第3話 痩せた大地と、執事への講義
翌朝。
俺は早朝から馬車に揺られていた。
目指すは領都エルガレアの西に位置する農業都市、レストバレイク。
領都から馬車で片道四時間。日帰り視察としては、少々強行軍となる距離だ。
「……若様。病み上がりのお体で、よろしいのですか?」
向かいの席で心配そうに声をかけてきたのは、我が家の筆頭執事、セバスだ。
白髪を撫で付け、燕尾服を完璧に着こなす60代の老紳士。
父ロイドが幼い頃からエルガレア家に仕える古株であり、俺にとっても頼れるお目付役だ。
「平気だよ、セバス。それに、父上の仕事を手伝うと言った以上、領地の『現場』を見ておかないとね」
「現場、でございますか」
「そう。数字は嘘をつかないけれど、数字だけでは見えない現実もあるから」
俺は車窓の外を流れる景色に目を細めた。
前世のIT社長時代もそうだった。データセンターの温度、プログラマーの顔色、オフィスの空気感。
現場を知らない経営者の改革プランなんて、ただの机上の空論にしかならない。
***
四時間の道のりを経て、馬車はレストバレイクに到着した。
ここは領内最大の穀倉地帯であり、領民10万人の胃袋を支える食料庫だ。
……はずだった。
「……これは、ひどいな」
馬車を降りた俺の第一声は、ため息混じりのものだった。
目の前に広がるのは、見渡す限りの小麦畑だ。
だが、その景色は黄金色には程遠い。
麦の背丈は低く、茎は細く、葉は黄色く変色している。
まるで栄養失調の子供が並んでいるようだ。
俺は畑の畔にしゃがみ込み、土をひとつまみ手に取った。
カサカサとした感触。
白っぽく乾燥しており、土特有の湿り気や匂いがまるで感じられない。
「セバス。この畑、何年くらい小麦を作り続けている?」
「はて……記録によれば、ここ50年は毎年、小麦を植えているはずです。休耕地を設けず、神官に豊作の祈祷を捧げながら」
「50年も連続で? 肥料は?」
「家畜の糞を撒いておりますが、近年はそれでも収穫量が減る一方で……。農民たちは『大地の恵みが枯れた』と嘆いております」
俺は手の中の土をパラパラと落とした。
原因は明白だ。
連作障害と、圧倒的な栄養不足。
同じ作物を作り続ければ、土壌から特定の栄養素だけが吸い尽くされる。
特に、植物の成長に不可欠な窒素が枯渇している状態だ。
祈祷なんかで窒素が増えるなら、化学肥料メーカーは全滅だ。
「セバス。これじゃあ作物が育たないのは当たり前だよ。土が死んでいる」
「土が……死んでいる、とは?」
「土の中の栄養が空っぽなんだよ。人間だって、毎日水だけ飲んで働かされたら倒れるだろう? この土は今、その状態だ」
俺は立ち上がり、パンパンと手を払った。
セバスは困惑顔だ。この世界では「肥料」の科学的知識は皆無に等しい。
さて、どう説明したものか。
「対応策が必要です。それも、今すぐに」
「しかし若様。肥料を増やすと言っても、家畜の数は限られておりますし、森を開墾して新しい畑を作るには人手が……」
「違うよ、セバス。新しい畑はいらない。『植えるもの』を変えるんだ」
俺は指を二本立てた。
「まず、小麦の連続栽培を禁止する。その代わりに『カブ』と『マメ』を植えさせる」
「マメ、でございますか? あのような貧しい者が食べる下等な作物を?」
セバスが眉をひそめた。
中世風の世界観において、豆や根菜は家畜の餌か、貧民の食事というイメージが強いのだろう。
だが、それこそが狙いだ。
「そう、マメだ。クローバーや大豆でもいい。マメ科の植物はね、根っこに不思議な力があって、空気中の栄養(窒素)を土に戻してくれるんだ」
俺は前世の知識である『輪作(ノーフォーク農法)』の理論を噛み砕いて説明した。
一年目に小麦で消耗した土地に、二年目はカブ(根菜)を植えて土を耕させ、三年目はマメを植えて窒素を回復させる。そして四年目にまた小麦を植える。
これを四つの区画でローテーションさせれば、休耕地なしで毎年安定した収穫が得られる。
「土を回復させながら、作物も取れる。しかも、収穫したカブとマメは家畜の餌になる。そうすれば家畜が増えて、良質な肥料(糞)も増える。……どう? 完璧なサイクルだと思わない?」
俺のプレゼンを聞いたセバスは、しばらく呆然としていたが、やがてハッとしたように目を見開いた。
「……循環、させるのですな。土の力と、作物の特性を」
「ご名答。さすが筆頭執事、飲み込みが早い」
セバスは真剣な眼差しで、痩せた畑を見つめ直した。
彼の目にはもう、荒廃した土地ではなく、再生の可能性が見えているようだ。
「ですが若様。農民たちは頑固です。『先祖代々のやり方』を変えるとなれば、猛反発するでしょう」
「だろう音。だから、まずは実績が必要だ」
俺は懐から、父に貰ったばかりのお小遣い(金貨)を取り出した。
「この近くで、一番ひどい状態の畑を買い取ろう。そこで俺たちが実験してみせるんだ」
「若様自らが、鍬を振るわれるおつもりで?」
「もちろん。汗をかかずに人を動かそうなんて、甘い考えだよ」
俺はニヤリと笑った。
過労死するほどの激務は御免だが、未来への投資のための労働なら悪くない。
それに、この土地にはまだ、俺だけが知る「秘密の肥料」の材料が眠っている可能性がある。
領都の炭鉱から出る石灰石や副産物だ。あれを使えば、酸性化した土壌を一気に中和できるかもしれない。
「行きましょう、セバス。まずは不動産屋……いや、村長のところへ」
「ふふっ。承知いたしました。……リック様は、本当に110歳とは思えませんな」
セバスは嬉しそうに目を細め、俺の背中を追った。
痩せこけた大地に、改革の種が蒔かれようとしていた。




