってしまいそうになるので、必死に抗うようにその手から逃げ、ヴァイスさんに視線を投じた。
「空から舞い降りてきた者に、この世界で暮らせるように身分証明書を作成してー、アイデンティティを認めるようにするってことっすかね」
「なるほど。それを作成して一人で暮らしていけってことですね…。このままシルさんと暮らせるわけではないんですね…」
しょんぼりと落胆するとシルさんは腕を頬へ伸ばし、ぽふぽふと優しく撫でた。
「俺と暮らしたいのか?」
人間の姿ではないので表情から正確に読み取ることはできないが、にんまりと笑ったように見えた。
「…ミサ。お前はなんて可愛いんだ」
シルさんは甘ったるい声で囁くとぱふっと音をならして人間の姿になった。
ちょっと待て。
「ちょっと、シルさん! 今人間の姿になるの反則っすよ!」
ヴァイスさんの忠告も虚しく、私の唇に甘いキスを落とした。そして、こともあろうに艶めかしいキスに突入した。
「はぁ、シ、ルさん…」
漏れる息と共に必死の思いでシルさんを止めようと名を呼ぶと、シルさんは優しく微笑んだ。まるで喜んでいるようだった。
「なんだ?」
その声も背筋がぞくぞくする甘さを蕩けてしまいそうになる。
「は、恥ずかしいです…」
昨夜の甘美なひと時はお互いの胸にだけそっとしまいこんでいたというのに。普段からこんなに甘さたっぷり全開では、私の身がもちません!
「そうですよ。シルさんいい年して、なに発情してんすか。恥を知るべきです! …シルさんは知るべき…」
面白くもないおやじギャグに笑う目の前の熊さん。人間の姿なら冷たい視線を送ってやるところだが、熊さんの姿だとどうも可愛らしい。思わずにんまりと微笑えんでしまった。
「…ヴァイス。お前も人型になれ。姿が気に食わん」
「はぁ。いいすけど」
そういうとぎゅぽっという効果音と、黄色の煙がどこからともなく現れた。
人間になるときはこの煙はセットなのかな?
一回見てしまうと、効果音はかわいらしいがこの煙は目に沁みてできることなら控えてほしいな、なんて考えていると、煙が薄まり、一人の男性が現れた。
「はぁ。久々に人型になると、煙が鬱陶しいっすね」
どうやら、定期的に人間になる人は煙は出ないようだ。
なるほど、なるほど、と感心し頷いていると、ヴァイスさんの顔をじっくり見れる前に後ろを向いてしまった。後ろ姿は、細身の身長に白色に近い銀髪が目にチカチカと映った。そのまま、書類が積まれている机に近寄り、抽斗からた眼鏡ケースを取り出し、黒いフレームの眼鏡をかけて漸くこちらを見てくれた。その姿は話し口調からは想像もできない知的な雰囲気で、黙っていると爽やかなキャスターのように見えた。この世界の人間はみなさん美形なのかと問い詰めたくなった。
「視力、悪いんですか?」
「あ、うん。人型の方は視力悪いんすよね」
「お前はデスク派だからな。視力が悪くなるんだよ。たまには身体を動かせよ」
「だったら代わりにシルさんがデスクワークしてくださいよー」
「俺も若いころはさんざんやったよ」
「あのぉ、今更なんですけど、シルさんたちって軍人さんなんですか?」
熊さんの姿の時と同じ服装ということはかろうじてわかったが、人間の姿で見るその服は、軍服のような地味ではあるが格式のある雰囲気だった。
「うーん。軍には所属しているが、軍人かと問われれば違う気が…。俺たちは警護をするよりも、森の管理のほうが主なんすよ。だから、軍人と言われるとちょっと違うんですよねー」
なんだかしっくりこないが、結局ここが地球ではないのだから、私がわからなくても当然、と慰めてこくんと頷いて見せた。
「とりあえず。名前を聞いてもいいっすか?」
机の上にあった紙と細い棒のような耳かきのようなものを片手に持ち、尋ねられた。
名前と言われ、昨日のシルさんとのやり取りを思い出し、微苦笑を浮かべた。
「名前がミサですけど…。本名は阿南 美沙です」
「…ミサね」
やはりフルネームはだめらしい。
「俺は、ヴァイス・ミロルジーネ・ハワス」
「…ヴァイスさんですね」
私も無理そうだ。シルさんの名前でさえ覚えられていないのにこれ以上難しい名前はやめていただきたい。
「それじゃ、簡単でいいすから自己紹介してくれる? そこから作成しますんで」
「あ、はい。年齢は21で」
「21!? ミサさん、嘘はダメっすよ」
「…いえ。本当に21歳なんです」
確かに身長は低いし、顔も童顔、体型もどちらかといえば。どちらかといれば、幼児体型よりだと自覚している。それでも、そんな過剰反応されるとは思ってもみなかったので、悲しくなった。
「何歳に見えているんですか…」
「12、3歳かと。なるほど。成人してはいるんですね?」
「12?! それって10歳ほど若く見えているんですか?! 顔ですか?! 童顔だからですか?!」
「お、落ち着いて下さいよ。顔も童顔っすけど、身長が此方の世界では考えられない小ささっすから」
確かに、熊さんの姿は巨大を通り越した大きさに、人間の姿になっても大して縮んではいない様子なのでこちらの世界に住む者はそれなりに大きなサイズなのだろう。
「…なるほど。それは、仕方ないですね…」
「そうっすよ。ミサさんが落ち込むことないっすから。可愛いし」
「ヴァイス」
シルさんの鋭い瞳から視線をそらし、ごほんとあからさまな咳をひとつ吐き出した。
「…では、続けて」
「あ、はい。性別は女で、日本から来ました」
「ニホン…。聞いたことない国名っすね。どうやって来たか覚えてますか?」
「それが…。寝ていたはずなんですけど、起きたら森の中にいて…」
「シルさんはいつから確認したんすか?」
「空から来るところは見ていないが、森の入口を抜けた二つ岩の間に横たわっていた」
シルさんがそう言い終えると、その場が静まった。ヴァイスさんはなにやら考え込む様子を見せていたが、シルさんは私の衣服を確認するように腕のそでの部分をしきりに引っ張っていた。
どうしたのかと視線を向けると、シルさんはとろけるような笑みを浮かべた。甘い!甘いよ!
「ミサ…。この服は正装だったのか?」
「まさか。パジャマだよ」
ワンピースの形をしたこの部屋着は、二十歳の誕生日プレゼントに友達からもらったパステルカラーのもので形も素材も手触りも良く、お気に入りだった。
「ミサによく似合ってる」
そういうと、おへその横あたりの備え付けられているポケットを撫でくりまわした。
「…このまま食べてしまいたい」
「もう食べたでしょ」
「ぎゃーーーーーーーっ?! はい、そこ! ちょっと、どういうことっすか?!」
熊さんの時よりかは小さくはなっていたが、近距離で叫ぶので顔をしかめた。耳が痛い。
「…ヴァイス。ミサは脆いんだ。それ以上でかい声を発するなら首をちょん切るぞ」
「シルさん、そこはせめて口を縫い付けてやるぞクラスの脅しにして下さいよ。ちょん切られたら死んじゃいますから。それより、どういうことっすか? なに、手ぇ、出してんすか。アンタいくつだと思ってんすか」
呆れたように冷たい視線で言い放った。
「あ、あの! そんな、怪しいものではないので!」
ヴァイスさんの様子からして、シルさんに不利なことを言ってしまったようで、慌ててとめに入ると、シルさんはまたまた甘ったるい笑顔を見せてから髪を撫で、ヴァイスさんは私の反応とシルさんの対応を交互に見てから頭を抱えるように手で顔を覆った。その仕草は若干大袈裟で詐欺師のような胡散臭さを放っていたが、目の前のシルさんで精一杯の私はつっこむ余裕がなかった。
「ミサが慌てる必要はない。大丈夫だ」
小さな子供をあやすように、優しい声音に優しい手つき触れるものだから、縋りついてしまいそうになる。
「そ、その! ヴァイスさんも食べます?」
「?!」
ヴァイスさんは手に持っていた耳かきペンと紙を勢いよく床に落とした。その大げさなリアクションに何をそんなに驚いているのかと首をかしげながら、ポケットに手を突っ込み、中のお菓子を引っ張り出した。
「これ、私が作ったお菓子なんですけど」
この世界に来る前に、鞄に直そうと一時的にポケットにいれていたお手製のクッキーを渡した。
昨夜、シルさんにも渡したがなかなかの高評価だったので、調子に乗って渡してみたが、もしかしたらヴァイスさんは私のような得体のしれない女からもらう食べ物に警戒してあえるのだろうか?
「…お菓子…?」
「はい。ポケットにしまいこんでいたようで。その、毒とかいれてません!」
「はぁ、それはわかりますけど。…本当に21歳なんすか?」
その疑っている目をやめてください!
「ああ。それは俺が保証する。この目で確認した」
何を確認したのだろうか。
「だぁーーーー! やっぱりか! この変態が!!」
今までに一番大きな声を発したヴァイスさんは、すぐさまシルさんに取り押さえられ首をホールドされていた。ほんの数秒でヴァイスさんは肩をタップし「ギブっす! ギ、ブ、っ、す…!」と途切れ途切れ言うものだから私も慌てて救助に向かった。
「首と身体がくっついてるだけでもありがたく思え」
そういうと私の背中と膝裏に手を回し軽々と持ち上げ、お姫様抱っこをするとふんわりと微笑んで「さぁ、帰ろう」と何事もなかったかのように言ってのけた。
宣言通り書いてしまいましたが、なんだかコメディになってきましたね。
おかしいなぁー。ただひたすらに甘甘にする予定が。タグにコメディ入れるべきですかね?これに関して反応していただけると嬉しいです。
書きたいネタが集まれば、また書こうと思いまーす。
読んでくださってありがとうございました。