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生死を分けた母と私の不可思議譚  そのとき?わたしは何かの力で生かされたのだろうか? 続・小夜物語  続編第9話 

作者: 舜風人

それは、、、、いまからだいぶ前のお話になります、

多分もう50年以上の昔でしょう。

わたしは当時中三で、高校受験を控えていました、


ああ、、、そうそう、、

その前に私ですが当時わたしはとある田舎の県の、県庁所在地から単線ローカル電車に揺られて

1時間ほどの、人口5万の小さなW町(市)に住んでいました。


さて自分でいうのも、あれですが。。私その街の、3つある中学校の一つに通っていたんですが

その中学校の三年生の成績順位が、なんと、常にトップ・ファイブ(5番以内)なのでした。

で、、当然進学高校は、電車で一時間の、県庁所在地のその県随一の、K高校という予定でした。

受験勉強も佳境に入り、いよいよ受験が近づいてきました。


ところで、、受験日時は朝8時集合ですので、念のため私と母はその県庁所在地の

K市に住んでいる遠い親戚の家に泊めてもらうことにしたのです、


前日の午後に母と私はバッグに荷物を詰めて、自宅を出て田舎道を歩きやがて国道に出てその歩道を歩き、、さらに歩き歩いて30分ほどの最寄りのW駅に向かいそこから乗車して1時間、K市へ向かい、駅から歩いて親戚の家に向かい、泊まり、ゆうしょくもたべさせてもらいました、


勿論心づけのおかね(宿泊料)も、お渡して在りますよ、


さて一夜明けて、当日6時に起きて、着替えて入試会場に私と母は向かいました、歩いて行けるところです。

入試内容ははまあ今となっては覚えていませんが、かなりできたという自信はありましたね


それで午後2時には終わって先ほどの親せき宅に帰り、荷物をまとめて、雑談して

午後4時ころK駅に向かいました、


そこで乗車して、、ローカル電車で1時間、W駅に到着しました,5時を回って田舎の夕方は暮れやすくもうだいぶ暗くなりかけていましたね

母と私はバッグを持って、その田舎のほぼ無人駅のような?W駅から国道に出て歩いてゆきました。

母はあゆみが遅くて私が、じれてしまうので、「あんた先に帰りなよ」というので

わたしは『じゃあね』といって母を置いて、、さっさと早足で国道を経て、田舎道に入り自宅へと帰りつきました。


だが?

いつまでたっても、、母は帰ってきませんでした、


「どうしたんだろ?」

心配した父が6時もとっくに過ぎてあたりはもう真っ暗です。自転車で

さすがにようすを見に行きました、


しばらくすると、父が青ざめて帰えってきて「えらいことになった」というのでした。

国道には警察官とパトカーがまだ止まっていて現場検証??

どうしたんですかと父が言うと

何でも私が先に帰って、ほぼその直後に国道の歩道を歩いていた母はわき見運転の自家用車に突っ込まれて跳ね飛ばされて国道から5メートル以上も飛ばされて田んぼに落っこちて、

救急車で搬送されたというのです。


わたしは膝ががくがく震えて、言葉もありませんでした

すぐに連絡が

近くに嫁いでいた私の姉にもいって姉も駆けつけてきました。

「あとは頼む聯絡するから」といって

父はすぐにW市のその病院へ、自転車で向かいました、


取り残された私と姉と、その駆けつけてきた姉の旦那さんはどうすることもできずただ無事を祈るだけでした。


姉の旦那さんは、「俺も言ってくると」いって自動車で向かいました、

それからどれほど時間がたったでしょう。


我が家の近くの商店に電話で連絡が入りました、当時、当然我が家に電話などないからです。


その商店へ姉が向かい内容を聞いてきました。

帰ってくると


「Tちゃん(わたしのことです)、いい?気をしっかりり持ってね。お母さんね、すごい重傷で、意識不明で脳挫傷で腰とかも強打していて、今夜から明日が峠だって」


そして今夜は少年の私が病院へ行っても足手まといなので姉と自宅にいるようにいわれました、



不安と焦燥の一夜がどれほど長く感じられたことでしょうか?

やがて夜が明けて朝となりました、


その日の昼過ぎに姉の旦那さんが帰ってきて、母の病状を教えてくれました、


何でも意識不明で頭蓋骨陥没で、脳のダメージが大きいので仮に治っても後遺症が残るだろうといわれたそうです。


Wと言う街(市)の一番大きい病院に入院してましたが、今から50年も前のことです。

そこは田舎の病院だし脳外科などあるはずもなく

今から50年も昔ですから、母がどうなるかは天に任せるしかない状態でした、


姉の旦那さんも「運に任せるしかない」といっていましたね


それから1週間は母の意識は混濁したままで、、、、


私は春休みでそのころはすでに卒業生ですからずっと自宅にいました。


見舞いに行くのは姉夫婦が言うのに「Tちゃんには残酷すぎるから行かない方がよい」



といわれていきませんでした。


それほど母の状態は悪化していて、その後に、聞いた話では、まさに、生死の坂をさまよい、うわごとや体のけいれんがすごかったそうです。


意識が乱れて突然暴れだしたり、ベッドから出ようとしたり、すごかったのだそうです。


そういうときは看護婦さんと姉の旦那さんが押し付けて静止したり正に修羅場だったそうです。


まあ、これらのことはずっと後から聞いたことですが、当時は私に心配させないように伏せられていましたね。


そうして姉と私で二人で自宅で日々が立っていきました、


1週間後、やっと意識だけは戻ったそうですが、どうやら死線は脱したようでした。


でもまだ意識は混濁してうわごとをわめいていたそうです。

2週間後やっと意識も安定して当時の田舎病院でロクに処置もしなかったのに

これだけ回復したのは奇跡だとお医者さんもっ言っていたそうです。

そういう意味では。母も何らかの働き?でいかされたのでしょうね?



わたしが病院に行かせてもらったのはほぼ、一か月後でした、


それまで母の病状が不安定で私にそういう修羅場を

見せたくない?ということで行かせてもらえなかったのですが。、


わたしが行くと、、


母は顔中を包帯で巻かれていて目だけが出て横たわっていました、点滴管がつながれていてそのほかの計器?もつながれていました、


「生きてたんだね」といって母は泣いていました


というのも、事故時の記憶がほぼ喪失していて、、たしか、一緒に歩いて帰宅していたのに、私がこの病院にいないのは死んだからだ?


と、思い込んでいたらしいのです、父がいくら生きてるからといっても「Tは死んだんだろ?隠してるんだろ?」といって信じなかったそうです。





で、、私を見るとホッとした様でしたね


でも?

あの時母がわたしに「先に帰りな」といわなかったら?


恐らく一緒にいたわたしは即死?だったのでしょうね?


だが運命は私は生かしてくれた、その時何かが働いたのでしょうね?


わたしは間一髪で、、後日、考えると、おそらく状況的に数分の差で私がその場を離れたので

母だけが跳ね飛ばされたのでしょいうね。あと数分わたしが母と一緒にいたら?

わたしは今ここにはいなかったかもしれない??


そして、、でも、、重症の

その母も生きる運命が残っていたのでしょう、あれだけ重症でも生き残ったのです。


だが母の病状は遅々として良くならず結局それから半年も入院したままでした、

寝たきりのベッド生活です。

腰の強打で、損傷がひどくて、回復が進まずに歩行がほぼできませんでした。



結局私は高校は見事合格でしたが嬉しいという気はゼロでしたね


その間わたしは父と二人暮らしで、父は仕事もありますし、

姉だって自分の家族があるし。わたしは自分で食事を作って食べて支度もして


そしてK市の高校に入学しましたが

なれない新生活で母の事故のこともあるし、、そのストレスで


1年生の生活は散々なものでした、。


ただもう、影のように学校へ行っていただけ?という感じでしたね


勉強なんてできません、する気にもなれません。成績はクラスで40人中40番でした、。

中学校の神童?は、、、最下位でした。、それが1年生の成績でした。


時々姉も自宅に来てくれましたが私は食欲もなくなりガリガリに痩せて、

亡霊のように生きてるだけでしたね


母の病状は、、それでも少しづつ回復して、腰の強度の打撲(股関節複雑骨折)もほぼ歩けるようになり、


また肝心の脳挫傷・頭蓋骨陥没もほぼ治癒?しました。

軽い記憶障害と、視力の低下と異常が残っただけ?でした。


、だが

歩くときにふらつくのはその後一生治りませんでしたね。


目が、、視線が、、二重視で、揺らいでうまく歩けないと母は言っていましたね


そのころ、近所の口さがないおばさんたちは「頭蓋骨が割れたって生き延びたなんて悪運が強いねえ」

などといっていたそうです、


たしかに母は生き残る運があったってことなのでしょうね。

そして間一髪難を逃れて生き残った、いかされた?このわたしもね。

でも?なぜ?何のために?生かされたのか?

こんな平凡極まる無能な?私がなぜ?生かされたのか?

まったくわかりません?


母はその後、約8か月後退院してきましたが、、まだ自宅療養状態で自宅でも何もできずにゴロゴロ寝てるのが精一杯でした、


それはその後、1年半も続きました、やっと日常生活がどうにか送れるようになったのは2年後でした、


その間わたしは慣れない高校生活で消耗して母の看病で疲れて、

其の後、結局どうにか最低線で卒業だけはできたのでしたが、、体をすっかり壊してしまい、まるで「腑抜け」のようになってしまいました。当時の写真を見るとガリガリで骸骨みたいです


卒業はしたものの、、、、フラフラでガリガリにやせて、亡霊のようになってしまって、

進学どころではなくて自宅で、、ぼーーーと、浮幽霊のように過ごすという体たらくになってしまったのでした。


まるで魂が抜けたような状態でぼーーと過ごすだけでした。

体のみならずあの母の事故で私の心も痛めてしまったのでした。


その卒業後の亡霊のような1年間はあまり記憶も定かではないです、

でも私もまだ若かったのです、さすがに、

1年後やっとどうにか、平静を取り戻した私は、やっと気を奮い立たせて、

それまでの遅れを取り戻すために心機一転、池袋の永新予備校に行くことにして

池袋の下宿に入りそこであたらしい東京での生活が始動したのです



以上が、

「生死を分けた母と私の不可思議譚」の全貌なのです。


これが私のブラックヒストリー?とでもいうような?遠い遠い日の悲惨な思い出なのです 

加害者についてはいまほとんど記憶がありません。まだ、15歳だった私は、当時、気が動転していて

覚えてはいないです、たしか?中年の男で,、某宗教団体の「集会」に自家用車で向かう途中だったようです、我が家に一回だけ謝罪に来たような記憶がありますが、、それだけです、

賠償金もろくに出なかったようです、15歳の私がその詳細を知らされるわけもなく、、

ただ姉がずっと後になって数年後にふと、思い出して、こういっていましたね、

「ケチな奴で、、入院費と治療費に、あとはほんのお涙金しか出さなかったわよね」


そんな50年以上前の事故について、、


いまさらあえてこれをつづってみても意味はない?ということでしょうが


いまふと思い出して、、こんなことも人生にはあったよね。ということで、


あえてつづってみたということです。


そして、あれから50年という月日があっというまに流れ去りました。



父も、、そして母も、、さらに姉も

天寿を全うして、、それぞれ、、83才、89才、85才で、、


すでに他界してしまった今現在、


これ以上の真相究明?はもうできないということなのです。




それにしても?


なぜ私はあの時死なずに済んだのか?


その後、私が、生かされたために何かすごい善行をしたということもないし


すごいボランティアで人助けしたということもなかったし、、、


その後も、平凡に、、、ただ平凡に、、生きてきた(生かされてきた?)だけです。


だから?こんな無為無能なわたしなんて、アノ時、、、別に死んだって良かった?のではないか?



まあ大げさに言うと、


「神はなぜ私のような平凡で無能な人間をあの時生かしたのか?」


という疑問はその後もずっと付きまとっていました。


でも、、まあ御覧のように?その後も平凡に、、無能に、、特に人助けもできないで、


善行もできないままで、、今現在まで、のほほんと、生きてきただけでしたけどね、、、、。



さて、、、私の、その後の人生でも、、死にかけた事が何度かありました、


例えば、、、、、その後の人生で、


わたしは、かれこれ、、都合、、、3度入院して三度のけっこう大きな手術もしました、


でも、、私は、、、その都度生かされました、


死んでもおかしくないような大手術でしたよ、



いったいなぜ私はそのときに、死なずに済んだのか?



なぜか?  私は生かされた、



わたしがその手術で、、、別に死んだって良かった?のではないか?というほどの大手術だったのに、、、


死ななかった?



まあ大げさに言うと、



繰り返しになりますが、


「神はなぜ私のような平凡無能な人間をあの時生かしたのか?」



という疑問ですね、。私のような平凡な人間を、何の意味があって?なぜ神はいかされたのか?


もしかしたら?そこには神の深い?「差配」「神意」があったのだろうか??



でもこの疑問をだれに問えばよいというのでしょうか?


神に?


それともわたしの心に?


いずれにしても答えが返ってくるはずもないですよね?


神は絶対、答えないだろうし、、


私の心に聞いても、黙しているだけでしょうからね。


つまり?


答えが返ってくるはずもない質問をいくらしても徒労でしかないのでしょう。




ですから、、もう、これ以上いくら、



なぜ?


なんで?


どうしてこんなバカな私がその都度、破滅しないで救われるのか?


と、、、、、詮索してみたところで、



きりがないので?



このくらいで、、、、ここらあたりで?



このお話は、もう、、、終わりにしてもよろしいでしょうか?。


そういうわけで


ここらで


もう、、、


きりがないので?


このふるい、、


思い出話は、、、このままで、、

つまり、、答えがないままで、、、終わりにしたいと思う次第です、


そして、、、もしも?まんいちにも?

この大いなる疑問にいつの日か、答えが出るとするなら

それはおそらく

わたしというスピリットの前世と現世と来世にわたる

永遠の生命のトリップの大循環と輪廻転生の虚空のかなたへの

遍歴の過程から



つまり、この人生が最初でもないし、最後でもないという転生の無限サイクルの中の


わたしのスピリットが体験してきた様々ないくつもの過去現在の人生相関図?の、罪と罰の清算としての


未来の、、、、、、


ある日、ある時。ある時点で、、、それはあまりにも突然に、まさに啓示のように

多分?その答えが、、おそらく?私に降臨するのでしょうね?




それでは、、皆さん。



最後に、、、、、、、、、、、、、、、、、



皆様の現世での魂の旅路が、どうか、平安とご健康であることを祈念して


皆様の


ご無事と


平安とを


心より


祈念して、しばし、お別れしたいと思います、




それではひとまず、、さようなら


もしかしたら?未来のどこかで


またお会いしましょうね?





おわり




























☆書かない方がよいかもしれない?(余計なつけたし)?




わたしの人格や正常性(あんた正気?)に対する、いらぬ、変な誤解を招くかと思ったので

本文中には書かなかったのですが、

実は私、、不思議な体験を幼少時からいろいろしてきています、

UFOを見たこともありますし、、偶然の一致 (シンクロニシティ)も何度も経験していますし

わたしの人生って、まあ、総じて、、特に大事件もなくて平凡な人生ではあるんですが、、

つまり、、就職して、、その後平凡な結婚もして、、子供もできて、、定年退職して、、というまあセイフティ人生?をたどってきたんですけど、、、。



その間、仮に窮地に落ちようとしても、不思議と、何らかのハタラキ(パワー?)で、破滅せずにころりと?

すくわれるんですよ。努力もしてませんし、祈ってもいません、

でも?

「ああ俺の人生、もうこれで駄目なのかな?」と思っても

不思議と、、救われてしまうんですよ、何とかなってしまうんですよ、


だから大事件や大災害や、失業や。過労死や、左遷や、病死や、事件・事故死や、そういう難事に、、あわや?行きそうにはなるんですが、、不思議と、、なぜか?救われて?しまうんですよ

なんとか、なってしまうんですよ、、破滅しないんですよ、



あの高校卒業後も、放心状態でまるで亡霊のようにガリガリに痩せて、廃人のようになって終わりかと思った時も、不思議と回復して?そして東京の予備校へと行くことになりました、


いいえ、わたし、全くそんな努力もしてないし、東京に行きたいともおもってませんよ、

でも?気が付いたら、、行くことになってたんですよ。

その後の人生もまあ多少の凸凹もありましたが、でも大事にはならずに?破滅しないんですよ。


病気もしましたし、手術もしましたし、大学卒業後はどこも就職も決まらずに

でも、きがついたら?就職できていた?いいえ。コネなんか一切ありませんよ。

なんというか、、もののはずみ?というか?

あるいはもっと大げさに?いえば、


「何かの差配で守られている」

「私は誰かに守られている?」

としか言いようがないんですよ。


もしかしたら?

其処には、、何か人知を超えた、「神の無窮の計らい」「神の大きな計略」?があるのかもしれない?

でも?

もちろん愚かな「肉の子」でしかない私になど、、わかろうはずもありません。


それは、、たとえば、、、わたしの最初の子供ですが、結構難産で、、生まれてすぐ保育器にいれられて

医者も「もしかしたら障害が残るかもしれない」って言われたんですよ

もう、妻も私も絶望のどん底でした、。でも?

1か月後無事に保育器から出てきて、、その後なんの障害も残らずに成長したのです。

これも?もしかしたら?「何かに守られていた」??のでしょうか?


ああ、、でもこんなこと、つぎからつぎからと、、書き続けてゆくと、、、


「あなた正気ですか?」

とか、、言われそうなので

もうここらへんでやめましょうかね?


ホントは、、こんなことまで、、あれこれ、、、くだくだと、、書かない方がいいんでしょうからね?





そうさ?




過ぎてしまえば




みんな








そうさ



終わってしまえば




すべて




絵空事、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。

















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