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怪異~終焉を招く少女~  作者: 初瀬 朋多迦
セラピーモンスター
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第69話 はじまりの場所


翌日、天道てんどう 極龍ごくりゅうの死刑が執行された。

過去に類を見ない速さでの執行だった。


彼は密かに手記を書き残していた。正直なところ、彼に対して強い興味はなかった。今さら彼のことを知っても、何かが明らかになるとは思えなかったからだ。それよりも、すこしでも杏陽子の傍にいてやりたいという思いが、どこかでくすぶっていた。しかし、藁をもすがるような気持ちで、悠人は立ち上がった。


――十年間続いた怪異調査は、これで最後になるだろう。



手記は、彼が世話になった児童養護施設に遺されたようだった。

悠人は施設を訪ね、職員と面会する。出迎えたのは、とても優しそうな高齢の女性職員だった。手渡される折り畳まれた便箋。彼女は静かに言った。

「どうぞ、ご自由にご覧になってください」

便箋をゆっくりと開くと、達筆で綴られた文字が列をなしていた。そこには、彼の人生が克明に振り返られていた。


――――――


私が物心ついた時から両親はいなかった。

預けられた叔父からは酷い虐待を受けた。だが、私はそれでも正義感のある少年だった。弱い者は守る――同じ苦痛を誰にも味わわせたくない。そう思っていた。


高校を出てすぐに就職した。体を使う仕事だった。体は頑丈ではなかったが、がむしゃらに働いた。ここで生きるしかないと、自分にムチを打った。彼女もできた。少ない給料でなんとか暮らしていた。


ある日、仕事帰りに寄ったスーパーで、買い物かごを手に持ったまま、レジを通らずに外に出てしまった。既に帰り道の半ば。その日は特に忙しく、頭はぼんやりとして途中まで気が付かなかったのだ。すぐに返しに行くべきだと思った。


――だが、私は返さなかった。


最初は罪悪感があった。だが、その月は出費が重なり、金がなかった。『一度くらいなら』『今さら返しにいっても』、と自分に言い訳をした。

結局ばれなかったことで私は思った。お金を稼がなくてもなんとかなるのだ、と。やがてそれはエスカレートした。まるで一か所開いた穴から溜めていた水が零れるように、大事なものが次々と流れていった。


宗教にもすがった。こんな自分ではいけないと。

だが、そこで救いは得られなかった。今になって思えば当然のことだった。私はその頃にはひどく歪んだ考えの持ち主になっていたのだ。


時折部屋で怪異を見かけるようになった。部屋の片隅にちょこんと座る、小さくて臆病な怪異。私は大金を得るようになっていたが、心はむしろその本来の自分に引き戻されるようだった。それから強盗をはたらき、使命手配され、海外へと逃げた。私はその憤りを誰かにぶつけたいと考えた、見捨てた男に仕返しをしたい。しかし、同時に警察に捕まるのが怖かった。


フィリピンに渡ったとき、体は嘘のように絶好調だった。力が湧き、何でもできる気がした。強盗も殺しも恐れなかった。教祖釈放の噂を聞き、仕返しをするために日本へ戻った。私は、気が強くなっていたのだ。怪異もまた、以前に増して強くなっていた。私は自分が『選ばれた者』だと錯覚した。誰にも捕まらないし負けるわけがないのだ、と。


しかし、怪異が突如この世から存在しなくなってから、わたしは元の自分に戻ってしまった。そんな私が社会から断罪される結果となったのは当然の帰結だった。


私は父の言葉を思い出していた。

『人の行いは必ず巡り、必ず己に還る。相手からの報いとして返ることもあれば、己の血肉に深く刻まれることもある』

私の思考や体は、気づかぬまま腐り、人生さえも蝕んでいた。

それは誰でもない、私自身の選択だった。


―――――


悠人は手記を読み終えると、静かに紙を閉じた。

胸の奥にたまっていた息を、長く吐き出す。

目を閉じ、しばらく動けなかった。


――どうしても引っかかったことがある。

なぜ彼は海外に逃げた途端、彼自身が強くなり別人のような力を得たのか。

どうして怪異も同様に巨大な力を得ることになったのか。

本人が海外に出ても、なぜ怪異は日本に留まり続けたのか。

帰路の間じゅう、その疑問は胸をじわじわとくすぐって離れなかった。


家に戻り、夕食をすませ、風呂から上がる。

ドライヤーで髪を乾かしていると、知沙からの着信履歴とメッセージに気づいた。

「明日…必ず病院に来てください。全員に声、かけたから」

息をのむ。

――明日、か。

携帯を手にする手が震えていた。


その夜、眠れなかった。

目を閉じても、電子音や車の走行音がやけに耳に残り、神経をじりじりと苛んだ。

夜中。ふと目を覚まし、ベランダへ出る。夜風がひやりと頬をかすめていった。空は驚くほど澄んでいて、月が静かに浮かんでいる。万有引力。地球と月は引き合っている。

けれど月は落ちてこない――


そのとき、脳裏を稲妻が走った。十年のあいだ探し求めてきた答えの断片が、パズルの最後のピースのように、ぴたりと嵌まったのだ。

「……もしかして」

電流が全身を駆け抜ける。


(………間に合うかもしれない)


悠人はすぐに知沙へ連絡を入れた。

「細かいことは後で話す。今から杏陽子を連れて行けるか?鹿児島だ」

「え?そんな無茶な……鹿児島?」

「わかった気がするんだ。すべて。最後に、かけたいんだ」


病院へ駆けつけると、すでに知沙が車椅子に杏陽子を乗せ、エレベータで降りてきていた。

裏口から出てくる彼女の顔には、不安と責任感の入り混じった影が浮かんでいる。

「大変なんだよ? 今の状態の杏陽子を連れて行くのは……」

悠人は力強く頷いた。

「わかってる。それでも、頼む」

知沙はゆっくりと息をつき、口元に微かな笑みを浮かべる。

けれど、その目にはわずかな翳りがあった。

「……あのさ、完全に私、首になるんだけど。責任、とってくれるの?」

悠人は思わず言葉を失う。

「え?」

少しの間。


知沙はすぐに小さく笑って首を振った。

「冗談だよ」

そう言いつつも、その声音の奥に、消えきらない切なさが混じっていた。

「今はここから離れられないから。後で、私もできるだけすぐ行く」

悠人はその笑みに救われた気がした。


    *


成田空港へ向かう。

ストレッチャー搭載便を手配し、早朝の便にぎりぎり間に合った。焦る心を押し殺し、ハンドルを慎重に握りしめる。それから鹿児島空港に到着し、空港近くでレンタカーを借りる。

書類にサインを済ませ、車を走らせるあいだ、後部座席の杏陽子の顔色を確かめ続けた。

ようやく辿りついた。祖母の家の近く――記憶の中でだけ残っていた、懐かしい土地。


車窓を下げると、ふわりと金木犀の香りが漂い花をかすめる。


―――


神社での鬼ごっこ。かくれんぼ。境内に響く笑い声。

誰かが追いかけ、誰かが隠れ、ぱたぱたと小さな足音が石畳を駆け抜ける。

けれど――それは本当に二人分の足音だけだっただろうか。

「さっき、足音してたのにー。どこにかくれたの?」

「え?ずっとここで待ってたんだけど」

「嘘だー。ゆーとくんって本当に隠れるの、うまいね」

それから二人は疲れて、並んで座る。

しばらくして、女の子が少し拗ねた顔で言った。

「親友がいなくなったんだ。みんないなくなってく。都会に行っちゃう。

ゆーとくんは、いかないよね? 一緒に遊んでくれるよね?」

「うん。もちろん。明日もいるし、明後日もいる」

女の子はぱっと笑顔を見せ、

「また明日も遊ぼうね!」と声を弾ませた。

悠人も胸を高鳴らせながら答えた。

「うん、絶対!」


――しかし。

祖母の家で夕飯を食べていると、父が言った。

「明日、帰るぞ」

戸惑いながら「どうして?」と問うと、父は「仕事だから仕方ないだろ」と言った。

悠人は少しの抵抗をしたが叶わず、東京へ帰ることになった。


だからずっと気になっていた。

あの子は、どこへ行ってしまったのだろう、と。

しかし、時の経過とともにいつの間にか忘れてしまった。


目的地付近に車を寄せたとき、悠人は息を呑んだ。

そこにあるはずの景色、見覚えのある野原も、石畳も、小さな神社も――まったく別の風景に置き換わっていた。再開発が進み、土地はアスファルトに覆われ、規則正しく家々が並んでいる。子どもの頃に走り回った一帯の面影は、地図の上から跡形もなく消えていた。


――もしかして、神社を取り壊してしまった…?

途方に暮れ、悠人は杏陽子の顔色を確かめる。額にうっすらと汗がにじみ、呼吸は浅い。表情に苦痛が刻まれているのを見て、胸の奥からじわりと後悔が湧き上がる。

「ごめんな杏陽子…………俺、何をしているんだろう」

言葉は自分に向けた懺悔だった。


そこへ、近くを歩いていたおばあさんがやって来て、足を止めた。顔に深い皺が刻まれた、柔らかな眼差しの持ち主だ。悠人たちを見て、にこりと笑う。

「みかけない顔だね。どうしたんだい?」

事情を話すと、おばあさんはうなずきながら教えてくれた。

「この辺一帯は再開発が進んだんだよ。神社は取り壊されて、本殿ごと移したんだ。バチがあたるんじゃないかって心配したもんだがね」


丁寧に移設先を告げられ、悠人は頭を下げて礼を言った。

教えられた場所は遠くなかった。町外れの小さな丘の上だという。木々の間に、赤い屋根の小さな本殿がひっそりと見えるはずだと。


車いすを押し、ゆっくりと坂を上る。アスファルトの道を離れて、小道に入ると空気が変わった。舗装の匂いが抜け、土と草の香りが濃くなる。木々の合間にひっそりと赤い屋根の本殿がたたずんでいるのが遠目に見える。


これは私の仮説だ。

怪異とは人の歪みを移す存在。

怪異と人との間に生みだされる第5エネルギー・・・

E(d, t) = A・dⁿ ÷ (1 + e^(k・t))

それは万有引力とは真逆。怪異と人との距離が広がるほど強まる。加えて、時間が経つほどに遅れて現れる。だからこそ天童は群を抜いて強かったはずだった。


そして、モモが消え、ほとんどの怪異が消滅したとき、人は元の形へと戻った。通常ならゼロになるはずの微弱な第5エネルギー反応が、わずかに残り続ける――その残滓が、何か重要なヒントを残している。


それらの仮説はある一点の真実に帰結する。

それが絶対に正しいと証明できる者はもはやどこにもいない。

ほとんど根拠もない。

あるのは、祈るような気持ちだけ…。


木々の合間に、移設された小さな本殿は年輪を重ね、建材は色褪せているが、造りはしっかりしていた。近づくと、風がふわりと通り抜けた。緑の匂いが胸を洗い、砂浜に寄せる波のような「ザザザ」という葉擦れの音が耳を満たす。


本殿の前に立つ。小さな扉を押すと、古い木の匂いとともに、忘れていた記憶が一斉に体を駆け抜ける。懐かしさが肌に触れ、胸の奥の扉が音を立てて開いた。


「…やっと、みつけてくれたね」


誰かの声がはっきりと聞こえた。怪異かもしれない。どこか遠いところからの呼びかけのようでもあった。


その直後、杏陽子の身体がわずかに反応を示した。長年の昏睡で動かなかった瞼がぴくりと動き、ゆっくりとうっすらと開く。

悠人は駆け寄り、彼女の手をぎゅっと握る。脆く震える指先を強く抱きしめながら、涙をこらえるのがやっとだった。顔に微笑みを浮かべ、震える声で言う。

「おかえり」


杏陽子の意識はまだ朦朧としている。言葉はゆっくりと漏れた。

「…夢を、見ていた」


続けて、彼女は小さな声で話し始める。

「一人で遊んでいた。そうしたら、二人の友達ができたんだ……」


杏陽子はかすかな微笑を浮かべ、悠人の手を握り返した。

視線は遠く、しかしどこか安らいでいる。


風鈴がカランと鳴った。


* * *


小さな神社の境内で、女の子は一人で遊んでいた。

砂を指でならしたり、小石を積み上げたり、時おり境内をぐるぐると駆け回ったり。声をかける相手は誰もいないのに、まるで友だちと遊んでいるかのように独り言を言いながら。


しかし、いつの間にか境内には影が濃く落ち始めていた。西の空は灰色に沈み、風がざわざわと枝を揺らす。

杏陽子はふと、背筋をなぞるような気配を感じて立ち止まった。ひとりきりの神社が、急に広く、暗く、心細いものに変わっていく。


やがて、空が裂けるように雷が鳴り、雨粒が石畳を叩いた。慌てて彼女は本殿の中に駆け込み、木の扉を閉める。ぎしりと響く音に自分でびくりと肩をすくめた。

膝を抱え、耳をふさぎ、目をぎゅっとつぶる。閉じ込めた視界の裏で、雷鳴はさらに近く、激しく鳴り響いた。それからどれほど経ったのかも分からない。


「こんなところで、なにしてるの?」


ふいに、優しい声がした。

思わず顔を上げると、雨に濡れた髪を額に貼りつけながら、一人の男の子が立っていた。心配そうに眉を寄せ、こちらを覗き込んでいる。

杏陽子はとっさに顔をそむけた。

「……かくれんぼしてたの」

男の子はきょろきょろと辺りを見回した。

「かくれんぼ?もう雨あがったよ。ずっとここにいるの?」


彼はそう言って、小さな手を差し伸べた。

濡れた指先からは、外の空気の匂いが伝わってくる。


杏陽子はしばらくためらった。けれど、差し出された手の温もりに導かれるように、その手をそっと握った。


その瞬間、厚い雲の裂け目から光が差し込んだ。境内を照らす一筋の光。

雷の轟きも、雨の冷たさも、その光の中で遠ざかっていった。


――暗闇と孤独の中に、確かに現れた誰か。

その存在が、ただそれだけで世界を塗り替えていく。


(終)



ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。調べてみるとプロットに1800時間くらいかかってました。いろいろ勉強になった1年でした。もし機会ありましたら次回作もよろしくお願いします。

最後に・・・感想などいただけますと大変嬉しいです。

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