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その若い男性こそ、私の父フレデリック・ラ・トゥール伯爵だったのね。お父さまとお母さまの馴れ初めは、どちらも魔物から逃げている最中の話だった。お母さまはお父さまが人間だと分かっても襲うような真似をしなかった。
お母さまは追われる者の気持ちをたった今理解したところだったから。それに、お母さまは思わず人間に出くわし、怯えていた。
お母さまはお父さまに連れられて人間の町で一日かくまってもらった。
そのときは、怯えて宿でずっと布団にくるまっていたらしい。ときどきお父さまが覗きにきて、どこの家の子か尋ねたけど、お母さまは森と答えるだけだったそう。お父さまは、兵に捜索届が出ていないか聞いたらしいけれど、どの家の民家も捜索届は出ていなかったそうだ。だから、お母さまが訳ありなんだと察したの。
そして、お母さまも自分の足で森に帰った。別れ際にお父さまと見つめ合い。「また、会いに来てもいい?」と聞いたの。お母さまははじめて出会った人間に心をすっかり奪われていたのね。
一月二十三日。
フレデリックと私が運命的な出会いをして三日目に彼と再会した。会うなり「もう一度二人で会いましょ?」と約束した。
「いいよ」と、すぐに返事をくれたわ。待ち合わせ場所は例の街道。あそこは数時間に一度馬車が通るかという辺鄙なところ。彼は一人で馬に乗ってやってきていた。
昼に会うのははじめてだったので、私の髪が銀髪だと気づいた黒髪の彼は「君は美しい」だなんて言うの。おかしい人。背伸びして、大人びた言葉を選んでいるんだわ。だって彼は聞けば成人していないと言うじゃない。
「僕は来月で成人するんだ!」と、後で息巻いていたけれど、私から見れば人間の寿命なんて一か月そこらで大きく成長するようには見えないのだけれど。
一月三十日。
フレデリックは、私が人間じゃないとやっと気づいていたんだけれど、お互いのことをもっと知りたくて離れられない。別の種族だから、もう会わないでおこうという意識は彼の頭の隅にいつもあると言っていたけど、ずっと逢瀬を続けていた。
「また会える?」と、フレデリックがせがんで私の住む夜の森にも入りびたるようになった。
二月二十日。
彼は成人した。ほんと、見た目は何も変わっていない。だけど、彼は不安そうだった。
「婚約者を決めなければならない」と、苦悩していた。「好きな女の子を選ぶ行事ってことよね?」と聞いた。
私には彼ら人間の習慣はよく分からない。欲のままに生きるのが生命の本質だと思わないのかしらと、疑問に思った。すると彼は、
「父親に逆らえない」と困った顔をするの。
「あら? 私のお父さまも酷い木だけど。あんな奴の言うことなんて聞く必要はないわよ」と答えると「人間はそうはいかないんだ」と言い返された。私はどうしたらいいのか分からなくなった。「ご、ごめん。カトリーヌ。言い過ぎたよ」と、彼は謝るのだけど私にはお父さまがそもそも彼の言う子供を思いやる『お父さま』と呼ばれる機能を果たす者なのか疑問に思えてきた。
お母さまの手記で、不穏な雰囲気になってくるのはこの辺りから。お母さまは黒い木の父親に人間のことを問い詰めに行く。そして、自分を愛しているのかも。
そうして、彼女はぶたれた。今までで一番酷く。お母さまの手記が血で滲んでいた。




