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22.俺のあやふやな記憶

 その日の夕刻、辰樹は陽奈魅の案内を受けて樫原家の邸宅に居た。

 勿論彼ひとりだけではなく、ボディーガードチームの他の三人も同席している。

 陽奈魅は大きなリビングで四人をもてなし、無事に自宅まで送り届けてくれたことに深々と頭を下げて感謝の言葉を口にした。


(何から何まで律儀なひと……)


 供されたコーヒーカップを口元に運びながら、辰樹は穏やかに笑う陽奈魅の完璧な美貌を何となく眺めていたのだが、そこへ別の気配が現れた。


「あれ? 陽奈魅、帰ってたんだ」


 T高校とは異なる制服を身に纏った女性が玄関方向から姿を見せた。

 顔立ちは陽奈魅とは余り似ていないのだが、姉妹だろうか。


「あ、紹介します。妹の梨華です」


 その女性は、樫原梨華(かしはらりか)といった。別の高校に通う二年生、つまり辰樹とは同学年ということになる。


(ってことは、年子か)


 漠然とそんなことを考えながら陽奈魅と梨華の両者の美貌を見比べていた辰樹だが、矢張り姉妹らしからぬ相違点が多過ぎる様な気がした。


「ふぅん……マジでボディーガードなんて連れ回してんだ。アンタ、よくやるね」

「あ、違うの。全部、皆さんのご厚意で……」


 やけに攻撃的な梨華に対し、陽奈魅は姉でありながら何故か弁解口調。

 この姉妹、余り仲が良くないのだろうか。少なくとも梨華が陽奈魅に対して見せた態度には、親近感がほとんど感じられなかった。


「まー、イイけどさー。ウチに迷惑かける様な真似だけはやめてよねー」

「あ、うん……そこは大丈夫、だから……」


 姉の応えもほとんど聞かないうちに、梨華はさっさと二階への階段へと消えていった。

 結局梨華は、ボディーガードチームには挨拶も何もしないまま、去っていったことになる。


(あんまり仲良くしたくないタイプかなぁ)


 辰樹はちらりと他の面々に視線を流した。

 ボディーガードの他の三人も同様の感想を抱いているのか、いずれも微妙な表情である。


「皆さん、御免なさい……多分、妹も知らないひとばっかりだったから、緊張してたんだと思います」


 陽奈魅が申し訳無さそうに何とか場をとりなそうとしたが、辰樹はそんな陽奈魅の姿に、この日何度目かの妙な既視感を覚えていた。


(俺……やっぱこのひと、どっかで見たことがある様な気がするんだけど……どこだったかな)


 どうにも思い出せない。

 それに、これ以上考えたところで結論が出るとも思えなかった。

 ともあれ、今日のところは一旦樫原家を辞そうということになった。件のストーカーも現れなかったし、初日の護衛は任務終了という訳だ。


(それにしても、でっかい御宅だな)


 陽奈魅の説明によれば、築一年ちょっとのまだまだ真新しい邸宅だという。

 梨華の高校入学に時期を合わせて購入したのだそうな。それまでは、もう少しT高校に近いところに住んでいたらしいのだが、この新居への引っ越しの結果、陽奈魅の通学時間が倍以上に伸びたらしい。


(つまりは、妹さんの生活に合わせたってことか)


 何とはなしに、樫原家内の力関係を想像してしまった辰樹。

 梨華の陽奈魅に対する当たりの強さや、陽奈魅のあの態度を見ても、辰樹の想像が恐らく正しいであろうことが伺える。


(他所様の御家庭事情のことだから、俺には関係ないけどね……)


 そんなことを考えながら樫原家の玄関を出た辰樹。

 ところがボクシング部長の姿が無い。先に帰ったのだろうか。


「あいつ、どうしたんだ?」


 空手部主将も同様に疑問を抱いたらしい。ということは、あのボクシング部長は他の面々に何もいわずに姿をくらましたという訳か。


「よぅ分からんのぅ……じゃけど、ガキじゃねぇんだから、別に放っておいても良かろう」


 柔道部主将も疑念を滲ませていたが、いつ戻って来るか分からない相手の為に無駄な時間を潰すのもどうかということで、結局その場は解散という運びとなった。


◆ ◇ ◆


 そうして、帰宅後。

 辰樹が夕食を終えて自室でのんびりしていると、不意に彩香が訪ねてきた。


「たっちゃん、今日はどうだったの?」


 彩香も陽奈魅のボディーガードの件は聞いていた。彼女は早速、どういう状況だったのかを訊きにきたのだろうが、そこまで興味を惹く様な話だろうか。


「どうもこうも、何も無かったよ」


 辰樹は少し面倒臭くなってきて、適当に言葉を濁した。

 ところが彩香は何故か不承不承な顔つきで、尚も食いついてくる。


「あのひと、すっごい美人さんだって話だけど……たっちゃん、何も誘惑されなかった?」

「……何の話してんの?」


 彩香が何をいわんとしているのか、よく分からない。

 ストーカー対策の為にボディーガードを頼まれただけだというのに、それ以上何があるというのか。


「え……だってたっちゃん、童貞だし」

「それ、関係ある?」


 辰樹はますます彩香の意図が読めなくなってきた。

 彼女は一体、何を心配しているのだろう。


「その様子だと、何も無かったみたいかな……でもあのひとに、たっちゃんの唐揚げ趣味とか知られたらヤバいかな……」

「何の話だよ、それ」


 いつまでもぶつぶつと意味不明な台詞を呟き、完全に自分の世界に入ってしまっている彩香。

 流石に怖くなってきた辰樹は、さっさと彼女を追い出すことにした。


「たっちゃん……暗いところとひと気の無いところと唐揚げのあるところには、近づかないようにね」

「御免、何いってるか全然、分からん」


 去り際に妙な警告を放ってきた彩香。

 もう全く、訳が分からなかった。

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