第7話 ブラックな国家機関へようこそ
悠人は、分厚く無骨なファイルを両手で抱えた。渡された瞬間、肘がずしりと沈むほどの重さだ。中には細かい文字で埋め尽くされた怪異の情報、対応策、法令、用語集──読んでいるだけで頭が痺れてくる。
職員になった者には必ず渡されるからね、と担当者は事務的に告げた。そう、悠人はもう正式に対特異体防衛局の一員となっていた。その名の通り、特異体──すなわち人智を超えた異常な存在──に対抗するための国家組織だ。中にはいくつもの部署があり、「特異体制圧隊」をはじめ、「特異体隔離支援班」「特異体災害対策班」といった名が並ぶ。彼が所属するのは、特異体制圧隊、通称「特制隊」。要するに、怪異の出現に対して即座に対処する武装実働部隊である。
ファイルの表紙には、赤ペンやボールペンで書かれた無数の書き込みがあった。紙の端が折られ、付箋が貼られ、インクが滲んでいるところもある。──おそらく、前任者のものだろう。いや、いなくなった者の、と言った方が正しいかもしれない。新たな人間が配属されるたび、こうして遺されたものが回される。新品を渡す余裕すらない現場。
(……これくらい、新品で渡してくれよ!)
ブラック企業のそれじゃないか。悠人には来年、ホワイト企業での内定がある。つまり、これは一時的なバイトのようなもの……いや、そうあってほしい。4月までに、いや、今すぐにでもこの状況から抜け出さねば。
脱獄という文字が頭に浮かぶ。スプーン一つで脱走する囚人だっている。なら、自分にだって何か手段はあるはずだ。……ちょっと待て、囚人?いやいや、俺は悪いことなんて、なにもしてないんだけど!?
午前中の特制隊の執務室には、悠人のほかにもう一人だけがいた。
安堂柚里。艶やかな黒髪が印象的な、物静かな雰囲気の女子高校3年生。年下──なのに、ランクは「J4」。悠人の「J1」より三つも上。しかも、入隊して4年になるという。
(ってことは、中学生から働いてる……?日本の労働法、息してる?)
そんな思考を抱えたまま、柚里とメッセージアプリを交換する。スマホの画面に表示された「よろしくねー」の文字とクマさんのスタンプが、なぜか妙にまぶしかった。
「いやぁ、悠人君みたいな新人歓迎だよ!」
その明るさに救われる気がした。
「どうも」
ぎこちないながらも会話を交わす。大学に通っているという話をしたら、上司の許可があれば日中抜けることも可能だと教えてくれた。彼女も実際、半分以上は授業のために現場を離れているらしい。
「分からないことがあったら、いつでも相談してください!」
「もちろんです。先輩」
自然と、口元がゆるんでいた。こんな明るくて気持ちのいい子がいる職場なら、少しはやっていけるかもしれない。生きた心地のしない場所だとばかり思っていたけれど、少しずつだが、景色が変わりつつあるのではないか。
しかし、この職場の景色は、まだ彼が知らない闇を隠していた。




