17.俺の攻略法
真夏に突入する前の梅雨空が広がる時期。
優衣と距離を取る様になって、久々に孤独の時間を静かに満喫していた辰樹だったが、どうにもここ最近、周囲から奇妙な程に視線を浴びる様になっていた。
切っ掛けは、六月の中旬から始まった水泳の授業であろう。
辰樹が分厚い胸板と太い豪腕の持ち主であることは、夏服のワイシャツからチラ見えする体躯の一部から既にある程度は認知されていたと見て良い。
しかしながら、その均整の取れた全身の筋肉美を二年に進級して初めて披露したのは、間違い無く水泳の授業であろう。
これまでも体育の授業や身体測定などに於いては体操服に着替えることもあったが、男子ロッカー内ではいつも隅っこの方で目立たぬ様に着替えていたし、体育の授業中もほとんどずっとジャージを着用して筋肉を隠していた。
その為、大半のクラスメイトは辰樹の鋼の様な筋肉はほとんど見たことが無かった筈だ。
(一年の時は盲腸で腹切ったから、ずっと見学してたんだっけ……)
辰樹は学校指定のハーフパンツスタイルの水着に着替え、シャワーを浴びてからプールサイドに立った。
一年前は結局一度もこのプールサイドに足を踏み入れることは無く、フェンス際の見学者用ベンチでぼーっとしていたことを覚えている。
だが、今回は違った。彼の完成された肉体は嫌でもクラスメイトらの注目を浴びることとなった。
「わぁ……すっごい! 見て、あの筋肉……」
「え、何アレ……めっちゃ腹筋割れてるし!」
特にクラスメイト女子らからの視線が熱かった。
その中には彩香や優衣からの熱烈な感情を乗せた瞳も当然、含まれている。同様に男子らからも感嘆と、そして幾分の嫉妬を含んだ目が次々と寄せられる様になっていた。
(はぁ……ま、どうでも良いや。授業に集中、集中……)
辰樹はそこかしこで囁かれる声は片っ端から無視し、体育教師の指示に従ってしなやか且つ強力な泳ぎを披露することにした。
「おー、佐山、お前綺麗なフォームしてるなぁ。水泳教室にでも通ってたのか?」
辰樹が水泳部には所属していないことを知っているのか、クロールと平泳ぎを終えたところで、体育教師が随分と感心した様子で問いかけてきた。
実のところ辰樹は、截拳道の体作りの一環として、水泳による全身の筋肉の鍛錬も幼少の頃から積み重ねてきていた。水泳は全身のあらゆる筋肉を使う上に、更には体を動かしながらの肺活量の鍛錬にも繋がる。
レジャープールなんぞには全く興味が無かった辰樹も、競泳用プールであれば喜んで足を運ぶという過去があった。
それ故、この日の水泳授業中、何度も水泳部員のクラスメイトから熱心な勧誘を浴びる始末だった。
しかし辰樹は、言葉を濁して断り続けた。
自分は部活には向いていないという思考が、どうしても拭えなかったのである。
やがて水泳の授業も終わり、教室へと引き返してきた辰樹だが、クラスメイトらの辰樹を見る視線が随分と様変わりした様にも見受けられた。
ラブホテル情報を事細かに記した禁断の佐山ノートが出回った時とはまた異なる、どこかリスペクトを含んだ様な感情がそこかしこで渦巻いている様にも見えた。
(何か……落ち着かないな)
クラスメイトの顔は何となく見知っていても、名前はほとんど頭に入っていない辰樹。その為、声をかけられてもまともな応対が出来ない。
顔と名前が一致しているのは彩香、優衣、真悟といった本当にごく一部の男女のみであった。
熱心に勧誘してきた水泳部の男子と女子すらも、全く名前が思い浮かばなかった程である。
(まぁどうせ、皆すぐ忘れるだろね)
そう割り切って、クラス中からの視線も敢えて無視していた辰樹。しかし彼のそんな思惑は、ものの見事に外れた。
翌日も、そしてそれ以降も、辰樹をちらちらと盗み見る視線は途絶する気配が無かったのである。
辛うじて辰樹が周囲との関わりと隔てることが出来ていたのは、いつもながらの俺に喋りかけるなオーラをより一層強力に撒き散らしていたからに他ならない。
だがそれもいずれは、限界がくる。正直、精神的に疲れるからだ。
そして遂に、辰樹の拒絶障壁を突破してくる者が現れた。
「ねー、佐山くーん。勉強教えてよー」
明らかに陽キャグループに属するギャル系の女子らが、まるで当たり前の様に声をかけてきた。それも三人同時、集団である。彼女らはいつの間にか辰樹包囲網を敷いていた。
「えっと……どちらさんでしたっけ」
「んもー、ホントに名前覚えてないんだー。マジウケルー」
辰樹が胡乱な眼差しを返すと、ギャル女子のひとりがころころと心底可笑しげに肩を揺すって笑った。
そこは笑うところなのか――辰樹は内心で大いに困惑した。今どきのギャルの感性はまるで理解出来ない。
「てかさ、佐山くんってマジ頭イイよね。中間も確か、学年トップだったっけ?」
「あー、そうそう。めっちゃカシコイんだよ、マジで。うちらなんて、赤取らない様にするだけでヒィヒィいってるのにさー」
辰樹の意思などまるで無視して、勝手に盛り上がり始めたギャル女子達。
すると何故か近くに居た他の男子数名も近づいてきて、自分達も混ぜろだ何だと勝手なことをほざいてくる。そもそも辰樹は承諾した覚えなどないのだが。
「あー、えっと、何か知らないうちに話進んでるみたいだけど……」
流石に業を煮やした辰樹は、この辺でビシッとお断りのひと言を発しようと立ち上がった。
ところがそこに、まるで出鼻を挫くが如く、いきなり優衣がすすーっと歩を寄せてきて、その完璧な美貌を割り込ませてきた。
「タダで教えて、なんていうつもりは無いわ。佐山くん、駅前の唐揚げ専門店の特製ファミリーパックで手を打たない?」
「火曜の和風セットで」
思わず速攻で承諾してしまった辰樹。その直後、内心で大いに後悔した。
そこへ更に彩香までもが乱入してきた。
「たっちゃん、教え方めっちゃ上手いもんね。アタシはフライドチキン1バレルね」
待ってましたといわんばかりの勢いで捻じ込んできた彩香。
ふたりの美少女による鮮やかな辰樹攻略が、ギャル女子らや周辺のクラスメイト男子らにも伝播したらしく、次々と謝礼の鶏肉料理を並べ立ててくる。
この時の辰樹には、それらの魅力を拒絶するだけの気力も覚悟も無かった。