第6話 戦女神の影
鈍い衝撃音が腹の底まで響き、地面が僅かに揺れた。粉じんが舞い上がり、世界が土色に染まる。そして、風が砂をさらっていったその先に立っていたのは──天花 杏陽子だった。
以前出会ったときのどこか危うげな彼女ではない。今、目の前に立つその姿は、研ぎ澄まされた鋼のような気配を纏い、戦場に降り立った戦女神そのものだった。特制のスーツがその身体を包み、瞳はまっすぐに悠人を射抜いてくる。
「早く、その武器を頂戴」
その声音に抗う術はなかった。悠人は言われるがままに武器を差し出す。だが、受け取ろうとした杏陽子の動きが、ふと止まった。彼女の瞳が、悠人の顔をとらえて、わずかに揺れる。
「あなた……この前の」
「どうしてここに……?」
「その武器からの発信信号をキャッチしたの。これがあれば、なんとかなる」
彼女は片手で、軽々とその重量のある武器を持ち上げた。信じられなかった。華奢に見えるその身体のどこに、そんな力があるというのか。
「ワオ!天花杏陽子さんだ!」
聞き慣れた声が背後から飛んできた。力也だ。
「クラスS3、特制隊最強のヒロイン!!」
悠人は思わず振り返る。
「……え?なんだって?」
しかし、その問いかけはもはや虚ろに宙を彷徨うだけだった。
杏陽子はすでに戦いに身を投じていた。銃を構え、正確無比な軌道で怪異を撃ち抜いていく。その動きに、一切の無駄はない。無慈悲なまでに、的確に、確実に命を奪っていく。
「オーマイガー!とてもクールだ!!こんな場面を肉眼で見られるなんて、特制隊に志願してよかった〜!」
「志願してたのかよ!てかお前ほんとどこ行ってたんだよ!」
「撤退ルートを確認してたんだって!」
だが悠人も、やがて口を閉じた。見惚れるしかなかった。あの絶望の闇を、一人で押し返す存在。それが、天花杏陽子だった。彼女がいる──それだけで、この地獄のような戦場が少しだけ、遠のく気がした。
悠人は少年の手を取り、市民の避難を手伝いながら、幾度も彼女の姿を振り返った。粉じんの中を跳ね、闇を穿ち、怪異を倒すその姿は、幼き日の夢の残像そのものだった。
──ヒーローは、確かに存在するのだ。
気づけば、すべての怪異は鎮められていた。杏陽子はすでに彼のそばにいた。呼吸一つ乱すことなく、額にはうっすらと汗をにじませている。まるで朝のランニングを終えたばかりのような、満ち足りた表情をしていた。
やがて、少年の母親が見つかる。母の腕の中に飛び込んだ少年は、顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、何度も何度も振り返って手を振った。悠人はそれを見て、小さくつぶやいた。
「どんな状況になっても家族と一緒にいれば大丈夫だ」
それは、誰に語るでもなく、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。けれど、その言葉に杏陽子は返さない。ただ一言、ぽつりとこぼした。
「家族だって裏切ることはある……」
その声は不意打ちのように、悠人の胸に沈んだ。彼は思わず彼女の顔を見返す。さっきまで光をまとっていたような姿は、今やどこか陰りを帯びていた。その横顔には、口には出さない過去が確かに刻まれていた。
悠人はその横顔を見つめながら、結局、何も言うことができなかった。沈黙の奥で、まだ知らぬ物語が静かに息をしていた。