第17話 旧友のSOSと、パンデミックの予兆
エルガレア商会の開店から数日後。
街は相変わらずの賑わいを見せていたが、屋敷には不穏な空気が漂っていた。
早朝、1台の馬車が屋敷に駆け込んできたのだ。
車体には泥が跳ね、馬は泡を吹いている。
御者台から転げ落ちるように降りてきたのは、やつれた顔の初老の男――隣領であるボーリー伯爵家の執事だった。
「頼む……! どうか、ロイド様にお取次ぎを!」
***
応接間に通されたのは、ボーリー伯爵家当主、ビル・フォン・ボーリー。
父ロイドとは王立学園時代の同級生であり、旧知の仲だ。
だが、その姿にかつての覇気はない。
目の下には濃いクマがあり、頬はこけ、服もどこか薄汚れている。
「……久しいな、ビル。一体どうしたんだ? まるで幽鬼のような顔だぞ」
ロイドが心配そうに声をかけると、ビルは震える手で顔を覆い、深く頭を下げた。
「すまない、ロイド……。恥を忍んで頼みに来た。助けてくれ。……我が領地は今、死の淵にある」
同席していた俺は、ビルの言葉に耳を疑った。
死の淵? 隣の領地で戦争でも起きたのか?
「疫病だ。『黒斑熱』が流行している」
その病名が出た瞬間、ロイドの顔色が青ざめた。
黒斑熱。この世界では不治の病と恐れられる伝染病だ。
高熱と嘔吐、そして皮膚に黒い斑点が浮かび上がり、数日で死に至る。
「最初は鉱山の労働者から始まった。それが街へ広がり、今では農村まで……。すでに300人以上が死んだ。治療院の神官たちも次々と倒れ、もう手の打ちようがないんだ」
ビルは涙ながらに訴えた。
「噂を聞いたんだ。エルガレアには『神の知識』を持つ者がいると。新しい作物、魔法のような薬(ソースのことだろうか?)……。なんでもいい、金ならいくらでも払う。どうか、薬を……食料を分けてくれ……!」
貴族としての誇りを捨て、友に頭を下げるビルの姿。
ロイドは苦渋の表情を浮かべた。
食料援助はできる。だが、疫病の治療法など、このエルガレアにも存在しない。
それに、下手に介入すれば、こちらの領民に感染が広がるリスクもある。
「ビル、気持ちは痛いほど分かる。だが……」
父が言い淀んだその時。
俺は一歩前に出た。
「父上。僕に行かせてください」
「リック!? 何を言っている! 相手は疫病だぞ!」
「だからこそです。隣の火事は、放っておけばいずれこちらに燃え移ります。ここで食い止めなければ、エルガレアの繁栄も水の泡です」
俺はビルに向き直った。
前世の知識が、警鐘を鳴らしている。
「黒斑熱」の症状を聞く限り、それはおそらくウイルス性のものか、あるいは劣悪な衛生環境が生んだ細菌感染症だ。
魔法薬が効かないなら、原因は別にある。
現代医学の基礎――「公衆衛生」と「防疫」の出番だ。
「ボーリー伯爵。治療薬があるとは約束できません。ですが、『死者を減らす』ことならできるかもしれません」
「ほ、本当か!? 君が、噂の……」
「はい。エルガレア子爵家長男、リックです。……セバス、準備はいい?」
背後に控えていたセバスが、静かに一礼した。
「いつでも。旦那様、リック様をお止めしても無駄かと存じます。私が命に代えてもお守りしますので、ご許可を」
「……ああ、もう! 分かった! ただし、絶対に無理はするなよ!」
ロイドの許可を得て、俺たちはすぐに行動を開始した。
***
出発前、俺は商会の倉庫から必要な物資をかき集めた。
* 清潔な布(マスクと防護服代わり)
* 大量の石灰(消毒用)
* そして、酒造ギルドから徴収した、最も度数の高い蒸留酒(アルコール消毒用)。
「セバス。現地に着いたら、まず俺の指示通りに『隔離』を行う。いいかい、病気は悪霊の仕業じゃない。目に見えない『小さな敵(菌・ウイルス)』との戦争だ」
「承知いたしました。……若様は、医術の心得までおありなのですか?」
「専門家じゃないけどね。でも、やるべきことは分かってる」
俺たちはビルの馬車に同乗し、エルガレアを出発した。
西へ向かう道中、俺は窓の外を見た。
国境警備の兵士たちも、隣領からの難民流入を警戒してピリピリしている。
2時間後。ボーリー伯爵領に入ると、空気は一変した。
道端に座り込む人々。
閉ざされた家々。
そして、どこからともなく漂う、死と腐敗の臭い。
「……ひどいな」
領都の入り口には、遺体が無造作に積み上げられていた。
処理が追いついていないのだ。これではさらに病気が広がる。
「伯爵。まずはあの遺体を火葬にしましょう。それと、水源の確保です。……セバス、忙しくなるよ」
「はい。この惨状、放ってはおけませんな」
豊かなエルガレアとは対極にある、絶望の地。
ここで俺は、前世の知識を総動員して「医療改革」という名の戦いに挑むことになる。
まずは現状把握だ。
俺は布で作った簡易マスクを装着し、汚染された街へと足を踏み入れた。




