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31.俺の条件

 辰樹とタツ坊は別人である。

 その意識を陽奈魅に刷り込ませることが出来たのだから、それ以降辰樹の周囲には陽奈魅が姿を見せることは無くなる筈だ。


(そう思っていた時期が、俺にもありました)


 昼休みの屋上。

 未だ梅雨空の曇天が残る七月上旬の、微妙に蒸し暑い時期。

 ほんの少し前までひとりのんびりと焼きそばパンを食していた辰樹だったが、いつの間にか屋上ベンチの左隣には、陽奈魅が当たり前の様に腰を落ち着けていた。

 更にその反対側、つまり右隣には優衣の姿もある。

 美女ふたりを左右に従える、いわば両手に花という状況な訳だが、辰樹としては少々洒落になっていない事態に陥っていた。


「ねぇ、タツ坊……どうしてもっと早く、教えてくれなかったの?」


 左から完璧なる美貌に不満げな色を乗せた陽奈魅の色っぽい顔が、ぬっと迫ってきた。

 その口調もいつもの貞淑なお嬢様から、ナミ姉だった頃の親しげな調子へと切り替わっている。

 逆に右側では、優衣が明後日の方向に視線を逸らせて、下手糞な口笛をヒューヒューと鳴らしていた。

 飼い主に叱られている子猫の様な顔つきで、すぐ隣に座っているくせに我関せずの姿勢を明瞭に打ち出しているのが何とも腹立たしい。


「えっと、樫原さん……一体何のことをおっしゃってるんでしょうか」

「んもぅ! しらばっくれるのはやめてよ! きみがタツ坊だってことは、ちゃあんと調べがついてるんだからね! さっさとゲロって楽になりなさい!」


 怒った顔もまた可愛らしいのだが、しかしその濡れた様な瞳の中には憤怒の念よりも、喜色の方が強く滲んでいるのが伺えた。

 それにしても、何故こんなことになったのか。

 辰樹は射抜く様な視線を右隣の優衣に叩きつけた。


「いやー、御免ねゴメンね。ちょっとさ、ついうっかり、佐山くんの本名バラしちゃったぁ」


 テヘペロさえしておけば大体の局面は切り抜けられるとでも思っているのだろうか。

 まるで悪びれた様子も無く、にやけた顔で自身の頭を軽く叩いている優衣。

 どうせならばナックルパートでもぶちかましてやろうかと思った辰樹だったが、そんなことをしても逆に優衣は喜ぶだけだ。制裁にすらならない。

 それにしても、一体どの様な経緯があって辰樹の本名をタレ込むことになったのかは、よく分からない。

 優衣はクラス委員長として責任感は強い方だが、変なところで抜けているというか、あっさり口車に乗せられる面がある。

 もしかすると陽奈魅は、タツ坊探しの為に何らかの情報を優衣に求めたのかも知れないが、その辺のいきさつはどちらからも聞いていない為、ただ想像に任せるしかなかった。

 だが今更そんなことはどうでも良いだろう。

 問題は現在、陽奈魅が辰樹の正体を知ってしまったことにある。

 今後、どの様に対処すれば良いのか。目下の課題はその一点に尽きるだろう。


「つかぬことを伺いますが樫原さん……仮に、その、俺がタツ坊さんだったとして、樫原さんは今後どの様な方針で対応に当たられる所存で御座いましょうか?」

「樫原陽奈魅くん」


 何故かここで優衣が衆議院の議長みたいな発音で、右手をさっと上げた陽奈魅に発言を許可。

 以下、陽奈魅の答弁。


「はい、えぇと、今後わたくしはですね、タツ坊こと佐山辰樹さんに幼馴染みとしての行動を強く求めて参りたいと、その様に思っております」


 ここで辰樹も右手を上げた。

 手にしていた焼きそばパンから茶色い麺が飛び散って優衣の艶やかな髪に張り付いたが、最早そんなことをいちいち気にしている場合ではない。


「佐山辰樹くん……ってか佐山くん、焼きそば飛ばさないでよ」


 ぶつぶつ文句を並べている優衣など無視して、辰樹は陽奈魅の端正な面と対峙した。


「んなことしたら、俺が周りから睨まれるじゃねーですか。読モやってる綺麗なお姉さんに、俺みたいなモブ顔がどうやって接すりゃあ良いんスか」

「んー、そこは気にしなくてイイんじゃないかな」


 陽奈魅は人差し指を顎先に添えて、くいっと小さく小首を傾げた。こういう仕草が本当に可愛らしく、反則に思えてならない。


「空手部の主将さんと柔道部の主将さんが、タツ坊のこと、すっかり認めてくれてるんだし、きっと大丈夫よ。うちの学校であのふたりに認められるってのは、凄いことなんだよ?」

「いやいや、そりゃあ俺の截拳道の話でしょ。ナミ姉との幼馴染み云々はまた話が変わってくんじゃね?」


 ここでついうっかり、ナミ姉相手の調子に戻ってしまった辰樹。

 慌てて両掌で自身の口元を覆い隠した辰樹だが、時既に遅し。


「あー……やっぱ、タツ坊だよね。その調子っていうか、その喋り方……なっつかしぃなぁ」


 妙にうっとりとした顔つきで、再び美貌をぐいぐい寄せてくる陽奈魅。

 一方の優衣は、何故か物凄くイヤらしそうな表情でニヤニヤしていた。

 もう駄目だ――辰樹も、諦めることにした。


「ハイハイ、分かった分かった……ナミ姉のいう通り、俺はタツ坊だよ……でもさぁ、ホントにマジで大丈夫なん? 読モってオトコ関係、厳しいって聞いたことあんだけど」

「あぁ、それなら大丈夫よ。うちの事務所、その辺案外ゆるゆるだから」


 そんなものなのかと半分納得しかかった辰樹だが、ここで少し踏みとどまった。

 まさかとは思うが、陽奈魅は辰樹を幼馴染みとしてだけではなく、異性として見ているのではないか。

 流石に自意識過剰かとも思ったが、辰樹にはそこが少し怖かった。


(彩ちゃんの例もあるしなぁ……)


 ここで、浮気したもうひとりの幼馴染みの顔が脳裏にちらついた。

 オンナは怖い生き物だという強迫観念の様な思考が、辰樹の脳裏に刻み込まれている。今こうして親しげに接してくれている陽奈魅も、いつどこで豹変するか分かったものではない。

 であれば、彼女がどの様な思考を抱いているにせよ、飽くまでも幼馴染みとしての一線を越える訳にはいかなかった。


「じゃあさぁ、ナミ姉にひとつ条件出す」

「うん、何?」


 心底嬉しそうな笑顔で迫ってくる陽奈魅。そんな彼女に辰樹は、カウンターの一撃をお見舞いした。


「カレシ作ってよ。ナミ姉がカレシ持ちだったら、俺もまた昔の様に友達で居られるからさ」


 その時、陽奈魅の美貌が愕然と凍り付いた。

 優衣も驚きを隠せない様子で、ぎょっとした色を覗かせている。

 だが、辰樹は本気だった。

 正直なところをいえば、大好きな陽奈魅が別のオトコとくっつくところなど見たくも無かったが、二度と痛い目に遭いたくないという己のエゴを通すには、もうこれしか無かった。

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