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32.俺の夏休みクライシス

 驚くべき情報が舞い込んできた。

 どうやら陽奈魅は、これまでひとりもカレシが居なかったらしい。

 彼女が読者モデルとして所属する芸能事務所は比較的恋愛には緩いらしいのだが、どういう訳か陽奈魅はこれまでただの一度も、オトコを傍に寄せ付けようとはしなかったというのである。

 この情報を持ち込んできたのは、優衣だった。

 一学期の期末テストを終え、さぁいよいよ一週間の試験休みに突入だという自由な空気が広がりつつあった教室内。

 辰樹もひと仕事終えた気分で帰り支度を整えていると、そこへ優衣が音も無く気配を寄せてきた。

 丁度彩香が、一緒に帰ろうとして辰樹を誘いかけているタイミングだった。


「へー、ナミ姉がねぇ……ちょっとっつぅか、かなり意外っスね」

「え、佐山くん……感想、それだけ?」


 優衣は心底不満げな表情で、柔らかな頬をぷっと膨らませた。彼女は一体、何を期待していたのだろうか。

 辰樹が渋い顔つきで尚も帰り支度を進めていると、今度は彩香が心底不安そうな面持ちで横合いから覗き込んできた。


「やっぱたっちゃん……樫原さんと……」

「あー、そりゃあ無い無い。俺なんかがナミ姉と釣り合う訳ねーじゃん」


 軽く笑い飛ばした辰樹。

 しかし彩香は尚も警戒の念を滲ませて、じぃっと見つめてくるばかり。

 その傍らで優衣が、大きな溜息を漏らしてやれやれとかぶりを振っていた。


「あのさぁ、佐山くん……オンナの立場からいわせて貰うとね、そーゆーの、ぶっちゃけ、どーでもイイんだよね……」


 立場とか身分とか周りの目とか、そういうのは本当にどうでも良い――優衣は辰樹の劣等感に挑みかかる様な台詞を並べ始めた。


「そりゃね? 周りからあれこれいわれて邪魔されたら、確かにウザいよ? でも本心は、そうじゃないんだよね。好きになったら、相手がどんなに駄目な奴でも、尽くしたくなるものなのよ」

「え、ちょっと待って。それって、俺が駄目な奴って前提じゃないスか、委員長」


 それはそれで、何か微妙に腹が立つ。

 辰樹は更に渋面を濃く歪めて鼻の頭に皺を寄せた。


「っていうか、ナミ姉が俺を好きになる訳なんてねーっスよ。だってほんのちょっと前まで、タツ坊は女子認定されてたんスよ?」

「いや、まぁ、そりゃそーなんだけど」


 ところがその時。

 どういう訳か、彩香の瞳に変な光が宿り始めた。

 小学生時代の辰樹が女子と見做されていたというところに、彩香の中で何かが引っかかったらしい。


「え、え、ちょっと待って……じゃあ樫原さんって実は、百合のポテンシャルありってこと?」

「何でそうなんのさ」


 辰樹は、彩香が変な世界に足を踏み込んで新たな扉でも開いたのではないかと疑ったが、もともと彩香は色々な方向でちょっとズレているところがある。

 今更彼女がここで変な趣味に目覚めたところで、それはそれで不思議ではなかったかも知れない。

 だがひとつだけ、気に入らない点がある。

 彩香が辰樹をネタにしようとしているきらいがある、という部分だった。

 他のオトコに寝取られた上に、今度は元カレを変な趣味のオカズに用いようというのは、余りに常軌を逸している。というか、ぶっちゃけ、怖い。


「若乃さん……もしかして、何かインスピレーション刺激されちゃった?」


 いわないで良いことを口走った優衣。

 こういう時、大体この委員長は余計なひと言を積み足して事態をややこしくする。辰樹としては、もう見慣れに見慣れてしまった光景でもあった。


「委員長……あの……要らんこと、いわんで下さい……」

「たっちゃん……アタシ、何か、凄く、こう……執筆意欲が、湧いてきた、かも……」


 彩香の目が異様にギラついている。

 辰樹は彩香が、どこかのWeb小説サイトで下手な恋愛小説を公開していることを知っていた。ただ余りに下手過ぎてフォロワーは一桁を突破したことが無く、大体いつも作者だけがキモチイイひとりよがりのオナニー小説止まりだった。

 読者なんてすっかり置いてけぼりの展開とキャラ造形が祟り、PVは伸び悩んでいる。

 だからここ最近はすっかり執筆意欲を失い、諒一の様な下らないオトコに引っかかってしまうという醜態も晒した。

 だがここで、再び彼女の心に火が点いた様だ。

 一体何が彩香の琴線に触れたのかは、よく分からないのだが。


「えっと……若乃さん、何か、ヤル気出しちゃってる?」


 彩香のWeb小説趣味を知らない優衣は、幾らか困惑気味だ。


(俺の周りに居る美人って、何で、妙な趣味ばっかり抱えてんだろな……)


 彩香は下手なWeb恋愛小説家。

 優衣はアルゼンチンバックブリーカーがお気に入りのプ女子。

 そして陽奈魅は百合ッ気を抱えた読者モデル。

 三者三様といえば聞こえは良いが、どいつもこいつもちょっとおかしい。


「たっちゃん……アタシ、応援しちゃおうかな」

「彩ちゃん、変な気ぃ起こすなよ」


 物凄く嫌な予感が脳裏に迸った辰樹。

 ただでさえ色々とややこしい幼馴染みなのだ。ここへ来て更に、陽奈魅を巻き込んで下手な行動に出られた日には目も当てられない。

 ところが――。


「若乃さん、頑張ろうね。わたしも元サフレとして、佐山くんの青春を応援しなくっちゃ」

「委員長、余計なこたぁいわんで下さい」


 駄目だコイツら――辰樹の夏休みは、どうやら平穏無事には終わってくれそうにはなかった。

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