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怪異~終焉を招く少女~  作者: 初瀬 朋多迦
エアフレンド
19/69

第19話 忘れた記憶の灯火

「……で、結局、どこにみんないるの……?」

誰にともなくつぶやいた声は、しんとした夜道に吸い込まれていった。街灯の灯りは心許なく、足元に落ちる影ばかりが伸びていく。


柚里は独り、静かな夜の道を歩いていた。宙に溶けていく空気に、言いようのない寂しさが紛れている。ふと、道端に何かが落ちているのに気づいた。

しゃがんで拾い上げる。それは子どものおもちゃのような、小さなペンダントだった。プラスチック製の、カラフルな星の飾り。どこか見覚えがあるような、けれど思い出せない。手のひらに乗せて眺めていると、心の奥がかすかにざわついた。何か、忘れてはいけないものの記憶を、そっと指先でなぞっているような感触。柚里はそのまま、近くの公園へと足を向ける。誰もいないはずの遊具から、カン、と音が響いた。胸の奥がきゅっと縮こまり、思わず足を止めた。


……怪異?


だが、そこにいたのは小さな女の子だった。

ブランコの陰に隠れるように、ただ黙って座っている。柚里がそっと近づくと、女の子は怯えたように顔を上げる。でも、笑顔を見せると、わずかにその表情がやわらいだ。泣いていたのだろう。目元が赤く、鼻をすすっていた。

「これ、あなたの?」

そう言ってペンダントを差し出すと、少女は小さく声を上げた。

「……わたしの……」

手を伸ばし、恐る恐る受け取る。その手が、小さくて、細くて、でもしっかりしていた。

「大切なものだったの?」

少女は、言葉にはせず、ただ黙って、こくんと頷いた。柚里はゆっくりと息を吐いた。

「そうか。……そうだよね。大切なもの、だよね」

自分にとっては、ただのおもちゃ、でも、誰かにとっては、かけがえのない宝物になる。

当たり前のことだった。


「……家は、どこ?」

そう尋ねると、少女の目にまた涙が浮かんだ。

「……道が、わからなくて……」

その声に、柚里の心がふっと揺れた。

「大丈夫。一緒に、探そう」

少女の顔がぱっと明るくなる。

「お母さんにもらったの。これ。わたしが、ひとりで泣いてたときにね。これを握ると、怖くなくなるって言ってくれたの」

柚里は胸がいっぱいになった。その言葉が、どこか、自分の奥深くに響いた。


――そして。

少女を連れて家の前まで来たとき、柚里は息を呑んだ。

表札をみた。「水嶋」。

少女の顔が記憶にある友人の顔とダブってみえた。髪型は違っても、目の形も、頬のふくらみも、間違えようがない。

「葵生……」

記憶の底から、あたたかな映像が立ちのぼる。小さな手をつないで、夕暮れの街を駆けていった日々。笑って、泣いて、遊んで。友達と過ごした日々――それは柚里自身の、宝物のような過去だった。

幼い葵生が、ぽつりとつぶやく。

「……ママとけんかしたんだ……」

「……お母さん、きっと心配してるよ」

葵生は、しばらく黙って、こくりと頷いた。

「じゃあね。またね」

玄関の扉の向こうへ消えていくその小さな背中に、柚里はどこか、やりきれない温もりを感じていた。

――が、ふたたび扉が開く。


「……これ、あげる」


葵生が手にしたのは、さっきのペンダントだった。

「え? いいの? 大事なものでしょ?」

柚里が戸惑うと、葵生はもう一度、頷いた。

「夜、おそいでしょ? これ、持ってたら、こわくなくなるよ」

「……そっか。ありがとう」

少女の笑顔に、柚里も自然と笑みを浮かべる。

「今度、一緒に遊んでくれる?」

思いがけないその言葉に、胸がじんわり熱くなる。

「……もちろん」


そう答えた瞬間、柚里はふと我に返った。

これは――忘れていた記憶だ。

どうして自分が夜道を歩いていたのか。なぜ公園にいたのか。なぜ、あのペンダントを手にしたのか。霧が晴れるように、過去が立ち上がる。あの夜。母が、柚里の大切にしていたおもちゃや本を、勝手に捨てたのだった。

「もう遊ばないんだから、いいでしょ。いつまでも持っていてどうするの?」

柚里は泣きながら、家を飛び出した。

「柚里! どこ行くの? もう暗いよ、帰ってきなさい!」

振り返ると、母の顔は怒っていて、でも、少しだけ悲しそうだった。

「……そんなだから、パパだって、いつまでも帰ってこないんでしょ!」

言い放ったその一言が、母の顔をぐしゃりと歪ませた。悲しみとも怒りともつかない表情。


(知るもんか!)


泣きながら、柚里は走った。暗い道。迷って、心細くて、怖くて――そのとき出会ったのが、葵生だった。

……あの夜、怖くて、泣きたかったのは、私の方だったんだ。

柚里は胸元のペンダントを、そっと握りしめる。確かにそこにある、あの子の思い出と、優しさ。怖くない。もう、ひとりじゃない。静かな夜の中、ペンダントがかすかに光って見えた。


そう思ったときだった。

目の前が、ふっと開けた。まるで濃い霧が晴れるように、視界が一気に明るくなった。霞んでいた感覚が澄みわたり、すべてが見える。道筋も、空の色も、遠くにいる仲間たちの姿さえも。

「あっ……」

その瞬間、すべてが繋がった。

ここがどこで、自分が何をしなければならないか。この不思議な世界に潜っていた理由。特制隊の仲間たちが、すぐそばにいることさえも、もう迷いなくわかった。そして、悠人や柚里、ヨミとすぐに合流できた。

「柚里、よかった。……でも、もう時間がない。早く出ないと、ここは危ない」

悠人の声が焦りに震えていた。ヨミも静かに告げた。

「この世界が閉じ始めておるぞ。このままでは抜け出せなくなる。急ぐのじゃ」

杏響子は肩をすくめ、小さく吐息をつく。

「行方不明の子を探す余裕は……結局なさそうね」

だが、柚里は首を振った。

「ごめん。待って。……もう少しだけ、時間がほしい。葵生、あの子もきっと、この中にいるはずなの」

その一言を残して、柚里は走り出した。迷いはなかった。そして――その場所は、記憶の奥に確かにあった。よく遊んだ公園の片隅、古びた遊具の中。鬼ごっこのとき、いつも葵生が隠れていた、あのすべり台の下。


そこに、彼女はいた。

地面にうずくまり、目を閉じて、小さく震えていた葵生。

「……葵生!」

声をかけると、はっと顔をあげた彼女の目から、涙が零れ落ちた。

「柚里……!」

「……ねぇ、柚里。わたしのこと、覚えてる?」

柚里は少しだけ笑って、問い返した。

「どうして、葵生のことを忘れるなんてことがあるの?」

安堵の吐息。

「さあ、行こう」

「……でもね、体が重くて……動けないの」


柚里は無言で葵生をそっと背負った。

「大丈夫?」

葵が柚里を気遣う声が耳元で聞こえる。背中越しに重さが伝わる。けれど、それが不思議と心地よかった。

「大丈夫。私は、ちょっと特別なの」

「……そうだね。いつも、助けてくれるもんね……」

足を踏み出すたびに、背中のぬくもりが確かなものになっていく。そして、闇の奥から――駅が、現れた。ひとけのないホーム。無機質な線路。そして、やがて近づいてくる最終列車の音。

「来たぞ!」

ヨミが手を振って急かす。時間が、限界を迎えようとしていた。皆が駆け出す中、列車の扉が開く。かろうじて全員が電車に乗り込んだ時、扉は閉まりゆっくり発車した。


車窓に流れる風景が、過去の世界を切り離すように遠ざかっていった。そして――次に列車が停まった駅は、見慣れた現実の駅。

「終点です。お忘れ物のないよう……」

その車内アナウンスの、なんでもない一言が、なぜかやけにクリアに響いた。ホームに降りた瞬間、都会の喧騒がうるさいほどに聞こえてきた。ようやく現実に帰ってきたのだ。

柚里はポケットを探った。ペンダントは、なかった。

(あの世界……怪異って一体……)


* * *


帰り道。

柚里と葵生は肩を並べて歩いていた。

不思議な空白を胸に、柚里はふと葵生にたずねた。

「最初に出会ったときのこと……覚えてる?」

葵生は、少しだけ目を伏せて答えた。

「覚えてるよ。……でも、言わなかった。だって、忘れてるって言いそうだったから」

柚里は静かに頷いた。

「うん。忘れてた」

「……やっぱり」

「でもさ……忘れちゃうのも、悪いことじゃないのかも」

葵生が不思議そうに首をかしげる。

「どういうこと?」

「こうしてまた、思い出話ができるなら。それでもいいかもって」

葵生はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。

「……そうだね」


柚里は葵生のポケットに手を突っ込んだ。

「あったかい」

「ちょっと!夏だよ!?今!暑いから、離れて!」

「またそんなこと言う~。少し前まで背負っていたじゃない~」

くだらない言い合いに戻った日常。でも、その日常こそが、今は何より尊い。


ふと、柚里が口にした。

「そういえば……どうして葵生と喧嘩してたんだっけ?」

「……忘れちゃったね」

「うん」

ふたりは笑い合う。

もう、柚里の中には「葵生を奪われた」という感情は残っていなかった。その代わりにあるのは――彼女との、確かな信頼。

そのとき、葵生がふと立ち止まった。

「……だめだ。忘れるところだった!」

そう言って、カバンをごそごそと探り始める。

「……これ」

差し出された小さな包みに、柚里の目が見開かれる。

「……えっ、これ……私が欲しがってたやつじゃん!」

「誕生日プレゼントだよ」

その一言で、柚里はすべてを理解した。そして言葉が出てこなくなった。ただ、涙を浮かべて、こくんと頷いた。ふたりは、再び無言で歩き出す。肩を寄せ合いながら。雲の切れ間からこぼれ落ちた陽射しが、ふたりの歩む道をそっと照らし、やさしくあたためていた。


別れ際のぬくもりがまだ肩に残る。

柚里は葵生と別れ、もう自宅前というところ。

ふと、とんでもないことに気が付く。

「アッーーー! やらかしたぁぁぁ!」

声は商店街に響きわたり、振り返った鳩が一斉に飛び立った。

そうだ――あのペンダント。

登校前に、いらないって思って……ゴミ箱に放り投げたんだった。


急に胸が冷たくなった。

柚里は全力で家に向かって駆け出す。路地裏を抜け、坂道を登り、自宅のドアをがちゃりと開け放つ。誰もいないはずの家の中に、息を切らせながら飛び込むと、階段を三段飛ばしで駆け上がった。

自室――。

机の上に、それは、あった。まるで、最初からそこに置かれていたように、穏やかに、静かに。

「……どうして?」

まるで、今朝のあれが嘘だったかのように、ペンダントはぬくもりを宿していた。けれど、柚里の記憶は確かだ。捨てた。自分の手で――。

(まさか、これも……怪異の仕業?)

狐につままれたような思いで、母に問いかける。

「ねえ、これ……私が今朝捨てたと思ったんだけど・・・?」

母は少し驚いたような顔をして、それからふっと笑った。

「それ、あなたが子どもの頃に一番大事にしてたものでしょ。捨てちゃいけないものじゃなかったの?」

その言葉に、柚里の胸がじんわりとあたたかくなった。どこかで、なにかを赦されたような気がした。

「ありがとう、お母さん」

そう言って、柚里は思わず母に飛びついた。


***


怪異はその後、忽然と姿を消した。世間には知られず、だが確かに、一件落着したのだった。報告書がまとめられる頃、柚里の身体に残っていた刺し痕はすっかり癒えていた。


柚里が久しぶりに特防隊にもどってきた高峯たかみね 知紗ちさと談笑していた。知紗は特対局の局長代理であり、主に特防隊を指揮する身にあった。海外での怪異に関する情報共有、研究成果の報告などをして、久しぶりに日本にかえってきたのだ。

「不思議だよね。あの傷、もう全然残ってないんだよ」

知紗が腕を組みながら眉をひそめる。

「怪異の影響かもしれない……あとで検査させてね」

そんなやりとりの中、八重野局長が

「知紗も帰ってきたことだし、やっかいな怪異事件も解決したことだし、

今日は全員で食べに行きますか。」と言い出した。

急に賑やかになる面々。誰もが気を張っていたのだ。

ようやく肩の力が抜けた。

悠人はもくもくとパソコンに向かっている杏陽子に声をかける。

「一緒に行きましょうよ。たまには息抜きも大事だし」

その強引な誘いに、いつもなら断る杏陽子が、なぜか、少し照れたように頷いた。

「……いいかもね」


「……え?」

周囲が騒然とする。

「杏陽子さんが? 自分から行くって……え、なにがあったの?」

「絶対なんかあった……」

「……事件です」


* * *


夜の帰り道。

賑やかな食事の余韻を背に、悠人はヨミに声をかけた。

「今回、ヨミがいてくれて助かったよ」

ヨミは腹をさすりながら満足げに言った。

「うまいものをたらふく食えた。悠人のおかげじゃ。わしのほうこそ感謝しておる」

「……ありがと」

「当たり前じゃ。何年生きていると思うとる。1マン・・」

「そうか。じゃあな。元気でな」

手を振って早々と別れを告げる。しばらくしてから少しちらりと視線をやると、ポカンとした様子でこちらをじっと見つめるヨミがいた。その様子になぜだかすこし胸が痛んだ。

(ま、自分の家くらいあるだろ。気にする必要はない)

最初はどこに出で立ちの人なのかと疑問だったが以外と頼れる奴だった。またどこかで会うことになるかもしれない。


翌朝

目覚ましの代わりにけたたましい鳥の鳴き声が聞こえる。

(なんだ、やけにうるさいな・・)

悠人は起き上がった。

(あれ?布団がやけに膨らんでるな・・・なんだ?)

布団をめくると、そこには――。

「……おいっ!! ヨミ!? なんで俺の布団に入ってんだよ!!」

「……しまった。監視しているうちに寝てしまった……」

「監視!?どこから侵入した?!」

「うむ。お主、怪異に関わっておるし、妙に気になるし……これはもう、元凶はお主とにらんでおる!」

「いやいやいや、帰れ!!」

取り乱す悠人。マイペースのヨミ。

「住む場所がない。だから一緒に暮らすしかない。私は決して怪しい者ではない」

「どこがだ!怪しさしかないだろ!」

その日から、半ば強引にヨミは悠人の家に居候することとなった。厄介な存在であることは間違いない。だが、どこか心強くもあった。毒をもって毒を制する……か。そんな言葉を口にしたとき、悠人はふと、窓の外を見た。

近くに見える商店街に見覚えのある少女がいた。


「……モモ?」


そこにいたのは、確かにモモだった。

モモは一人商店街に置かれたベンチに座っていた。

だが、その表情はどこか空虚で――不気味なほど、整っていた。

女子高生たちの声が耳に届く。

「もういいや。この人ブロックしようかな…」

「すぐブロックしたらいいんだよ。みんな同じ意見の仲間で話す方が楽しいし」

「SNSの良さってさ、私たちが絶対に正しいって思えて自己肯定感高まるよね~」

その言葉を聞いて、モモは無言で立ち上がる。

つまらなそうに、首をかしげて。

SNSの画面に映るのは、簡単に共感を得る投稿、

そして、ためらいのない「断絶」のメッセージ。

モモの唇が、ふっと笑みに歪む。

そして、その姿は風のようにかき消えた。

夜の街に、静かに、不穏な気配が漂っていた――。




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