第10話 ソースの香りと、鉄板の轟音
「第一回・光の夜市」の開催に向け、エルガレア子爵家の屋敷は戦場のような忙しさに包まれていた。
俺とセバスは、執務室に広げた領都の地図を囲み、作戦会議を行っていた。
「いいかい、セバス。夜市の主役は『食』だ。それも、レストランでナイフとフォークを使って食べるような上品な料理じゃない」
「と言いますと?」
「片手で持って、歩きながら食べられるもの。そして、匂いで客を呼び込めるものだ」
俺は地図上のメインストリートの入り口付近に、赤ペンでグリグリと丸をつけた。
「ここに、我がエルガレア子爵家直営の屋台を出す。これは夜市の目玉になる。だから、絶対に失敗しないメニューが必要なんだ」
「ほう。して、そのメニューとは?」
俺はニヤリと笑い、懐から一枚の設計図を取り出した。
そこに描かれているのは、巨大な長方形の「鉄板」だ。
「これを作ってくれ。厚さ2センチの一枚鉄板だ。我が領地の製鉄技術なら簡単だろう?」
「鉄板、ですか? 盾でもお作りになるので?」
「違うよ。これで麺を焼くんだ。名付けて――『エルガレア焼きそば』だ!」
***
まずはセバスの出番だ。
彼はその足で商業ギルドへと向かい、夜市への出店者を募った。
「夜に店を開けだと? そんな非常識な……」
「誰も来やしないよ。赤字になるだけだ」
当初、店主たちの反応は冷ややかだった。
だが、セバスは動じない。
彼は舗装されたばかりの道路と、輝く街灯を指差し、そして一枚の羊皮紙を提示した。
『出店料は初回無料。さらに、売上の1割を子爵家が補填する』
リスクなし。インフラ完備。そして何より、あの「魔法使いの執事」の頼みだ。
「……まあ、セバス様がそこまで言うなら」
「一晩だけだし、付き合うか」
渋っていた店主たちも、セバスの巧みな交渉術と、リックが用意した破格の条件に折れた。
串焼き屋、エール酒場、パン屋、果物屋。
次々と参加が決まり、気がつけばメインストリートの両脇を埋め尽くすほどの応募が集まった。
***
一方、俺は屋敷の厨房を占拠していた。
料理長以下のコックたちが、不安そうな顔で俺を見守っている。
「若様……本当に、野菜くずを煮込むのですか?」
「『くず』じゃないよ、旨味の塊だ」
大鍋の中には、タマネギ、ニンジン、セロリ、そして甘みを出すためのリンゴ(に似た果実)が大量に放り込まれている。
そこに、俺が調合したスパイス(胡椒、シナモン、クローブなど)と、酢、砂糖、そして隠し味の「魚醤」を投入する。
グツグツと煮込むこと数時間。
野菜と果実が溶け合い、鍋の中はドロリとした黒褐色の液体へと変化していた。
厨房内に、鼻孔を強烈に刺激する、甘酸っぱくもスパイシーな香りが充満する。
ウスターソースの完成だ。
「……む? なんだ、この食欲をそそる香りは」
料理長が鼻をヒクヒクさせて鍋を覗き込む。
「ちょっと味見してみて」
俺が差し出したスプーンを舐めた瞬間、料理長の目がカッと見開かれた。
「!? 酸っぱい……いや、甘い? 辛い? なんだこの複雑玄妙な味は! 肉にも野菜にも合いそうだ!」
「よし、ソースは完成だ。次は麺だ!」
麺は、領内で採れた小麦粉に、かん水の代わりに「重曹(炭酸水素ナトリウム)」を少し加えて練り上げた。
これを茹で上げ、油をまぶしておく。これでモチモチとした食感の中華麺風になる。
そして、いよいよ本番。
中庭に設置された、特注の巨大鉄板。
薪の火でガンガンに熱せられた鉄板の上に、俺はラードの塊を放り込んだ。
ジュワアアアアアッ!!
脂の弾ける音。
そこに、豚肉とキャベツを投入。
ヘラ(コテ)を両手に持ち、カッカッカッ! とリズミカルに炒める。
具材に火が通ったら、茹でた麺をドサッ!
そして最後に、先ほど完成した「秘伝のソース」を豪快に回しかける。
ジュゴオオオオオオッ!!
爆発的な蒸気と共に、あの香りが爆発した。
ソースが焦げる香ばしい匂い。スパイスの刺激。
これだ。この匂いこそが、日本のお祭り最強の兵器だ。
「……ごくり」
後ろで見ていたセバス、料理長、そしていつの間にか集まっていたメイドたちが、一斉に喉を鳴らした。
「さあ、試食だ! 熱いうちに食ってくれ!」
皿に盛られた茶色い麺。青のりはないが、乾燥させた香草を散らして彩りを添える。
セバスがおそるおそるフォークで口に運び――。
「…………」
「どうだ、セバス?」
「……美味いッ!!」
普段冷静なセバスが、目を見開いて叫んだ。
「麺のモチモチとした食感、シャキシャキの野菜、そして何よりこの『黒いタレ』! 濃厚で、後を引く……フォークが止まりません!」
「若様! これは革命です! パンに挟んでも絶対に売れます!」
料理長も興奮気味に頬張っている。
勝った。
俺は鉄板の前で確信した。
この暴力的なまでの匂いと味は、異世界人の胃袋を鷲掴みにするだろう。
***
そして、夜市の前日。
メインストリートには、木の骨組みで作られた屋台がずらりと並んだ。
各店舗が看板を掲げ、商品の搬入を行っている。
通りの中央には、ひときわ大きなエルガレア子爵家の屋台。その奥には、あの黒光りする鉄板が鎮座している。
「準備は万端ですね、リック様」
夕闇の中、試験点灯された街灯の下で、セバスが満足げに通りを見渡す。
「ああ。明日の夜、この通りは笑顔と満腹の悲鳴で溢れかえるよ」
俺は鉄板の縁を愛おしそうに撫でた。
インフラ(光と道)と、コンテンツ(食と娯楽)。
箱と中身が揃った。
エルガレアの夜が、いよいよ熱く燃え上がる。




