第28話 休日調査
ギャグ回です。
明日は、三週間ぶりの休み。
悠人は、帰り支度をしながら静かにほっと息をつく。なんだかんだで、結局この数週間も、毎日のように現場に出動。報告をまとめては、夜が更けた。体も、頭も、そろそろ限界だ。
(明日こそは、何もしない)
そんな決意を胸に、ロッカーの扉を閉じる。ヨミの監視からも逃れたい。誰にも邪魔されない場所へ、できれば一人でどこかへふらりと。温泉でも、山間の古書店街でも、いや、いっそ無計画に電車に揺られてしまうのも悪くない。帰ったら、調べてみよう。
パソコンの電源を切り、荷物をまとめ、帰ろうとしたそのときだった。
奥のデスクにひとり腰掛ける杏陽子が、小さな声で何かを呟いた。
「……個別に……調査しないと……」
声というより、意志のこぼれた独り言。いつものように熱心に資料に目を通している。相変わらずだな、と悠人は思う。
「じゃあ、お先に失礼します」
立ち止まり、軽く手をあげると――
「あ、明日……人手が足りないなぁ……」
杏陽子が小声で言った。それは、聞き返さなければそのまま流れてしまいそうな曖昧なつぶやきだった。
「何のですか?」
悠人は足を止め、向き直る。
「……怪異調査」
「明日は全員休みの公休日じゃなかったでしたっけ?」
しばらくの沈黙ののち、彼女は真っ直ぐな目で言った。
「……でも、私は怪異調査に行かなければいけない。休日だけど、怪異から人を守れるのは限られた人だけだから……」
その表情は真剣で、迷いがなかった。
「ごめんね。帰ろうとしてたのに、呼び止めたみたいで……おつかれさま」
そう言って、彼女はまた視線を資料に戻す。
悠人は数秒、その背中を見つめたのち、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……あの、役に立つかわからないですけど。俺、手伝いましょうか?」
ぴたり、と資料をめくる手が止まる。杏陽子がこちらを振り返った。
花をぱっと咲かせたような笑顔。
「……いいの?休みだよ!?」
「どうせ、やることないですし」
悠人は苦笑する。
(……家にいたって、ヨミがいて休まらないし)
「ありがとう。とても助かる! 明日、町田駅前、9時集合でいい?」
「了解です」
彼女が向けた笑顔を、悠人は帰り道ずっと思い返していた。心から嬉しそうで、どこか照れたような、けれど隠しきれない感情が滲むような、そんな笑顔だった。
(杏陽子さんが、俺を頼ってくれた。まだ隊に入って半年も経たないこんな自分を……)
胸の奥に、かすかな温かさが広がる。
(……休日出勤だけど、頑張ろう)
帰宅する頃には明日が、なぜか少しだけ、待ち遠しくなっていた。
遅れて特防隊の執務室に戻ってきた柚里。
「……あれ、もう夜勤組だけかな?」
力也が声をかける「おつかれ~。これからまだまだお仕事かな?俺と一緒に」
「気味の悪い事言わないで。もう帰るから。じゃあね!」
「そういやさ」
力也がふと思い出したように言った。
「悠人がさ、帰り際に『明日、自主調査に行く』って言ってたんだよな。明日って……全員休みだよな?」
「そうだけど。悠人くんがそんなことを?」
柚里が振り返る。
「仕事と休み、きっちり分けてるあの悠人くんが? それは、ちょっと不思議」
そして思い出したように、柚里は眉を寄せ、考えこむように口を開いた。
「……そういえばね、ちょっと前に、私も気になったことがあったの。杏陽子さんが最近めちゃくちゃ熱心に怪異について調べてたんだよね。手伝いますって言ったんだけど、一人でやれるし無理しなくていいって」
そのとき、ドアが開き、知沙が部屋を除いた。
「柚里、もう二十二時回ってる。早く帰らないと」
「それが……」
柚里は簡単に説明した。悠人が調査へ行くということ、杏陽子がここ最近ずっと怪異情報を洗っていたこと──そして、明日が『たまたま』二人とも自主調査の日であるということ。
すると、知沙は目を細めて小さく「ふふん」と笑った。
「なるほど。杏陽子は明日、自主調査。そして悠人さんも、明日、自主調査……偶然にしては出来すぎですね」
柚里はにやりと笑った。
「やっぱりおかしいと思ったんだよね〜。あの二人が、わざわざ休みに出勤なんてさ……」
「つまり?」
力也が訝しげに眉をひそめる。
「……ほんとに調査なのかどうかって話だよ」
知沙の声は、相変わらず淡々としていた。
「もし仮に怪異が発生した場合。二人きりでは対処が困難な可能性もある。したがって、私たちも別動隊として行動します。必要とあらば、いつでも連携できる距離で行動します」
「了解! バックアップサポート、任せてください!」
柚里は軽く拳を握る。
目はすでに、戦闘ではなく探査の輝きで満ちていた。
その横で、力也は深くため息をついた。
(……杏陽子さんは、みんなのアイドルだぞ……なにかしたら許さんぞ、悠人……!)
* * *
町田駅前、午前九時ちょうど。
大きなロータリーに朝のざわめきが渦巻く中、悠人は先に到着していた。駅の柱に背を預けながら、左腕の腕時計をちらと見て、ほんの一秒後——彼女はやってきた。
「おはよう」
「おはようございま……え?」
悠人の口から、思わず間の抜けた声が漏れる。彼の目は文字通り『点』になっていた。
白地に小さな花が散る、軽やかなスカートがふわりと揺れている。肩ほどまでの髪も、今日はどこか艶があり、頬に落ちる光の加減までが違って見えた。いつもの彼女とはまるで違う。
対して、自分はと言えば——
迷彩調のフィールドジャケットに特異体用の多機能ベスト。左腰には高周波ナイフ、右手には特異体感知情報受信端末が装備され、完全に「戦闘モード」である。
杏陽子は、そんな悠人を一瞥すると、軽く笑って言った。
「九時ぴったりね。じゃあ、行きましょう」
「……了解です」
一瞬の間の後、悠人はそう答えた。だが内心は疑問符でいっぱいだった。
(意外だな……。調査にしては、ずいぶん動きづらそうな服着てきたな……いや、待て。もしかして…。今日は潜入調査なのか?一般人に紛れる必要があるとしたら……いや、それでもこの服装はちょっと……。いやいや、逆にこれが最も動きやすいという可能性もあるのか?)
ぐるぐると考えを巡らせる悠人の背中を、遠くから見つめる視線があった。
雑居ビルの隙間からそっと覗くのは、知沙、柚里、そして力也の三人である。
それぞれ、深く帽子をかぶり、眼鏡をつけ、手に缶コーヒーを持ち、完璧な尾行モードだった。
「おいおい……」
柚里が、思わず低く唸る。
「似合ってます、の一言もなし!? 杏陽子さん、明らかに戦闘モードっていうか、勝負服でしょ。先が思いやられるなぁ」
「……悠人の鈍感力、想定以上」と知沙が冷静に呟く。
力也が眉間にしわを寄せて缶コーヒーを握りつぶしていた。
駅前のロータリーでは、さりげない会話が続く。
「今日は晴れていてよかったですね」
悠人が話を切り出す。
「……たぶん、晴れだった。あ、いや、もちろん晴れてるんだけど…」
杏陽子がこたえる。どこか言葉が浮いていて、おかしなことを言っている。
その違和感に、悠人は小さく首を傾げる。
「そういえば、俺、この服装でよかったですか?」
杏陽子は、ほんの一瞬だけ視線をそらした。
「……問題ないよ」と、短く答えた。
「……そうですか。分かりました」
納得しかけて、しかし納得できないまま、悠人はこめかみを指先で掻いた。
さすがに、この格好で繁華街を歩けば異様に目立つことは分かっている。彼は静かに装備の一部を外し、バックパックにしまった。特異体感知情報受信端末もジャケットの内ポケットへと押し込み、少しだけ日常に寄せた姿に調整する。
午前の日差しに硝子のビル群が反射して、都市の空気に揺らぎを落としていた。駅から少し歩いたところで、悠人の端末が震えた。腰につけた特異体感知情報受信端末が、淡く赤い警戒信号を表示する。悠人は歩を止め、画面をのぞき込んだ。
「……注意報のようです。東京都千代田区丸の内――」
声に反応して彼女が振り返る。
「え? 本当に?」
悠人は端末を見せながら、読み上げる。
「発生中心、東京都千代田区丸の内、中華料理店『紅龍飯店』。特異体波形強度0.5。
食事をすることで現れる特異体あり……警戒域が拡大中、とのことです。
しかも、特定のメニューを喫食した際に反応が強まるという報告も……」
「そんな……」杏陽子は顔をわずかに上げ、言葉を飲み込んだ。
「あれ? 杏陽子さん、端末、持ってきてないんですか?」
一瞬の沈黙。
杏陽子は、少し目を泳がせるようにして――
「え、あ……うん。忘れた」
と、あまりにも素直に答えた。
(……え?)
その言葉に、悠人は心のなかで問いを繰り返した。あの天花杏陽子さんが、怪異調査の日に、端末を――?そんなことあるか……?
いつもなら、一分一秒の遅れを嫌うように準備を整え、リスクを読み、誰よりも正確に動く彼女が。その彼女が「忘れた」と言う。そのあっけらかんとした響きに、どこか現実味がなかった。
「……俺が持っているので、なんとかなりそうですね」
ほんのわずか、杏陽子の眉が動いた。そして、口元に影のような翳りが落ちた気がした。
「……そうね。仕方がない。急ぎましょう」
仕方がない。その言葉が、どこかに引っかかった。しかしすぐに合点がいく。ああ、端末を忘れたことか。悠人は少し早足になる彼女の後を追った。
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