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白馬車から降りて来たのは王族の白い衣装をまとった王子。金の刺繍があちこちにあしらわれている。黒い毛皮を羽織っている。透き通るような金髪が美しい。日の光を反射した瞳が赤く光る。人を小馬鹿にしたような薄い笑みが顔に張りついている。
リュカ・ラファエル・オリオール王子。
私をギロチンにかけた男。
(アミシア・ラ・トゥール。よく見ろ、ギロチンだ)(早く首をはねろ!)(罪深い女には死ぬ直前まで恐怖を与えよ)
冷酷無慈悲のドS王子。いやよ! 絶対にギロチンだけはかけられたくない! ここでなんとかしないと!
今までは遠くから、あ、王子さまって貴族の家の近くをたまに通ったりするのねぐらいにしか思わなかったけど。この王子は油断大敵。神出鬼没なんだから。第一印象ぐらいよくしておかないと。なにを根に持たれて投獄されるか分かったもんじゃないわ。近隣国がうかつにこの国に攻めてこないのは、王子が戦地で敵兵を毎度毎度見せしめに晒し首にしていたからだとか。それでも、少し野蛮なところが今までの平和ボケした歴代国王と違うとかで、人気を博しているのよね。
でも、なんでこんな宮殿から遠い郊外の教会までやって来るのよ。教会なら宮殿内部にもあるでしょうに。
「きゃー、リュカ王子よ」
黄色い歓声が上がる。
リュカ王子は流し目で貴族の女性たちを見やる。
あんな人を馬鹿にしたような顔のどこがいいのか、私には分からないわ。それから、平民の女性にも目をやって今度は愛想よく微笑む。
「王子さまが平民の私たちまで笑顔を振りまいてくれるなんて!」
いや、今の、わざとらしい! 王子、自分でやっといてクスクス笑ってるじゃない。あんなのに気づかないなんて。みんな盲目なのね。うわ、嫌すぎるわ。
あ、目が合った。口を堅く結んでいる。なによ、私の顔が気に入らないっていうの? だけど、赤みがかった茶色の瞳を見ているとどこか悲し気に見える。守ってあげたくなるような悲し気な瞳。
「リュカ王子さま。いらっしゃったのですね!」
町人の治療中のクリスティーヌが遠くから手を振っている。王子はそっちに気を取られて私のことは忘れてしまう。一瞬だもの、そうよね。私の出る幕はない。顔合わせだけですんで良かったと思うことにしましょう。
王子はクリスティーヌの方に行ってしまう。確か王子はクリスティーヌとも慈善活動中に知り合う。前回は私がなにもしていなくて、クリスティーヌが患者の治療で慌ただしくなったときに姉であるあなたは何もしないのか? とか言いがかりをつけられたのよね。だから、そばに寄るとなにもしていないように思われる。それに、もうすぐパンもなくなってさぼっているように見られる。だったら、王子にパンを食べてもらうしかない。
「王子さま、わざわざいらっしゃったんですね」
「聖女の慈善活動がどんなものなのか視察しに来た」
王子とクリスティーヌがなにやら話し込んでいる。王子の分のパンを少し取って横に置いておく。どのタイミングで渡せばいいだろう。
「治療はどのように?」
「あ、はいリュカ王子さま。癒しの魔法です。心を込めて行うと回復速度が上がります」
本来のルートだと聖女の魔法の美しさと、健気な心でリュカ王子はあっという間に骨抜きになる。
「それは頼もしいな。聖女さまがいれば、この国も安泰だ」
うー、王子と仲睦まじい聖女の間に私が割って入れるわけないじゃない。患者さん、待たしてるわよ。いよいよ、私にも手伝えとか言ってくるかもしれないわ。私は私のやり方でご奉仕するんだから。
「なにやら、あちらでもやっているようだ」
「あ、リュカ王子さま?」
「あれは、誰だ」
「え?」
「伯爵家の令嬢。もう一人いたのか。もしかして、君の姉か?」
「あ、そうですけど……あんな人ほっといてもいいと思いますよ。貴族としての礼儀作法もなっていない人なので。教会では集会の邪魔もよくしていますし」
私はクリスティーヌと王子の会話なんか聞いちゃいなかった。一か八かよ。残り少ないパンを一気に手渡してしまうの。ほとんど押しつけるようにね。嫌がっている人もいたけど渡した。
「君は何をしているんだ?」
「はっ。リュカ王子さま」
私は今気づいたというような顔を作る。すると、リュカ王子は口元を歪めて微笑んだ。え、なにこの人。私の演技に気づいている?
「確か、伯爵家の令嬢はお行儀が悪いと小耳に挟んだんだが」
もうそんな噂が耳に入ったの? 早すぎ。というか、そうよね。こんなに人が集まって行き来していたらそうなるわよね。それか、クリスティーヌから直接聞いたのかしら?
最後のパンを配り終えた。王子に取っていたパンだけが残る。私はそれを王子に手渡す。
「奉仕活動をしておりました。私にもできることはないかと考えた結果、パンを無償提供しようと思いまして」
そう答えると、私の手にあるパンをリュカ王子は目を細めて見やる。やだ、一体どこに怒る要素があるのよ。
「パンとは働いた金で買うものだと思っていたが。彼らは働いているのか?」
「まあ、王子さま。彼らの素性は知りません」
「ほう、知らないのに無償提供しているのか」
「そうですよ。慈善活動ですから。パンを配ることが聖女さまの無償の治癒魔法とどう違うのです? 誰にも迷惑はかけていませんので」
はっきり言ってやった。王子は怒ったというより、驚いた目で私を見返した。変なものでも見るような目つき。やだ、やめてよね。
「名前は?」
「はい?」
「名前を聞いている」




