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初刻拍案驚奇(しょこくはくあんきょうき)講談  作者: 光闇居士


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巻〇三:劉東山、順城門にて技を誇り、十八兄、村の酒肆に奇跡を残す

挿絵(By みてみん)

【序:強きを制する弱きもの】

力弱きものが、かえって強きものを制することがある。

その強弱のことわりは、決して姿の大小によって定まるものではない。

ムカデのごとき小さき虫が、その身に帯びるのはわずかなハサミのみであり、かつて鋭いくちばしなど持ったためしもない。しかし、天の定めは妙なるもので、ある物があれば必ずそれを制する天敵が存在する。背の高さや、腕力の強さのみを頼んで誇ってはならない。

冒頭の詩にある「蝍蛆しつそ」とは何か。これは赤き足を持つムカデ、すなわち百足のことである。では、詩にある「おび」とは何か。これは大蛇を指す。そのとぐろを巻く姿が帯に似ていることから、古人はそう呼んだ。

中国の南方、嶺南の地には大蛇が多く生息しており、その長さは数十丈にも及び、人を害することが間々あるという。彼の地の住民は、家ごとに一尺余りの大きなムカデを飼い慣らし、枕元や枕の中に忍ばせて眠る。もし大蛇が忍び寄れば、ムカデは衣擦れのような音を立てて家人に警告を発する。そこで解き放ってやれば、ムカデは鎌首をもたげ、全身に力を込めて一丈ほどの高さへと跳躍し、大蛇の急所たる首筋に食らいつくのである。鉄のかぎのごときハサミでがっしりと肉を挟み込み、どれほど蛇がのたうち回ろうとも決して離れず、ついにはその脳髄を吸い尽くしてしまう。

数十丈もの巨大な化け物が、わずか一尺ほどの指ごとき虫に絡み殺されてしまうのだ。古人が「ムカデはヘビを制す」と言い遺したのは、まこと、このことわりを指している。

時は遡り、漢の武帝の御代、延和三年のこと。

西域の月氏国から、一頭の猛獣が献上された。その姿たるや、生まれて五、六十日の仔犬のごとく、大きさは狸ほどに過ぎない。ただ黄色い尾を引きずっているばかりである。

使者がこれを懐に抱きかかえて宮門に入ってくるのを見て、武帝はそのあまりに貧相な風体に笑い崩れて言った。

『このような小物が、どうして猛獣と言えようか』

すると、使者は粛然と答えた。

『百獣に威を振るう者は、必ずしもそのからだの大小を問いませぬ。神獣である麒麟が巨象の王たりえ、鳳凰が大鵬たいほうの長たるも、体の大きさによるものではございませぬ』

武帝は信じず、『ならば鳴かせてみよ』と命じた。

使者が指を向けると、その獣は唇を舐め、小さく首を振ったかと思うと、突如として咆哮を上げた。

その凄まじさたるや、平地に雷が落ちたような轟音であり、見開いた両目からは稲妻のごとき光が迸った。武帝は驚愕のあまり黄金の座所より転げ落ち、耳を塞いで震え上がるばかり。周囲に控えていた屈強な近衛兵たちでさえ、手に持っていた武器を取り落とす始末であった。

武帝はこの醜態に不機嫌になり、厄介払いせんと、この獣を上林苑にある虎の檻へ投げ込み、餌にするよう命じた。ところが、獣が虎の檻へ放たれると、どうであろう。虎たちは皆、恐怖に縮こまって一塊になり、膝をついてガタガタと震えるばかりではないか。

これを聞いた武帝はさらに怒り、獣を殺そうとしたが、翌日には使者と共に忽然と姿を消してしまっていたという。

虎や豹をも恐れさせる猛気が、かような小さな躯に宿っていたのだ。人の膂力りょりょくの強弱や知恵の深浅もまた、決して見かけのみでは測り知れぬものである。

強き中にも、さらに強き手練れ(てだれ)あり。

人の前で、決して大言壮語を吐いてはならない。


【しおの】

【豪傑の見た幻】

唐の時代の話である。姓名や出身地は定かではないが、ある武芸に秀でた挙子(科挙の受験生)がいた。彼は人並み外れた怪力の持ち主であり、義侠心に厚く、道中の不義を見れば刀を抜いて助太刀するような熱血漢であった。

彼は都への試験に向かう際、従者を連れず、己の腕のみを頼りに名馬に跨り、弓と短剣を帯びて単身旅立った。道すがら、野兎や雉を狩っては宿での酒の肴にするという、自由気ままな旅路であった。

ある日のこと、山東の街道を進んでいた彼は、馬の足が速すぎたために宿場を通り過ぎてしまった。日はとっぷりと暮れ、ようやく一軒の村家にたどり着く。窓に灯りが見えたので、彼は馬を降りて門を叩いた。

中に入ると、広い庭には太湖石(庭園用の奇岩)が積み上げられており、一人の老婆が黙々と麻を紡いでいた。

『お母さん、道に迷ってしまった旅の者だが、一晩泊めてもらえないだろうか』

老婆は、寂しげな声で答えた。

『お役人様、それは難しい相談です。私の一存では決められませぬゆえ』

挙子は不審に思い、事情を尋ねた。

『男手はどうしたのか? なぜ一人でこのような侘しい暮らしを?』

『私は夫を亡くした寡婦でございます。一人息子は商いで留守にしておりますので』

『嫁はいないのか?』

聞くと、老婆は深く眉をひそめた。

『嫁はおります。しかし、これが男勝りの力持ちで気性が荒く、少しでも気に障るとすぐに手を上げるのです。私はいつも嫁の顔色を窺って暮らしており、客人を泊めるなどと勝手な真似をすれば、後で何をされるか分かりませぬ』

そう語ると、老婆は涙をはらりと落とした。

これを聞いた挙子は、激しい義憤に駆られた。

『世にそのような理不尽があってよいものか! その悪婦はどこだ、私が成敗してくれよう』

剣の柄に手をかける彼を、老婆は必死に制止した。

『お役人様、滅相もない。太歳(祟り神)の頭で土を掘り返すような真似はおやめなさい。嫁は昼過ぎに山へ行き、鹿や兎を素手で捕らえて帰ってくるような女です。その稼ぎで暮らしているゆえ、私も逆らえないのです』

挙子は剣を鞘に収め、鼻を鳴らした。

『私は常々、強きを挫き弱きを助けるのを信条としている。たかが女一人、命までは取らぬが、痛めつけて性根を叩き直してやろうではないか』

そう息巻いて待つことしばし、門の外に巨大な黒い影が現れた。

ドスン!

庭に投げ出されたのは、なんと斑模様も鮮やかな猛虎の死骸であった。その後にのっそりと現れたのは、色の黒い大柄な女である。

『お義母さん、灯りを持ってきておくれ。獲物を捌くよ』

灯火に照らされた死せる虎を見て、庭に繋いであった挙子の馬が恐怖のあまりいななき、暴れだした。女はその騒ぎに気づいた。

『おや、この馬は?』

挙子は、虎を丸ごと背負ってきた女の底知れぬ怪力に気圧されつつも、馬をなだめて進み出て挨拶をした。

『道に迷った旅の者だ。一晩の宿を頼みたいのだが』

すると女はからりと笑って言った。

『お義母さんも気が利かないねえ。お客人をこんな夜更けに外に立たせておくなんて』

そして足元の虎を指差し、『今日はこの猫のような奴と出くわして、いささか手間取ってしまい帰りが遅れました』と詫びた。その態度は意外にも礼儀正しく、さっぱりとした気性に見えた。

女は手際よく虎を厨房へ運んで捌くと、温かい酒と共に虎の肉や鹿の干し肉などを客人に振る舞った。

挙子は酒をあおり、酔いが回るにつれて、先ほどの義侠心が再び頭をもたげた。彼は隙を見て、女に説教を始めた。

『奥方ほどの英雄的な方が、なぜ姑に対して礼を欠くような振る舞いをするのか。孝行こそ人の道ではないか』

女は片付けの手を止め、目を怒らせて言った。

『さっきの老いぼれが、また何かあることないこと吹き込みましたか?』

挙子は図星を突かれて狼狽したが、女は彼の手を掴むや否や、庭の太湖石のそばへぐいと連れて行った。

挿絵(By みてみん)

『いい機会だ、はっきりさせましょう』

女は石の上に手を置くと、人差し指でスッと線を引いた。

『これがあの一件』

すると、硬い石の表面が弾け飛び、一寸(約三センチ)以上の深さの溝が刻まれたではないか。女は続けて三回指を走らせると、堅牢な太湖石に深い「川」の字が、あたかも柔らかい豆腐を切るかのように鮮やかに刻み込まれた。

『これでもまだ、私が間違っていると?』

その神業を目の当たりにした挙子は、全身から冷や汗が噴き出し、顔を真っ赤にして平伏した。

『奥方の仰る通りでございます。私が浅はかでございました』

説教をしてやろうなどという雄心は、氷水を浴びせられたように瞬時に消え失せた。

その夜、挙子は隣に寝ている猛女への恐怖で一睡もできず、夜明けと共に逃げるように立ち去った。それ以来、彼は二度と他人の家庭の揉め事に首を突っ込むことはなくなり、自分より強い者が世にいることを骨身に刻んで、その傲慢さを改めたという。

虎は百獣の王なれど、獅子の吼えるを聞けば恐れをなす。上には上がいるものである。


【順城門のあほう、東山の誇り】

さて、時代は下り、明の嘉靖かせい年間のことである。

北直隷・河間府の交河県に、姓は劉、名をきん、通称を劉東山という男がいた。

彼は北京の巡捕衙門(警察機構)で捕り手の頭を務めていた武人である。特に弓馬の道に優れ、放った矢は決して外さず、人々は彼を「連珠箭れんじゅせん」と呼んで畏怖した。どんな凶悪な盗賊も、彼にかかれば袋の鼠同然であった。

三十歳を過ぎ、東山はこの危険な稼業に嫌気が差したのか、役職を辞して故郷へ帰り、穏やかな商売でも始めようと考えた。

ある年の暮れ、彼はロバや馬十数頭を北京へ運び、売り払って百両余りの銀子(銀貨)を手に入れた。すべての取引を終え、順城門(現在の宣武門)近くの宿で帰りのラバを手配していると、同郷の顔馴染みである張二郎に偶然出くわした。

久闊きゅうかつを叙し、酒を酌み交わすうち、張二郎が声を潜めて忠告した。

『東山殿、耳に入っておいでか。最近は良郷から鄚州ばくしゅうにかけての道中、物騒な盗賊が出没して白昼堂々と人を襲うそうです。大金を持っての一人旅は危うい。くれぐれも用心なされよ』

これを聞いた劉東山、片眉を吊り上げ、拳を握りしめて弓を引く仕草をし、店中に響く声で高らかに笑った。

『はっはっは! 余計な心配だ。この二十年間、弓を引いて盗賊を追い続けてきたが、矢を外したこともなければ、我が技に見合う好敵手に会ったこともない。今度の帰り道、俺の元手は減るどころか、運悪く出くわした賊を捕まえて、懸賞金で増えるかもしれんわ!』

店中の客がその豪快な大声に振り返り、名を尋ねて『おお、あれが名高い連珠箭の……』と感嘆の声を漏らした。張二郎は自分の忠告が嘲笑されたようでバツが悪くなり、早々に別れを告げて去った。

翌朝、まだ空も暗いうちから東山は身支度を整えた。銀子は布に包んで腹巻きの中に隠し、背には自慢の弓、腰には刀、両膝の下には矢を隠し持ち、健脚なラバに跨って威風堂々と出発した。

三、四十里(約十五〜二十キロ)ほど進み、良郷に差し掛かった頃、後ろから一頭の馬が駆けてきた。

東山のラバに並ぶと、馬上の若者が手綱を緩めた。見れば二十歳前後の、紅顔の美少年である。

黄色い着物にフェルトの笠を被り、腰には短剣と長弓、矢筒には手入れの行き届いた新品の矢を差している。馬の額には鮮やかな赤い房飾りが揺れ、従える馬もまた、空を駆けるような名馬である。実に涼やかな、若殿様といった風情であった。

若者は馬上で東山に向かい、拱手(両手を組んで挨拶)した。

『旅は道連れと申します。お名前を伺ってもよろしゅうございますか?』

『手前は劉嶔、号は東山と申す者だ』

すると若者は、パッと顔を輝かせた。

『なんと! あの名高い劉先輩でございますか。その勇名は雷のごとく轟いております。まさかここでお会いできるとは、なんたる幸運』

若者は、自分は山東の旧家の出で、商いの帰りに故郷へ戻るところだと言った。幼い頃から武芸が好きで書物を捨てた口だと語り、武勇を誇る東山とたちまち意気投合した。

『先輩と共に参れば、盗賊など恐れるに足りますまい。どうか河間府までご一緒させてください』

東山は、若者の腰回りが重そうなのを見て、かなりの金を持っていると踏んだ。また、その人柄も素直で良さそうなので、同行を快諾した。

二人は兄弟のように打ち解け、同じ宿に泊まり、食事を共にし、武芸談義に花を咲かせた。

翌日、涿州たくしゅうを出たところで、若者がふと尋ねた。

『先輩は生涯で多くの賊を捕らえたと聞きますが、手強い相手には会いましたか?』

東山は待ってましたとばかりに、胸を張って自慢を始めた。

『我が両の手と一张ひとはりの弓で、数え切れぬほどの賊を捕らえてきたが、この腕に敵う者など一人もおらなんだ。もしこの先で運悪く賊に出くわしたら、一つ手並みを見せて進ぜよう』

若者はそれを聞くと、口元に微かな冷笑を浮かべて言った。

『左様でございますか。……先輩、その自慢の弓を、少し拝見できませんか?』

東山がなんの気なしに弓を渡すと、若者は左手で弓を持ち、右手で弦を軽く引いた。するとどうだ、まるで柔らかい絹帯でも扱うかのように、軽々と満月のごとく引き絞り、連射する真似をして見せたではないか。

東山は顔色を変えた。『なんと!』

今度は若者の弓を借りてみた。手にずしりと重く、二十斤(約十キロ以上)はある剛弓だ。東山が平生の力を振り絞り、顔を真っ赤にして引いてみたが、弦は三日月ほども開かない。

東山は己の不明を恥じ入り、舌を巻いた。

『恐れ入った、なんと剛弓か! 貴殿の神力、私の遠く及ぶところではない』

若者は弓を受け取り、謙遜して言った。

『私の力が神のごときわけではありませぬ。先輩の弓が柔らかすぎるのです』

その翌日、雄県を過ぎた頃である。

若者は突然馬に鞭を入れ、飛ぶように先行し始めた。東山が呆気にとられているうちにその姿を見失うと、長年培った捕り手の勘で『しまった!』と悟った。

『あの神力、まともにやり合って敵うはずがない。殺される!』

恐怖で心臓が早鐘を打つ中、仕方なく進んでいくと、百歩ほど先に若者が待ち構えていた。

若者は冷ややかな目で弓を引き絞り、東山に狙いを定めていた。

『劉先輩の腕前は天下無敵と聞いていましたが、まずは私の矢の風音を聞いていただきましょうか』

挿絵(By みてみん)

ヒュンッ!

鋭い風切り音と共に、東山の左右の耳元を矢がかすめ飛んだ。髪の毛一本傷付けぬ、絶妙にして神技の制圧射撃である。

若者は再び弓を引き、今度は東山の眉間に狙いをつけて大笑いした。

『東山殿、物分かりが良いなら、腰の銀子とラバを置いていきなされ。命までは取りませぬ!』

東山は慌ててラバから転げ落ち、這いつくばるようにして腰の銀包みを解くと、両手で高く捧げ持ち、膝行して若者の馬前へ進んだ。

『銀子は差し上げます、ラバも置いていきます! どうか、命ばかりはお助けを!』

若者は馬上から手を伸ばして銀を受け取ると、鋭く一喝した。

『命などいらぬ! さっさと失せろ! 我らは親父おかしらに用事があるゆえ、これ以上のお守りはできん』

若者は馬首を北へ巡らせ、土煙を上げて去っていった。

取り残された東山は、呆然と立ち尽くした。

『金はともかく、一生積み上げてきた武名を失ってしまった。なんという生き恥だ……』

彼はトボトボと空手からてで故郷へ帰り、妻に事の次第を話して悔しがった。そして残りの財産をはたいて村外れに小さな酒屋を開き、二度と弓矢を手にすることはなかった。また、恥を恐れて誰にもこの事を話さなかった。


【十八兄の正体】

三年が過ぎた冬のことである。

東山夫婦がひっそりと店番をしていると、遠くから土煙を上げて十一名の騎馬集団がやってきた。

皆、立派な駿馬に乗り、鞍や装具も鮮やか。身軽な短衣に身を包み、腰には弓矢と刀剣を帯びている。

その中に一人、まだ二十歳にもならぬ、元服前の少年のような風貌だが、身長は八尺(百八十センチ以上)もあろうかという大男がいた。彼だけは馬を降りず、他の十名に向かって言った。

『「某弟それがしてい」は、向かいの家に宿を取る。十八兄じゅうはちけいは好きになされよ』

十名の男たちは『へい、しばしここで休んでから、お世話に参ります』と恭しく答えた。

その大男――彼らは「十八兄」と呼んだ――は、一人で向かいの家に入っていった。

十名の男たちは東山の店に入り、酒を注文して肉を食らった。その食いっぷりは凄まじく、瞬く間に牛羊の肉六、七十斤、酒六、七甕を平らげてしまった。さらに、向かいに宿を取った十八兄の元へも酒肴を運ばせた。

彼らは店の商品を食べ尽くすと、自分たちの荷から鹿の足や雉、焼き兎などを取り出し、『これは俺たちの奢りだ、主人も一緒に飲もうではないか』と東山を強引に誘った。

東山が恐る恐る席に着き、客たちの顔を順に見ていくと、北側の左手に座る男が笠を深く被って顔を隠しているのに気づいた。

ふと男が酒をあおるために顔を上げた瞬間、東山は肝を冷やした。

それはまごうことなき、あの三年前、雄県で自分の身ぐるみを剥いでいった美少年であった。

『ああっ、殺される!』

東山はガタガタと震え上がり、一言も発せなくなった。

すると、その若者が笠を取り、涼やかな声でかけた。

『東山殿、お久しぶりでございます。あの節は道中ご一緒させていただき、今も懐かしく思っております』

東山は土色の顔でその場に膝をついた。

『お助けください! どうかお慈悲を!』

若者は慌てて席を飛び出し、同じく膝をついて東山の手を取り、優しく引き起こした。

『おやめください、私が恥ずかしいではありませんか! 昔、順城門の宿で貴殿が「天下無敵」と豪語されたのを、我ら兄弟がたまたま聞きつけ、生意気だと小弟に命じて、少々からかわせたに過ぎませぬ。河間までお供する約束を破り、酷い真似をしたこと、今も心苦しく思っております。今日はその償いに、当時の十倍にしてお返しに参ったのです』

若者は袋から千両もの黄金を取り出し、ドンと机の上に置いた。

『これはほんの挨拶代わり、とるに足らないものです』

東山はまるで夢を見ているようで、容易には受け取れない。若者は手を叩いて笑った。

『大丈夫、男に二言はありません。東山殿もかつては名を馳せた豪傑でしょう、なぜそれほど怯えるのです? まさか我々が、かつて奪った端金はしたがねのために、再び貴殿を害しに来たとでもお思いか?』

その言葉に嘘はないと悟り、東山はようやく金を受け取った。

東山は妻と相談し、せめてもの礼にと彼らを自宅に泊めてもてなすことにした。

若者は『まずは十八兄にお伺いを立ててみよう』と言い、全員で向かいの家へ挨拶に行った。

そこにはあの大男、「十八兄」がどっかと座っていた。衆人は彼に対して、主君に対するように非常に恭しい態度である。

十八兄は宿泊の申し出を聞くと、重々しく頷いた。

『よかろう。ただし、酒に呑まれて油断するな。主人の好意を無にするでないぞ。もし粗相があれば、俺の二本の刀が黙ってはいない』

『心得ております』と全員が声を揃えて平伏した。

再び宴会が始まったが、十八兄だけは向かいの家の二階で一人飲み食いしていた。運ばれる食事の量は、十人分にも匹敵した。

挿絵(By みてみん)

やがて酒が尽きると、十八兄は懐から純銀で編まれたザル(笊籬)を取り出し、炭火で軽く炙ると、まるで煎餅のようにバリバリと食らい始めたではないか。あっという間に百個あまりの銀具を平らげた後、大股でどこかへ出かけていき、夕方に戻ってきたが、決して東山の家には入らなかった。

東山はその異様な光景に驚き、こっそりとあの若者に尋ねた。

『あちらにおわす十八兄とは、一体何者なのですか? 鉄や銀を喰らうなど、人ならざる力をお持ちのようですが』

若者は詳しくは答えず、仲間にその問いを話して大笑いした。そしてただ悪戯っぽく詩を吟じた。

楊柳ようりゅう桃花とうかあい間に(まじ)ってづ、

いずれかこれ春風しゅんぷうなるを知らず』

(柳と桃が入り混じって咲いている。どれが本当の春風=主君かわかるまい?)

三日後、彼らは風のように去っていった。

後に、ある識者がこの一件を聞いて、こう謎解きをした。

『「十八」という文字の下に「子(=兄、男)」を組み合わせれば、「李」という字になる。おそらくその頭領は李という姓の異能の者なのだろう。用心深く、部下とは別に宿を取り、食事も決して共にしなかったのは、身分の違いと、常に警戒を怠らぬ知略の表れだ』

劉東山はこの一件以来、完全に武芸への未練を断ち切り、地道に商売をして天寿を全うしたという。

人生、己の力を過信してはならない。上には上がいることを、井の中の蛙は知らないだけなのだから。

生平せいへい 弓矢の力を尽くせど、

下場(終わり)に大敵に逢うに至る。

人世 手段の高きを誇るをめよ、

覇王にもまた悲歌の日あり。

また、あの若者を評して曰く。

英雄はいにしえより一擲いってきを軽んじ、

盗にもまた道あり、真に述ぶるに堪えたり。

笑って千金を取りて百金を償い、

途中 ついにこれ好き相識(知り合い)なり。

あらすじ

かつて「天敵の理(強き蛇も小虫に負ける)」が語られる。

明代の名捕り手、劉東山りゅうとうざんは、弓の名手で捕縛術の達人。引退して帰郷する際、「自分より強い賊などいない」と豪語する。しかし、道中出会った美少年に完敗。その少年は神がかった弓の腕で劉を威圧し、命と引き換えに金とプライドを奪って去る。

劉は恥じ入り、弓を捨てて酒屋となる。三年後、少年を含む盗賊団が劉の店を訪れる。彼らは過去の無礼を詫び、奪った金を十倍にして返し、宴を開く。その中の頭領格「十八兄」は、人間離れした量の大酒を飲み、銀をバリバリと喰らう異能の怪物であった。彼らが風のように去った後、劉は「上には上がいる」ことを悟り、平穏に天寿を全うした。


物語の深層と時代背景

この話は、単なる「武勇伝」の逆、「敗北と和解の物語」です。ここに明代末期特有の空気感が色濃く反映されています。

「江湖(こうこ/ジャンフー)」の掟

この物語は、後の武侠小説(金庸作品など)につながる「江湖の世界観が見られます。役人(劉)と盗賊(美少年)は敵対関係ですが、お互いの実力を認め合えば、身分を超えて酒を酌み交わす「義」が存在します。「金を奪ったが命は取らない」「後で倍にして返す」という展開は、法律よりも仁義を重んじるアウトロー社会の理想化です。

「十八子」の暗号(文字遊びと政治批判)

物語の最後にある「十八子(十八兄)=李(木+子)」の謎解き。

時代背景の妙: 明の終わり、最終的に明王朝を滅ぼしたのは李自成りじせいという反乱軍の指導者でした。「李」という姓を持つ、常識外れの力を持つ集団が横行する描写は、当時の社会不安や、「新しい力(しかし野蛮な力)」への予感を漂わせています。

道教的価値観:

「銀を食べる巨人」という非現実的なオチは、実話ベースの話に突如挿入される「神仙思想」です。この世には人間の理屈(武術の強さなど)を超越した「魔」や「仙」が潜んでおり、それに出会ったら平伏するしかない、という世界観です。


現代への教訓・意義(講談的解釈)

 ① 【慢心への警鐘】「蝍蛆ムカデヘビを制す」

冒頭の詩にある通り、「相性」や「適性」の前では、絶対的な強者は存在しません。

どんなに経験を積んだベテラン(劉東山)でも、新種の才能や異なるルールで動く若者(美少年)には手も足も出ないことがあります。

現代で言えば、「昔ながらのやり方で成功した大企業」が「得体の知れないベンチャー企業」にあっさり市場を奪われるようなものです。「俺は無敵だ」と奢った瞬間に、天敵は現れます。

 ② 【引き際の美学】「負けを認める勇気」が生存率を高める

劉東山の最大の功績は、弓の腕ではなく「圧倒的な実力差を見た瞬間に、プライドを捨てて土下座したこと」、そして「恥をかいた後、きっぱりと過去の栄光(武芸)を捨てたこと」です。

もし彼が中途半端に復讐を企てたり、武芸者の看板にこだわったりしていれば、彼は殺されていたか、惨めな末路を辿ったでしょう。

「負けを認め、キャリアチェンジする力」こそが、乱世(現代の競争社会)を生き抜いて天寿を全うする秘訣であると説いています。

 ③ 【敵をリスペクトする】「昨日の敵は、今日の顧客」

かつて自分を辱めた盗賊団が再び現れた時、劉は恐怖しながらも彼らを「客」として精一杯もてなしました。その結果、奪われた財産は何倍にもなって返ってきました。

過去の因縁に囚われず、目の前の状況に誠実に対応すれば、「最悪の出会い」が「最高の利益」に転化することがある。人間関係の流動性と、度量の大きさの重要性を教えてくれます。


皆様。この劉東山の物語が伝えるのは、「最強を目指せ」ということではございません。

「世の中には、どうあがいても勝てない相手、理解できない化け物が必ずいる」と知ること。

そして、それにぶつかった時、笑って負けを認め、頭を下げられる者こそが、最後に「生」という最大の利益を持ち帰るのだ……と、400年前の講釈師は教えているのでございます。

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