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怪異~終焉を招く少女~  作者: 初瀬 朋多迦
セラピーモンスター
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第53話 暗闇に潜む視線

ショッピングモールの中央吹き抜けは、昼夜を問わずざわめきに満ちていた。

頭上からは白い照明が降り注ぎ、床のタイルは磨かれてガラスのように光を返す。

植栽の緑が人工的な整然さを添え、絶えず人の流れが途切れることはない。

子供の笑い声、アナウンス、紙袋の擦れる音。すべてがひとつの雑踏となって渦を巻いていた。


その一角のベンチに、杏陽子は腰を下ろしていた。

母から指定された待ち合わせ場所――よりによって、こんな騒がしい空間。


昨日、母から連絡が入った。詳細は何も告げられず、ただ「フードコートで待っている」とだけ。脳裏をかすめるのは、先日の言葉。

<この際だから言っておくわ。もう二度と話しかけないで>

母の険しい表情が鮮やかによみがえる。

なのに、今日こうして会おうと言うのだ。


スマホを握る指先に力がこもる。

画面に表示された時刻は、約束の時間をすでに十五分過ぎていた。

周囲では親子連れが店を後にし、モールの顔は徐々に夜へと変わる。フードコートの照明が少しずつ落とされるころ、杏陽子の胸にじわじわと黒い染みのような不安が広がっていった。

(忘れてるのかな……それとも急用ができたのかも……)


遠くでサイレンが鳴る。警察車両や救急車が駐車場の奥でざわつき、周囲の人々が立ち止まる。子供の声が届く。

「誰かひかれたんだって」

すぐ近くで誰かが囁く。

「即死だってさ」

「引いた車、逃げたらしい……」


その言葉は、無遠慮に杏陽子の胸を叩いた。心臓が一拍、跳ねる。喉が締め付けられ、動悸が止まらない。

(違う……違うよね……)


だが、その『まさか』はすぐに現実となった。警官と話す人々の向こうに、ひらりと風に揺れる白い布。──いや、布ではなかった。つばの広い白い帽子。それは間違いなく、母のものだった。


「!!」


杏陽子は駆け寄ろうとした。

しかし、すでに警察が規制線を張っている。警察官の男に掴みかかるように尋ねる。

「誰ですか!? 引かれたのは誰!? 私……私、その人の……!」

男は困惑し、低く答えた。


「搬送されました。もう病院に……」


頭が真っ白になり、脚の力が抜け、杏陽子はベンチに手をついた。世界がぐらつく。蛍光灯の白さだけが虚しく彼女を照らす。


杏陽子はふらりと立ち上がった。思考は宙を漂い、音の消えたモールを歩く。吹き抜けの上から見下ろすと、さっきまで座っていた場所が遠くに見えた。


母の姿は、やはりそこにはなかった。

(……どうして、こんなところで……どうして、こんなことに……)


母が私の名前を呼んでくれるかもしれない、微笑みかけてくれるかもしれないと思っていた。ほんの少し前まで、それを期待していた。──しかし、その期待は、この夜に踏みつぶされた。


モールを出た直後、杏陽子は足を止めた。


(そうだ……病院。どこの病院に運ばれたんだろう……? きっと、まだ生きているはず。早く行かないと……)


しかし歩みを進めるたび、胸に別の感覚が忍び込む。ぬるりと肌の奥にまとわりつくような、得体の知れない空気。


(……つけられてる?)


背筋に微かな冷気が走った。すれ違う人々は無関係に見えるのに、電柱の影、車の窓、遠くのビルの屋上──すべてが監視の目となって、自分を射抜いている気がする。

視線。

足音のない足音。

街のざわめきの奥に、異物のような沈黙が潜んでいる。


(ここにいたら──ダメだ)


直感で判断し、杏陽子は雑踏をすり抜け、音も立てず裏通りへ滑るように姿を消す。

人気のない住宅街。生け垣の間から洩れる灯りは薄く、風に揺れる木々のざわめきがザァザァとやけに大きく響いた。


──そのときだった。


「こんばんは。お嬢さん」

ぴたりと足を止める。背を向けたまま、杏陽子は周囲の気配を読む。


(……三名。左右後方にそれぞれ。そして正面──今、私に照準を合わせてる)


体が先に動いた。

杏陽子は空気を裂くように跳ぶ。

直後、「パンッ!」と硬質な破裂音。弾丸が、さっきまでいた場所を正確に穿った。

公園へ通じる暗がりに滑り込む。その身のこなしは、重力の支配を逃れるかのように軽やかだった。


次弾、三発、四発──。

空を切る銃声が銀色の光となって視界をかすめる。


(……こんなもので私を殺せると思った?)

呼吸ひとつ乱さず、杏陽子は茂みに身を沈める。葉擦れの音すら立てず、枝から枝へと移動する。闇に溶け込み、高いケヤキのてっぺんにたどり着いた。


葉陰から下を見下ろすと、男たちが散開していた。


「くそ、探せ!」

「おい、接触しようとした人間も始末しろって命令だ、なにしてる!」

焦った声が夜気を裂く。


始末……って、お母さん……。

胸の奥が冷たくなる。


しかし、悲しんでいる暇はなかった。

(……五人。この近くで動いているのはそれだけじゃない。)

頬に触れると乾いた感触と熱。さきほどかすめた弾丸の跡だった。

(……さすがに危なかった)


夜風が木々を揺らし、下では足音が交錯する。

呼び出しの理由も、待ち合わせに現れなかった理由も、何ひとつわからない。

(どうして私の場所がバレた……?あの場からうまく離れたはず…。つけられていた?あるいはまさか……)


急いで支給装備の電源を切り、SIMを抜く杏陽子。マークされているのは明白だった。知沙に伝えなければ──。私を狙った者たちの網は、すでにあらゆる場所に張られていると考えた方がいい。


ケヤキの枝先で、杏陽子は静かに息を吐いた。

闇の中、その瞳だけが鋭く光を宿していた。


* * *


どれほどそこにじっとしていただろうか。


男たちの足音はすでに消え、夜の静寂があたりを包んでいた。時折、風が木々を揺らす。そのざわめきが、孤独のなかでかえって耳に鋭く響く。


「おーい」


唐突に、間延びした声が夜気を切り裂いた。杏陽子は息を呑む。

(……誰?)

視線を巡らせると、街灯の下に一人の男が立っていた。手を振り、屈託のない笑みを浮かべる。声は場違いなほど明るく、安心させるためのものか、あるいは狙いがあってのものか──。


「おーい!もう大丈夫だよ!」

(……この男、見てたの? さっきの私の動き、全部……?)


枝から枝へ、木の頂点へ、影に溶け込むように移動したはずなのに、迷いなく私の姿を捕らえていた、ということ?


「さぁ、こっち」

軽い口調でそう言うと、男はためらいもなく杏陽子を誘導し始めた。

しばらく歩き、人気の途絶えた路地で彼は自己紹介をした。


「僕は九条くじょう 煌良夢きらむ。ようやく会えましたね。天花 杏陽子さんにお会いできるなんて光栄です」

「……どうして、私のことを」

「この界隈では有名人ですから。いや、この界隈だけじゃなくて──一般的にも、ね」

「……さっきの人たちは知らない様子でしたけど」

「彼らは下っ端。あなたを認知する余裕はなかったのでしょう」


さらりと言う言葉とは裏腹に、口元には奇妙な含み笑いが浮かぶ。

彼もまた、能力者だった。


「何の……人達なの?」

「僕もしらないけど。……きな臭いよね。

モールでの事故……君の母親だったのかい?」


杏陽子は言葉を開きかけ、すぐに閉じた。口にするには、あまりに現実が重すぎた。


「そっか……大変だったね」

煌良夢は悲しげに目を細めたが、すぐに笑顔を取り戻す。

「何かあったらいつでも言ってほしい。君のためになりたいんだ。部隊は違えど、目的は同じだからね」


その笑みに、奇妙な温度差があった。どこの部隊なのか。彼の言葉は心からのものなのか、方便なのか──判断がつかない。

「……なにか大事な情報を掴んではいない? 彼らはそれを気にしているようだった」

「重要な情報?」

「僕も知りたいと思っている。どう?」

「……いえ。なにも」

「……そうか」

短い沈黙。その空気には不自然な濁りが混ざっていた。杏陽子は直感で察した。


(……違和感。でも、悪い人じゃ……ない?)


そのとき、煌良夢の口元がわずかに上がる。

「──じゃあ、せっかく憧れの人に出会えたことだし。まずは落ち着いて腹ごしらえでも。……あ、フードコートってもう閉まってますかね?」


杏陽子は瞬きをする。

(……え? この状況で……?)


「フードコートは無理でも……コンビニなら、いけるかな。いく?」

「いかない」

「ええ……」

煌良夢は深刻さを欠いた、残念そうな調子で言った。杏陽子は一瞬、呆気に取られた。あまりに場違いな言葉。

(……なにそれ。本当に変な人……)


わずかに、心の奥の肺を押し潰していた重みが軽くなる。しかし、すぐに思い出す。母の帽子。血の匂い。救急車の赤。


「……ごめんなさい。今日は、もう行かないと」

低く、はっきりと告げる。


煌良夢は肩をすくめて微笑む。

「そっか……無理には引き止めないよ。辛いでしょ」

杏陽子は答えず、視線をそらして踵を返す。


背後から間抜けな声が追いかけてきた。

「じゃ、ほんとにコンビニ寄ってこよっかな」


最後まで軽い調子の男。

雑踏に紛れながら、胸の奥に小さな残響が残る。

──彼は、敵だろうか。味方だろうか。


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