第22話 熱き鉄と冷めた心
午後の空が、どこか重たく沈んでいた。
陽の光はまだ落ちていないはずなのに、都市の輪郭はぼやけて、煙のような霞が街を包んでいる。どこかでまた、鉄の悲鳴が響いた。――ぐしゃり、と無惨に折れた鉄橋。火花を散らして止まったコンテナトラック。行き場を失った列車の残骸。鉄でできた都市が、ゆっくりと軋みながら崩れはじめていた。人々の生活の背骨を成していた物流網が、音もなく切り裂かれていく。
「これはもう、ただのトラブルじゃないわね」
八重野局長が唇の端を釣り上げる。
居室の中、未だかつてない非常事態の報告を前にして、彼女の背筋は妙にしゃんとしていた。どこか楽しそうですらある。
「この被害規模……予算、跳ね上がるわねぇ。やっとあの安物デスクともお別れかしら」
「局長、それは……やりすぎです」と志多見が乾いた声でたしなめた。
(やりすぎなのは中抜きだろ・・・誰が中抜きしてんの・・・・)
悠人はため息をつきながら、ぐにゃりと歪み始めた局長のイスを見つめた。
「!!!」
鉄製の脚が、まるで生き物のようにねじれていく。
悠人「危険です、離れてください!」
事務所に特異体が入り込んだ可能性。
八重野が座面ごと後ろに倒れ、床に大きな音が鳴る。
「勘弁してよ……備品の予算、今年もう無いのに!」
すぐに怪異対策のための緊急ミーティングが開かれることになる。
特異体データシートを確認する面々。
特異体登録番号:0051
通称:鉄蟲
波形強度ランク:7.5
現象概要:その鉄は、意思を持っている。事故現場に共通して残された、古びた鉄片。表面には、かつての職人の手を思わせる不可解な螺旋文様。接触者の方向感覚を狂わせ、記憶の一部を食らうという。
スクリーンの前に立った柚里は、ひと呼吸置いてから、ゆっくりと語り出した。
「……直接の証拠になるとは思ってません。ただ、妙な噂がいくつかあって。怪異が動き始めた頃と、時期がぴったり重なるんです」
声の調子は穏やかだったが、どこか、耳の奥に引っかかるような余韻を残した。
「ある話があるんです。聞いたこと、あるかもしれません。
二人の男がいて――うち一人がちょっと変わってたんですよ。何事にも無関心で、情が薄い男だった。その人、恋人と別れるときもあっさりしてて、話が合わないって理由だけで関係を終わらせたらしいです」
柚里は、少しだけ目を細めて言葉を続けた。
「こだわりすぎなんじゃないかって友人が言ったとき、その人はこう返した。
こだわらずに付き合うことに、何の意味がある? そんなの、無駄だろ」
その男は飲みかけのペットボトルを近くの鉄製のゴミ箱に投げた。
「キィン……」
金属の鳴く音が、耳にこびりつくように残る。その音を聞いた瞬間、男の顔がほんの少しだけ曇った。少し気にした様子もあったけれど、すぐに、いや、なんでもない。ただ、耳障りだっただけって……。
彼らが毎日通っていたのは、工業団地の裏道――人気のない、廃工場が並ぶエリアだった。夕方になると、どこからともなく聞こえてくるらしいの。錆びた鉄が擦れ合うみたいな、あのキィ……キィ……って音が。まるで誰かが、古びた鉄の扉をずっと開けようとしてるような。もしくは、誰かを閉じ込めたまま、忘れてしまった檻の声――みたいな。
最初は気味悪がっていた。
不快だって言って避けてた。
でも、ある日から『……呼ばれてる気がする』って。 助けてあげなきゃ――って」
ある夜、ふらりと友人は廃工場の方へ向かった。「ちょっと見てくる」とだけ言い残して。
それきり、戻らなかったんですって。追いかけて行った友人も、そこには誰もいなかった。……ただね、その日から鉄の音が、ぴたりと止んだ。まるでずっと欲しかったものを手に入れて満足したみたいに」
柚里の声が、ふと落ちる。
「呼ばれたのに行かなかった人もいて、ずっと無視して、耳をふさいで……でも結局、その人は友人とも縁を切って、どこかへ消えてしまったらしいです」
静まり返る会議室。
悠人がデータを睨みながら一人呟く。
「波形強度ランク7.5……今期最大級の厄介ものですね」
「柚里さん、行かないんですか?」と力也。
柚里は、すこしだけ苦笑して首を振った。
「ごめん、今回は後方支援。能力、まだ戻らないから」
「マジかよ……」と力也が肩を落とす。
そのとき、知紗が資料の一枚を掲げた。
「これを見て。鉄片に刻まれていた紋様……Takeda Steel International、武田製鉄のロゴに酷似している。知っての通り、対特異体武器を受注開発している会社。なにか関係しているのかもしれない。今回は、社長の武田大輝氏に帯同を依頼しました。この特異体が発生している周辺は武田製鉄発祥の場所、なにか解決に向けた糸口があるのかもしれない。十分気を付けて」
八重野が、その名を聞いて初めて緊張の色を見せる。
「武田製鉄……そうか、あそこは戦後、最初に神社の御神体を製鉄に転用したって噂があったわね。その因果もあるかもねぇ……」
会議室の空気が、ふと冷えた。これは、ただの物流災害ではない。人が、鉄に呼ばれる。都市の輪郭が、音を立てて崩れていく。
――戦いは、すでに始まっていた。
武田大輝。
Takeda Steel Internationalの若き社長。40代前半、鋭い目つきと滑らかな物腰が同居した、いかにもやり手と呼ばれる人種の一人だった。だが、その姿には単なる経営者とは違う、鉄に触れてきた者特有の「熱」が、どこかに宿っていた。会議室に入ってきた瞬間から、彼は電話を何本も受け、流暢に、時に英語、時に他言語を切り替えながら、ビジネスの調整を手際よくこなしていた。その間に放たれた言葉――
「うちでは、特制隊の鉄製装備はすべて請け負っています。しかも格安で」
「格安……」と、悠人は思わずつぶやく。
この人の言う格安が、実際どれほどの額を指すのか見当もつかない。だが命をつなぐ装備が格安で語られていることに、一抹の不安がよぎる。特防局の机もイスもガタついているような、節約の極みの組織。
大輝は、資料を片手に続けた。
「もともと、我々は刃物や鋳物といった工芸鉄製品を扱う会社でした。銃器については……まあ、素人同然です。ですが、今皆さんが使っている装備、試作段階としてはなかなかいい出来でしょう?」
「え? 素人同然?試作?」悠人の声が、裏返る。
(素人の作った試作品を実戦でバリバリに使ってたの?いいのか特制隊!)
「なお、コスト削減のため、海外工場での生産に切り替えています」
(だから説明書が日本語じゃないのかよっ!)
大輝の表情は終始穏やかだった。
「もちろん、技術力は高いですよ。むしろ、我が国と遜色ない。」
そう言って、ふと表情を曇らせた。
「……怪異の件は、許しがたい。鉄を、私たちの魂を、こうも歪めていくとは。おかげで会社の業績が急速に悪化しているんです。商売にならないんですよ。今回の怪異対策、全力で協力させていただきますよ」
その言葉に重なるように、彼の背後から、一人の女性が静かに一歩前へ出た。
「彼女は渡邉舞桜です。うちの現場で働いている腕利きです」
深々と頭を下げるその姿に、悠人は不思議な清廉さを感じた。黒髪を束ね、控えめな立ち居振る舞い。だが、芯のある人物だというのが一目でわかった。
「彼女は……父の工場で長く働いていました。私の父は今、病に伏しておりまして。私は……ずっと顔も出せていませんが」
一瞬、彼の語りにわずかな翳りが差した。悠人の頭に、以前耳にした噂がよぎる。――この若き社長の父が営んでいた工場、その近隣で起きたという怪異の兆し。
「今はとても苦しい状況ですが、著名なコンサルティングの先生に指導を受けながら、なんとかやっております。知っていますか? 3Cや7S、ポーターの5フォース理論……今やビジネスは、理論で戦う時代なんですよ」
その口調に熱が宿る。
「論理なき経営は、経営ではない。感情に頼っていては、会社も人も守れません。理屈が、必要なんです」
悠人は、思わず頷いた。
「……なんだかわかる気がします。ええ、理屈、大事ですよね」
鋳造ではなく、構造分析。鍛冶ではなく、マネジメント。それが、彼なりの「戦い方」なのだ。
――その少し前のこと
午後の陽光が工場の高窓から斜めに差し込み、鉄粉を含んだ空気に細かな光の筋を描いていた。武田大輝の声が朗々とフロアに響いた。
「本日もよろしくお願いします。」
その言葉に、現場の空気が引き締まる。一瞬の沈黙のあと、「はい!」という声がいくつも重なり合い、活気と責任感が交錯したような音が、空間に弾けた。従業員たちはそれぞれの持ち場へと戻っていき、鉄と機械の音がまたいつものリズムを刻みはじめる。
その喧騒の中に、カツン、カツンと、異質な足音が混ざり込んだ。ヒールの音。そして、ほのかに漂う花のような香り。篠塚マリエ――営業担当にして、大輝と昵懇の関係にあると噂される女。緩く巻かれた髪、シルクのように滑らかなブラウス。笑顔の曲線は計算され尽くし、まるで香水と同じく余韻を狙ったかのようだった。
「武田社長、あの件、どうなりました?」
自然に見えるやり取り。だが、その指先が大輝のシャツの袖をそっとなぞった瞬間、その場の空気が微かに震えた。
「もう少しでまとまりそうです」
と、社長は落ち着いた声で答える。
「また、あのお店行きましょうよ」
艶を帯びた声色とともに、マリエの視線が、すっと舞桜のほうへ向けられた。挑発というにはあまりに洗練されていて、かといって無邪気を装うにはあからさますぎる視線。
舞桜はその光景を、一瞬だけ見つめていた。マリエの指先――白く整えられた爪、柔らかく潤った肌。無意識に、自分の手へと目を落とす。乾いた皮膚、機械油の染み込んだ爪。鉄に触れてきた年月が刻み込まれた、ごつごつとした指。
舞桜は何も言わず、工具箱を手に取り、無言のまま工房の奥へと歩いていった。背を向けるその肩に、重たい沈黙が宿っていた。
「舞桜さんの腕って、本当に素晴らしいですよね」
とマリエが言う。
「……几帳面なんですよ」
と、大輝は少しだけ曇った声で応じた。
「彼女は、この会社のこと、好きじゃないんです」
「え?」
マリエの眉がわずかに上がる。
「父とずっと仕事してた人なんです。俺のやり方が、きっと気に入らないんですよ」
その声に、にわかに翳りが混じる。大輝のまなざしは、どこか遠くを見ていた。
――鉄は熱いうちに打て。人もまた同じだ。錆びつけばもう手遅れになる。
父・弘嗣の声が、記憶の底から浮かび上がる。
ひたすらに実直で、厳しくて、寡黙な男だった。
鋼に向き合うその姿は、いつも真剣勝負。手を抜かず、流行を追わず。
その生き方に、若かった大輝は息苦しさを覚えていた。理解よりも反発が先に立った。
マーケティング、デザイン、ブランディング――時代と向き合う自分の方法を、父はきっと認めていなかった。だからこそ、父の弟子だった舞桜も、自分を快く思っていない。そう、あの沈黙は、否定のかたちなのだ。
「彼女は、俺の方針が嫌いなんだよ……」
その声は、誰に届くでもない独白のようだった。まるで、舞桜の影に、亡き父の幻を重ねるかのように。
工房の一角。埃と油の匂いに包まれた空間で、舞桜は黙々と鉄くずを拾い集めていた。手袋を外した素手で、指先の感触を確かめながら。無心になろうとしていた。心を動かせば、言葉がこぼれる。でも、言葉はときに、ナイフより鋭い。
(……言えないよ。私がどう思おうと、それは自己満足かもしれない)
人にはそれぞれの考えがある。正しさも、善意も、時として相手を追い詰める。
(……邪魔しちゃいけない。だって、彼は……)
彼が篠塚マリエと付き合っているのは明らか。自分は、ただのノイズだ。黙っていることが、一番の礼儀なのだ。無心に拾い集めた鉄くずは、まだかすかに温かかった。




