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後編:ウルズの羽

 静かに降りしきる雪が町中を白く染める。

 行き交う人々は、暖かい服を着て、暖かい笑顔を浮かべて、一緒に居る大切な人と暖かい時間を過ごしている。


「―――マッチは要りませんか。持っていない人は是非とも、持っている人も予備に重宝。暖炉や蝋燭へ手軽に火の点けられるマッチはこの寒い時期に大活躍。箱でなくとも一本からでもお買い求め出来ます。マッチ。マッチは要りませんか」


 少女はそんな中で一人マッチを売ります。


 寒いのにそれを感じさせない笑顔で道行く人へマッチを勧めます。そんな雪の精のような少女に目を惹かれて立ち止まりマッチを買い求める人の姿もちらほらと。


「一つ貰おうか」

「ありがとうございます」


 少女の笑顔は見る者へ奇妙な印象を与えます。


 目を惹く筈なのに、どうしてか雪の白さのようにたちまち意識から消えてしまいます。

 まるで生きている人間でなく、パステルで描かれた絵のような少女。


「マッチは如何(いかが)ですか。憚り所でシュッと火を点ければにおいも消せられて面白いマッチは要りませんか」


 マッチは買われていくが、それ以上は意識に留められることはない少女。


 マッチ売りの少女は一人、雪が白く染める町を歩き回ります。


 ―――夕焼け。もう少しも経たぬ間に、夜が来る。


 少女はそうして定番の道を巡った後、手近な路地に入ると休憩します。


「殆ど売れた」


 軽くなった籠を覗いて少女は微笑みます。代わりに重たくなった懐は今日の成果です。


「ヒナちゃん、喜んでくれるかな? ふふ、驚いて頭が飛び出てきたらどうしよう」


 マッチ売りの仕事の斡旋をしてくれた商会を除けば唯一、少女が私的な時間を共に過ごす相手。

 醜いを通り越して悍ましい。そんな雛鳥。

 ですが少女にとって今では一番身近な存在。


 頭や心臓が無いのに、その見せる仕草から少女は雛鳥の優しさを感じていた。


「ヒナちゃんはきっと―――」


 そうして少女は雪が降る暗い空を見上げ、そして―――




 空がまわる。ぐるぐると。




「え」


 近くの壁に手を付く。

 そして知る。

 空がまわったのではない。空がまわるわけがない。


 まわっているのは少女の視界だった。


「ぅぐっ!? おぇええええええええッ!?」


 吐く。気持ち悪さに耐えかねて。

 腹の中からくる激痛。そして骨の芯から凍るような寒気。それらが一度に少女の身へ襲い掛かる。


 ―――気が付けば少女の体はうつ伏せ倒れ、冷たい雪に顔を押し付けていた。


(あれ? いつ倒れたっけ?)


 そんな疑問も直ぐに霞む。


「……っ……ぁ……ぅあ……」


 苦痛に声無き声で喘ぎ、雪に爪を立てて藻掻く。


(いたい。きもちわるい。いたいいたいいたいなんでいたいいたい、くるしいくるしいくるしいくるしいはくはくはくはいた。ふるえるたてないうごけない。いたいいたいいたいどうしていたいいたいいたいさむいさむいさむいさむいさむい)


 少女は震える指先で落とした籠から出てきたマッチ箱を掴み取ります

 加減の利かない手は箱を潰し中にあるマッチを溢れさせます。


 凍える少女はその一本を摘まみ取ると、暖かい火を求めてマッチを擦ります。


 灯る小さな火。


 夜の帳が下りる寒空の下に、微かな灯りが灯る。


(……火……光……)


 近いのに遠く感じる小さな光。少女はそれを視て幻視します。


「……家……わたしの……おうち……」


 ―――家が見える。家族と共に過ごしていた家が。


(おとうさん、おかあさん、おばあちゃん)


 その光へ少女は手を伸ばし―――マッチが手から落ちる。

 火が雪へ埋まり、消える。


 見えていた光が失われる。


「……ぁ……ま……って……わたし……」


 少女は感覚が薄くなってきた指先を必死に動かして次の光を求める。


 一本……二本……三本……


 火が灯る度に少女の目の前に暖かい光景が広がります。


 体の芯がぽかぽかと温まるストーブ。

 良い香りが立つご馳走。

 煌びやかに飾り立てられたクリスマスツリー。


 その光景のどれもが少女から苦痛を忘れさせます。―――しかしそれもマッチが燃えている間だけのこと。


(ああ……消える。……消えて、無くなる)


 藻掻く内に少女は仰向けになる。


 ―――光。光が見える。燃え尽きて消えていった筈のマッチの火が、空へ落ちる。


 落ちる。

 流れる。


 光芒が視界を埋め尽くす。


(……たくさん……死ぬ……死んでいく……)


 流れ星は誰かが死ぬ時に見える物。それを少女に教えたのは彼女のお婆さんでした。そうして流れて消えた星は神様のお膝元へ行くのです。


 父が亡くなった日も。母が亡くなった日も。お婆さんが亡くなった日も。

 流れ星が見えた。


 そうして少女は理解します。どうして自分は真昼の空や雪降る曇天でも流れ星を見ることが出来たのか。


「……ぁあ……そっか……私……もう、死ぬんだぁ」


 死期が近い者はその日を悟ると言う。少女はそれを流れ星で知覚していたのです。


 少女は最後のマッチを灯すと、それを空へ向ける。


「私も……流れ星に……」


 現実に救いは無かった。

 だけど、死ねば……死んで流れ星になれば。


 家族とまた会える。神様の下で。


 少女は最後の火……自分の命を握り締めて祈ります。


「……連れて、行って……私を……あの、光の……中へ……」


 その祈りに応えるかのように、少女の視界は光に包まれていきます。まるで少女の体が星になるかのように。




 ―――その時です。何かが少女の頭の近くに立った気配を感じたのは。




「……な……に……」

「――――――」

「ぁ……ぇ? ……ヒナちゃん……?」


 少女が首を上げて目にしたのは、頭と心臓がない雛鳥でした。

 雛鳥は視界を埋め尽くす光の中でもはっきりと姿を見せています。


 少女は雛鳥の姿を目にすると涙を溢れさせました。涙は止めどなく流れ頬を濡らしていきます。

 雛鳥は涙を流す少女の顔の傍へ


「……どうやってここまで ……どうして……」

「――――――」

「……もしかして……あの時言った約束……覚えててくれたの?」

「――――――」

「やっぱり、ヒナちゃんは……優しいねぇ……でも、ごめんね……私……もう……流れ星になっちゃうみたい」

「――――――」

「そうだ。……私ね、ヒナちゃんに……言おうと思ってたことが……有ったの……」


 少女は顔の傍へ来た雛鳥へ頬擦りします。

 やっぱり雛鳥は初めて出会った時と違い、暖かかった。


 少女は穏やかな顔で雛鳥へ伝えます。




「ヒナちゃんはきっと、とっても綺麗な鳥になる」




 頭が無くとも。心臓が無くとも。


「だってこんなに……こんなに……私は……ヒナちゃんが……―――」


 少女の手から……最後のマッチが抜け落ちる。


「…………」


 少女の瞳から光が無くなる。涙が止まる。


 温もりが……消えていく。








「――――――」


 マッチが雪に落ちる―――……その前に。すっと差し出された白い指が、それを掴み取りました。


「……貴女の心の臓の音は……温もりは……とても心地よかった」


 マッチを掴み取った女性の声が、物言わぬ少女へ掛けられます。


「自分が何者か……頭が無いので何一つ思い出せませんが……それでもわかることが有ります」


 首の無い女性。その白い手が少女を優しく撫でます。


「貴女は見るべきです。この現世(うつしよ)に在る(さいわ)いを。たとえ大切な人が幽世(かくりよ)へ旅立っていたとしても」


 首無し女の言葉には悔いるような響きが込められていました。……まるで自分は過去にそれが出来なかったとでも言うかのように。


「ありがとうございます、心優しい少女。私のような……醜く悍ましい鳥を慈しんでくれて」


 燃え尽きたマッチ。もう灯りを点すことは永遠に無い筈のそれが―――光る。


「私はきっと貴女に会えた幸運を忘れないでしょう。……この心の臓と共に」


 首無し女は自分の胸に手を当てる。

 そこからは、とくんとくん、という鼓動が―――


「……これを持っていてください。……これが貴女の命を、未来まで紡いでくれます……」


 首無し女は少女の手に光を握らせます。


「……さようなら―――私の大好きな友達」


 その言葉の後……一瞬だけ……少女の体を白く大きな翼が包み込みます。


 そして首の無い鳥は、大翼を広げて羽ばたく。

 高く高く飛翔する。


 雪の降りしきる夜空、その中を。まるで流れ落ちていく星のように。


 一羽の鳥が美しく輝きながら……天へと消えていきました。




 ◆◆◆




 眩しい光を感じて少女は目を覚まします。そして見える天井は知らない物。それでも少女は自分がベッドで寝かされているのだと直ぐに理解しました。

 窓から差し込む朝日で照らされて目覚めた少女はぼやけた意識をはっきりさせようと口を動かします。


「……ここ、は?」


 そうして少女が更に意識をはっきりさせる為に視線を巡らそうとした時―――直ぐに彼女の顔を覗き込んでくる人が居ました。


「起きたようだね。大丈夫かい? 痛いところは? 気分が悪いとかは?」


 見知らぬ壮年の男性。その服装から少女は彼が牧師であると知ります。そして起きたばかりでぼんやりした意識のまま自分の容態を確かめていきます。


「……痛いところ……」


 少女はそこで自分の気分がすごく好調であることに気付きます。

 あれだけ自分を苦しめていた病魔がさっぱり祓われてしまっているのです。


 少女は軽くなった体を起こして牧師に向き直ります。


「牧師さんが助けてくれたんですか?」


 その言葉に牧師は難しい顔をします。


「……助けた……どうだろう。私は教会の裏手で倒れていた君をこのベッドに寝かせただけだからね。いやしかし体に悪いところが無いというのは良いことだ」

「…………」


 少女は改めて自身を調べます。……ですがやはり何処にも不調は見当たりません。

 怪我をする前……否、それよりももっと前。家族と共に過ごしていた時よりも……少女の体は元気に溢れていました。


「この辺りで雪が積もる程に降るのは珍しい。そんな日に君が冷たくなっていなかったのは運が良かった。多分倒れてからそんなに時間が経っていなかったのだろう」

「……そうですか。……ありがとうございます。ベッドを貸してくれて」

「いえいえ。―――ああ、そうだ。君、自分の家はわかりますか? 親御さんがきっと心配している」

「家族はいません。もう主の御許へ旅立ちました」

「……そうですか。君の家族の安らかな眠りをお祈り至します」


 少女はそうして牧師と話していると、気を失う前のことを思い出します。


「牧師さん。鳥を見ませんでしたか?」

「鳥? すまないね。見てはいないよ。こんな寒さだ。きっと暖かい場所へ飛んでいった筈だ。―――ああ、今ので思い出した」


 牧師はそう言うと近くの机に置いていた物を取ると、それを少女に手渡します。


「これはやはり君の物かな? 見付けた時、ずっとこれを握り締めていたんだ」


 手渡されたそれを見て少女は胸が詰まりそうな気持ちになります。


「……これ……は……」


 ―――それは一枚の鳥の羽でした。


 握ると、暖かかった。先程まで机の上にそのまま置かれていたというのに。

 握った手から……温もりが広がっていく。


「白くて綺麗だろう? 初めは白鳥の物かと思ったんだが……ほら形が違う。白鳥の羽は靴べらみたいに広がってるけど、これはまるでナイフのようにスマートだ。これはいったい何処で?」

「……こ、これ……は……ともだち……ともだちの……」


 見ていない筈なのに。体が覚えている。

 この雪よりも白い、だけどとても暖かい羽を持つ鳥を。


 少女は覚えている。この翼に抱かれ―――救われたことを。


「そうか。友達に貰った物なんだね。……しかし気になるね。この羽を持つ鳥のことが。いったいどんな姿の鳥なんだろうか」

「……っ……すごく、……すごくっ……綺麗でした」


 涙が。少女の目から涙が溢れて止まらなくなります。


「……わた、わたしっ……」


 突然泣き出した少女に牧師は心配そうに声を掛けますが、今の彼女の耳には届きません。


 少女は理解したのです。あの頭の無い雛鳥が自分の代わりに流れ星になったのだと。

 マッチようなか細い温もりではなく、その白い羽を少女の手に残して。


 大きな鳥。今の少女よりも大きな鳥。

 涙で濡れた目を瞑ると鮮明に思い出せます。


 頭は依然として無く……ですが、それでも全く色褪せることない美しい姿をした鳥。

 白と黒が調和した羽を持つ水鳥。


「……っ……ヒナちゃん……」


 少女は窓から空を見上げます。


 流れ星はもう、見えません。


「牧師さん。……この羽は……この羽は、私の大切な友達のっ……」


 ―――さようなら、大好きな友達―――


 耳に残る優しい声。それを忘れないように羽を握るように包み込む。


『だってこんなに……こんなに……私は……ヒナちゃんが……―――』


 言えなかった言葉。伝えることが出来なかった気持ち。

 少女はそれを羽へ送る。





「ヒナちゃんっ……大好きだよっ……、……ずっと……ずっとっ!」





 救われていたのは少女でした。

 あの日、首の無い雛鳥を拾った時から。

 救われていた。


 今も。


 少女はもう……ひとりではないから。




 ――――――




 身寄りの無かった少女は牧師の導きで新しい家族に迎え入れられることになりました。

 血の繋がりは有りませんが義父も義母も少女を深く愛してくれました。


 少女はこれまでの経験……特にマッチ売りの経験から売買取引きの妙を学びました。それで恩の有る人を助けました。


 小さなマッチから始まった少女の取引きは……いつしか大勢の人を支える企業にまで発展しました。



 そのシンボルは火よりも赤い(暖かい)“ハート”を包む一枚の“白い羽”。



 そのシンボルを掲げる企業の創始者となった少女は、妻、母、祖母、曾祖母と呼ばれ方が移り変わっていく年月を過ごし……遂に最後を迎える時がやってきました。







「―――皆……そこに居る?」

「ああ。僕達は傍に居るよ。母さん」

「……そう。……良かった」


 ベッドに横たわる年老いた女性。その様子はとても弱々しく……ですが、とても穏やかでした。その老女の周りには彼女の家族が集まっています。

 息子とその家族。孫姉妹とその家族。そしてまだ幼い曾孫。

 幼い曾孫を除き、彼等は一様に涙を湛えこの別れの時を耐え忍んでいました。


「……星……」

「母さん?」

「……流れ星が……見えたわ。……とても……綺麗な」


 息子は窓から外を見ますが、そこには青空が広がるばかりで星の輝きは何一つ見えません。他の家族も不思議そうに外を見て……そんな彼等の様子を老女は愛おしそうに見詰めます。


 老女は枯れ木のような手を動かすと、ある人を手招きします。


「……ねえ……その子を……ここへ」


 老女が手招きしたのは曾孫でした。

 まだまだ親が手を引いてやらないと満足に歩けない小さな子。

 老女の言葉を聞いて孫夫婦は我が子を彼女の傍へ連れて行きます。


「ばーば。ばーば」

「……元気な子。あなたにこれを上げましょう」


 老女は曾孫の小さな手に……一枚の鳥の羽を握らせました。


「うー? ……わー!」


 曾孫はその綺麗で暖かい羽を直ぐに気に入りきゃっきゃっと笑い始めました。


「……良かった。……それはね、私の宝物だったの……」


 ずっとずっと大切にしてきた物。老女はそれを幼い家族へ託しました。


「……いつか……その羽が……紡いで、……だから……―――」


 老女の瞼が落ちる。

 家族が掛けてくる声が遠くなっていく。


 お迎えが来たのです。主の御許へ旅立つ為のお迎えが。


 ―――そして曾孫の瞳に……一筋の光が映ります


「……ぉおー……」


 その光は老女から放たれ、そのまま空へと真っ直ぐ飛んでいきました。


 曾孫はいつまでもその光を見詰めていました。


 青空に広がる雲。まるで大きな翼のような雲に、その光が包まれるまで。




 ――――――




 天に召された老女は微笑んでいました。

 とても安らかで、穏やかな眠り。まるで雛鳥が親鳥に暖かく包み込まれているような、そんな顔でした。


 その老女の枕元にはマッチの箱が一つだけ置いてありました。

 何処にでもありふれたマッチ箱。


 少女が世界へ届けたマッチ。

 心と羽のシンボルが刻まれたマッチ箱が……そこには有りました。

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