前編 ミサ
どこかで何かの音が響いている。
煩さのあまり眉に力が入るが、瞼に力は入らない。まだ寝ていたい。そんな甘い誘惑に勝てるはずもなく、起きてしまおうとする脳を無理やり夢に戻そうとしたとき、肩を揺さぶられ、思わず目を開けてしまった。
「もうちょっと…」
寝かせて、と続けようとして言葉に詰まった。
あれ?
ここはどこ?
自分の部屋ではない空間。目の前には母親ではない知らない者。しかも、人間という分類にさえ入りそうにない者が、堂々と存在している。
どういうこと?
起きはしたものの、状況についてこれない脳は使い物になるはずもなく、ただ呆然と目の前に現れた者を眺めた。驚きのあまり目が離せなかったというのが本当の答えかもしれない。だって、外見が服をきた熊さんなのだから。よく見ると服も綺麗な軍服のようで、しっかり袖に腕を通している。そんな熊さんと上半身だけを起き上がらせた状態で向かい合っていた。
しげしげと眺めていると熊さんは私に向かって、早口で何かを発した。が、混乱した頭では聞き取れることもできず、ただの音として流された。
何を、言ったのだろう?
吠えたのだろうか?
ぽつぽつと浮かぶ思考に、それどころではないだろ!と慌ててツッコミをいれた。
向かい合っているのは奇妙ではあるが、熊さんなのだからとりあえず死んだふりはしておくべきだ。
無理矢理結論付け、せっかく熊さんに起こされたのに、もう一度寝転がろうと目を瞑り、体を傾けた。が、阻まれた。
なんだ?と思い、目を開けると熊さんが私の肩に手を置き倒れそうな上半身を支えつつ、勢いよくこちらに顔を近づけてきた。
喰われるのか?!
混乱と恐怖がないまぜになっていると熊さんは私にむかって頭突きをかました。
死にはしなかったが、意識はここで飛ばされた。
◇
次に目を覚ました時も、自室ではない風景に肩を落とした。本当にどうなっているのか。嘆きうなだれているところに物音が響き、すぐに頭をあげた。
「目が覚めたか」
物音に続き、低く心地の良い声が響いた。
「……まだ、言葉がわからないか?」
「く、ま…?」
「身体に異常は?」
私のつぶやきに答える様子も見せず、ただ淡々と聞かれた。
「と、とくには…」
目の前に立つ熊さんは先ほど現れた熊さんと同じ服装で、つぶらな瞳に艶のある毛が服から出た体を覆っていた。
熊さんは私に近寄ってきたが、少し距離を取って跪き、視線を合わせた。
「名は?」
「阿南 美沙です」
「アナミーサア?」
「いえ。あなん、みさ、です」
「……アナッミサ?」
どうやら、区切るところがわからずかつ発音のしにくい言葉のようだ。
「み、さ。みさです」
「ミサ?」
「あ、そうです。貴方は?」
「シルリーニア・サマナ・ヴァルキヌラ」
「え?! シ…?」
「シル」
「シルさん、ですか?」
「そうだ」
「熊さん、ですか?」
「そうだ」
「…触っても?」
「…構わないが、君は怖くないのか?」
「え?! 噛みつきますか?」
「噛まない」
「じゃあ、大丈夫です」
「…変わってる」
シルさんは呆れたように言い放つと、立ち上がった。跪いた状態でも私の身長よりも大きのではないかと思うほどの大きさで、立ち上がった姿は首が取れるほど上を向かないと顔が見えない。そんな巨体で私との距離を詰めてからもう一度跪いた。
「失礼、します」
そう言って艶のある毛並を撫でると、想像以上の柔らかさに思わず口元が緩む。なんて、可愛いの?!
「痛くないですか?」
耳と耳の間で頭部のてっぺんを触っていたが、そこが熊さんにとって痛みを感じる場所なのでは?と思い、尋ねると熊さんは「いや」と一言だけ言った。特に嫌がる様子も見せなかったので、そのまま思う存分撫でさせてもらった。
「シルさんの毛並、素敵ですね。いつまでも撫でていたい…」
本音がこぼれるとシルさんは呆れたのかため息をこぼした。
「ミサ、それは俺を誘っているのか?」
「誘う? どこにですか?」
「ベッドに」
「もうベッドにいますけど」
「…ミサはいくつなんだ?」
「年齢ですよね? 21ですけど…。シルさんは?」
「37だ。そうか、成人してはいるんだな」
「はい。ところで、私も質問してもいいですか?」
ここでやっと、撫でていた手を離し、ベッドの上ではあるが、正座をし身を正した。
「よかろう。話せ」
「ここはどこですか?」
「サニターシュ国だ。ミサは空からきたのだろ?」
なんの疑問も持たず、シルさんは話した。
「え?! 私、空からきたんですか?! さ、サなんとか国って?」
「うるさい。少し落ち着け」
「…触っても?」
「…ああ」
落ち着くためにはシルさんの毛並は抜群の効果があった。
シルさんの頭を撫でながら、このあまりにリアリティにかけた状況に自分の妄想なのでは?という考えが浮かんだ。
「空から落ちてくる者は何年かに現れる。そう、珍しくもない。ミサは何も怖がることはない」
そういってシルさんは私の頭を柔らかな肉球で撫でて下さった。
「俺が育ててやる」
あれ?
なんかお父さん発言?
「はぁ」
ま、リアルな夢を見てると思えば…。
いや、そんなことよりも! 熊さんに育てられる発言なんて素敵! 萌える!
うはうはな私の様子を見ると満足したのか、シルさんは肉球で頬やら肩を撫でながら、徐々にベッドに沈められた。
あれ?
「安心しろ。優しくしてやる」
そういうとパフっという可愛らしい効果音ともに煙が何処からともなくわいた。煙がおさまると目の前には毛並みの良かった熊さんは何処かへ消え去り、代わりに現れたのは、少女マンガにでてく王子様のようなきれいな顔をした男の人で、私を押し倒していた。
ええ!?
どういうこと?!
「ミサ。落ち着け。交尾がしやすいように人間の姿になってやった。ありがたく思え?」
王子様の外見に似合う堂々とした態度には違和感を覚えたが、にやっと笑った顔が好みだったとか思ったことは内緒です。
異世界ものに初挑戦してみました。
さくっと読めるものを目指していますので、物足りないと感じるかた、申し訳ないです。