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The Vanishment Rogue  作者: さいはて
1/1

プロローグ その日、死刑となった

別サイトで書いたやつもってきた

 ■2020年4月


 人生はクソだ。今まで生きてきて、何度そう思ってきたことか。

 生まれたら何の意志も介さないまま学校という工場に運ばれ、社会という食卓へ適度なサイズに盛り付けられて送られる。それならばまだ百歩、『仏の顔も三度まで』と豪語するやつが甘く見積もっても五百歩くらいは譲ってやるだろう。

 だが食卓へ運ばれて分かった。労働は工場以上にクソだ。食品を食べるやつが毎度毎度変わってくるし、何より食べ方が揃いも揃って下品極まりない。

 満員電車の揺れる音が虚しく聞こえるようになったのは、労働者という食品にまるで合っていない調味料をぶち込んだせいだろうか。ともあれ、そんなやつらに食べられるくらいだったらいっそのことゴミ箱行きになったほうが良いと嘆いていた。


 しかしそんな者にも、それ以上のクソが舞い込んでくる。

 そして今、彼はそんなゴミ箱の中のゴミとなっていた。


「判決。被告人、吉良 吉宗(きら よしむね)を死刑に処する」


 目の前の偉そうな裁判官の言葉に、吉良吉宗は不意に呼吸を忘れた。彼は渋谷の街でメデューサに気に入られてモデルにスカウトされたかの如く、固まり尽くす。

 例えの意味が分からない?だろうな、俺も適当に言っただけだ。というよりかは、こんな戯言を吐く以外、もうまともな思考をできる状態じゃ無くなった。

 だってそうだろう。俺はいきなり死刑を言い渡されたのだから。

 だってそうだろう。確実に無罪になると確信していたのだから。

 俺にはそう言えるだけの確かな事実がある。


「被告人の行為は残虐かつ悪質極まりなく、反省の余地が全くない。被告人から何か謝罪の言葉や反省の色が示されれば情状酌量の余地があるが、それが見られない。よって死刑を言い渡す」


 ああ、出たよ『情状酌量』て言葉。本当に裁判で使うやつがいるとは思わなかった。だが使う対象が俺だとも思わなかったよ。あんたまさか、その言葉を使いたくてウキウキしてたんじゃないか。

 分かるよ。俺も中学校で初めて『アイデンティティ』という言葉を覚えて、友人にマウントを取るように使いまくっていた。だがその友人は言葉の意味自体を知らなく、「それなんかの必殺技か?」と純粋に聞かれて何も言い返せなかった。

 知った言葉は知っている人だけに使いましょうね、と俺はこの頃に学んだ。

 なに、死刑を言い渡されたのに何故そんなに余裕なのかって?確かにそう思うかもしれないが、これはただの自己防衛だ。気にするな。

 本当は信じられなくて滅茶苦茶焦っている。だってそうだろう。


 だって俺は、誓って殺しなどしていないのだから。


「弁護人、最後に何か」

「いいえ、ありません」


 あんた何しに来たんだ?

 虚ろな目をし、光なんて知りません、と言いたげな弁護人の言葉を最後に静寂は戻る。それは誰もがこの判決に異議を唱えない、という証に置き換えても間違いないだろう。

 だがこの場で唯一、俺だけが違った。

 分かっている、これで終わっていいはずがない。だって俺は万に一つも殺人など犯していない。

 これは無罪だ。俺は絶対に無罪だ。今、それを言うべきなのに────


「被告人、何か最後に」

「ありませんよ・・・。もう・・・・・・」


 裁判官の見下した視線を前に、もう何も言えなかった。というよりかは、言う気が失せた。疲れた。

 恐らく何を言ったところで、やっていないのにも関わらず現場に残されていた、と唐突に見せてきた検察側の持つ証拠と弁護人のやる気のなさ、そして俺自身が人生に疲れ切っていたこともあり、釈明は続かなかった。

 普通の人間ならば、ここで必死にこの場の全員に情に訴えて罪を軽くしてもらい、あわよくば無罪を勝ち取るべきなのだろう。

 だが普通の人間ならば、恐らくこの部屋のど真ん中に立つことはないのだろう。


 俺もこの前までは、そんな普通の人間だった。

 少なくとも、あの事件が起きる前までは。

 言われずとも分かるだろうが、俺はその事件の犯人と決めつけられてここに立たされた。だがそんなこの場所ともおさらばだ。これからもっと、クソみたいなところに送られるのだから。


「ほら、大人しくしろ」


 いや、元からしてるが?背後のお前もそんなセリフを言いたいだけなんじゃないのか、と突っ込む気力は彼には既になかった。

 何せ彼はもう普通の人間ではないからだ。この時を以て、彼は普通の人間から死刑囚へと切り替わった。同じ人間の言葉によってあっさりと、そして部屋の電気のスイッチを押すほどに簡単に。

 誰でもその気になれば口に出せる言葉という刃によって、吉良吉宗は普通を殺されたのだった。

 そもそもこの世界は普通じゃない。吉宗は今、そんなことは昔から分かりきっているはずなのに、何故この世界の人間は普通を装えるのだろうか。そうでもしないとやっていけないのだろうか、という場違いな考えを無言で張り巡らせていた。


(ここに来る前に、なんか美味い飯でも食っとけばよかったなあ)


 冷たく長いため息をつき、吉宗は群青色の服を着た男に連れられ、狭い一室へとぶち込まれた。

 ひんやりとした床が先ほどの無情な空気より一層、心地よい。

 そうしている場合ではないのだが、俺はここにきてようやく落ち着きを取り戻せた。もっとも、取り戻したところでなんだって話なのだが。

 頭の中の情報の整理に集中する。


 どうやら、俺は死ぬらしい。


 流石に今すぐではないだろうが、俺は確実にどこかで死ぬことが決まった。

 しかも冤罪によって、だ。何度だって言うが、俺は殺しなどやっていないしあの事件に関しては一切関わっていない。

 ・・・・・・と言ったところで、今更誰も信じてはくれないだろうし、最悪なことに証拠がでっち上げられている。いつ誰がどのようにして仕組んだのかはさておき、俺一人の手であれは覆せそうにない。というより、俺は証拠がでっち上げられているのにも関わらず、無罪になると確信していたのか。

 以降の手続きがどうなるのかは知らないが、証拠が嘘だと判明するか、俺が威勢よく声を張り上げるか、あとはそうだな・・・天命に全て委ねてみるくらいしか助かる道はない。そしてその何れかが起きる気が、現時点で全くしないのだ。


 じゃあ、諦めるか?

 うん、諦めよう!

 これは無理だ!


 彼の虚しい諦観が、潔くも孤独な一室に響いた。何もない床にごろんと仰向けになって眼を閉じる。

 どうせ死ぬんだ。なら隙があるので自分の辿ってきた道を振り返って語ってみよう。自分語りゲーム、スタート!隙を与えたこの部屋が悪い。

 さっき裁判官にも呼ばれたが、俺の名前は吉良吉宗。24歳、都内に住むブラックな企業のサラリーマン。いや、つい最近までそうでした。

 俺の身に起こったことは至って単純だ。自宅付近で夫婦の殺人事件が起き、偶然にも事件発生の時間帯に帰宅しかかっていた俺が容疑者として逮捕され、裁判所行きとなった。

 流石にこの国はそこまで馬鹿じゃない。今の技術を何だと心得る?DNA鑑定とやらで現場に残された指紋やら髪の毛の一本やらを解析すれば、誰が犯人かくらい、そして俺が冤罪だってことくらいすぐに分かるはずだ。

 ・・・・・・・・・・・・と、さっき死刑を言い渡されるまで思っていました。馬鹿なのは、やはりこの世界でした。

 何もこの世界が俺を中心に回っているだなんて思いあがってはいないが、この時だけはどうしても、世界が俺に反逆しまっくていると思わざるを得なかった。


「まあ、そんな時もあるか」


 てなわけで、今度死ぬようです。お疲れ様でした。

 それでもいいのか、って?もういいですよ。

 俺は自分の人生に、愛着など持っていない。この発言だけを切り取れば、もしかしたら立派な殺人鬼のセリフに聞こえるだろうが、実際のところ本当だ。

 学校はクソ。会社はクソ、それに従って労働もクソ。はっきり言って、人間大っ嫌いだ。

 そして、人生が一番クソ。どうやら俺は、この世界で人間として生きるのにそれはそれは向いていなかったらしい。まあ、どこにもそんな人間は存在するだろう。

 ならば俺は、そんな社会不適合者は果たして最終的にどこへ向かっていくべきなのだろうか。あるいは、ここが終着点なのだろうか。


「俺の人生に、一体なんの意味があったんだろうな」


 要するに俺は主人公じゃなかった。顔も雑に描いてくれないモブにすらなれなかった。例え主人公でなくとも、物語の中盤辺りで立派な移動手段を得たプレイヤーが今まで行けなかった異質な雰囲気を放つエリアに辿り着き、そこで住人一人のんびりと暮らす仙人のようなキャラにでもなりたかった。

 例えば「こんな異郷の地に冒険者とは珍しいな。茶でも飲んでいくか?」と年季の入っていそうなセリフを言ってみたかった。言ったからなんだって話なのだが。

 だが現実は現実だ。少なくとも『厳しい』とか簡単に言えるものではなかった。俺の物語がここまでなのだとしたら、その程度のキャラでしかなかった。銅の剣の一斬りで楽に死んでしまうような情けない中ボス程度でしかなかった。

 俺は単純に、普通を超えて生きていきたかったのに。


「普通って、何なんだろうな」

「死なないこと、ですね」

「でも生きていることが普通だとも最近思えなくてね」

「プラスの世界にマイナスを持ち込んでも、意味はないでしょうねぇ」

「俺がマイナスだってのか?まあ、合っているかもな」

「死がマイナスだとして、あなたが死ねばマイナスと掛け合わせて実質プラスとなりますね。おめでとうございます!」

「てかお前誰だよ!?!?!?」


 自然な会話の成り立ちにより、どうでもいいと思っていた人物に今更気付く。

 更に言えば、裁判終了後に俺をこの牢へと送った先ほどの警官らしき男だということにも気付く。

 その外見は、誰がどう見ても『The 普通』だった。

 長身の黒髪に黒縁メガネ、クラスにいたらギリギリ秀才じゃね?と思えるような素朴な男は、自分が閉めた牢の扉を平然と開け直す。

 え、待って。そんなことやっちゃっていいの?しかも普通に。

 男は何食わぬ顔で黒いジャケットを俺に手渡す。俺にはそれが、「ここから逃げろ」と言っているかのように思えた。


「あんた・・・自分で何しているか分かっているのか?」

「え?もちろん承知の上です。下ではありませんよ」

「下じゃ尚まずいでしょ。本当にここの関係者なのか?」

「はい、合ってます。えーっと、ここの鍵はこの番号ですね。じゃあ後は適当に置いときますか」

「おい、待てよ・・・・・・」


 吉宗の困惑を意に介さす、男は手慣れた動きでこの建物と思われる地図を開き、片手で持っている鍵を数えていた。

 納得した数があったのか、次には背負っていたリュックを置いて真っ黒な人型のマネキンのようなものを取り出した。いいや、それでは少し語弊があるか。男は・・・まるで空気の抜けた浮き輪のようにしぼんだマネキンを取り出していた。

 その認識は合っていた。自転車に用いるような簡易空気入れを使い、しぼんだマネキンに空気を一心に入れていたのだから。

 一体何をしでかす気なのか、少なくともここでやるようなことではないと分かっているが故に、そしてそれを平然とやっているが故に、男の行動は理解不能だった。


「はい、完成。名付けて、吉良吉宗マネキン君です」

「まさかこれを俺の代わりに放置して・・・・・・」

「えぇ、ここから移動します」

「いやいや、無理があるでしょう!」

「大丈夫。大きな声では言えませんが、この私は偽装工作が得意です!!!!!!!!!!!」

「思いっきり大きな声で言うんじゃねえよ!馬鹿かあんたは!」


 男の陽気な茶番に付き合わされ、俺もどきのマネキンをぼすんと置いたまま、颯爽とこの牢を出ていく。

 人気が余りにもなさすぎたため、誰一人として二人の行動を止める者はいなかった。

 一体何が目的なんだ、こいつは。ここの関係者がこんなことをしていいはずがない。それにこんなことがバレたら、俺はもちろんのこと、こいつ自身が危ないだろう。


「なんかこれって・・・」

「危険な恋、ですね」

「違うわボケ。誰が逃避行じゃ。それより、何でこんなことをする?」

「おや、ではどうしてこんなことをしてはいけないのでしょう?」

「・・・・・・・・・・・・はぁ?」


 知りもしない場所へ迷いもなく誘導し、思わず付いていく吉宗。その最中で当然の如く湧き出た疑問をぶつけ、思わぬ問いがカウンター代わりに返ってくる。

 何を言っているんだ、こいつは。何を普通のことを言っているんだ。

 二人の足は時間が経つに連れ、次第に早まっていく。ついでに急な展開で戸惑う吉宗の鼓動も。


「先ほど申し上げた通り、私はここの関係者。つまり、まあ警官という立ち位置です。なのにどうしてこんなことをしているのでしょうか?」

「知らねえよ。あんたがやってあんたに聞いてるんだろう!」

「答えは普通です。私は単なる警官ではありません。どうです?驚きました?」

「うん、普通すぎて逆に驚いた。じゃあ、あんたは一体何だ?」

「その答えを告げる前に、私達はある場所へ向わなくてはなりません。もう少し、辛抱願います。あ、着きました」

「早いな!」


 早口で喋る男を後ろに、吉宗の口調はいつもより滑らかだった。こいつと会い、話すのは今日が初めてのはずだが、どうもそう感じなくなっていた。

 彼の調子に一方的に乗せられるがまま、二人は裏口から外の駐車場へと出ていた。ここまで同様、一切の人気がない。

 いいやそれはおかしいだろう。今さっき裁判を終え、同じ建物の中間地点のような牢に入っていたばかりなのだ。その間で少なくとも、一時間は絶対に掛かってはいない。だとしたらあの場に人がこいつ以外、存在しないのがおかしい限りだった。

 男の者と思われる自動車の扉を開け、男は「先に入れ」と右手で促した。


「やっぱり逃げるのか、今から」

「取り敢えず助手席にでも座ってください。珍しいお客さんなのでね、まず買ってきた茶でも飲みますか」

「・・・・・・・・・・・・・・・おう」


 先ほどの俺の「仙人になりたい」という心を読んでいたのかはさておき、彼はリュックサックから未開封のペットボトルの緑茶を二本取り出して、片方を俺に渡す。

 吉宗は言われるがまま助手席に座り、彼はそのまま運転を始めた。

 一体どこへ向かうつもりなのか、そもそも死刑囚を早速脱獄させても構わないのだろうか。愚問なのだろうが、男はそんなことを意に介さずに高速道路へと入る。そこから先は単純な前進でしかなかった。


「大丈夫。毒なんて入れてません。私は暗殺者じゃないので」

「そこまで警戒しているかって言われたら、まあそうなるわ」

「そうでしょね。まずは名前から名乗りましょう」


 男は運転中に隣の吉宗に向かずにニヤケながら答える。

 謎が謎を呼びすぎて膨れ上がったあまり、むしろ返って冷静さを取り戻した果て。そんな気を察したのか、彼は吉宗が一番に聞きたかったことを話し出す。


「私は、灰野原 素達(はいのばら そだち)。実際のところ、ただの警官ではありません。もっとその上の存在です」

「上の存在、だって?」

「えぇ、下ではありませんよ」

「お前好きだな、そのくだり」

「はい。もう二度と使いません。本来の私は都内、警視庁公安部公安機動捜査隊に所属しています」

「こうあん・・・きどう・・・何だって?」

「略して『公機捜』と呼んだ方が早いです。私も正式な名前、久方ぶりに名乗りました。公機捜は主にざっくり申し上げれば、テロの捜査やその対策に特化しています」


 男は・・・灰野原はそう名乗ると一つウインクし、下手すぎる笑顔を吉宗に向けた。どう返せばいいか、分からない。

 ただの人間ではないと踏んでいたが、テロ対策のスペシャリストのような人間がここにいること自体によって、更に訳の分からなさ倍増だ。

 つまりは、こいつは死地の最前線にいると言っても過言ではないのだろう。実際、先ほどまでは裁判所にいたので、本当のところはどうだか分からないが。

 灰野原は続ける。


「公機捜と言っても更にその中の凶悪な事件やテロに対して純粋な実力行使を用いる部隊、『特殊機動隊』に属しているんですよ、私」

「うん?機動隊は流石に知っているが、そういうのは別で分かれているんじゃないのか?」

「ああ、吉良さんがご存知の機動隊は腕の頼りないぼんくらちゃん共が属するようなところです。公機捜の中の特殊機動隊・・・・・・通称『特捜隊』は彼らが赴く任務よりも遥かに熾烈を極める任務に特化したような部隊なのです」

「そしたらいよいよあんたの目的が分からない。なんでどこにでもあるような殺人事件の冤罪を着た俺に手を差し伸べたんだ?」


 聞いた俺が馬鹿だったんじゃないのか、と錯覚するほどに、灰野原の言葉には常に疑問が付きまとう。

 だが彼の表情からして、その言葉に噓偽りはないと思え、いつの間にか真剣さを感じていた。こいつはもしかしたら、第一印象の『素朴さ』を覆すような人間なのかもしれない。

 だとしたら、俺のことを助けてくれるのだろうか。いいや、別に必死に助かりたいとまで思ってはいないのだが。吉宗の言葉を聞いた灰野原は不思議なものを眼にしたかのような表情を浮かべる。


「少し勘違いなされているようですね。殺人事件が普通に起こっている、というあなたの認識。それに、()()()はあなたを助けたのではない。むしろ逆かもです」

「・・・・・・何だって?」

「勿体ぶらずにお話しましょう。まずは私が特捜隊として受けた任務は唯一つ」


 人差し指を吉宗の目の前に置く灰野原。彼の眼には先ほどまであったような光が消え失せていた。

 凍てついた雰囲気に吉宗は息を吞む。

 そして剣のように鋭い言葉を、彼に突きつける。


「それは、────吉良吉宗という罪人を更なるクソッタレな地獄へ誘うこと、です」


 灰野原の重く低い言葉に、吉宗は眼を見開いたのだった。

 灰色の道路を一つの車が行く先も知らずに走りゆく。




 ■


「どういう、ことだ?」

「そのまんまの意味です。私はあなたを地獄へ導く役を、上から仰せつかった。ちなみに、」

「下じゃねえんだろ。もういいって」

「ははっ。もう使わないというフェイントを早速読んできましたか。流石です」

「茶化すな。で、その理由はなんだ?その地獄とは、一体どこだ?」

「まあそう焦らずに。追手が来るなど、万に一つの可能性はありませんから。それはさておき、私達『特捜隊』が死刑囚のあなたを連れ出し、地獄へ誘う理由、そしてその地獄とは。順を追って説明いたしましょう」


 ペットボトルの茶を片手で飲み干し、後部座席へポイッと投げ捨てる。無機質で乾いた落下音は外の喧騒よりは大きかった。

 しかし吉宗の乾きに比べれば、それは比較に値すべきでは無かったと思い知る。

 開口一番に出たのは、吉宗の予想を覆す言葉だった。


「まずあなたは実際、殺人を犯していない。これは私に限らず、あの場にいた検察や更に裁判官までもが知っていた事実です」


 どういうことだ・・・・・・?

 彼の背に、気持ちの悪い冷や汗が伝う。


「はぁ・・・・・・・・・・・・?じゃあ俺はなんで────」

「"死刑囚となったのか"、当然の疑問ですね。それは恐らく、『あなたを絶対に殺す』という誰かの意思がどこかにあったからでしょうね」

「ば、馬鹿なことを・・・!」

「分かっています。私もほとんどの理由を知っている身であっても、これは馬鹿げていると言わざるを得ませんね」


 虚ろな眼差しをひたすら前へと向ける彼はやがて残念そうな表情を浮かべる。

 対する吉宗は、再びの情報の整理に必死だった。

 神など信じないが、神に誓って俺は誰かに恨まれることをした覚えは一切ない。そう、神に誓って。あとついでに殺しもしていない。

 だが彼の言葉が事実だとすれば、誰かが俺の存在を陰から否定していた、ということになってしまう。有り得ない、考えたくもない。

 しかし今は・・・・・・考えなければならない。助かるため?死刑から免れるため?いいや違う。自分の身など、死刑が決まるよりも前からとっくに管轄外だ。


「その『意思』の在り処は、ここです」

「・・・・・・もう着いたのか」

「はい。とは言え、私はただ帰ってきただけなのですがね」


 どれだけの時間が経ったのか。二人は既に車を降り、ショッピングセンター並には劣るものの、それほどの大きさを保った灰色の建物の前に来ていた。みなまで言われなくとも、そこがどういった場所なのか吉宗には既に理解出来ていた。

 そもそも彼は『帰ってきた』と言っているのだから。


「はい!ここが私達、特捜隊の本部でーす!いやーいつ見てもゴミですねぇ」

「なんでお前こんなテンション高いんだよ・・・」


 そう、都内────警視庁公安部だ。そこは写真やニュースで見るような灰色の城という印象にピッタリだった。

 どう考えても、脱獄仕立てで来るようなところではないのだけは分かっている。

 四月の灰空と空気と風が、今の俺の気持ちとリンクしているような気がして、国語の時に習った『情景描写』とは正にこれを指しているんだ、と一つ場違いな感心をしていた。もっとも、これはこれから起きるかもしれない出来事に対しての逃避行動なのだが。

 流石に先ほどの裁判所の時と同じように、周りの人間をどうこう出来ることは敵わないだろう。こいつは一体どうする気なのか。


「意思の在り処、と言ったな。まさかあんたの、特捜隊の・・・」

「半分違っていて半分合っています。ここで話はアレです。私専用の事務室に向かいましょう。それに、もっと細かい点から説明しなくてはね」


 大方の予想が付いてしまった吉宗は、大股で歩く灰野原にひっそりと付いていく。まるでここが実家だと言わんばかりに。

 周りの眼が多く、幾つかの視線を向けられる度にドキッとするが、気付けばその視線のほとんどは灰野原に向けられていた。こいつはここでは人気者なのだろうか、あるいはその逆か。

 そんな些細なことを長く気にする間もなく、灰野原は歩きながら小さなファイルと、中身の白い紙を数枚こちらに見せてきた。


「そういえばあなたの携帯電話のメールログ、誠に勝手ながら捜査のために全て取らせていただきました」

「あぁ、別にそれはいい。別に見られてやましいものなど────」

「はい。全く友達いなくて笑っちゃいました。連絡表が灰の野原ですね」

「ふざけてんのか、お前」


 気を紛らわせようとしているのか、しかし逆効果だ。

 お前それで俺が元気づくとでも思っているのか。だが気になる。事件とメールに何の接点があるのだろうか。


「ですが、やましいものはありましたよ。それがこちらです。恐らくこれが、あなたがここへ来てしまった最大の理由」


 程なくして彼の専用の部屋と思われる場所に着いた。それなりの役職に就かなきゃ個人部屋など与えられないと思うのだが、そういうことなのだろう。灰野原は真ん中の机に見せてきたファイルと紙を満遍なく広げた。

 その一枚は実にサイバーチックではあるが、白黒で時間と文字列が縦に規則正しく並んでいて、彼の言う俺の携帯電話のメールログだというのが理解出来た。

 灰野原は羅列された文字列のある一点を指で示し、注目を促す。そこには見覚えのない文字列があった。


『件名:これを見たら、すぐ連絡して

 受信日時:2020年 xx月 xx日 20時15分

 内容:件名の通り。連絡先→xxx-xxx-xxxx』


 注視すれば紛れもなく迷惑メールの一種という印象を抱いた。それ以上、それ未満ですらない。何の変哲もなく、受信すればすぐさま除外ボックスへ送られるほどのメールだ。従って俺自身、このメールを意識して眼中に入れることはまず有り得ない。だからここで疑問を呈することもない。

 ・・・・・・・・・・・・ある一点だけを除けば、の話なのだが。メール全文の下部を見て、吉宗はその一点に気付く。


「迷惑メールに()()()()()()って、おかしな話だな」

「えぇ。例えあったとしてもウイルスが潜んでいると疑うのが普通ですね。何しろ、迷惑なんですから」

「この迷惑メールが、原因なんだって?」

「はい。もちろんそのファイルの中身も徹底的に調べさせていただきました」


 ページをめくると、前のページとは明らかに異質な文字列が詰め込まれていた。とは言っても普通に日本語なのだが。

 まるでオセロのように、紙の白を埋め尽くすほどの文字の黒が上から下まで、デカデカと書かれている。

 目を凝らして更に注視を重ねれば、そこには背筋を凍らすほどの文が見えた。・・・見えてしまった。


『今ここに、ならず者の世界の全てを堤ソす

 真に裁かれるべきはこの世界

 真に繋がれるべきはこの罪

 真に断ち切るべきはこの死

 真に齎されるべきはこの黒

 真に降り注ぐべきはこの轣ー

 真に吐き出すべきはこの嘘

 真に下されるべきはこの罰』


「なんだこれは、分からん」

「ですよねー」


 そしてその文字化けを解読した本文を見て、吉宗は更なるクエスチョンマークを頭上に発する。

 次には自分の思っていた真実と圧倒的に乖離しすぎていて、理解が追いつこうとせずに、遂に諦めた。

 これを書いたのは詩人か何かだろうか。あるいはゲームのPVの売り文句だろうか。

 ・・・そもそも最初の行と下から三行目の最後が一部文字化けしているし。

 一見すれば俺の殺しの濡れ衣とこのメールの関連性は何一つないように思える。

 思考停止して、死刑宣告を受けた時と同じように固まり尽くした吉宗に、灰野原は助け舟を出すように語りかける。


「ですがこの中身はそこまで気にしなくていいんです。重要なのは、あなたがこのメールを()()()()()()()()()が故に、冤罪となってここに送られたこと。そして、」

「おいおいおいおい、待て。今なんつった?」

「え?『この私は偽装工作が得意です!』と」

「それ数時間前の話だろうが。ボケているのか。違う、『メールを受け取ってしまったが故に』ってどういう意味だ?」

「ですよね、気にしますよね」


 わざとらしく高らかに笑う灰野原。それを見て堪忍袋の緒を断ち切りそうになる吉宗。

 俺が諦めてしまう前に、とっとと全てを話してくれないかこのペテン師め。


「話の続きを。メールの受信が濡れ衣の原因だということを話す前に、一つこの解読文で一番に眼をつけてほしいところがあります。それが、ここ」


 彼が指を指したのは文の一番最初のとこだった。

 なぞるように吉宗はその文言を反復する。


「・・・・・・『ならず者の世界の全てを』か」

「そう。それって、何だと思います」

「知るか。敢えて例えるならこの世界じゃねえの」

「なるほど、半分合っているとだけお伝えします」

「ならその半分の要素とは、何だっていうんだ」


 核心に近づいたのか、『世界の半分』というRPGのラスボス的キャラでしか放てないような言葉を聞き、灰野原はにやりと浮かべる。

 分からない。分からないのだが、俺は今、確実に人が踏み入るべきでない領域に足を進ませているのだけは分かった。

 ぐったりとした背筋が次第にまっすぐに伸びていくのを、吉宗は一切、意識していない。

 どれほどの時が経ったのか、腕を組んだまま黙っていた灰野原はやがて口を開く。



「────法で裁けぬ悪を裁き、ある時は更生させるための世界」



 それは軽い独り言のような言葉だった。

 灰野原の眼の焦点は今、吉宗へと向けられていない。もっとどこか遠くの、虚空に満ちた物体へと向けられている。

 吉宗は黙って言葉の続きを待つ。


「そのメールはそんな()()()()が蔓延る地獄への招待状」

「・・・・・・・・・・・・?」

「そんな招待状を揉み消すために、あなたは重くて薄い十字架をいつの間にか背負った」

「待て、どういうことだ」


 彼の言葉に吉宗は言葉を無くす。

 意味が分からないのと同時に、妙に彼が嘘を話しているようにも思えないからだ。

 灰野原の鋭い眼は、次に吉宗の表情を射抜く。

 そして、今までの会話とは場違いなワードを耳に置き去りにされた。




「────そこは、ならず者が集うV()R()M()M()O()R()P()G()Rogue Out(ローグ アウト)』。

 あなたと私が例える、正に地獄中の地獄の世界です」




 ◆


「地獄が、ゲーム・・・だって?」

「はい。あなたもジャンル自体は聞いたことはあるでしょう。VRMMO、ネット小説やアニメでよく出てくる、アレです」

「あ、あぁ・・・知っている。だがVRMMOの技術はまだ完全じゃないんだろう?」

「表社会では、そういう認識で収まって()()()()()()。ですが、」

「裏社会じゃ違うってのか?」


 吉宗の言葉に彼は頷く。

 このVRMMOの説明についてはみなまで言わない。だがシンプルに言っておこう、それはもう一つの世界だ。

 仮想にして実在を装う新時代の技術の産物。俺がバーチャルというジャンルに抱く印象は大体、そんなものだ。

 灰野原は重要な要素たる情報を淡々と続けた。


「裏社会に唯一、完全体となったVRMMOが出回っています。それが『Rogue Out』。先ほど申し上げた通り、法で裁けぬ悪を裁き、または更生させるためのゲームなのです」

「それはゲーム、て言えるのか?」

「広い目で見れば、そう言えます。実際あれは『ゲームになるべくしてなった』というだけですので」

「初めて聞いたぞ、そんなゲーム」

「はい、ですから裏社会限定なのです。普通は表社会に認知、存在すら出回ってはいけない代物です」


 彼の言葉に、僅かに点と点が繋がり、一つの虚ろな立体を描き出そうとする。しかし足りない、まだ。

 たかがゲームの情報が流れたところで、大して問題は大きくなる想像がつかないのだが。


「あのゲームには日本を含めた世界中のならず者、つまり────罪を犯した者やろくでなしがゴミみたいに集います」

「罪人、限定!?」

「あなたのような死刑囚はもちろん、麻薬や覚醒剤と同様の裏ルートが密かに確立され、何の変哲もない一般人のようなプレイヤーだっています」

「それはゲームとして成り立つのか・・・?」

「はい、今のところは。まあ、そんな設定もあるんですよ」


 灰野原は不意に立ち上がり、いつの間にか机に置いてあったカップに紅茶を注ぐ。ふと中身が覗け、彼の持つカップ中は灰色に濁っているように見えた。

 色など気にしない彼は一気にそれを飲み干す。彼が再び注ぎなおす度に、彼の告げた言葉の一つ一つを噛み締めてみる。

 飲み飽きたのか、灰野原は続ける。


「ここまで言えば予想は付きましたよね。何故、あなたが死刑囚にされたのか」

「Rogue Outは、そこまでの代物なのか・・・・・・」

「はい。実際にあのゲームを捜査対象としてプレイしている私も、あれは表社会の誰かに知れ渡れば、その者は消される運命にあると思っていますよ」

「・・・・・・・・・・・・」


 ようやく理解が追いついてきた。そのローグなんとかというゲームが如何なる理由を以てして表社会に姿を見せ辛いのかはさておき、俺はそのゲームの存在をほのめかしたようなメールを受け取ったことが原因で、間接的に存在を消されようとしていた、ということか。

 信じられない話だが、彼と会話していた最初から既に、そんな馬鹿げた話に片足を突っ込んでいたことに今更ながら気付く。

 一旦区切りとして、俺はこいつにこう提案した。


「待ってくれ。適当でいいから、まとめてくれないか。俺にはここが理解の限界らしい」

「でしょうね。あなたレベルの脳だと」

「お前なぁ!」

「あはは、嘘です。流石に私もそこまで()ではありません」


 またもわざとらしく高らかに笑う灰野原。しかし、何かうっかり口を滑らせてしまったかのように、急に口を謹んだ。

 ・・・・・・?別に今の会話の中にそこまで急停車するような言葉があっただろうか。だがその疑問も一瞬。

 灰野原は持っていたメモ帳に簡易的なチャートのような図を描き出す。それはゲームの攻略サイトでよく見かけるようなものに酷似していた。


「まず最初、あなたはその謎の添付ファイルを受け取った。

 次、中身は絶対に一般人に知られてはいけないクソゲーの情報だった。

 そのメール受信にあなたよりも圧倒的に早く気付いた誰か。

 まあここはその存在については置いておきます。

 その誰かによってあなたは近所の殺人事件の犯人とされ、死刑宣告を受けた」


「ああ。ありがとう。認識が一致していて助かるよ」


 おおよその情報の整理が付き、やっと本当の落ち着きを取り戻せた。だが、実際は何一つとして進んではいない。何がどうであれ、俺は死刑となったのだから。

 俺が死ぬことに関しては別に何も問題じゃない。何度も言うが、人生にはもう疲れた。俺がこの時を生きるための執着心を持ち合わせていないのが何よりの理由なのだ。

 ・・・・・・なのだが、一つ納得出来ないことがある。それは、


「何の真実も明らかにならないまま、人一人死ぬのは嫌でな。それは、単純に死ぬことよりも更に残酷なんじゃないかって思っている」

「それには同意します。ですがこれがほとんどの真実なのです。まだ至らぬ点はありますか?」

「ああ、あるよ。お前はまだ肝心な点を残している」


 彼の持っていたペンを強引に奪い取り、一つのチャート部分と文言を強調してマークを付ける。

 そう、あいつ自身濁しているのが丸わかりなその点が何より大事な部分だ。事実のほとんどを知ったとしても、俺を嵌めた張本人を暴き出さなければ全て納得出来ない。

 吉宗はマークを付けた一点を灰野原に示し、返答を求める。肝心の彼は、先ほどまでの滑らかだった口調が一転して少し詰まっていた。


「誰なんだ。受信したメールに気付いたのは」

「・・・・・・はい。私がもっとも()()()()()人達ですね。そして、この本部にいる『殺しの意思』を持つ者」


 やがて決心した彼は立ち上がり、一枚の名刺を差し出す。そこには所属部署と知らない名前があった。少なくとも、こいつの仲間であることは分かった。だがこいつは『憎んでいる』と口を開く。もう良からぬ予感しかしない。

 灰野原は今までよりも遥かに重い口調で口を開きだした。

 彼が告げるのは、またも驚愕の事実だった。



「警察庁警備局長、堂安 努(どうあん つとむ)。特捜隊の第一人者にして、私の直轄の上司です。

 そして公安上層部と画策し、あなたの存在を消そうとした人間だ」



 その名を告げた彼の眼は、虚空に満ち溢れたもの・・・ではなく、完全に全てを焼いて葬ろうとしている人間のものだった。


「特捜隊自体が、俺を・・・」

「はい。ですので、特捜隊は完全にあなたの敵だと思ってください」

「じゃあここに来たのは不味いんじゃねえのか!ならお前も、」

「そうなりますが、私や一部の仲間は違うと断言します」


 その言葉の中にはへらりとした調子はなく、訴えかけているように聞こえる。

 こいつはなんだろうか、言葉によってよくテンションが上げ下げしてくるので、理解よりも先に調子についていけなくなるかもしれない。

 しかし、よく考えてみれば灰野原は敵ではないと思っている。殺すなら、とっくのとうに殺しているはずだしな。

 それに公務員の汚職というのはどこでもあるらしい。そんな火花が最悪の汚い花火となって打ち上がり、俺に降り掛かってきた、ということらしい。

 だが全てが全て同様でない、と彼は言葉を紡ぐ。


「特捜隊の方針はあなたをゲームへ招待することのようです。上層部は死刑囚の人間を地獄へ放てば死刑執行までの期間、効率よく外部への情報漏えいを防ぐことができ、あわよくば執行よりも先に本人が朽ち果てることを望んでいる。一石二鳥というやつです」

「それは分かるが、あんたがやっていることも同じでは?」

「はい。ゲームへ招待する、までは同じです。ですが私も真実の全てを明らかにしたい側の人間です。このままで終わっていいはずがない。ですので、私は上層部へこんな提案をしました」


 灰野原は先ほど書いたチャートを示す。次にはペンで『吉良吉宗が死刑宣告を受けた』の欄から更に下へ出来事を記す。

 そこには『Rogue Outへの強制ログインを実行』と書かれていた。そしてその下と今度は右の二つに分岐するように未来の物語を綴る。この二つに分岐はそれぞれ『特捜隊』と『灰野原自身』の思惑が書かれることになるだろう。

 実際、それは的中した。だが・・・・・・片方の『灰野原自身』の思惑は俺の予想と同じではなかった。分岐した灰野原自身の欄には棒人間が二人、描かれていた。これは多分・・・俺とこいつ、だと思いたい。

 次には特捜隊自体の思惑の欄をボールペンで殴るように黒く塗りつぶした。残ったのは、灰色の思惑だけ。


「────吉良吉宗を徹底的に利用し、ゲームの存在が明るみになった原因を突き止めさせよう。全てが終わった頃に、彼を()()()()()()殺せばいい、とね」


 いつの間にか彼の表情には最初のようなにやりとした不気味な笑みが戻っていた。多分だが、これがこいつの素なのではないかと思う。

 俺はこいつの思惑の一つの目的が分かった。要は、あのゲームの中で真実が突き止められない限り、俺は・・・・・・、


「実質的な死刑の無期限化、ってことか・・・!」

「察しがよくて助かります。私の巧みな言葉によって奴らは納得していただけました。死刑は既に内密に取り消されています。なので、先ほどの裁判はただの茶番です!ドッキリ大成功!」

「はは・・・・・・バカみてぇ・・・」


 そういうことだったのか。俺はまだ、生きていたかったらしい。何故だか安心しきって椅子にクラゲのように溶けて沈み込む。次には数滴の涙が溢れていた。

 あれ、おかしい。俺は別に死んでも良かったはずなのに。人生なんて特に何の意味もないと思いこんでいたはずなのに。

 俺はずっとこいつらの手のひらで勝手に一喜一憂していただけだったのか。もう馬鹿らしくて言葉が出ないや。

 だがよく考えれば、それは長旅に一つだけ休憩が与えられていただけに過ぎない。

 灰野原は典型的なVRのようなヘルメットを渡した。


「これは特捜隊として、ではなく私個人のお願いです。

 Rogue Outのゲームに入り、共に真実を明らかにしましょう。

 あなたの人生と地獄は、ここから始まるのです」


「ああ。分かった。一度拾い直した命だ。だったらもうとことん堕ちてやるさ」


 そして立ち上がり、互いに握手を交わす。それは一人の一般が、一人の一般を装う変人と協力関係となった瞬間であった。

 その日、裁きを受けざる男はならず者蔓延る裁きのゲームへと飛び込む。それが自殺行為か愚行か、はたまた真実を暴き出す光となるのか、この時点では知る由もない、なんて俺はそんな小説の一フレーズを思い出していた。

 眼を閉じ、これまでの日常を唐突に閉ざす。これから迫りくるのは非日常そのものだ。世界が暗転し、そこにはもうひとりの俺がいた。


 次の瞬間、俺の眼の前には彼の言った通りの地獄が広がっていた。




 -始- The Vanishment Rogue

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