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15.俺の切り札

 何ともいえぬ沈黙が、その場を支配している。

 少し離れた位置から演劇部が放つ発声練習の声が、規則正しいリズムで流れてきていた。

 じんわりと汗ばむ程の陽射しが屋上階段室の裏側にも容赦無く射し込んでいるものの、そこに漂う空気感はひんやりとした冷たさを感じさせた。

 そんな中で彩香は、その美貌に絶望の色を張り付かせながらも必死に抵抗しようとかぶりを振った。


「う……嘘だよ……アタシ、そんなこと……して……してない……から」

「おいおい彩香、今更下手な誤魔化しは効かねぇんだって。ほら、オマエが初エッチの記念だから動画録りたいっていってたじゃん。オレ、まだ持ってるぜ」


 いいながら諒一は懐からスマートフォンを取り出した。

 すると彩香は半ば反射的な動作で諒一の手から彼のスマートフォンを奪おうとしたものの、それよりも早く諒一は再生ボタンを押下していた。

 スピーカーから、ふたりの行為の音が生々しい臨場感を伴って流れ出てくる。その中で彩香は辰樹を嘲笑い、罵倒し、徹底的に突き放していた。

 あんな奴はカレシでも何でもないし、幼馴染みでいることすら虫唾が走るとまでいい切っている。

 これ以上は無い物証だった。

 彩香は真っ青になってその場にぺたんとへたり込んでしまった。一方で優衣は、気分が優れない様子でその場に凝り固まっている。 

 諒一はもう、これでもかといわんばかりの勝ち誇った笑み。この中で唯一、喜色を浮かべている存在だ。

 その傍らで辰樹は、ひとり静かに腕を組んで首を傾げていた。


(そこまで嫌われてたってか……俺、彩ちゃんに何かしたっけ?)


 眉間に皺を寄せ、過去の記憶を色々と手繰り寄せてみるものの、思い当たる節が無い。否、辰樹に自覚が無いだけで、実は結構色々やらかしていたのかも知れない。

 そう考えると、随分申し訳ない気分になってきた。知らないうちに彩香を傷つけていたということか。


(それならそれで、彩ちゃんに謝らないといけないなぁ)


 嫌なことがあったなら、その場でいってくれたら良かったのに、とも思う。或いは彼女は幼馴染みだから、これまで色々と気を遣ってくれていたのだろうか。

 そう考えると尚更、彩香に対する申し訳ない気持ちが強くなってきた。

 だが今は、この場を何とか収拾する必要がある。

 辰樹は両掌を打ち合わせて、三人の視線を自身に集めさせた。


「はいはい~、皆さん注目~。取り敢えず、富岡さんには謝って貰ったし、用事はもう終わりってことで良いスか?」

「あ、いや、まぁ、そうなんだけど……佐山クン……キミ、随分と……冷静だね……」


 諒一は相当に面食らった様子で目を白黒させていた。或いは彼は、辰樹が彩香を徹底的に責め、詰ることを期待していたのだろうか。

 しかし辰樹には、その気はさらさらない。

 今更彩香の罪状がひとつやふたつ増えたところで、腹を立てる気にもなれなかった。

 彼女は既に、浮気した時点で何もかもが終わってしまっているのである。

 ところが一点だけ、辰樹としては諒一に釘を刺しておく必要があった。


「あー、その動画なんスけど……絶対、拡散だけはしない様にお願いしますね。一応、彩ちゃんにも人権ってものはありますんで」

「あ……えっと、それは……」


 諒一のこの反応に、辰樹は渋面を浮かべた。もしかしたらこの男、リベンジポルノでも仕掛けるつもりだったのか。

 であれば、辰樹としても考えがある。


「もしその動画ばら撒いたら……俺もこれ、拡散しますからね」


 いいながら辰樹は自身のスマートフォンを取り出し、そこに一枚の画像を表示させた。

 それを見た瞬間、諒一は愕然と凍り付いた。

 辰樹が示したのはあの日、ヤリサー部屋から彩香と優衣を救出した後に撮影したものであった。

 実は辰樹、彩香と優衣がヤリサー部屋を脱出してから、もう一度引き返していた。そして諒一とヤリサー連中を全員裸に剥いた上で、亀甲縛りで戒めた超恥ずかしい写真を丁寧に一枚一枚、色々な角度から撮影していたのである。


「ヤリサー活動の諸々の証拠も全部、押さえてありますんで、富岡先輩が彩香に下手な真似したら、俺が富岡先輩を社会的に殺す用意があるってことを覚えておいて下さいね」


 辰樹の半ば死刑宣告にも近しい通告に、諒一は全身をがくがくと震わせながらその場に愕然と立ちすくんだ。先程までの勝ち誇った顔など、最早微塵にも残されていない。


「まさか……あれって……キミだったのか……」

「はい、そぅっス。今までバラす気無かったんスけど、富岡先輩が彩ちゃん苦しめるなら、俺も黙ってないっスよ。一応、俺も彩ちゃんの幼馴染みなんで」


 諒一はがっくりとその場に膝から崩れ落ちた。恐らく彼は心の底から、辰樹には勝てない、辰樹には絶対に逆らえないということをこの場で改めて認識したのだろう。


「佐山くん……もう、それでイイの?」


 優衣が驚きと困惑の入り混じった表情で覗き込んできた。彼女は言外に、諒一をぶん殴っても良いんじゃないかと訊いている訳だが、辰樹はかぶりを振った。

 諒一は確かにクズだが、それでも彼は辰樹に頭を下げた。今回だけはその謝罪の意を汲んで、大目に見てやろうという訳である。

 だが、次は無い。

 もしもまた諒一が余計な真似をしてくるならば、今度こそ辰樹は容赦するつもりは無かった。

 勿論、それは諒一もよく分かっているだろう。今、辰樹の手の中には諒一を社会的に抹殺する決定的な切り札があるのだから。


「んじゃあ、彩ちゃん、帰ろっか」


 辰樹は尚もへたり込んだままの彩香の手を取った。彩香はびくっと体を竦ませ、そして泣き顔のまま辰樹の顔を見上げてきた。


「イ……イイの?」

「良いも悪いも、今ここで彩ちゃん放置して帰ったら、何しでかすか分かんないじゃん。おじさんとおばさんを悲しませることだけは、したくないんだよね」


 彩香は色々とやらかし過ぎた。が、長年何かと世話になってきた彩香の両親に罪は無い。

 辰樹としても、幼少の頃から可愛がってきてくれた若乃夫妻の悲しむ顔を見たくはなかった。


(でも……俺が義理を通すのは、おじさんとおばさんに対してだけだかんね)


 最早、彩香に対しては何の期待もしていないし、何も求めることはしない。

 彩香は精一杯償うなどといっていたが、そんなことをして貰ったところで、辰樹は素直に喜ぶ気にはなれなかった。

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