33.俺のバイト先
何だかんだで、高校生として二度目の夏休みを迎えた辰樹。
例年なら宿題や夏期講習、截拳道の合宿、或いは近所の中華レストランでの皿洗いバイトなどで余り青春らしい青春を過ごさない辰樹なのだが、今年は何やら様子が違った。
「佐山くん! 良かったら知り合いの海の家のバイト、来てみない? どうせ暇でしょ?」
終業式当日、優衣がいきなりそんな提案を持ち掛けてきた。
截拳道の道場が潰れた為に合宿が無く、バイト先の中華レストランも店内改装の為に今年の夏は皿洗いバイトを募集していないのだとか。
つまり、結構暇になってしまった訳である。
自慢ではないが学業は全く問題が無い為、宿題も夏期講習も余裕でこなせてしまうだろう。となると、夏休みの半分近くが手持無沙汰と化す。
そんな辰樹の暇人サマーバケーションに目を付けてきたのが、優衣だった。
一体どこから辰樹の個人情報が漏れたのか――否、何となく予測はついているのだが。
「委員長……俺の予定とかどっから聞いたんスか?」
「え、そんなの若乃さんからに決まってんじゃない」
当たり前の様にしれっと答えた優衣。
やっぱりそうかと辰樹が自席で帰り支度を整えている彩香に射抜く様な眼光を叩きつけると、彩香はごめんねとばかりにテヘペロを返してきた。
そんな程度でさらりと許して貰えると思っているところが何とも腹立たしい。
「じゃあ、明後日からね。集合場所とか諸々の詳しい話は、またラインするから!」
「ちょっと待って下さい委員長。何でもう参加決定みたいな話になってんスか?」
辰樹が渋い表情で腕を組むと、優衣は自信満々の様子で大きな胸を揺らしながら上体を反り返らせた。
「その海の家ってのがね、わたしのカレシの親戚が経営してるのよ。ホラ、佐山くん。きみも元サフレとして、わたしのカレシってどんなオトコかな~って気になるでしょ? ほ~ら、あなたは段々会いたくな~る、会いたくな~る……」
この時、辰樹は虚無の表情。
正直いって優衣のカレシなど全くもってどうでも良かった。会いたいとも思わなかったし、何なら好奇心など欠片も刺激されなかった。
ここはもう、ビシッとお断りのひと言を突き返すしかない。
「あのですね委員長……」
「あ、あとね、まかないのお昼ご飯は特製唐揚げ弁当なんだよね」
その瞬間、辰樹は背筋を伸ばした綺麗な姿勢で深々と頭を下げた。
「是非宜しくお願いします」
「だよね、だよね!」
優衣の嬉しそうな笑みを視界に収めながら、辰樹はひとり愕然としていた。
(ちょっと待て……俺、一体何やってんだ?)
ほとんど脊髄反射的に海の家アルバイトを受諾してしまっていた辰樹。
まるで自分がパブロフの犬にでも化してしまったかの様な錯覚を覚えた。だが、既に遅い。
(マジか……俺、委員長とカレシさんがいちゃついてるのを、ずーっと見せつけられに行く訳か)
水着姿の若い男女が人目も憚らずにべたべたするシーンをただ眺める為に海へ行く――これは一体、何の拷問なのだろうか。
「あ、ちなみにたっちゃん。アタシも行くから」
いつの間にか辰樹席の傍らに佇んで、何故かドヤ顔をキメている彩香。
どうやら、地獄の釜の蓋が開いた様だ。
◆ ◇ ◆
そして移動日。
強い陽射しが射し込む待ち合わせの駅ホームに彩香と肩を並べて足を運んだ辰樹は、その場で凍り付いてしまった。
「あ、タツ坊、おはよ……」
何故かそこに、陽奈魅が居た。
その傍らには優衣と、そしてもうひとり、見知らぬ男子学生の姿もある。
一体これは、どういうことなのか。
「あ、どうも初めまして……ボク、一色浩太っていいます。今回はうちのバイト募集に応じてくれて、ありがとう」
若干気弱そうな柔らかい物腰のその男子学生こそが、どうやら優衣のカレシらしい。
ということはこの浩太なる青年、アルゼンチンバックブリーカー習得の為に日々筋トレを強いられているのだろうか。
しかしどう見ても、ひょろりとした非体育会系の大人しそうな青年である。あんな細腕で優衣を担ぎ上げることなど、到底不可能に思えるのだが。
否、今はそんなことはどうでも良い。
辰樹がまず気にすべきは、何故ここに陽奈魅が居るのか、という点であった。
「えぇっと……実はわたしも、一色さんのところでアルバイトさせて貰おうかな、なんて……」
「何ですと?」
胡乱な表情で訊き返した辰樹。
現役読者モデルの校内ナンバーワン美女が、何故わざわざ海の家のバイトなんぞに手を出す必要があるのか。そんなに暇なのか。
「ナミ姉、読モは? 仕事入ってないんスか?」
「うん、今年は夏休み後半からのスケジュールだから」
何故そんなにはにかんだ笑みを浮かべているのか分からないが、陽奈魅は穏やかに目尻を下げた。
もう全く、何が起きているのかが理解出来ない。
辰樹は拭えない程の不安を胸中に掻き立てながら、深い溜息を漏らした。
「ええっと、佐山くん、で良いんだよね? 優衣ちゃんがとっても気持ちいいアルゼンチンバックブリーカーをかけてくれてサイコーだったって……」
「いやいやいやちょっと待って下さい。カレシさん、そーゆー台詞を嬉しそうにいうの、やめましょうよ」
そこは嫉妬に燃え上がるところだろうと噛みつきたい気分だった。
どうもこのカップル、何かがおかしい。
その一方で陽奈魅は辰樹のTシャツから伸びる剛腕に、すっかり釘付けとなっていた。
「わぁ~……タツ坊、こんなにギンギンに大きくなっちゃって……」
「ナミ姉、昼間から変な表現すんのやめて下さい」
一体どこでそんな台詞を覚えてくるのか。
読者モデルって、そんなにヤバい世界なのか。
辰樹にはもう何もかもが信じられなくなっていた。