一緒にドライブ
「……さて。あの子がこちらに来る前に逃げるわよ!」
如月会長は俺の指を絡めたまま弾かれたように走り出した。
カツ、カツという靴の音が静まり返った廊下に硬く響く。
「え、ちょっと……会長!? どこへ行くんですか!」
「どこでもいいわ。……あの子の『愛』という名の檻が届かない場所までよ!」
会長は余裕の笑みを消し、必死な形相で俺の手を引く。
そのスピードは凄まじく、俺は転ばないように必死で足を動かした。
その時。
背後の生徒会室からこの世のものとは思えない絶叫が響き渡った。
「悠っ!! いないいないいないっ! どこ!? どこに行ったの!!」
バリバリッと木材が悲鳴を上げる音が聞こえる。
鍵をかけたはずの扉が内側から凄まじい力で叩かれているのだ。
「……っもう気づいたわね! さすが執念の塊だわ!」
会長はさらにギアを上げた。
階段を一気に駆け下り夕闇の迫る校舎を風のように駆け抜ける。
「悠くん、私の手を離さないで! 離したら最後あなたは一生あの子の『お人形』として地下室で暮らすことになるわよ!」
「そんな物騒な未来聞いてないですよ!」
後ろを振り返ると三階の窓から髪を振り乱した冬華が身を乗り出しているのが見えた。
その瞳は夕日に照らされて爛々と赤く光っている。
「……見つけた。……会長……私の悠を返して!!」
冬華が窓枠を蹴って飛び降りるのが見えた。
……ここは三階だぞ!?
「ひっ、飛んだ!? あの人飛びましたよ!」
「あの子なら着地くらい受け身で余裕でしょうね! さあ止まらないで! 私の車まで走るわよ!」
会長の車?
高校生なのに!?
突っ込みたいことは山ほどあったが背後から迫る「死」よりも重い愛の足音が俺の思考を停止させた。
「乗って!」
会長に押し込まれるようにして後部座席へ。
そこには一人の女性が運転席に控えていた。
「お待ちしておりましたお嬢様。……そちらが例の?」
「ええ。説明は後よ、出して!」
俺はその運転手を見て言葉を失った。
フリルのついたカチューシャに黒のロングスカート。
……本物のメイドだ。
(メイドさんって本当にいるんだ。……しかもあんなにコテコテのメイド服を着てるなんて)
可憐でどこか儚げな美少女。
おとなしそうにハンドルを握る彼女の横顔を見て、俺は一瞬だけ安堵した。
だが。
その安堵はエンジンが咆哮を上げた瞬間に粉砕される。
「承知いたしました。……舌を噛まないようお気をつけください」
メイドがレバーを叩き込んだ。
キュルルルッ!!
タイヤが悲鳴を上げ俺の体はシートに深く沈み込む。
高級車とは思えない暴力的な加速で車はハイウェイへと躍り出た。
「ちょええええっ!? 速い速い速い!!」
「……ふふ、私のメイの腕は一流よ?」
会長が余裕の笑みで俺の腕を掴む。
だが一流の定義が違いすぎた。
メイドのメイは並み居る車をごぼう抜きにしながら法定速度を超えてるように感じるスピードで針の間を縫うように突き進む。
(可憐……? おとなしい……? 嘘だろ、これただの走り屋じゃないか!!)
急カーブでも減速せずタイヤを鳴らしながらドリフトで曲がっていく。
後部座席で俺と会長の体が激しく揺れる。
「……お嬢様。後方に鳥が」
メイがバックミラーを冷徹な目で見据えた。
「鳥……?」
俺が後ろを振り返るとそこには。
原動機付自転車――いやただのママチャリに跨り凄まじい前傾姿勢で爆走してくる冬華の姿があった。
「悠! 逃がさない逃がさないわ!!」
おかしい。
時速100km以上は出ているはずのこの車に自転車がじりじりと追いついてきている。
「……ふん。あの子、脚力だけで物理法則を無視しているわね」
会長が忌々しそうに舌を打つ。
「メイ! 振り切りなさい! ターボを使うわよ!」
「イエスマイレディ。……リミッター解除します」
メイがインパネのスイッチを押し下げた。
車体がガタガタと震え俺の意識が遠のくほどの重力が襲いかかる。
「ひぃぃぃっ! 死ぬ! 恋に落ちる前に物理的に落ちる!!」
俺の叫びを置き去りにして漆黒の怪物は夜のハイウェイを光の速さで駆け抜けた。
高く聳え立つ鉄柵の門をくぐり視界が開けた先に現れたのは。
「……嘘だろ。お城か?」
月明かりに照らされた広大な敷地に鎮座する巨大な洋館。
石造りの壁天を突く尖塔、そして無数に並ぶ窓。
それはまさに中世の貴族が住まう城そのものだった。
「ようこそ私の家へ。……ここならあの狂った娘も簡単には入ってこれないわ」
会長はようやく安堵したように俺の手を引いて車を降りた。
メイドのメイさんは激しいカービングの直後だというのに乱れ一つない仕草で車のドアを閉める。
「お嬢様、悠様。どうぞ中へ。……外にいると『野生動物』に噛まれる恐れがございますから」
俺は足の震えを抑えながら重厚な樫の木の扉を潜った。
玄関ホールに足を踏み入れた瞬間天井の高さと豪華なシャンデリアの輝きに圧倒される。
赤絨毯が敷き詰められた大階段。
壁には歴代の先祖らしき肖像画がずらりと並び、視線がこちらを追ってくるような錯覚を覚える。
「……広すぎて逆に怖いんだけど」
「ふふ安心して。使用人は大勢いるしセキュリティも万全よ。……今夜はここでゆっくりと二人きりで過ごしましょう?」
会長の声が広いホールに反響する。
「二人きり」という言葉に彼女の指先が俺の肩を優しく撫でた。
だが。
その時洋館の分厚い壁の向こうから奇妙な音が聞こえてきた。
ギィ……ギィ……。
鋭い何かが石壁を削りながら登ってくるような不吉な音。
「……ねえ会長。この家、セキュリティ万全なんだよね?」
「ええ。もちろん。最新の赤外線センサーと警備犬が……」
その言葉が終わるより早く。
三階の一番高い場所にある窓ガラスが内側から激しく振動し始めた。
「……悠……。……悠はどこ……?」
地を這うような冬華の声が通気口を通じて館内に染み渡っていく。
どうやらこの巨大な洋館すら彼女にとってはただの「宝探し」の箱に過ぎないらしい。
「……悠ここに入っていなさい」
会長は館の最奥にある『開かずの間』の重厚な扉を開いた。
そこは窓一つない分厚い壁に囲まれた静寂の空間だ。
「ここは私の許可なく誰も入ることはできない。……安心しなさいあの子の相手は私がしてくるわ」
会長は俺の肩を力強く叩き、不敵な笑みを浮かべる。
「忘れたの? 私は学園を統べる生徒会長よ。……狂犬の一匹や二匹躾けるのは容易いことだわ」
そう言い残し会長は翻るスカートと共に廊下へと消えていった。
バタンと扉が閉まる。
(……まあ、あの会長なら問題ないか)
さっきまでの圧倒的なオーラ。
そしてメイさんという最強のメイドを従えるカリスマ。
冬華も流石に学園の頂点相手には分が悪いはずだ。
俺は少しだけ息をつき部屋のソファに身を沈めた。
静かだ。
外の騒ぎも冬華の叫び声も聞こえない。
数分後。
廊下からゆっくりとした足音が近づいてきた。
ガチャリと鍵が開く。
「……忘れ物ですか会長?」
俺は立ち上がり扉の方を向いた。
だが。
そこに立っていたのは会長一人ではなかった。
「……あ、悠。……見つけた」
ボロボロの自転車のチェーンを首から下げた冬華がそこに立っていた。
その右手には。
……ぐったりとした如月会長の襟首を子猫のように掴んだ彼女の姿があった。
「え……会長?」
「……ごめん。しくっちゃった。……てへ」
会長は顔を真っ赤に腫らし、目は回っている。
さっきの強者の面影はどこにもない。
学園の女帝が物理的にそして完膚なきまでに躾けられた後だった。
「……邪魔だったから少し眠らせておいたわ」
「ぐへ」
冬華はゴミを捨てるように会長を廊下に放り出す。
「さあ悠。……二人きりを邪魔する人は、もう誰もいないわね?」
冬華が部屋に入り背後で扉を閉めた。
その瞳は暗闇の中でらんらんと輝いている。
絶体絶命。
俺を守る盾は今廊下で大の字に倒れていた。




