『コンビニの傘』 1話完結
六月の終わり、雨は夕方になるほど強くなっていた。
大学帰りの僕は、駅前のコンビニの軒下で立ち止まった。朝は晴れていたから傘なんて持っていない。スマホの天気予報を見ても、雨マークなんてなかった。
「最悪……」
店内へ入ると、入口横のビニール傘が目に入る。
——七百円。
高い。
「傘って、こんな高かったっけ」
独り言をこぼしながら、おにぎりコーナーを意味もなく一周した。
財布には千円札が一枚と小銭。昼に友達とラーメンを食べたせいで、今週は少し厳しい。
諦めて走って帰ろうか。
そう思った時だった。
「使います?」
後ろから声がした。
振り返ると、レジにいた五十代くらいの女性店員が一本の傘を持っていた。
透明だけど少し骨が曲がっていて、新品ではない。
「忘れ物なんですけど、もう一週間くらい誰も取りに来なくて。返さなくてもいいので」
「え、でも……」
「雨強いですし。風邪ひいたら大変だから」
少し笑って、その人は傘を差し出した。
断る理由が見つからなかった。
「……ありがとうございます」
外へ出ると、さっきまで嫌だった雨が少しだけ弱く感じた。
—
翌週。
僕はまた同じコンビニに来ていた。
返さなくていいと言われたけれど、なんとなく気になったのだ。
傘を持って店へ入る。
しかし、あの日の店員はいなかった。
代わりに若い男性店員がレジに立っていた。
「あの、ここで働いてる女の人で、短い髪の……」
「ああ、先週で辞めましたよ」
「辞めた?」
「実家戻るって言ってました」
思っていたより、少しだけショックだった。
ありがとうもちゃんと言えていない。
変な話だけど、もう一度会える気がしていた。
「これ、返したかったんですけど」
傘を見せると、店員が少し困った顔をした。
「じゃあ、忘れ物箱に入れときます?」
その時、少し考えてから首を振った。
「……いや、やっぱいいです」
—
数日後。
駅で突然の雨に降られた女子高生が、改札前で困っていた。
友達に連絡しているのか、何度もスマホを見ている。
少し迷った。
でも、あの日のことを思い出した。
「あの」
声をかけると、相手が驚いた顔をする。
「よかったら、これ使います?」
女子高生は目を丸くした。
「え、いいんですか?」
「返さなくて大丈夫です」
自分でも少し照れくさい言い方だった。
相手は何度も頭を下げながら傘を受け取った。
「ありがとうございます!」
小走りで去っていく後ろ姿を見ながら、少し笑った。
雨は相変わらず嫌いだった。
でも、悪いものでもない気がした。
人からもらった優しさは、案外なくならない。
形を変えて、どこかへ流れていくのかもしれない。
その日は、少し濡れて帰った。




