7.俺の今川焼き
朝、辰樹が身支度を整えて通学鞄を手に家の玄関を出ると、門扉の外側に白いブラウスとミニスカートがやけに色っぽい美少女の姿があった。
彩香である。
彼女はここ最近、登校時には毎度の如く辰樹を門の外で待ち構える様になっていた。
「たっちゃん、おはよ!」
「あー、おはよー……」
恋人としての彩香は既に見限った辰樹だが、幼馴染みの友達という関係までをも解消した訳ではない。
少し前まで恐ろしく沈んでいた彩香は、辰樹が放課後の教室でそんな意味の台詞をポロリと零したところで、急に息を吹き返した。
「じゃあ……じゃあさ! また前みたいに、一緒にガッコ行こうよ!」
どこからそんな元気が出てくるのかと呆れる程に、彩香は見事に復活した。
その明るさが偽りの空元気なのか、それとも本当に不死鳥の如く蘇ったのかは辰樹には分からない。
しかし諒一からヤリサー輪姦被害に遭いかけたあの当時から比べると、随分と華やかな笑顔を取り戻した様に思う。
辰樹としても、幼馴染みがいつまでも辛気臭い表情で目の前をうろうろするのは気が滅入る為、今の彩香の明るさについては然程否定的には捉えていなかった。
その彩香が、今朝はいつも以上に仏頂面をぶら下げている辰樹の顔を、横に並んで歩きながらそっと覗き込んできた。
「たっちゃん……何か今日、機嫌悪い」
「うん、チョー悪い」
実は昨晩、辰樹は嫌な番組を見てしまった。
その番組内では、中に餡子が入った円筒状の焼き菓子について紹介されていたのだが、その際、番組MCはその焼き菓子を回転焼きと呼んでいたのである。
それが辰樹には腹立たしく、絶対に許せなかった。
「あー……そいやあ、そんな番組、やってたね……」
あはははと乾いた笑いを漏らした彩香。幼馴染みの彼女は、知っている。辰樹が件の焼き菓子を普段、どの様に呼んでいるのか。
「あの芸人、ナメた呼び方してくれちゃってさ……何が回転焼きだよ。ふざけんな」
「たっちゃんの中では、アレは今川焼き一択だもんね」
辰樹は基本、物事には余り拘らない方なのだが、今川焼きの呼称については絶対に譲れない一線というものを抱えていた。百歩譲って太鼓焼き、もしくは大判焼きまでだ。
回転焼きなどという呼び方は、辰樹の中では絶対にあり得なかった。
幼少の頃、この呼び方について幼稚園で大論争を巻き起こしたことがある辰樹。その際彼は、幼いながらに同じクラスの園児達に、
「良かろう、ならば戦争だ」
などと喧嘩を吹っかけた。それ程に辰樹の中では譲れない戦いだった。
それが今、時を超えて再び辰樹の闘争心に火を点けた格好となっていた。
「まぁ取り敢えずさ……ガッコ行こ?」
そんなこんなで彩香に宥められながら、ひとまず登校するだけ登校した辰樹。この日は恐らく、丸一日中機嫌が悪いままであろう。
◆ ◇ ◆
ところが学校に到着すると、今度は彩香の表情が幾分曇り始める様になっていた。
彼女は以前諒一が広めた誹謗中傷でクラスメイトらから孤立する状況に陥りかけたが、結局あの時は禁断の佐山ノートが彩香の悪評を上書きして事無きを得た。
しかし実際のところは、まだ彩香の立場は苦しいままだった。
諒一は依然として彩香を攻撃する意図があるのか、彼女を孤立させる為にあれやこれやと色々余計な真似をし続けているらしい。
(まぁ……あんな奴を選んだ彩ちゃんが悪いんだし、自分のケツは自分で拭いてくれよな)
辰樹はこの件に関しては極力、関わらない様にしていた。
例のヤリサー部屋を襲撃した際は顔を隠していた為、諒一にはまだ辰樹の正体はバレていない筈だ。だがここで彩香の為にと下手に口出しすれば、あの時の襲撃犯について勘づかれる恐れがある。
流石にそれは、辰樹としても面白くは無い。
それに何より彩香自身が、諒一とのことは自分が悪いのだからといい切って、辰樹に対しては心配しないで欲しいと笑顔を向けていた。
傍から見れば、その笑顔は涙に濡れている様にも見えるが、それでもこれは彩香自身が蒔いた種である。
辰樹はこの件に関しては一切、関与しないことで腹を決めていた。
そして、その日の昼休み。
彩香は諒一と再度の話し合いを持つ為にと、三年生の教室が並ぶ階へと足を運んでいった。
その後、彼女が二年A組の教室に戻ってきたのは、五時限目の授業が終わってからだった。何故かブラウスが大きくはだけており、ミニスカートも妙に汚れていた。
諒一との間で何かがあったのだろうが、それもこれも彩香自身の問題だ。
辰樹には何の関係も無い。
ところが――。
「あの、佐山くん……ちょっと、イイかな」
彩香のボロボロな姿に何かを感じたのか、優衣が廊下で手招きしている。辰樹は面倒事は御免なのだがと内心でぼやきながら、優衣に呼ばれるままに廊下へと出た。
「若乃さん……何かあったよね?」
「あー、何かあったんでしょうね」
辰樹は素知らぬ風を装った。今更彩香の為にひと働きする気は、さらさらない。彼女がオトコ関係で痛い目に遭おうがどうなろうが、知ったことではなかった。
その時だった。
諒一が何人かの取り巻きを連れて、ぞろぞろと二年A組の教室前へと練り歩いてきた。
彼は一瞬だけ辰樹に嫌らしい笑みを向けてから、教室内を覗き込んでいる。すると、自席に居た彩香が全身をびくっと硬直させて、恐怖の表情を浮かべて視線を返している様子が見て取れた。
矢張り諒一との間で、何かあったのだろう。
「へへ……彩香、また後でな」
嫌らしい笑い声を寄せる諒一に対し、彩香は何もいえなかった。ただただその美貌を恐怖に引きつらせて俯くのみ。
そして同様に優衣も、愕然とした表情を諒一に向けている。彼女もまた、例のヤリサー部屋で危ない目に遭いそうになっていたひとりなのだ。諒一に対して恐怖心を抱いていても不思議はない。
「おやぁ……優衣ちゃん、ここに居たんだ……また今度、ゆっくり話したいなぁ」
イケメンなのに下卑た笑みを浮かべている。その崩れた顔が何とも勿体無い。
そんな諒一と優衣のやり取りを、辰樹は素知らぬ風を装ってチラ見するだけにとどめていた。
だがこの直後、思わぬ事態が生じた。
諒一が放った不用意なひと言――これで全てがひっくり返ることとなる。
「はぁ~あ……何もかも順調過ぎて怖いくらいだな……ちょっくら回転焼きでも食いに行くか」
その瞬間、辰樹の中で何かがブチンと切れた。
同時に、諒一の命運もここで尽きた。
◆ ◇ ◆
後日、諒一は何者かに襲われたのか、ボコボコにぶん殴られて身動きもままならぬ状態で校舎裏で発見されたのだが、彼は頑なに犯人の名を口にしようとはしなかった。
下手にチクれば、その時こそ本当に命は無いとでもいわんばかりの恐怖感が、諒一の精神を容赦なく破壊していたものと思われる。
結局、諒一を叩きのめした者の犯人は遂に分からず仕舞いだった。