26.俺のヌン茶と新たなヌン友
辰樹が講師役を務める勉強会は、結構な頻度で開催されている。
陽奈魅のボディーガードを務めていた期間は一旦小休止となっていたが、彼女を襲っていた問題も既に解決した今、辰樹は謝礼の唐揚げやフライドチキンを得る為にとクラスメイトらへの勉学指導を再開した。
一学期の期末テストまであと二週間となったその日、辰樹は学校の図書室を訪れて、勉強会に使用する参考書や問題集を掻き集めていた。
「今日はまた、沢山借りて行かれるんですね」
受付に座っていた図書委員の女子生徒が、幾分目を丸くして辰樹の図書カードに貸し出しの確認印を次々と押してゆく。
その間辰樹はやや厚めの雲が広がる梅雨空を漠然と眺めていた。
ところがその時、不意に図書室の出入り扉付近から、聞き知った声が飛んできた。
「あぁ……やっと見つけましたわ……」
透き通る様な美声に、辰樹は思わず息を呑んだ。
まさかと思って振り向くと、陽奈魅が際立つ程の美貌に安堵の色を浮かべて佇んでいた。
「あ……どうも、樫原さん。御無沙汰っス」
辰樹は自分でも分かる程に緊張していた。
実はこの陽奈魅、辰樹がストーカー男を撃退し、梨華の謀略を完璧に暴き立てた直後から、何かと辰樹の身の回りをうろうろし始めていたのである。
勿論彼女とて読者モデルや高校三年の受験生という立場もあり、相当に忙しい筈だ。
それでも陽奈魅はどういう訳か、暇を見つけては辰樹の姿を追い求める様に校内をうろうろと徘徊することが多くなっていたらしい。
これには流石に辰樹も閉口した。
陽奈魅はT高校内では知名度ナンバーワンの存在感を誇り、校内トップ3美少女の筆頭でもある。
そんな女性が見た目も野暮ったい凡庸な男の姿を追い求めるというのは、少しばかり異常にも思えた。
(何でまたこのひとは、俺の行く先々に……)
辰樹は内心で盛大な溜息を漏らした。
自分はただ、ストーカーをひとり始末しただけに過ぎない。梨華の動きを封じたのも、ヤリサー連中との過去の関わりから生じたひとつの因縁にケリを着ける為だ。
決して陽奈魅の為だけを思ってやったことではない。
そのことは何度も陽奈魅に説明した。にも関わらず、彼女は、
「いいえ……佐山さんこそ、本当にわたくしのヒーローです。わたくしも、佐山さんみたいに頼れるヒーローになりたいと思っています」
などと変な羨望の眼差しを送ってくる始末だった。
その彼女が今、図書室の出入り扉で辰樹の図書貸し出し手続きをじぃっと待ち構えている。
どうにもこのまま何事も無く帰して貰えそうな雰囲気ではなかった。
やがてひと通りの手続きを終えて、借りた本を全て通学鞄に放り込んだ辰樹。するとさも当然の様に、陽奈魅は辰樹の傍らに肩を並べ始めた。
「今日はこの後、お忙しいんですか?」
「いや、まぁ……もう帰るだけですけど」
何とも困り果てた顔で辰樹がそっぽを向くと、陽奈魅はそっと辰樹の前に身を躍らせて、真正面からその美貌をぐいっと寄せてきた。
「あの、それなら、少し……お茶しませんか?」
「樫原さん……俺の中で今、ヌン茶がマイブームなのをご存知だったんですか?」
辰樹は何故か物凄く追い詰められた気分で、思わず問い返した。
実は辰樹、先日優衣と彩香に連れられて足を運んだ某ホテルのアフタヌーンティーに凄まじく感化されてしまい、男子高校生ながらヌン茶おひとり様を強行する程にどっぷりハマっていたのである。
それまでの辰樹はどちらかといえば唐揚げやフライドチキンなどの鶏肉一辺倒だったのだが、突如として変な乙女趣味に目覚めた格好だった。
これには陽奈魅も相当に予想外だったのか、その端正な面に驚きの色を張り付けて目を白黒させていた。
「あら……佐山さん、アフタヌーンティーがお好きなんですか?」
「好きなんてレベルじゃねぇっス。俺の中で、新たな扉が開きました」
何故かニヒルな笑いを浮かべて、世界が変わりましたよなどとドヤ顔を浮かべてしまった辰樹。
一方の陽奈魅は、両目をきらきらと輝かせていた。
(あ……これヤバいかも)
男子高校生のヌン茶ドはまり性癖を披露することで相手のドン引きを誘うつもりだったのだが、しかしこれは逆効果だったかも知れない。
そういえば陽奈魅は深窓の令嬢という呼び名がぴったりな程のお嬢様だ。そんな彼女に対し、アフタヌーンティー最高っスよ~なんて台詞を吐けば、その言葉に乗っかってくることは容易に想像出来た筈だ。
辰樹は己の迂闊さを呪った。
「それなら、わたくしとっても良いお店を存じ上げておりますの。佐山さん、是非御一緒に」
曰く、彼女が誘おうとしている店は予約不要だから、今からいきなり乗り込んでも全然OKなのだという。
辰樹は己からヌン茶素人愛好家を名乗ってしまった以上、引っ込みが付かなくなってしまっていた。
だが同時に、陽奈魅が絶賛するアフタヌーンティーに興味が湧いたのも事実である。本音をいえば、是非とも足を運んで華麗にお紅茶をキメたい。
ただ問題は、陽奈魅が一緒に行くという点だ。
男子おひとり様ヌン茶がそろそろ板についてきた辰樹としては、陽奈魅同伴というのは中々にハードルの高いひとつの試練だった。
(でもなー……樫原さんから情報引き出さないと、おひとり様もキメられねぇし……)
今回だけは、我慢せざるを得ない。
「えぇっと、それじゃあ……俺なんかで宜しければ、御相伴に与らせて頂いて宜しいでしょうか……」
「はい、勿論! っていいますか、わたくしの方こそ是非とも、佐山さんとお茶を御一緒させて頂いて光栄ですわ!」
急に表情がぱぁっと明るくなった陽奈魅。
そんなにヌン茶シバきたかったのか――辰樹は表面上でこそ仏頂面を押し通していたが、その内心では同類を発見したオタクの如き心境となり、少し嬉しかった。
「では今日から佐山さんとわたくしは、ヌン茶友達……ヌン友ですわね!」
陽奈魅は容姿端麗、頭脳明晰なパーフェクト美女だったが、ネーミングセンスにはいささか難がある様に思われた。