弱者探偵
「出オチじゃねぇか」
「誰が弱者探偵だ!」
「何だよ急に。デカい声出すなもう」
せっかくウトウトしかけていたところだったのに。ボロボロのソファに寝転んだ宇海が眉をしかめた。目の前の事務机で、貧相な形をした男が一人で空中にツッコんでいる。歳は二十代くらいだろうか、成人男性が誰もいない空間に一人で大声を上げている様は、軽くホラーだった。
「うぅ……嘘吐き……」
「何が?」
今度は男が机に突っ伏して泣き始めたので、宇海は面倒になりながらもそう尋ねた。何せ尋ねないと、話が進まないのである。この男こそ彼女の雇い主、このボロっちい事務所を営んでいる朝倉夜景であった。
「うぅう。何でこんな目に。『探偵になれば大金が手に入り貴方も秒でモテる!』なんて……大嘘だったんだ……!」
「今時小学生でもそんな胡散臭い文句騙されないだろ」
宇海は制服姿のまま欠伸を噛み殺した。ひょんなことから彼女は、この探偵事務所でアルバイトをしていた。
朝倉探偵事務所。
そう、この男は探偵なのである。怪しげな探偵通信講座とやらに何十万もの大枚を払い、負債と共に事務所開業を押し付けられた夜景は、出来もしない探偵業を続ける他なかった。
「うぅ……TVドラマで観た探偵はあんなに羽振りが良かったのに」
「フィクションと現実を混同されても……」
現実は甘くなかった。案の定、仕事場は閑古鳥が鳴き、
『探偵たるもの助手を雇わなくてはならない』
という謎ルールによって、こうして宇海に無駄な時給を払い続ける羽目になっている。もっとも彼女にしてみれば、日々何の仕事もなく、かつ金はもらえる訳だから割りの良いバイトではあったのだが。夜景が頭を抱えた。
「もう嫌だ。探偵なんて。地味過ぎる。暗いし」
「己の弱さを探偵のせいにするなよ」
「合コンに行っても……死体とか凶器とか……誰も食いつかないし」
「話題の選び方がおかしいんだよお前は。大体、そんな話題に食いついてくる奴もちょっと怖いだろ」
「せめて探偵じゃなければ……」
「あ?」
夜景が急にガバッと起き上がり、目を輝かせた。
「探偵と言う名のミュージシャンになれば、あるいは」
「相変わらずお前の発想は、意味が分からない」
「探偵を辞めて、ミュージシャンになろう。そうだ、それが良い。時代は『愛と平和』なんだよ。殺人とか怨恨とか、血腥いのはもう終わりだ。ミュージシャンになれば、きっと人気が出るに違いないよ」
「……つまり自分に人気がないのは『職業が悪い』と」
「よぉし! そうと決まれば早速現場に向かうぞ!」
夜景が顔を紅潮させ事務所を飛び出して行った。そもそもあの男は『探偵を辞めて』と言えるほど探偵をしていただろうか……? 宇海はため息をついた。放っとくと何だか面倒臭いことになりそうなので、渋々彼女は起き上がり、夜景の後を追うことにした。
※
事件は近くのコンサート会場で起きていた。宇海が現場入りすると、ちょうどステージ場から、夜景が手を振っているところだった。
『みんなー!』
マイクスタンドを握り締め、夜景が笑顔で叫んだ。
『今日はありがとう! 犯人はこの中にいます!』
「うぉぉおおおおおおお!!」
数万人の大歓声が会場を揺らす。何なんだこれは。ここにいる全員が容疑者なのか。全然絞り切れてないじゃないか。宇海は混乱した。
『最高の推理にしようぜ!』
「うぉぉおおおおおおお!!」
『それじゃあ、さっき出来たばかりの新推理、聴いてください……”愛のままにわがままに、やっぱり犯人はこの中にいないかもしれない”』
「どっちだよ」
ダメだ。このままじゃ埒が開かない。早くあのバカを止めなければ。ギターの音色が咲き乱れる中、宇海は人混みを掻き分け、裏の控え室へと急いだ。
※
「あっ! いた! このバカ!」
「やぁ。宇海くん」
宇海がやっとこさ控え室に辿り着くと、夜景が椅子に腰掛け、満足げな笑みを浮かべていた。何故か何かをやり遂げたような、そんな充実した顔をしている。夜景が首にかけたタオルで汗を拭いながら笑いかけた。
「来てくれたんだ。ありがとう。僕の推理、どうだった?」
「どうもこうも……お願いだからこれ以上、世の中にバカを晒すのはやめてくれ」
『アンコール! アンコール!』
会場の熱気はまだまだ醒めそうにない。控え室の壁越しにも、大歓声は止むことなく地鳴りのように響き渡った。
「ほら。聴こえるか? お前の推理が説明不足だったから、アンコールが巻き起こってるぞ」
「あれって詳しく説明を求める声だったんだ」
「マジで説明してくれ。一体何をどう間違ったらこんな状況になるんだ?」
「ふふ……そりゃあ僕だって、人前で推理を披露するのは怖いさ」
夜景が目を細めた。
「”本当にこれで良いのか”って、”まだ何か見落としてるんじゃないか”って、いつだって、心の中じゃ怯えてる……だけどね。僕にとっては何百回何千回とやってきた推理でも、会場に足を運んでくれた容疑者には、これが最初で最後の推理かもしれない。だったら僕も全力で応えなきゃって、だから僕はまだ歌えるんだ」
「歌うなよ。推理中に歌うな。怖いから」
「ふふ。どうだい? 僕も少しは”強く”なったと思わないかい?」
すると突然、控え室に見知らぬ男が乱入してきた。大柄な男は、夜景を睨みつけドスの効いた声で叫んだ。
「お前が探偵だな!」
「あっあっ。貴方は何ですか!?」
「俺は犯人だ!」
「えーっ!?」
たちまち夜景は羽交い締めにされ、控え室は騒然となった。
「おっと! 近づくなよ! この偽ミュージシャンを殺すぞ!」
「うわぁぁあ! 助けてぇ! 何でもしますから! 何でもしますから!」
「ハッハァ! 何だコイツ、めちゃくちゃ弱え! 探偵のくせに、護身術の一つも持ってねえのか」
「弱者であることには変わりないんだ……」
宇海は呆れた。犯人に脅され、夜景が咽び泣いて命乞いを始めた。とはいえこの状況はすごく危険だ。彼女がたじろいでいると、再び控え室に誰かが乱入して来た。
「誰だテメーは!?」
「私は被害者よ!」
「被害者ぁ!?」
被害者は犯人を、夜景ごとフライパンでぶん殴ると、そのまま二人をknockoutした。
「はぁはぁ……これで一件落着ね」
「被害者に助けられる探偵始めて見た……」
「私はもう行くから……警察を呼んでちょうだい」
そう言うと、被害者を名乗る女性は控え室を後にした。嵐のような騒ぎが過ぎ去り、後に取り残された宇海は、とりあえず気絶していた探偵を助け起こした。
「うぅ……」
「大丈夫か?」
「何と言うスピード展開……これじゃまるでギャグだ」
「もしかしてお前、自分がミステリの主人公だと思っていたのか?」
「だけど……だけどこれで事件は解決だ」
夜景が顔を歪ませながらもほほ笑んだ。
「これで……これで良かったんだ。僕はいたずらに強さを求めて、大切なものを見失うところだった。事件を解決する。これこそ探偵の役割じゃないか。これで良かったんだ」
「いやお前は今回、何もしてないだろ」
「確かにスポットライトが当たるような仕事じゃないかもしれない。地道で辛い作業かもしれない。だけどそれでも、こんな風に誰かのためになる、探偵だって、誰かの笑顔を作ることはできるんだ」
「話聞けって」
「ありがとう。これからも僕は、探偵を続けるよ」
「史実を捻じ曲げて無理やり美談にしようとしている。ある意味”強い”な……」
夜景は勢い良く立ち上がり、夜明けに向かって、エンディングの風景に向かって駆け出して行った。全く。宇海はため息をついた。勝手に落ち込んだと思ったら、勝手に前を向いて走り出している。そんなところが”強い”なとふと思ったが、調子に乗るので、本人に言うのはやめておくことにした。
《完》